episode 152
花舞う思い出達

 自身の真横を、素早い金色が横切って行く。耳に痛い風を切る音はしっかりとソールの耳に届いており、振り向いた時には既にフレイの武器と交じり合っていた。こちらにまで響くギリギリ、と言った金属音は互いの力が拮抗している事を示している。そしてそれを聞いてしまえば、彼女がそこから動く事は叶わないのである。手から滑り落ちそうになる刀を再び握り締めると、彼女は唐突な頭痛に襲われる。


「こ、れは…」

 がんがん、金属で思いきり殴られた様な鈍い痛みが続いている。思わず両手で頭を押さえてみても、その痛みが和らぐ事は無かった。しかしそんな状態になっても、ソールが刀を手放す事もなかったのである。ちかちか、と視界は朧気になるが、瞼の裏には見た事がない筈の――けれど、何処か懐かしい光景が映り込んでいた。見た事も、体験した事もない筈なのに、ソールは何故かその光景に既視感を覚えたのだ。




『貴女がこの先幸せで在れる様に、笑顔を失わない為にはどうするべきか、いつも考えていました』
『…馬鹿、だねえ』
『ええ、大馬鹿です。だから、もう戻って来ないなんて、そんな事、思わないで下さい』

 空気に埋もれてしまう様な声で強く告げた女性は、淡い緑色の髪を風に靡かせた。彼女の言葉を呆れながらも、一言一句逃さない少女はソールの容姿と良く似ていた。しかし健康的な茶髪も、柔らかな印象をした桃の双眸も、全てがソールと正反対である。周りにはたくさんの人が居て、その状況はフレイが全てであるソールとは似ても似つかない。僅かながら悲しい、と言う感情が芽生えたが、それに気付く事は無かった。


『レイノちゃんには、何でも分かっちゃうんだなあ、って』
『何かね、妹みたいだなあ、って思っちゃうんだよね』
『…わたしもね、レイノちゃんの事、お姉さんみたいだなあ、って思ってたの』
『似てるね、わたし達』

 次に見た事のない内装と衣服が映し出される。短い茶髪をふわふわと浮かばせるその少女は、ふわり、と柔らかな笑みを浮かべてみせた。そして、それを「レイノちゃん」と呼ばれた少女に向けている。こんな事を言った覚えは無かった。そんな自然な笑顔も、「妹」の存在を知っている「レイノ」も、記憶の何処にも存在しない。なのにどうして、こんなにも心が熱いのだろう。会った事もない筈なのに、どうして、会いたい、だなんて思ってるんだろう。


『まあ確かに何だかんだで優しいよね、黒鋼は』
『お前急に呼び方変えんなよ。気持ち悪ィ』
『良いじゃーん。秘密を共有している運命共同体ですよ?仲良くしましょうよ』
『うぜえ』
『…仲良いですね。お似合いですよ』
『気持ち悪いこと言うな、ガキ!』

 医務室らしき場所の映像が映し出され、そこには三人の人影が見える。「黒鋼」と呼ばれたその男は不機嫌ながらも、周りの者達に酷く慕われている様だった。そんな彼に友好的に触れる少女は、何処をどう見てもソールに似ているとは思えない。きっと自身はああ言う風には振る舞えない、そう思う。当たり前だと、何処からかそんな声が聞こえた気がした。


『…逃げるの嫌、って、言ったでしょ?』
『は、はい……』
『あれ、意味分かってる?』
『え、そのままじゃ…』
『守るって意味、なんだけど』
『っ…わ、わたし、戦えますよ……?』
『知ってるよー?』
『だから、守ってもらわなくても…』
『良いの』
『へ…』
『オレが守りたいから、それで良いの』

