episode 146
太陽の国

 降り立った国はヘリオポリス、と言うらしい。何処もかしこも神々しいその場所は少しだけ居心地が悪かった。息苦しさや押し潰されそうなその感覚は、きっとこの清らかすぎる空気のせいである。この空気は、生きるのには些か合わないのだ。けれど、そんなここを歩く人々は酷く幸せそうである。それが少し羨ましくて、少しだけ、怖かった。


「やっぱり神様の国、だからかなあ」

 誰に言うでもなくそう呟いたファイは、とぼとぼ、と歩を進める。綺麗に整備されているその道は、砂利一つ見当たらない。すごい事なのだとは思うが、何処か気味が悪いのも確かだった。ここで住むなんて考えられないが、慣れればその気持ちもなくなるのだろうか。それでもやっぱり、早くこの国を出て行きたくて堪らなかった。――それはきっと、レイノちゃんを奪うかもしれない人がいる国だからだろう。思わず顔を歪めると、そんなファイに声を掛ける二人組が居た。


「何かお探しものですか?」
「――人を、探してて」
「どんな人?」
「長い茶髪で…多分、オレと似たような服を着てる、と思う」
「女の子ですよね?――おじさん、見ました?」
「いやあ、見てないなあ……」
「そうですか……」

 身体に布を巻き付けた二人の少女達がそこには居た。酷く古めかしい恰好だが、それを留める金具にそれぞれの個性が出ている気がした。ふと風が吹くと、その布がひらり、とはためく。その様子に、ファイは無意識にソールを思い出した。しかし、今から助けようとしているのはソールではなく、レイノだ。だが、その者を見た者は居ないと言う。その事に落胆したが、唐突に聞こえた「あ」と言う短い声に彼はぱっと顔を上げる。


「早朝だったと思うんだがな、この商店街をものすごい速さで駆け抜けて行く女子(おなご)の姿だったら見たぞ」
「っ…それ、本当ですか」
「ああ」
「良かったね!お兄ちゃん!」
「…うん、ありがとう」

 何でもない風に告げられたその言葉は、ファイにとっては救いのそれだ。思わず緩みそうになる頬を引き締めて、思わず目を細めた。しかし、緩みに緩んだ二人組の笑みを見てしまえばその決意さえ揺らぐのである。随分と下に見えるその顔を視界に映す為、彼は跪く。そして、そっと微笑んだのだ。


「この先には国王様の神殿しかねェ。いるとしたらそこだろうよ」
「その『国王様』、って…フレイ、と言う人、ですか?」
「知ってるのかい」
「ええ、まあ」
「お兄さん物知りなんだねー!」
「じゃあ、――この数年間、人前に姿を見せていない事は知ってますか?」

 男が指を差した先には砂岩で造られた岩窟の神殿がそびえ立っている。かなり距離がある筈なのに、それは存在感を嫌と言うほど見せ付けていた。その建物から醸し出されている禍々しい気が気のせいだったら良いのだが。――そう言う時ほど嫌な予感が当たるって事は、この旅で良く分かってるんだけどね。そうやって自己完結させたファイだったが、そんな彼を試す様に言葉が重ねられた。


「――死んでる、ってこと?」
「死んでる訳ないじゃーん!お兄さんってば面白いこと言うね!」
「ふふ、本当」
「退屈しないなあ」

 ――おかしい。何で見てもないのに分かる?どうしてそれが当たり前のように出来る?それに、あまりに人が少なすぎる。ただ出ていない訳じゃない、気配がしない。いるのかもしれないけど、それこそおかしいだろ。目の前でくすくす、と笑うこの国の人達を疑うように見下ろす。じり、と足を一歩引くと、細かい砂が擦れる音がした。その瞬間に動いた目の前の人達の腕を見て、オレは思わず目を細める。ぐっと握り締めた手は、長めの袖で隠れて見えてないはずだ。その時に囁かれた言葉に、オレの肌は、ぞくり、と粟立った気がする。


