episode 137
この名の蛍石
『おまえには旅に出てもらう。砂漠の姫と、こちらが用意した写身と共に』
『迎えに来るのはその二人…?』
『違う。別の世界から来る者であるのは、確かだがな。もう二人、共に旅立たせようとした者たちがいたが、一人は魔女に先んじられた』
『魔女…?』
『強力な魔力を持つ者、次元を自由に渡る魔女』
男の言う「二人」とはレイノと黒鋼の事である。その中でも黒鋼は、男の夢見の更に先を読んだ侑子によって、男の手が及ぶ前に日本国の夢見姫に預けられたのだ。そして、黒鋼は魔女の一手であり、ユゥイにとっても敵となるのだ。それを理解しているのかいないのか、ユゥイの表情は酷く惚けていた。今しがた自身の片割れが亡くなり、動揺してるのは確かなのだが。
『願い…』
『生き返らせたいのだろう。双子の片割れを』
『…あなたも、もう死んでしまったひとに会いたいの?』
男の言う「片割れ」の言葉に、ユゥイはちらり、と地面に転がる自身と良く似た人間を見つめる。しかしその後に続いたユゥイの言葉に、男は思わず目を見開かせた。――まさか、こんな子供に言われるとは思わなかった。そんなに顔に、出やすかっただろうか。だが、そんな考えは杞憂となって終わるのである。
『…砂漠の姫には旅立って貰わねばならん。その躯に様々な時間軸を記憶し、玖楼国に眠る遺跡を発動させる為に、――我が願いを叶える為に。おまえは写身と共に姫を守り、旅を続けろ』
『…いつまで?』
『姫が玖楼国に戻るまで。旅を続ける妨げになるものはすべて排除しろ。もしも、魔女の一手である日本国の若造が邪魔するようならそれもだ。もう一人の者は少しなら信用しても構わんが』
『殺す…の?』
『自分を選んで双子の片割れを殺したおまえが、他人を殺すのに何を躊躇する事がある』
しかしその驚愕の表情も一瞬の事で、一度瞬きをすればそれはナリを潜めていた。それにも気付かないユゥイは、男の言葉に目を見開いている。その脳内には、数刻前に自身が下した決断の場面が映し出されていた。そんな中、ユゥイはもう二度と起きる事は無い自身の片割れの亡骸に手を伸ばす。
『ファイと…一緒に行く……』
『魂のない躯は朽ちる。連れて行けば、それが早まるだけ』
ギュ、と力を入れて抱き締めたその身体に、温もりはもう宿ってはいなかった。その事が悲しくて、虚しくて、ユゥイは寒さと喪失感で身体を震わせる。その時に吐き出した白い息だけが、少しだけ温かかった。これから彼は、次の世界で羽根を見つけ、それをファイの身体に入れなければならない。畏怖の対象とされた強大な魔力を持っている自身になら分かると、男は言う。
『落ちてくる羽根はひとつではない。そのうちのひとつは旅立つ時に持って行け。旅立ってすぐ、姫に死なれては話にならん』
『羽根…いくつ落ちてくるの……』
『そこまではまだ夢で視てはいない。すべてが夢見に現れる訳ではない。いや、クロウ・リードならばそれも可能だったかもしれんがな』
『…クロウ』
『――忘れるな、おまえは我が一手だ。願いが叶うまで』
クロウ・リード、とある次元では酷く有名だった大魔術師だ。朗らかな笑みを携えながら、その心は誰にも読ませやしない。そんな不思議な、何処か掴めない雰囲気を持った男だった。しかし、力の使い方も分からぬ幼いユゥイには聞いた事もない名である。そんなユゥイの思考とは別に、男は「そして」と言葉を続ける。
『もうひとつの呪いが解けるまで』
その記憶が思い出された事は、未だかつてない。
ファイの視界には、グラ、と倒れて行く『小狼』の動きが酷くゆっくりと映り込んでいた。そんな『小狼』とその肩に乗っているモコナを受け止めているレイノの手は、酷く細く見えた。けれどそんな彼女に視線を向ける黒鋼の双眸は、紅く燃え上がっている。それに気付いた彼女は桃色の瞳を鋭くさせては『小狼』を柱に凭れさせ、黒鋼と共に立ち上がった。コツコツ、と響いた靴の音は、ファイにとって酷く恐ろしいものなのだ。そして再び、ファイの記憶が蘇る。
『他に何かして欲しい事はあるかな』
アシュラの手によってセレス国に連れて来られたファイは水底に沈んだ片割れを見下ろしている。長くなった金髪から僅かに見える口元は痩せこけていた。けれどこの国の暖かい服を身に纏う片割れは、少しだけ眠れている様に見える。そんな中で響くアシュラの静かな声色に、ファイは蒼い瞳を少しだけ伏せた。
『…髪を切りたい。髪だけでも離れてても側にいられるように』
『では、その髪と一緒に、これを君の大事な子の側に置いてもいいかな』
『なに……?』
『フローライト。ここ、セレスではお守りになる石だ』
『蛍石…』
『君にもあげよう。石ではなく、名前を。――君は、今日からセレス国の、ファイ・フローライト、だ。その名が君を守ってくれる』
『どうして…してくれるの…そんな事……』
『…君に、お願いしたい事があるんだ。まだ先の事だけれど』
ファイの要望を聞いたアシュラは、何処からか透明がかった宝石を取り出した。その名を、ファイの名としてくれる、と言う。「不幸の双子」としてではない、「ファイ」として、初めてその存在を認めて貰えた気がした。そして、守って貰える、と言うそんな感覚もファイにとっては初めての事だったのだ。そんなファイと目線を合わせ、アシュラはそっと抱き締める。「新しい日々を始めよう」と言う言葉と共に身体に染み渡る温もりは、確かに本物だった。
その時にファイは決めたのだ。どんなに辛くても悲しくても、生きる、と。片割れを生き返らせるまで、願いを叶えるまでは死ねないのだ。この手で誰かの命を奪っても、この手が汚(けが)れた血で赤く染まっても。そう、決めたのだ。
カッと一際大きい靴の音が響き渡ると、黒鋼は左手で拳を作る。そこからは淡い光が漏れ始め、ファイと同じ気を感じる事が出来た。そこから現れる物は黒鋼の愛刀の「蒼氷」である。それに倣う様に、レイノも手の平に集めた魔力から薙刀を形成した。桃色に淡く輝くそれは、鋭さを持ちながらも彼女の優しさが確かに感じられたのだ。そんな様子を怯えた様に蒼い双眸に映すファイの気持ちは、きっと二人には分からないのだろうけど。
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