episode 139
人ならざる友よ

 黒鋼が突かせた刀はファイの眼前を通り過ぎた。ただ、それだけだった。その切っ先はファイを捉えてはいなかったのだ。ファイの指先から広がる亀裂はそのまま欠片となり、それらにはには幼少期のファイの記憶が浮かび上がっていた。楽しい記憶さえあれど、殆どが悲しく残酷で占められているものだ。しかし黒鋼はそれらを全て置き去り、数瞬先に進んでいたレイノを追う形となった。


 その二つの切っ先はそのままアシュラへと進んで行くが、それを阻むかの様にファイの周辺からは攻撃魔法が広がった。それを避ける為に後ろに飛び退いた黒鋼に襟元を掴まれたレイノは、そのまま自身らに膜を張る。しかしタイミングが悪かったのか、彼女の太もも、黒鋼の頬には赤い線が一本生まれた。
 周りの柱が倒れて行く中、無事であるそれらをレイノと黒鋼は足場とし、再び前へと進んで行く。その瞬間、ちらり、とこちらに向けられた彼の視線に、彼女は足に強めの力を入れたのだ。そしてその指先からアシュラに向けて、攻撃魔法が繰り広げられる。防御魔法で弾かれてしまったものの、アシュラが自身の正体に気付いた際の目を丸くした表情に、彼女はふと笑みを溢した。その瞬間に感じたじろり、と言うファイの鋭い視線に、思わず興奮したのは秘密だ。欠片同士がぶつかり合い、カシャン、と言った軽い音が響く。その瞬間、ファイの懐かしい記憶は再び展開されるのだ。




『もうこの魔術書の呪文は覚えたようだね』
『……はい』
『城にある殆どの魔術書を習得してしまったな』

 次の記憶は書斎でアシュラが幼少期のファイに対して本を広げている所だ。そこにふと指を添えるとポウ、と文字が浮かび上がった。そしてアシュラは自分の身長の倍以上はある本棚を見上げ、頬を緩める。しかし目の前に居るファイは何も答えず、重い金髪で目元を隠していた。そんな幼子を見下ろし、アシュラは口を開く。


『どうしたのかな、ファイ。何か気にかかる事があるなら教えて欲しいね』
『…どんなにやっても、回復や治癒系の魔法は習得出来ないんです。オレが覚えられるのは攻撃系の魔法…誰かを傷付けるものだけで……』
『――笑ってごらん』
『……え?』
『笑って』

 そう言って目元を細めたアシュラに対し、ファイは困った様に眉を顰める。いや、な訳ではない。ただ、恥ずかしいのだ。気恥ずかしいアシュラの可愛いおねだりは、ファイの中に温かなものを生み出した。そして少し躊躇いながらも、くしゃり、と表情筋を緩めたその笑みもまた、アシュラの中に温かなものを生み出したのだ。


『使えたよ、魔法』
『……え?』
『ファイの笑顔で私の心は十分、癒された。これも魔法だよ』

 そのアシュラの温かな言葉に、ファイは目を丸くさせながらも仄かに頬を赤く染めた。その赤みが引く事は無く、ファイは思わず黙りこくってしまったのだ。そんなファイを見て頭を優しく撫でるアシュラに、ファイはどもりながら「ありがとう」をゆっくりと伝えた。そこで初めて、ファイは「親の温かさ」を知ったのだ。





 ガキィ、と痛々しい音が響き渡る。使い慣れない薙刀は細身かつ長い為、空間把握がいまいちおぼつかないのだ。目の前に広がるアシュラの微笑みもレイノの動揺を助長させていた。激しい金属音が響く傍ら、彼女の耳は微かに響くカシャン、と言う軽い音を拾っている。はあ、はあ、と荒い息遣いが続く中、彼女が足元にぶつかった欠片を拾えば、驚いた様に僅かに目を見開いたのだ。


