episode 149
幸せたる仕合わせ

『いらっしゃい。フレイ、ソール』

 再び変化した画面には、艶やかな笑みを浮かべて二人を招き入れる侑子の姿が映っていた。その姿に老いは感じ取れず、この時が何時の時代なのかは分からないが、酷く、不気味に感じた。しかしその笑みは確かに本物なのだと思う。フレイが何時もの温和な笑みを浮かべる一方で、ソールはぱちくり、と大きい金色の瞳を丸くしていた。


『……だあれ』
『あたしは侑子。貴女のお父さんの友人よ』
『ゆう、じん?』
『――『仲良し』ってこと』
『…私とも、仲良し?』

 ソールの朧気な問いに、侑子は膝を折り曲げた。そして、微かな笑みを浮かべてフレイの名を口にしたのだ。その時に、侑子は改めてソールの無知さを理解した。見た目と中身の凄まじいギャップは、ある意味ソールにとっては虚しさとなるんじゃないだろうか。そんな事を言っても仕方ないと分かってはいるが、「創られた者」だと分からないまま生きて行くのは、少し寂しい気がした。


『……そうね』
『良かったね、ソール』

 少し苦しげな笑みを浮かべながらも、侑子はソールの髪を優しく撫でてやる。擽ったそうに目を閉じるソールは、感情がないなんて到底思える筈がなかった。強大な魔力を秘めているだなんて、信じたくなかったのだ。そんな思いを断ち切る様に、侑子は屋内から顔を覗かせるマルとモロに「お茶を淹れて来て」と声を掛ける。そして元々用意していた酒瓶を、フレイに見せ付ける様に揺らしてみせたのだ。

 その時に見せた苦笑は、やはり「神」とは思えなかった。




『どうするの?あの子』

 突拍子もなく口を開いたのは侑子の方だった。そちらにちらり、と視線をやると、フレイは鼻から僅かに息を吐き出して笑んだのだ。開いては閉じる形の良い唇から微かに匂うアルコールは、酷く上品なそれである。お猪口の底に僅かに残る液体を揺らし、彼は庭で走り回るソールを視界に入れた。


『…分かりません。寂しくて創った者ですから』
『けど、一番大切なんでしょう?』
『そうですね……けれどきっと、不幸にしてしまう』
『……力ね』
『ええ……だから逃げるように、他の次元へ来た』
『――飛王ね?』

 語尾が上がる、けれど確信を持ったその一言に、フレイの肩はビクリ、と跳ね上がった。――やはり、「次元の魔女」と呼ばれる侑子には、何も隠し事など出来ないのでしょう。それが少し怖くて、けれど、それが何よりも彼女らしくて、少しだけ笑ってしまった。そして私は、お猪口に残っていた僅かな日本酒を喉に流し込む為にそれを呷った。


『…いくら創られた者だからと言っても、私が…神が創った者です。次元への歪みはあるでしょう。飛王も、きっとそれに気づいてる。けれど、奪われる訳にはいかないんです』
『飛王が手を出しても出さなくても、あの子はきっと色んな感情を学ぶわ。――それが、唯一の救いかしらね』
『あわよくば、ソールを愛してくれる人が現れてくれたら良いんですけれど…』
『あら、現れても貴方、絶対に認めないでしょう?』

 茶化す様な侑子の言葉に、フレイは思わず表情筋を緩めた。――そうだな。ああ、そうだ。認めるはずがない。こんな可愛くて健気な子、誰が渡すもんか。こんなに国民に愛されている子を、どうして手放さなきゃならない。そう思ってしまう程には、私はソールが酷く愛おしい。それ以上に、並の幸せを手に入れられた事が嬉しくて堪らないのだ。


『けれど、その力を全て受け入れてくれる男(おのこ)がいるなら、その時は――』

 そんな強い思いが仇になるとは、神である私も考えてすらいなかったのだ。




 幼女、と言う呼び名が正しいソールも、月日が経てば麗しく成長して行く。隣で歩く彼女は光に反射して輝く金髪を背まで伸ばしていた。それが歩く度にふわりと揺れ、仄かな香りを醸し出す。それだけで、どれだけの人間が幸せになるだろうか。ソールと、それを見ては慈しむ様に目元を緩めるフレイの二人は、現在「阪神共和国」と言う次元を訪れている。ここにはどうやら侑子の知り合いが居るらしいのだ。
 そう教えてやれば少しは緊張が解れたのか、ソールは僅かに表情筋を緩めてみせた。その安堵した表情が、侑子に対する信頼を表している。どんな手を使ったのかは分からないが、やはり同性には同性で分かち合える思いがあるのだろうか。そんな事を考えている内にフレイの視界に入ったのは薄汚れた建物だった。侑子曰く「旅館」と言うらしい。その中から現れた二人の人間の内の一人は顔に花を咲かせてこちらに近寄って来た。


『あんたらが侑子さんが言うてた友達か?』
『ええ、そうだと思います。わざわざお迎えに?』
『そりゃな!ここは『宿屋』やさかい』
『宿屋さんは人間をもてなすお仕事をしてるんですか?』
『お客様をもてなして、幸せになって貰うのです』
『それは…――良いお仕事ですね』

 聞いた事のないその話し方は方言か何かだろうか。違和感を感じるも、それがなかなか耳から離れてくれないのだ。しかし距離が近く感じるその話し方が、フレイは嫌いではなかった。薄く笑みを浮かべると、そんな彼の服が軽く引っ張られる。思わずそちらを振り向けば、そこにはこちらの様子を伺うソールが居た。その彼女を見て、旅館の男――後で「空汰」だと教えて貰った――は再び口を開く。


『お、その子がソールちゃんか?別嬪さんやなあ』
『当たり前ですよ、私の子なんですから』
『べっぴん?』
『めっちゃかわええ、って意味や』

 自身よりも幾分か背が低いソールの顔を覗き込むと、歯を見せて笑う。そんな笑みを見た事がない彼女は僅かに肩を跳ねさせたが、何故か恐怖心は芽生えなかった。それどころか、その後に続いた言葉に仄かに頬を赤らめさせたのだ。どうやら少しずつ感情は増えて行っている様だ。それが嬉しくて堪らないフレイは頬を緩め、彼女の頭を軽く撫でてみせる。そんな光景を見ていた空汰と女――嵐と言う名前らしい――は顔を見合わせると、微笑ましい、と言いたげにそっと笑んだのだ。


『腹減ったやろ。飯にしよか』
『そうですね。――行こうか、ソール』
『ご飯…!』
『わいの嫁さんの手料理はめっちゃ美味いんやで!しっかり味わいや、ソールちゃん』
『た、楽しみ、です』

 創られた当初よりも大分と話せる様になったソールは、空汰の言葉に詰まりながらも自身の思いを返した。その様子がどうにもいじらしくて、彼はそっと頭を撫でてやる。そして、彼女とフレイを宿の中に案内したのだ。そんな中、人間の中に溶け込んでいる彼女を見て、フレイは嬉しく思いながらも僅かな寂しさを感じていた。しかし、そんなフレイに嵐が声を掛ける。
 「貴方がいなきゃ始まりませんよ」と、そう言ったのだ。最初は意味が分からなかった。けれど、その後に視界に入ったソールの微笑みを見て、スッキリとした心持ちになったのだ。自身の欲望の為に始めた事だったけれど、何時かは終わる事なのだろうけれど、今は、今だけは、この幸せに浸っていたかった。あの笑顔を、守りたかった。

 そんな思いがソールを仕合わせな結末に堕とすなんて、思ってもいなかったのだ。


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