episode 134
これで終わる
地響きの様に響き渡る風の音がユゥイの心をじくじく、と蝕んで行く。呼吸から漏れる白い息だけが自身の生存を物語っていた。ふと、何気なしに上空を見やればそこからは有り得ない数の人影が放り投げられる。次々と響き渡るドサドサ、と言った重みのあるその音は聞くまい、とユゥイは死体の山の上で縮こまった。思わず耳を塞ぐその手は寒さだけではない、確かな恐怖がそこにはあった。
『罪人が着せられる服を着てない。それにまた、こんなに…』
この谷に沈められる際には必ず、ユゥイやファイの様にアンクル丈の衣服を着せられる。罪人とそうでない者、その違いを視認できる様にする為だ。しかし、つい先刻投げ入れられた人々はそれすら着せられてはいなかった。それに、こんな短期間で次々と罪が犯されるのもおかしい話だ。空からは相変わらず、飽きもせず小さな白い塊が降り注ぐ。それを眺めるファイが何を思っていたかなんて、きっと本人にしか理解しえないのだろう。
雪はまだ、止まない。
ズルズル、と死体を引き摺る音だけが響き渡る事ほど、空しく申し訳なくなる事は無いのだと思う。それは、罪人が着せられる服を着ていない人だ。本当なら死ぬ運命にはなかったのではないか、そんな事さえ思う。それでもユゥイには夢があった。ファイと共に外に出て、色んな景色を見て笑い合う、そんな夢が。それを叶えるまでは死ねない、死ねない筈なのだ。なのにその夢にはほど遠い。泣きたくなる程に現状は何も変わっちゃいなかった。
死体の山の頂点まで来た途端、掴んでいた腕が離れる。どうやら腐敗していたらしい。どれだけの時間、外で放置されていたのだろうか。そうなった反動で尻餅を付くも、ユゥイはただただ沈黙を貫いて無事である右腕に力を込めた。しかし、その時に再び響いた重苦しい音に蒼い瞳を丸くさせる。次々と増えて来る死体には、やはり自身らと同じ様な服は着せられていなかった。
『こんな子供まで…!』
先刻、投げ入れられた死体の中には小さな赤ん坊も居た。そんな子を優しく抱き締め、守る様に包み込んでいるのは母親だろうか。そっとフードに手を触れさせるが、既に温もりは消え失せていた。嗚呼、せっかく生まれて来た命をこんなにも早く摘まれてしまったのか。こんなに早い死を、なぜ「罪人の捨て場」と言うこんな場所で迎えなければならないのだろうか。それに、こんな子供やその側で横たわっている老人らがどんな罪を犯したと言うのだろう。この国に何かあったことは明白だった。
『ファイはあの塔から出られない。でも、ここにいるなら、壁を伝って出られる。出られるんだ』
新しく見つけた死体の肩を掴み、積み上げて行く。脱力しきったそれは僅かな力みでも簡単にずれてしまい、その力の掛け方が酷く難しいのだ。それでもユゥイのやるべき事と言うのはこれしか残っていなかった。登って、爪が剥がれて血が滲んでも登って、外に出たらファイと別の国に行く。ただ、それだけの為に。けれど、その前にヴァレリアで何が起きているのか確かめる。もし二人で、この国の人達に出来る事があるならやりたい。そんな健気すぎる思いが空回ったとしても、自己満足だったとしても、何かをしたいのだ。
しかし、レンガの溝から指を滑らせてしまい、ユゥイの身体は再び死体の山に埋もれる事になる。その時に響いた弾ける様な音は巻物だった。それはとある死体の手によって掴まれており、ユゥイはそれを手に取る。
『…何か、書いてある?』
そこに書いてある文字は「ヴァレリアの皇、乱心遊ばし」から始まっていた。「罪もなき民人を殺め、既に、止める者もいない。どうか、隣国から兵を」と続くそれは救援要請を意味していた。しかし、それを届ける間もなく殺されてしまったらしい。紙の下部は血で染まっており、握る手に力を込めていた事が分かる。
『皇が…乱心……?』
その「皇」とは、ユゥイとファイを幽閉させる事を決めた人物である。その人物が現在、ヴァレリアで暴走しているのだと言うのだ。急激に増加したこの谷への死体の投下もこれが影響しているのだろう。民を、自分を守る為に二人を「不幸の双子」と名付け、遠ざけたのにも関わらずこの現状の原因は一体何なのだろうか。そう思い読み進めて行くと、そこには絶望を感じざるを得ない文が綴られていた。
『これも全て我が国に双子の皇子が産まれたためと。すべては、不幸の双子の…』
嗚呼、こんなにも。何もしていないのに、ただ産まれただけなのに、存在が罪な事などある筈がないのに。どうして全てが二人のせいなのだろうか。どうして二人が理由となるのだろうか。あの時にどちらかが死ねば良かったのか。けれど、今あの瞬間に戻ってもきっとまた共に在る事を願うのだろう。だからこそ、辛かった。苦しくて、逃げたくなった。
『ユゥイ…ユゥイ…』
どう足掻いても、僕はユゥイに寄り添う事さえ叶わないんだ。
何時も薄暗いヴァレリア国は、夜になると一層暗く落ち込む。しかし、空から降り注ぐ雪は変わらずユゥイとファイに寒さを与えて来るのだ。そしてユゥイもまた、壁をよじ登る事を諦めてはいなかった。しかし、先程の巻物の中身が精神的にも堪えているのは確かだ。壁のレンガに爪を立て、グッと力を込める。その指に増えて行く赤は、上空から落ちて来ていた。ユゥイの瞳に映るのは勢い良く落下する大きな塊だ。それはユゥイの背後を通過し、雪に埋もれた。
剣を、持っている。これまでの死体とは少し訳が違う様だ。白い息を吐き出しながら、恐る恐る、と言った様子で後ろに目を向ける。ゆっくりとこちらに手を伸ばす正体は、この国で暴走しているらしい皇だった。ズルズル、と這いながらこちらに近付く彼はもはや虫の息である。それなのにも関わらず、彼は痩せ細ったユゥイの足首を掴んでみせたのだ。
『ユゥイ!!』
『…すべて…は、おまえ達双子が…招いた不幸。おまえ達が産まれたことが…不幸の始まり。既に…この国に生在る者は、私とおまえ達だけ……』
ファイは格子を持って声を張り上げるが、そこではガシャン、と言った音が響くだけで現状は何も変わりはしなかった。そうしている間にも、皇はユゥイの足首を掴み上げ、剣を持っている右手を上げて行く。そしてそれを力いっぱい握り締め、しっかりと構えたのだ。目の前で震えている幼子など、皇の視界にはきっと入っていないのだろう。そんな皇はただ一言、「そして」と言葉を放つ。
『これで…終わる』
その言葉と共に吹き飛んだ血液は、再びユゥイに絶望を浴びせた。その剣は皇の首に突き刺さっており、そこからは一直線に血液が飛び散っていた。口からも血を吐き出している筈なのに、彼はただ笑みを浮かべている。嘲笑(わら)っているのだ。自害、と言うその行動が、ただただ人を蔑むその言葉が、あまりに無邪気なその表情が、この場に居る幼子らにどれだけの影響を及ぼすなんて考えてもいないのだろう。だからこそ皇は、再び呪いとも言える言葉を口にしたのだ。
『生きて、その罪を贖え』prev next