「これは…」
「君も知っているはずだよ。この記憶は『君』の中にもあるはずだ」
「……なにを、知ってるんですか」
「君の名を。ねえ、―――」

 アシュラの唇がその言葉を紡いだ時、レイノの桃色の双眸は先程よりも大きく見開かれていた。なぜ、どうして。そんな疑問達が彼女の脳内を巡り廻っている。それを問い質そうとしても、彼女の唇は魚が酸素を求める様にはくはく、と開閉を繰り返すだけだった。その反応を見据えた彼は再び静かな笑みを浮かべた、筈だった。けれど彼女にとっては何処か含みがある、そんな意味深なものにしか見えなかったのだ。

 そう思った時、レイノの左足にある刺青が密かに疼いた気がした。




 しんしん、と静かに雪が降り積もり、一面は銀世界だ。その中を長いコートを引きずりながら歩く少年が一人―――ファイである。一つ前の記憶よりは僅かに成長している気がする。しかし、それでもまだ魔法具の大きさは変わらなかった。サクサク、と音を立てながら歩いていた時、ファイの双眸はあるものを捉えたのである。
 胸元辺りまである金髪をたなびかせて何処かを見据えているその少女は生きている感じがしなかった。くるぶし辺りまである薄手のコートは、セレス国に住むには寒すぎるだろう。すらり、と見える生足は酷く寒そうだった。


『だれ……?』
『……とうさま、見ていない?』
『と、う、さま?』
『見てないなら…良い』

 表情を変えずにそう言った少女は踵を返し、歩を進めようとする。それを見た瞬間、ファイは何故か「ちょっと待って!」とその動きを止めていた。何故なのかは、今でも分からない。ぎゅっと彼女のコートのフードを掴むと、彼女は表情を変えぬままこちらに顔を向け、こてん、と首を傾げてみせた。近くで見れば見る程、整った顔をしている。


『……なに?』
『…これから、吹雪になる。だから、無暗に動かない方が良い、よ』
『そう……それじゃあおあいて、してくれる?』
『…オレで、良いなら』

 途切れ途切れながらも言葉を紡ぐと、案外素直に少女は頷いてくれた。所々に現れる仕草は見た目よりも幼さを感じ、ファイはその度に目を丸くするのだ。じっと彼女を見つめていると、その彼女はふい、と金髪を風に靡かせて歩を進める。この時に気付いたが彼女の足元は素足らしく、指先は赤く腫れている。それに構わず足を前に出す彼女には「感覚」と言うものがないのだろうか、そう思ったのだ。
 城門の前までやって来た二人は風が当たらない場所にちょこん、と腰を下ろした。少女の足元は、ファイが城内から持って来たもこもこのブーツで覆われている。ここまでの道中で、この彼女の名が「ソール」である事と旅をしている事を知った。おそらく、彼が聞かなければ一生知る事のなかった事だ。


『旅をしてるんだね』
『うん……本当は、父様も一緒なんだけれど…悪い人に捕まっちゃったから』
『……寂しくない?』
『……さみ、し、い?』

 ゆっくりと始まった探り合う様な二人の会話は、しんしん、と降り積もる雪の中にしっとりと溶け合って行く。その中で度々引っ掛かる違和感に、ファイは思わず眉を顰めた。どうやらソールは、人間としての感情が著しく欠如しているらしい。アシュラやセレス国の人々のお陰で感情を持つ事が出来たファイは、まるで昔の自分を見ているかの様で少し、悲しかった。


『さみしい、は、分からない、けれど…ここ、がきゅっ、て…苦しくなる』
『……ソールはとても、不器用なんだね』

 たどたどしく言葉を紡ぐ中で、ソールは胸元辺りの布が皺になるくらいにそこを握り締めた。その様子を見て、感情がない訳ではないのだろうか、とファイは思案する。そして、その後に続けた言葉にぽっと顔を赤らめた彼女に、彼はゆるり、と口角を緩めたのだ。――ああ、何だ。感情がないんじゃない。どうやって気持ちを出せば良いのか分からないだけなのだと、その時に悟った。その時に、微笑ましい、と言う感情も知ったのだ。
 ふと空を見上げると、雪足が少し強まった気がした。止む事がない雪は、二人の間にも割り込んで行く。それと色素の薄い金髪が同化してしまうのは仕方のない事だと思えた。そんな時、ソールは何を言うでもなく唐突に足を伸ばして立ち上がる。


