episode 147
落としもの

 ぺろり、と砂で汚れた唇を舐めると、何とも言えない顔が歪む様な味がした。その隙を見計らい、飛王の配下らはファイに攻撃を仕掛けて行く。自身の身長の三分の二はある三角柱の剣をこちらに振り翳した。それがほぼ全方位から向かって来るのだ。黒鋼なら喜んで受け止めるのだろうが、生憎ファイは黒鋼の様に戦闘狂、と言う訳ではない。そんなファイは長く伸ばした爪で配下らの身体を綺麗に裂いて行く。しかしそこから血が溢れ出す事は無く、ボロボロ、とブロックの様に消えてなくなったのだ。


「やっぱり捨て駒、って訳か」

 納得した様に一言呟き、ファイは柄にもなく歯を見せて笑んでみせた。何となく勘付いていた部分でもある。しかし、こうあからさまに見せ付けられると苛立ちが募ると言うものだ。恐らく飛王はセレス国が閉じられる際、ファイとレイノ、黒鋼を始末するつもりだったのだろう。だからあの時、何もしなかった。それを「裏切り」として恨むつもりもないが、苛立ちがない訳でもない。――だからこそオレは、ギリ、と歯を軋ませた。
 目に付いた配下の頭に手を伸ばし、それを両手で力強く掴む。すると相手は無防備になった背に刃を突き立てようとした。しかしファイは掴んである配下の頭を土台にし、そのまま後ろに回り込んで後頭部に膝を力いっぱいに打ち込んだのだ。すると再びそれはボロボロ、と崩れ去り、跡形もなく消え去った。


 入口付近の敵を一掃したファイは動きにくい着流しの裾をはためかせ、神殿内に足を踏み入れる。その瞬間、全身に広がったぞくり、とした感覚は「殺気」で間違いないのだろう。再び全方位を囲まれる感覚に、ファイは思わず舌打ちを響かせて足を突き出した。薄い布を縫い付けただけのそれは、なかなかどうしてしっかりと素足を守ってくれる。その感覚はおそらく何時まで経っても慣れないのだろうが、酷く身軽だ。ガシャン、と言う音を響かせて落ちた小振りな鎌を手に取り、ファイはそれを思いきり振り回した。次々と崩れ落ちる配下らは確かにこの手で消している筈なのに、肉を切る感覚がないのは酷く気持ちが悪い。それでも前へと突き進むファイは、ただひたすらに前しか見ていなかった。


 うじゃうじゃと湧いて出て来る配下らを蹴り倒し、彼らの攻撃を器用にいなして避けて行く。時折瓦礫に混じる鉄パイプで応戦するも殆ど足止めにもならなかったが、魔術以外の戦い方を覚えていて本当に良かった。しかし、一向に減少の傾向が見えない目の前の光景に苛立ち始めた自分に気付き、ファイは思わず苦笑を漏らす。勢いのままに魔法を放ちたくなるが、そんな事をすれば倒れる事は分かっている。この配下らの強さにも慣れて来てそんな事を悶々と考えていると、ファイの視界の端にキラリ、と光る何かが入った。――欠けている。何かの欠片か?そんな事を考えては、ファイの脳内にはとある記憶が蘇っていた。


『Oh!』
『どうしたのー?』

 夜魔ノ国と言う神が治める国での事だったと思う。城下町を歩いている途中で、レイノの目に留まったメンズ用のダイヤモンドチャームを、彼女はそこで買ったのだ。黒いダイヤモンド、と言う物を初めて見たからだろうか。彼女の瞳は楽しげにキラキラと揺らめいていたのを覚えている。そして、知らない言語で何やら問い掛けて来るファイの言葉を無視して、彼女は店主に人差し指で「一つ」と言う事を伝えたのだ。その時に視界に入ったダイヤのバチ型簪は、ファイの目には酷く輝いて見えた。我慢がならなくて、ファイは「これも一緒でお願いします」と言う意味を込めてそれを指差す。一緒に包みに入れてくれる店主を見て、通じたのだと知った。何気なく隣を見ると、ぱちくり、と目を見開かせる彼女が居る。笑いそうになるのを堪えて、ファイはそんな彼女の頭をぽんぽん、と撫でた。――あの時、あの子の気持ちは何も分からなかったけど、嫌に柔らかな笑顔の君に、離れたくないなあ、とひとりでに思った事は確かだった。



「あの時、の…」

 背後に敵は、居ない。それを確かめて、ファイは再び手の平にある輝きを凝視した。何ヶ月も前に買った物だからか、輝きはくすんでいる。しかし、僅かに残る所々の煌めきはレイノの優しさが含まれている様にも見えた。先端が破れてはいるが、微かに残るレース生地が弱々しい風で揺らめく。