 霧に包まれて水滴が辺りで滴り落ちる森林で、少女と先程まで刃を交えていた「ファイ」と言う男が向かい合っている。その男は彼女の手の甲に唇を押し付け、反応を窺う様にちらり、と視線を彼女に寄越した。そんな様子を見ては「ずるい人」だと告げる彼女は、その言葉に反して酷く柔らかな笑みを浮かべていた。そんな顔、自身には出来ない。そう思う。当たり前に決まってるじゃないかと、再びそんな声が聞こえた気がした。
 そんな、全く脈略のない記憶の断片が時系列に関わらず、直接脳内に流れ込んで来るのだ。怖い、こわい、こわい。知らない人間に知らない感情(きもち)、それら全てがソールをじわじわと追い詰めて行く。そんな時にもう一人の「わたし」がそっと声を掛けるのだ。――分かっていた事でしょう?――と。何かに依存しても何にもならない。このままあの人の側に居てもどうにもならない。分かっていた筈だ。
 本当なら殺される筈だった。一人で行っても何も変わらない事は分かってた。けれど、それでも一人で向かったのは、あの人が、あの人なら――。





「ファイさんなら来てくれるって、信じてたの――!」

 そうして肉を貫いたレイノの刀には、神の血がまとわり付いていた。


「――レイノ、ちゃん」
「っ…とう、さ――」
「……それで、良いん、です、よ。レイノ、さん」

 金と赤のコントラストがじわじわと広がるそんな光景を、ファイはただただ呆然と見つめていた。苦しげに言葉を放つレイノの声色が聞こえる。それに応える様に響いた柔らかな声色が、二人の目を覚まさせてくれた。その時には既に、彼女の髪色は健康的な琥珀に戻っていた。しかし良く見ると、彼女の長い茶髪は途中で途切れていて、今まで風に靡いていたそれは寂しそうに、地面で揺れていた。瞬間的にそれに安堵の息を漏らすも、目の前の赤が止まる事は無い。こんな所でさえ、この神は人間臭いのか。


「…レイノちゃんを殺すつもりは、無かったんですね」
「当たり前、でしょう。姿は変わっても、私の、子どもです、から」
「父さん…」
「…もう『父さま』とは、呼ばないで」
「っ…フレイ、さん」
「――ずっとずっと、貴女に殺されたかった。レイノさん」

 ふう、ふう、と静かに荒らげるその吐息が、ファイの問い掛けの答えだ。優しげなその笑みに敵意は篭っておらず、もう、生きる事に執着はしていない様だ。どんどんと溢れ出る血のせいで貧血が起こり、フレイの額には冷や汗が浮かんでいる。何処までも人間臭いこの男は、何処までも目の前の少女を思っていた。そして、フレイはレイノに手を伸ばす。しかしその手が温もりに触れる事は無く、思い出も何もかも彼女に遺す事は無く、自身が生んだこの世界から姿を消したのだ。


(とうさま)

 大好きなとうさま、大切なとうさま。ずっとずっと、「私」を守っていてくれたとうさま。神としての良心がなくなる時でさえ、「私」の事を思ってくれていたとうさま。神さまだったのに、人間のように温かくて、優しいその手が大好きだった。うっすらと笑うその表情(かお)が好きだった。「愛情」と言うものを、「私」は全部、貴方から貰ったの。


(父さま)

 追い詰めたかった訳じゃない、不幸にしたかった訳でもない。「私」のせいで身動きが取れない貴方を、馬鹿みたいに「私」の事が大好きな、不器用な神さまを助けたかっただけなの。それがすぎた願いだと言う事も、もう二度と会う事がない事も、きっと無意識に分かってた。それでも気持ちが追いつかない。身体を抑えこむだなんてそんな事、幼い「私」に出来る訳がなかったよ。父さまの暖かな太陽の力を忘れないように、冷たくなった身体に触れ続けた。そんなの、何の意味もない事だと分かってた。


(父さん)

 死ぬつもりじゃなかった。けど、死んでも良いと思ってなかったと言えばうそになる。わたしの記憶にはないはずなのに、貴方の姿を見た途端「懐かしい」――そんな事さえ思った。澱んだ目を向けられる度にわたしの身体は固まってしまって、この人はわたしが逆らえる人じゃないと知った。いや、逆らいたくない、と言うべきなんでしょう。けど、「私」じゃないわたしには大切な人がいて、何と思われていようと離したくない人がいて。わたしはもう、貴方を一番に考えられない人間になったの。わたしにはもう、貴方だけじゃない。

 だから安心して逝って、父さん。


「――さよなら、フレイ」

 心の中で呼ぶくらいなら、許されるでしょう?

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