episode 135
罪なのか
幼子の断末魔が響き渡る。それの前には頸動脈をひと突きした皇の死体、それから出る夥しい程の血はユゥイを守る様に飛び散っていた。爪が剥がれ、血だらけとなった指で頭を抱えて声を荒げるユゥイには、ファイの健気な声など耳には入っていなかった。ただただ目の前の光景に、その身に降り掛かった言葉に、この世界の全てに絶望し、その蒼い瞳はそれに支配される。その瞳の中にはもう、「片割れと共に外に出る」と言うささやかな夢さえも消えてしまっていた。
『…た……けで』
『ユゥイ!ユゥイッ!』
『…産まれただけで罪なのか。双子として、ただ、一緒に産まれただけなのに。ただ、産まれただけなのに。違う国に行っても同じ事が起こるのか。何の関わりもない人達が…死ぬのか』
『ユゥイ!』
『ただ、双り一緒にいるだけで、生きているだけで!』
細々と聞こえるユゥイの声色には、ただひたすらに純粋な絶望しか感じる事は出来なかった。ガチガチ、と響く軋んだ様な歯の音はきっと寒さだけではない。その後に視界に入る自身の手は血だらけで、酷く汚(けが)れている様に見えた。その血を、命を踏み台に幸せを掴み取ろうとした自身は、どれだけの悪なのだろうか。そんな思考に苛まれたユゥイには、もう既にファイの訴えなど眼中にはなかった。そしてユゥイはダン、と雪が積もった山に力強く手を付く。
『また、みんな、死ぬのか』
ググッと力を込めて雪を掴みに行く。しかしそこには何もなく、犠牲にしようとしていた国民の血がただただ染み渡って行くだけだった。ただ、空しかった。この手には、何もない。何を手にする事も出来ない。何かを望み、何かを欲する事さえも許されない。そんな人のものとは言えぬ運命を、受け入れるしか道は無いのだ。ファイはきっとその事が分かっていた。なのにどうして泣いている?――嗚呼、ユゥイが泣けないからか。そしてユゥイは「ただ」と嫌に力強く言葉を続けた。
『生きているだけで』
生きているだけで罪ならば、ぼくらの存在は何なのだろう。
雪足は止まる事は無く、その白い塊は共に静寂を落とし続けた。誰も居ない世界だからか、その静けさや寂しさは一層強まっている気がする。そんな世界にぽつん、と佇む塔のみが人が生きていた、と言う事を証明してくれていた。その中に居る二人の幼子は伸びきった金髪を床に垂らし、広げている。ユゥイに至っては、もう既に谷を出る事を諦めてしまっていた。
プルプル、と震えている手を格子に伸ばすのは、ファイだった。力さえも上手く操れないままやっとの事で格子を掴み、谷で力なく横たわっているユゥイを見下げる。ピクリとも動いていないのか、ユゥイの上には雪が積もっていた。そんなユゥイを、脱力しきったユゥイを見てファイが何を思うのか、その目を見れば一目瞭然だった。
『ごめんなさい。あの時死んでいれば、ユゥイはこんな思いをせずにいられたのに。ごめんなさい。ごめんなさい』
視界がぼんやりと朧げになる。――ああ、どうやら涙が出て来てしまったようだ。けれど、仕方ないと思う。こんな風にしたかった訳じゃなかった。ただユゥイと一緒に、少しでもささやかな幸せを感じられるならそれだけで良かった。だから死にたくなかった。けれどその末路がこれだ。何がしたかったんだろう。何を望んでいたんだろう。分かっていたはずなのに。幸せになんかなれない、と。もう、死にたくなって来た。
『死ねば、ユゥイはここから出られる。双子でなければ生きていける』
数年前から何の栄養も採っていないこの身体は、もうそろそろ限界の様だった。ズル、と下りて行くその手には、何の力も宿ってはいなかったのだ。けれど、そんな状態になってでも、ファイは白い息を吐き出しながら雪が降り続ける空を仰いだ。死にたい、死にたい、と何回も唱えても、彼は確かに外の世界に恋い焦がれていた。そして、僅かな願いさえ芽生えた。死ぬ前に、誰かに言わなきゃ。
『誰かに、ユゥイだけは助けてって伝えなきゃ』
一度で良いから、ユゥイの瞳(め)のような蒼い空を見てみたかったなあ。
そこで記憶は途切れていた。我に返ったファイの身体には責め立てる様な「ファイ」の視線が突き刺さっている。お前のせいだ。ファイはこんなにもユゥイの事を思っていたのに、ユゥイはファイを裏切った。そんな混沌とした思いが流れ込んで来る様だった。それと同時に耳に入るアシュラ王の言葉は、より一層ファイに罪悪感を持たせるものとなったのだ。
「選んだんだろう、あの時」
『出たいのか、ここから』
『…また…夢?』
『夢ではない。これは現実だ』
『そんな…はず…ない。ここには誰も…来ない。死体以外』
『それはこの国での決め事』
『でも…隣国でも双子は…』
『それはこの世界での決め事。世界は他にもある』
久し振りに身体を動かした。寒さと栄養失調による痙攣が止まらない血で塗(まみ)れた手を見つめていると、ある男の声がこの場の空気を震わせる。そちらに目をやると、空間を割った様な切れ目がそこにはあった。彼は右目にモノクルを翳しており、不敵な笑みで顔を飾り付けている。そんな彼が言った言葉に、ユゥイは思わず目を見開いた。
『ここは魔法が効かぬ谷。しかし、我が身は次元が異なる別の世界にある。だから影響を受ける事はない。――出たいか、ここから』
突然現れた男はこちらに手を差し出すが、それは何らかの膜で覆われた様に触れる事は叶わなかった。どうやら彼の言っている事は事実らしい。そんな彼から続いて紡がれる魅惑的な一言に、ユゥイの瞳に僅かな光が宿った気がした。けれど、冷静になる。すると、脳内を占めるのは片割れの顔だった。
『……出たい。世界が他にあるなら…出たい。そして、誰かに…』
『その願いを叶えてやろう。けれど、出られるのは一人だけだ』
ユゥイがゆっくりと言葉を紡ぐ。「出たい」と、確かにそう望んだ瞬間、男が僅かにほくそ笑んだ気がした。その意図が分かる様になるには、ユゥイは些か幼すぎたのだ。条件を提示され、目を見開き、そして自分を追い込んで行く。母親が死んでから問答無用でこの谷に落とされた為、ユゥイの中には誰かに頼る、と言う選択肢さえなかったのだ。その「誰か」と言うのも、もうこの国には存在しないのだが。
男は笑みを携えながら言葉を放つ。それは酷く残酷なもので、幼子が決断するべきものではなかったと思う。そして、それを受けるユゥイも酷く残酷で、優しすぎたのだ。迷った素振りを見せたものの、ユゥイの心の中はきっと決まっていたのだろう。
『ユゥイを出して』
その言葉こそが、もう一つの始まりだった。prev next