episode 145
止まれるわけがない

「ちゃんと、戻す」

 途切れ途切れにそう告げた少女は地面に突き刺した刀を片手に、深く、深く、息を吐き出した。それを見下ろす金色(こんじき)の双眸は酷く冷たく、そして、何かを待ち望んでいる様に見える。それを恨めし気に睨み付ける少女はギリ、と歯を食い縛り、柄を掴む手に力を込めた。その瞳には僅かな諦めと、しかし、無意識な希望が孕んでいる様にも見えた。そんな中で目の前の男はふと口角を歪ませる。


「お前に興味はありませんよ」
「っ…どうにかなったとしても、貴方を殺す」
「そんなにボロボロなのに、ですか?」
「絶対に戻す、わたしがどうなっても……!」

 丁寧な言葉遣いとは裏腹に、その優しげな声色は冷徹さしか持ち合わせていなかった。そんなそれに負けじと、少女はぐぐ、と今にも地面に倒れそうな身体を持ち上げる。そんな少女の様子に喉を震わせて嗤ってみせた男は、オレンジがかった金髪を風で靡かせた。その高圧的な態度はじんわり、と少女に恐怖を植え付け、圧倒して行く。それに対して声を荒げた少女の毛先は、僅かに金色に変色していた。それを見ては嬉しそうに笑みを浮かべた男に、少女は再び歯を食い縛る。


「――その身が、なくなっても」

 その瞬間に広がった眩い光は、二人の身体を包み込んだ。




「……ゆめ?」

 誰も居ない部屋で人知れず呟いたその問い掛けは、誰からの答えを貰う事もなく空気中に溶けて行く。ゆっくりとした動作できょろ、と辺りを見渡してもそこには見慣れない家具が広がっているばかりである。脳内に疑問符を浮かべながら、ファイは上体を起こした。その時に初めて衣服が変わっていた事に気付く。両の胸元に刻まれた黒い三日月は、見た事のない紋章だ。その事に再び首を傾げると、部屋の入口らしき所からカタン、と物音が聞こえ、彼は思わず身体を強ばらせた。


「――誰だ」
「起こしてしまい、申し訳ありません。――蘇摩と申します」
「…何か、ご用ですか」
「姫がお呼びです」

 思わず硬くなる声色にどれだけ余裕がないんだ、と笑みが零れそうになる。そんな何処か切羽詰まっているファイとは対照的に、「蘇摩」と告げた色黒の女性は礼儀正しく膝小僧をこちらに向けている。そんな彼女が再び告げた言葉に、彼はぱちくり、と目を丸くさせたのだ。


「……『姫』?」




「起きたばかりなのにすみません。良く眠れましたか?」
「あ、はい……」
「ここは日本国、私は知世と申します」
「…ファイです」
「――貴方には、お話があって来て貰いました」
「お話?」

 蘇摩に案内されて入室を促されたそこは、何の変哲もない普通の部屋だ。しかし、ヴァレリア国やセレス国で見た事がない景色に、ファイは思わず辺りを見渡した。どちらかと言うと、紗羅ノ国や夜魔ノ国と似ているかも知れない。何気ない考えを脳内で巡らせながら、彼は知世の言う言葉を繰り返す。
 そんなファイににこ、と笑みを向け、知世は両手で円形を作り、それを壁に伸ばした。するとそこには桃色のスクリーンが現れ、そこには久方振りに見る顔があったのだ。


「エジリンちゃん…?」
『お久し振りです、ファイ様』
「ひ、久し振りだけど…ど、どう言う事ですか?」
『――レイノ様の事です』
「レイノちゃんの…?」

 そこに映り込んでいたのはミッドガルド国で一行の手助けをしてくれたフェンリーの最期の化身、エジリンである。相変わらず、丁寧な言葉遣いは変わっていないらしい。その事に僅かに安堵しながらも、ファイの中の焦りは相変わらずそこにあった。しかし、それも次に告げられたエジリンの一言で冷静さと変わったのだ。


『レイノ様は今、その世界…日本国にはいません』
「いない…?はぐれたってこと?」
『いいえ。ご自分で移動しました。――『願い』の為に』
「それって…『探したい人がいる』ってやつかな」
『…知っているんですね』
「……『東京』で、言っていたから」