『もう行っちゃうの?』
『うん……やる事が、あるから』
『初めての友達、だから、寂しい……』
『…私も、さみしい、んだと、思う』
『…ねえ、ソール。また、来てくれる……?』
『会いに、来る…あなたに』

 囁く様に言葉を紡ぐ二人の声は空気に吸い込まれて行き、しかしそこには確かに情が垣間見えたのだ。ソールはファイの方へ真っ直ぐな視線を向け、少し力を込めて言葉を紡ぐ。しかし、すぐに後ろを向いてしまった彼女は何処からか自身の何倍もある魔術具を取り出してはそれの宝石にそっと口付けを落とし、それをきゅっと握ってみせた。そして、再びこちらに顔を向けたのだ。


『またね、―――』

 その数時間後、一つの街が滅んだ事をアシュラから聞く事になる。





「――あの子はね、すごく楽しそうに話していたよ。君の事を」
「…余計な事は何も、言ってませんよね」
「それを言えばあの子はきっと、酷く悲しむだろうからね」

 ――初めての友達の、君を。そんな言葉を紡いだアシュラは今までずっと浮かべていた静かな笑みを消し、ふとこちらに手の平を向けた。そこに集まる魔力に気付いた時には既に遅く、レイノは彼の攻撃魔法を一身に受けてしまった。細身であるその身体は力の重みに耐え切れず、背後にあった柱にめり込んでいる。『小狼』の自身の名を叫ぶ声が聞こえるが、それに応える気力は無い。そこから出る煙や時折響くガラガラ、と言う瓦礫の音に、ファイと黒鋼は僅かながらに反応を示した気がした。
 しかし一瞬目を瞑ったファイは、再び黒鋼への攻撃を始めて行く。黒鋼はそんな彼に思わず舌打ちを響かせるが、目の前に迫り来るファイの攻撃魔法を何度も、何度も、刀で捌いたのだ。その間にも響くカシャン、と言う軽い音は、再びファイの記憶を呼び覚ます。




『大丈夫、変わらない。チィが産まれた時に会ったまま、ずっといるよ。もう一人のファイ』
『チィが側に居てくれるからねぇ』

 スゥ、と水の中を優雅に移動するのは「チィ」と呼ばれた少女だ。彼女が居る水中の奥底には棺型の氷の中に保存されている、死んだ筈のファイの片割れが寝そべっていた。それを見れば見る程、自身との矛盾を突き付けられる気がしてならないのだ。どんどん成長して行く自分と、成長が止まってしまった片割れ。その差が、酷く虚しかった。


『やっぱりここだったね』
『アシュラ王』
『城下の人達が珍しい果実酒を届けてくれたよ。君が凍った湖を溶かしてくれたお礼にと』
『お酒ー!』
『そうやって笑ってくれるようになったのは良いけれど、食べ物より酒類が好きというのはどうかと思うよ』
『あはは。セレスのお酒、美味しいですからー』

 そんなファイに優しく声を掛けて来たのはアシュラだった。アシュラの手には言葉の通り果実酒が持たれており、それを見せればファイは酷く幸せそうに笑みを浮かべる。幼い頃の感情を出す事が苦手なファイの面影はもうなかった。しかしアシュラの手元を見た途端、ファイはそんな笑みを消して目を見開いたのである。


『血が…!』
『王様、怪我したの?』
『――違うよ』

 そう言ったアシュラの瞳が酷く虚ろだったのは、今では気のせいとは思えなかった。





 ファイが動かなくなった片割れを片腕に抱えながら、もう片方の手で素早く印を切る。そうして現れた竜型の雷撃は、しっかりと黒鋼の腹を抉った。そして、黒鋼の大きな図体は大きな轟音を響かせて地面に落ちたのだ。その時、ピク、と何かに反応した『小狼』の指はその前に落ちた黒鋼に向かっている。そして、「はやく」と言う言葉を途切れ途切れに呟いた。また、同じタイミングでレイノの身体も痛みが引いたのか、やっとの事で起き上がる事が出来たのだ。


