episode 138
手は伸ばせない

 スラ、と姿を現した「蒼氷」はファイの魔力を纏っており、その先端を向けられる彼の表情は何故か、酷く怯えている様だった。もはや動かない自身の片割れを抱く腕の力は、徐々に強くなっている。ふう、と、何処からか息を吐く音が聞こえた。その直後に響いたチャ、と言う金属音はレイノの手から放たれている。それに対し、はく、と口を開いたファイはまるで、傷付けたくない、とでも言いたげに蒼い瞳を見開かせた。


「死ねない、ファイを生き返らせるまでは。この名を、命を、返すまでは」
「では、殺さなければならない、ね。彼を…彼女を」

 足首まである白いコートをたなびかせて、ファイはユラ、と立ち上がる。もちろんその腕には自身の片割れが抱(いだ)かれていた。まるで自身に言い聞かせるかの様なその言葉は、アシュラの言う静かな呪いは、ファイの心をじんわりと蝕んで行くのだ。カタカタ、と震える指先には、僅かながら淡い光が宿っている。これを今から、目の前の二人に浴びせなければいけないのだ。嫌だ嫌だと思っても、その後に続くアシュラの言葉にファイは再び囚われる事になる。


「そして、私の願いを叶えて貰わなければ」

 この時に君の名を呼んでいれば、君は手を伸ばしてくれたのだろうか。




 雲行きが怪しい。その頂点からは何かが迫り来る様な、地響きが聞こえて来る。それを睨み上げるたった一つの小さな影は自身の身長の倍以上はある魔術具を翳し、巨大な雪崩と対峙した。力を込めるとその魔術具の宝具は輝き、巨大な雪崩からその下の小さな町を守ったのだ。
 町を避けて、その巨大な雪崩は山の麓(ふもと)を過ぎて行く。そのお陰で現れた大きな氷柱の中には不思議な光を放つ羽根が二枚、ファイの目の前に姿を見せた。それらは氷柱をすり抜け、彼の元に落ちて来たのだ。――これがあの男が言ってた、記憶の羽根だろうか。


『言ってた通り…凄い力だ。これをファイに…』

 圧倒的な力と柔らかい雰囲気は酷く矛盾している様に感じた。そんな二枚の羽根を手に取り、ファイは暫しの間、考える。――ああ、羽根のままじゃなく、人の姿にしよう。そうすればきっと、もう一人のオレも寂しくない。もう一枚はあの男が言ってた様に、旅に出る時に持って行こう。そこまで考えて、ファイは無意識に空を仰いだ。


『どんな人達なんだろう』

 そんな一言をひとりでにごちては、ふと思い出す。――オレには関係のない事だった。一緒に旅をしたとしても本当の目的を知っているオレは、同じじゃないから。嗚呼、でも、あの男が言ってた二人の内の一人はこちら側だと聞いた。もしかしたら、その一人だけは友達になれるかもしれない、なんて。期待なんてしても仕方ないって分かっているんだけど。そんな事を考えながら、サク、とふわふわと柔らかい雪を踏み潰す。そして、一歩町に足を踏み入れた瞬間、嬉しそうな声に巻き込まれたのだ。


『さすが最高位の魔術師、Dの称号を持つ方だ』
『…いいえ。誰にも怪我がなくて、良かった…です』

 白い息を吐き出しながらファイの周りに集まって来る人々の顔には、嬉しそうな笑顔が広がっている。それとは対照的に、ファイの顔には何も映してはいなかった。それに虚しさや寂しさを感じる事がないくらい、ファイの感覚は麻痺していたのだ。そんなファイは、すぐにその場から去ろうとする。しかし、そのファイが着ている服を掴む小さな力がそこにはあった。


『ありがとぅー。でも、笑ってくれたらもっとうれしー』
『この子ったら!申し訳ありません!』
『いえ。――うまく笑えないんだ、慣れてなくて』
『練習すればいいよぅ。ほら、こんなかんじー』

 その力の正体は、ファイよりもずっとずっと小さな少女だった。そんな彼女と目線を合わせる為にしゃがみ込むと、その彼女はへにゃ、と笑ったのだ。その笑みは「東京」以前に見せていた彼のそれと良く似ていた。――ああ、眩しい。こんな笑顔は今の今まで見た事がなかった。すごく眩しくて、明るくて、光のようだった。オレにもいつか、出来るのかな。そんな事を思った。