 その瞬間、温かな太陽の魔力が消えた気がした。




「ファイ様、間に合うでしょうか……」

 細々と不安げな声色を響かせるのは、ミッドガルド国で一行の帰還を心待ちにしているエジリンである。透き通る様な長い緑色の髪は相変わらず美しい。ひゅう、と風が靡くとその髪が後ろに流れて行く。何処か神聖な感覚に陥るその動きに、侑子は思わず笑みを溢した。「あの」フェンリーが生み出したとは思えないほど繊細だ。


『…微妙なところね。送り出したのもギリギリのタイミングだったし』
「レイノ様の行動力の高さにはいつも驚きます……」
『あの子は昔から全てを一人で決めて来たから…』

 ――「一人で決める」以外に選択肢は無かった。その言葉を放つ事はついに出来なかったが。直接侑子に話す事こそしていないが、レイノの中にはミッドガルド国以前の記憶は既にある。そして、侑子はそれを知っている。だからこそのその「言葉」だ。もっと早くに出会いたかった。そうすればきっと、大切な人を一度に二人も亡くす事はきっと、なかったのだと思う。――そう、思いたいだけなのかもしれないけど。


『けど、今は、――ファイに全てを任せるしかないのよ』
「ファイ様は、本当にレイノ様がお好きですね」
『嫌われて、散々泣かせて傷つけて来たから、と言うのもあるんでしょうけど…約束、らしいわよ』
「約束、ですか……?」

 侑子の言葉を聞き入れて、エジリンは柔らかく笑みを見せ、そっと胸に手を押し当てた。この国に初めて来た時のファイを思い出すと、不器用で優しすぎる、と言う印象が蘇って来る。きっと彼には彼なりの考えだったり想いがあってレイノを手放した事も分かっている。自身の願いを優先して、違う場所を見つめていた事も分かっている。
 けれど、自身の為に身体を張って血を流し、涙をも流すレイノを見て、放って置ける訳がなかった。旅の始めの頃から心に決めた約束を忘れられる訳がなかった。――互いに支え合い、笑い合う二人を見て、私は泣きたくなるほど嬉しかったんです。心から主様にご報告が出来ると思ったんです。だから、だから、もう一度戻って来て欲しいんです。そう思っている最中(さなか)に温かな太陽の魔力が消えた事は二人とも分かっていたけれど、口には出さなかった。それが、最良だと思ったのだ。そう笑んで、エジリンは再び周りを見渡す。


『レイノを守るのは自分の、――ファイだけの役目らしいから』

 その穏やかな緑の双眸には、煌めく翠の庭園が顔を覗かせていた。




「レイノちゃん!」

 酷く焦った様子で階段を駆け上ったファイは、巨大な扉を腕で無理矢理抉じ開けた。扉を開けた先は広々としており、円形の作りになっているらしい。その空間の中心には円形の絨毯が敷かれ、そこから階段があり、その頂点には背凭れが高い玉座がある。恐らく高価な物ばかりなのだろうが、与えられるだけの物は酷く虚しく見えた。
 その絨毯の上には肩に白いマントを掛けられた、一人の人間が居る。しかし、ピクリ、とも動かないそれが本当に人間なのかは謎だ。それの前に居る、橙がかった金髪を斜めに切り揃えた男はふと優しげな笑みを浮かべた。しかしそれは目元が緩む事がない、酷く冷酷なものである。その事に気付いたファイはぞくり、と身体を震わせ、その蒼い双眸に小さな人影を映した。


「レイノ、ちゃん、だよね……?」
「『レイノ』とは、どちらの事でしょうか」
「…ここに来たと、聞いたんですけど」
「生憎ですが、ここには私と、私の娘しかおりませんよ」
「娘…?」

 恐る恐る問いを投げ掛けると、先程の冷酷さとは正反対の丁寧な言葉遣いと柔らかな声色がファイに向かう。しかし、それらが逆に彼にとっては重みとなって圧し掛かるのだ。それに負けじ、と目の前の男を睨み付けるがその男は笑みを深めるだけで、あまり効果は無い様だ。それだけではなく、男は「愛しき娘よ」と囁くと、小さな人影は唐突に眩い光を放ったのだ。
 ファイを襲うのはその眩しすぎる光だけではなく、それに纏わり付く圧力の様な凄みである。それだけなら下半身に力を入れて耐える事も出来た。しかしその直後、彼の身に降り掛かったのはビリビリ、と言う電気が走った様な感覚だ。そして周りの様子を確認する間(ま)もなく、彼はとある力に圧される事となったのだ。――オレが見間違うはずのないその顔は紛れもなくレイノちゃんのもので、けど、小狼君よりも薄い茶髪はオレと同じ、金髪に変わっていた。そこでオレは悟ったんだ。間に合わなかったんだ、と。


「私との約束を覚えていますか?」
「――父さまを、守ること」

 ごめん、エジリンちゃん。オレはこの子を、傷つける事は出来ない。

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