「…大丈夫、だから」
「レイノ…無事だった、のか……」
「まあね……死ぬかと思ったけど」
「レイノ…は、動けるか……?」
「何とか、ね。それに、――黒鋼が、意地でも止めてくれるよ」

 隣で響く声に酷く痛む頭を何とかそちらに向かせると、全身に切り傷や掠り傷を負ったレイノが、そこには居た。酷く激しい衝撃音が響いたものだから暫くは動けないと思っていたが、案外早くに復活できたらしい。しかし、無理はしている様だ。そんな彼女は軽く『小狼』の顔を覗き込んでは、時折見る事があった笑みを浮かべた。そして前を見やり、言葉を放つ。その言葉には人任せな部分さえ見えど、黒鋼に対する信頼感が見えたのだ。




『谷に死体が』
『獣に引き裂かれたような』

 そう報告をして来たのは アシュラに従する自警団である。ここ最近で増えて来た人間の死体は、人には付けられない様な引っ掻き傷を携えた酷く凄惨な状態で発見された。その数は日に日に増加するばかりで、既に手が付けられなくなっている。このままではいけない。そんな世論が、この国には広がっていた。それを先導するかの様に、ファイはブーツ音を響かせる。


『行って来ます』
『待ちなさい』
『確かめて、もし本当に獣なら』
『待ちなさい』

 アシュラには恩がある。自分達双子を助けてくれて、有り得ない様な自身の願いに手を貸してくれている。ファイに知識を与えてくれたのもアシュラだ。そしてまた、この国にも恩がある。大勢の人の温もりを教えてくれたのも、笑顔を教えてくれたのも、ここの、セレスの人達だ。それに、「またね」と言ってくれたソールの為にも、ソールに会いたい自分の為にも、この国だけは守りたいのだ。




『更に犠牲になる者が増えていると』
『そうか』

 そんな報告をしにファイが城へ帰還したのは、一連の猟奇事件が報告されてから数週間が経った時だった。数週間前に嫌に力強く制止の声を掛けられた彼だったが、もうそろそろ我慢の限界となったのだ。これ以上、この国の人々が血を流す姿は見たくない。そう思うのに、アシュラの表情に変わりは無かった。


『今までセレスにいなかった獣かもしれません』
『いいや、違う』
『え?』
『セレスにはずっと居たよ』

 そんな時でさえもアシュラの顔に浮かんでいた何時もの静かな笑みは、その時だけは何故か、酷く影が見えた気がした。―――何かが、おかしい。そう思ったファイの感覚は決しておかしいものではない筈だ。けれど、それを問い質す勇気を、当時のファイは持ち合わせていなかったのだ。もちろんそれもあるが、恩人であるアシュラを疑う様な真似をしたくなかった。そんな要因もあったのだと思う。




 一連の猟奇事件の報告から一ヶ月が経った。それから一日に最低でも三回は行っている見廻りで、ファイは日に日に増えている死体達を目の当たりにする。深く降り積もった雪の上に広がる赤黒い血は背景を白としているからか、酷く目立っていた。その死体の中には、幼いファイに「笑うこと」を教えてくれたかつての少女も横たわっている。そばかすも皺も増えてしまったその女性の背中には痛々しい血がべっとりと染み付いていた。
 城に続く道中、途切れる事のないその死体達は殆ど全てが背後から襲われた様で、俯いて倒れている。―――もう、我慢がならなかった。見廻りの際には何時も持ち歩いている魔術具を握る力を強め、ファイはぐっと唇に力を込める。そうして駆け出したファイの足は、真っ直ぐと城門に向かっていた。


『獣の討伐に行きます!何日、掛かっても必ず倒す。これ以上、セレスの人達が犠牲になるのは…』

 少しだけ高さが縮まった城門を勢い良く開け、ファイは声を荒げた。城門のすぐそばで、アシュラは何時もファイの帰りを待ってくれていたのは知っている。だからこそ、服をたなびかせている人影がアシュラである事はすぐに分かった。けれど、視界に映らないその表情(かお)はファイに不安感を募らせて行く。そしてそれが現実である事を、ファイはようやく知るのだ。


『私を倒さないとね』

 そう言って血まみれな手を翳すアシュラは、見た事のない顔をしていた。


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