 ――いないって、どう言う事だ。理解が追いつかなくて、オレは無意識に拳を握り締めていた。けど、その後に聞こえた「願い」と言う言葉に、オレは真っ直ぐにエジリンちゃんを見る事が出来た。その時に見えてしまった痛々しい笑顔にオレは「東京」での事を思い出す。突き放さずにちゃんと接していれば、あの子は一人で行動する事は無かったのかもしれない。今更そんな事を後悔しても遅いけど。


『ならば話は早いです。――追いかけて下さい、レイノ様を』
「オレ、行き先を決める事は出来ないんだけど…」
『私と次元の魔女の力を加えて、貴方をあの国に送ります』
「レイノちゃんは、どこに…」
『神が支配する国、ヘリオポリス。――そこがレイノ様の、本当の故郷です』

 目の前にぼんやりと浮かぶ桃色のスクリーンを良く見ると、奥にもう一つ、明るい黄緑色のスクリーンが浮かんでいる。そこに映っている黒色の人影はどうやら侑子らしい。彼女の話し方を思い出すと、彼女はレイノの事を知っている様だし、おそらくエジリンが言った事も侑子にとっては周知の事実なのだろう。


「…そこには、何があるの?」
『レイノ様の…あの人の父親がいらっしゃいます。太陽神でありヘリオポリス国の国王でもある、父親が』
「……ちょっと待って。レイノちゃんのお父さんが神様なら、あの子、は…」

 そこまで会話を続けて、ファイははた、と思考を止める。色々と聞きたい事は山ほどあるが、これまでの話が本当ならレイノは、今まで彼が思っていたのとは違う者と言う事になる。嘘だと言いたいけれど、恐る恐る見たエジリンの真剣な表情が真実だと教えてくれていた。――あの傷の治りの早さは、だからなのか。


「――人間じゃ、ないの?」
『……はい。正真正銘、神の娘です』

 その結末を聞いてほっとして、オレは初めて予想はしていた事に気づかされた。


『…ファイ様、どうしますか』
「え…」
『この事を聞いても、貴方は、あの人を…レイノ様を助けますか?』
「……自分から言ったのに」
『それは…私も焦ってたんです、お許し下さい』

 話は変わった様に、エジリンは再び口を開く。その言葉に思わず本音を漏らすと、彼女は恥ずかしい、と言いたげに仄かに頬を赤らめた。そして、しおらしくなった彼女を見て、ファイはくっ、と笑みを噛み殺した。――ああ、この子は当たり前の事を聞くんだなあ。しっかりしてそうでそうじゃない所はフェンリー君に、少し似ているのかもしれない。


「――行くよ。オレ、あの子のこと好きだもん」
『ファイ様…』
「それに…言い逃げなんて駄目でしょ。こんな所で止まれる訳ないし」
『――分かりました』

 その時に浮かんだほっと安堵した笑顔を見て、自身の答えは間違っていなかったんだと、そう感じた。その後に続いたのはただの私情だけれど、それでもここで立ち止まる事は出来なかった。絶対に取り戻して、この胸に掻き抱(いだ)く。そんな願いは、インフィニティで思いきり殴られた時から決めていたのだ。緩やかな雰囲気が流れ始めたスクリーンの中から艶のある声色が響いて来る。今まで黙って事を見つめていた侑子が口を開いたのだ。


『フレイは既に飛王の手に堕ちている。もしかしたら手遅れかもしれない』
「…今思えば馬鹿みたいに突っぱねてたオレの目を覚まさせる為に、あの子は命がけで前に立ってくれたんです。惚れた子にそこまでされて、動かない訳にはいかないですよ」
『…変わったわね、貴方も』
「良い方向であると願いますけど」

 侑子のそんな硬い声色にもそっと笑ってみせ、気持ちを露わにしたファイは良い意味で開き直っている様だった。そんな彼の姿に柄にもなく目を丸くするもすぐにそれは消え失せ、そんな光景を慈しむ様に彼女は目元を細めたのだ。彼女はエジリンとスクリーン越しに視線を合わせ、その二つの視線がファイに魔法陣の発動を促した。同じタイミングで展開された三つの魔法陣はとある一つの次元と繋がり、侑子の「行きなさい」と言う言葉が耳元で囁かれる。その間に知世に手渡されたしっかりと編み込まれた黒い羽織をぎゅ、っと握り締め、ファイは日本国を後にした。


『どうか、神のご加護がありますように』

 エジリンのそんな切実な願いは、ファイの耳には届かないで。

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