「ねえ、気づいた?」

 ノイズ混じりのその声は、もう既に女子(おなご)などではなかった。それと同時に放たれた殺気にいち早く気付いたファイは、平たい身体を逸らしてみせた。その直後に聞こえたひゅん、と言う風を切る音は、彼を襲うのだ。大きな三角柱の剣を、彼は紙一重で避ける。しかし次々と繰り出される攻撃に、彼は思わず舌打ちを響かせた。――戦闘力はさほど高くないけど、このまま避けててもオレの体力が削られるだけだ。得策じゃない。そう考えたファイは、今まで抑えていた爪で敵の一人を切り裂いた。血が弾ける、しかし倒れ込む事は無かった。彼の目に映ったのは「紅の蝙蝠」だったのだ。


「飛王の…!?」

 間違いない、見間違えるはずがない。その蝙蝠の紋章は飛王のもの以外じゃありえない。正体を現した事でやっと感じ取れるようになった飛王の魔力に、オレは無意識に歯を食い縛っていた。まさか、この国はもう、――そこまで考えを巡らせた所で、ファイはある言葉を思い出した。


『フレイは既に飛王の手に堕ちている。もしかしたら手遅れかもしれない』


 侑子が念を押す様に告げたその言葉は、今のこの状況を表しているんじゃないだろうか。いや、それよりも酷く、この国が既に飛王に支配されているのだとしたら、――レイノちゃんは本当に無事なんだろうか?安易にそんな考えを巡らせてしまったせいで、ファイの背筋には悪寒が走った。それを振り払う様に、敵の手がこの身に及ばない内に神殿の方へ駆け出したのだ。




 神殿に向かう道では、何者にも出遭わなかった。あの場に居た飛王の魔力の気配以外、ファイは感じ取る事が出来なかった。時折降り掛かる攻撃に苛立って残りの二体を消した以外では、吸血鬼の能力である爪も使っていない。これは、こちらにとっては好都合だったが。ひゅう、と風が靡くと、旅が始まった頃から随分と伸びてしまった金髪が目に当たる。存外勢いが強いそれを改めて縛り直し、ファイは目の前にそびえ立つ神殿を見据えた。掠れて読みにくいが、門の横の壁には「Tempiale di Abu Simbel」と書いてある。――アブ・シンベル、だろうか。その神殿の門に手を伸ばすと、それはひとりでにゆっくりと開いて行く。


(招かれてる……?)

 そう思ってしまう程には、ここまでの展開はあまりにも出来すぎていた。「招かれてる」と言うよりかは誘われている、と言った方が妥当だろうか。思わず垂れる冷や汗を拭いもせず、ファイはぺろり、と唇をひと舐めした。乾いていたそれは、存外自分が緊張している事を表していた。そんな感情を隠す様に不敵な笑みを浮かべ、足を踏み出す。しかし、それを邪魔するものが居るのだ。
 自身の身長の倍以上はある入り口を潜(くぐ)り抜けようとすると、黒く鋭い手が目前にまで迫っていた。後ろへの倒立回転で避けて地面に手を着くと、そこからは視界が霞む程の砂ぼこりが舞った。そんな中で感じたのは飛王の魔力、そして、温かさを感じる僅かな太陽の魔力である。――思わず鼻を鳴らし、オレはもう一度爪を伸ばす。こんな所はさっさと出てって、さっさと戻りたいんだ。言いたい事もある。だから、こんな所で足止めを喰らってる場合じゃないんだよ。


「こう言うの、燃えるタイプじゃなかったんだけどなあ……」

 ぼそり、と呟いて、ファイは残り一つの瞳をそっと開けた。それは何時もの様に蒼くなく、吸血鬼特有の瞳孔が開いた黄金(こがね)色である。そこに僅かに孕む苛立ちと焦燥は目の前の敵とレイノに向かっているのだろう。――こんな禍々しい魔力に囲まれても嬉しくも何ともない。だから早く行かせて、温かい君に逢わせて。

 もう、我慢は充分しただろう。

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