『お帰り』
『ただいま』

 ばいばい、と手を振る少女を見送ってから、ファイはルヴァル城へと帰還した。それの城門に居る、警備員らの内の一人ははあ、と寒そうに息を吐き出しては手を暖めている。そこから展開される二人の会話は何気ないもので、けれど平和を象徴している様な、そんなものだった。それに何処か心が温かくなったファイは、くす、と微かに笑みを浮かべたのだ。


『『今、笑ったんだよな!!』』
『変でしたか』
『いや!いいよ!』
『もっと笑えばいい!アシュラ王もお喜びになる!』
『…王も』

 その様子を見られていたらしいファイは、突然降り掛かって来た二つの声に柔らかい金髪を跳ねさせながらも問い掛けた。その問いに、嬉しそうに笑みを浮かべる警備員らの一人は、ファイの頭を優しく撫でてやる。その感覚は、未だ慣れない。けれど「アシュラが喜ぶ」、その言葉に頑張ってみようか、なんてらしくない事を思ったのは確かだった。
 どれだけ頑張っても届く事は無いだろう巨大な城門の前に立つ。すると、それはひとりでにゆっくりと開門した。自身を受け入れてくれる様な、そんな感覚は近頃やっと慣れて来た所である。城内に入ると、アシュラが何時もの様に静かな笑みを浮かべてファイを迎え入れてくれた。


『西の谷の雪崩は君が治めてくれたようだね』
『どうして分かるんですか』
『分かるよ。それが、たとえ遠くても、他の世界でも分かるよ。君の魔法は』

 何時だってこの人はそれが当たり前だ、と言う様に静かに言葉を紡ぐ。ずっとずっと不思議だった。何故、こんなにも良くしてくれるのか。何故、こんなにも優しくしてくれるのか。そんな疑心暗鬼した心を抱(いだ)いているとそれが表に出ていたのか、アシュラはふ、と笑みを溢した。


『本当だよ、ファイ。もし君がどこの世界で迷子になっても、迎えに行ける』
『…何をすればいいんですか。オレに頼みたい事ってなんですか』

 他人(ひと)を安心させる様なアシュラの笑みは、ファイにとっても同じ様なものだった。心にふんわりとした温かさを宿してくれるそれはファイの大好きなもので、けれど、それを返せない事が何時も心苦しかった。――だからこそオレは、アシュラ王の願いを叶えたい。オレに出来る事があるなら、何でもしたかった。そんなオレの質問に、アシュラ王はなぜか笑みを失くす。


『…君は、セレスが好きかな』
『……アシュラ王?』
『この国が好きかな』
『はい、みんな優しい。それに…ここに居る事を許してくれてる』
『では、もし、何かあったらこの国の為に、君のその力を使ってくれるかな』
『…でも、もしこの国に、オレより魔力の強い人が現れたら…』
『その者を殺す呪詛が掛かっているね』

 それまでの言葉を引き継ぐかの様に放たれたアシュラの声に、ファイはビク、と身体を固くさせた。そんなファイを見兼ねたアシュラは、そっと手を翳す。すると、そこからは複雑な文様が姿を現した。それは侑子の元に来たファイが身に写していたものと同じものだ。今は彼女の元にある為、どうなっているのかは不明だが。


『この国の人々に、害をもたらす者を滅して欲しい。たとえそれが、何者であっても』
『…王?』
『それが私の願いだ』
『…オレが、この世界でいる間でいいなら』

 たまにアシュラは、何を考えているか分からない時がある。今だってそうだ。何時もは見せもしない金色(こんじき)の瞳を露わにし、鋭い視線をファイに向けている。けれどそれは一瞬にして姿を消し、何時もの静かな笑みを浮かべるのだ。――違和感は、ある。けど、それを探る権利を、オレは持っていなかった。


『ありがとう、ファイ』

 その時のアシュラ王の声は、とても寂しそうだったのに。





「君は約束してくれたんだ。この国に、人々に、害をもたらす者は…」
「殺す」

 ファイがそう呟いたと共に、レイノは一つの魔術を発動させていた。それを同じ様に黒鋼にも写す。すると、幾分か身体が軽くなった気がする。そんな黒鋼は、ファイが文字を描くと共に刀を振り上げた。その瞬間、軽快に足を踏み出した彼女に気付いたのはアシュラだけなのだろう。そうして彼女は、そっと唇を開いた。


「もう、良いでしょう」
「茶番はいい加減にしろよ」

 ごめんねファイさん、まだ手は、伸ばせない。

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