episode 153
運命

 フレイが消えた事により、彼が維持し続けていたらしいアブ・シンベル神殿はものの見事に崩れ落ちた。力がなくなったのか、元々朽ちてあった物を再成させたのか定かではないが、それを眺めているレイノの背中は何処か寂しげだった。大きな瓦礫を手の平に乗せると、まるでそれは元から存在していなかったかの様に砂状になって風に奪われる。それの代わりに舞い落ちて来たのはルドベキアだ。向日葵を小さくした様な形に、僅かながら橙色を帯びたその花は彼に良く似合っていた。


「これ…フレイが好きだった……」
「…『あなたを見つめる』、だったと思うよ」
「え?」
「ルドベキアの花言葉」
「あなたを、見つめる…」
「ささやかな贈り物じゃないかな、フレイさんからの」
「そ、っかあ……」

 ファイが掴んだその花は所々に水滴が付いていて、瑞々しさが伺えるそれはフレイの気持ちが含まれている様に感じた。「死ぬな」――そう言われている様な気がした。不器用な、けれど何処か洒落ているその「贈り物」に思わず笑みを零す。フレイの澱んだ心が、もう既に取り返しの付かない所まで来ている事は分かってた。けれど、何かしてやりたかったのだ。今までめいっぱい愛してくれて、温かさを教えられて、――それが「もう一人の自分」に与えられたものでも――レイノにとっても大切なものだった。
 いつだってあの人は何かの為に、誰かの為に生きていた。最後はきっと、きっと不服だろうけど飛王の為に生きていた。けど、せっかく解放されたんだ。空の上では、次の生では自分の為に、自分の何かの為に生きて欲しい。


「贈り物に花って…あまりにキザじゃないですか?」
「本当にね、けど…」
「ファイさ…」
「神様らしくて、――良いんじゃない?」

 ルドベキアが一面に広がった地面に座り込み、呆れた様に笑みを浮かべる。そんなレイノと目線を合わせる様にしゃがみ込んだファイは、ルドベキアを持つ手を伸ばした。その手は真っ直ぐ彼女のこめかみに伸びており、その手を離したそこにはキラキラと輝くルドベキアが顔をこちらに向けている。ひと際大きいそれは、短くなってしまった彼女の髪に一層映える。ぱちくり、と桃色の瞳を瞬かせる彼女は先程まで敵対していたとは思えない。そんな彼女は仄かに頬を赤らめ、嬉しそうに目元を細めた。しかしその瞬間はすぐに過ぎ去り、その細まった瞳は何処か潤んでいる様な気がした。


「…レイノちゃん?」
「…わたし、もし生きて帰れたら、ファイさんに言いたい事があったんです」
「うん」
「勢いあまって、セレス国で言っちゃったんですけど」
「…熱烈だったもんね」
「うるさいです」

 ファイの呼び掛けにも答えず、レイノはぼそ、と言葉を紡ぎ始める。それを優しく受け入れて、彼は目の前にある細い腕にそっと触れた。ぴく、と反応した後(のち)に静まったそれに、自惚れない方がおかしいだろう。そんな自惚れを消す様に茶化せば、目の前の彼女は年相応にむくれていた。「ソール」の人格だったレイノは酷く神々しく、迂闊に触れる事さえ叶わなかった(寧ろ触れる状況でもなかった)が、今のレイノはどうだろう。やはりファイは、「この」レイノが好きな様だ。


「だって…むかついたんですもん」
「え?」
「『守る』だなんて勝手に約束取りつけたくせに突き放して、意味分かんないし。これだけ夢中にさせておいて…」

 むす、と眉を顰めながら、レイノは地面に生えたルドベキアを摘み取って言葉を紡ぐ。すん、と軽く鼻を鳴らせば、花独特の匂いが鼻腔を擽る。視界いっぱいに広がった淡い橙色は、何処からどうみても愛おしい物だった。しかし、今はそれとは少し違う感情が彼女を蝕んでいるのだ。その感情を植え付けたのは目の前で僅かに眉を下げるファイで、こんな状態にした彼を逃がす筈もない。


「――サクラちゃんばっかり、ずるい」
「っ……ちょ、ちょっと待って。――や、妬いて、た?」
「な……っ、何で言わせるんですか!ばか!」
「だって顔真っ赤…」
「やっ、いてないです!」
「じゃあ顔見せてよ」
「だ、だめ」
「どうして?」

 今まで潤んで来た瞳にはいよいよ涙が溜まり、もう既に言い訳が出来ない状態にまでなっている。しかしここで強情にならなければ、一体何時できようか。モヤモヤとした感情と羞恥心によって、まるで心臓がすぐ近くにある様にどくどく、と脈を打っている。――こんな顔、見せられる訳がない。そう思ったレイノは細い指を広げて赤く熟れた顔を覆い隠す。その行動が意味のないものだと言う事には気付いていない。


「…ぜったい今、なさけないかおしてる」

 そして、所謂「爆弾発言」をした事にも気付いていないのである。


「……ほんっと嫌になるなあ」
「だっ、だから言ったじゃないですか!」
「――違うよ」
「へ…っ」

 一つになった蒼い瞳を瞬かせた後(のち)、ファイは息が続く限りの深い溜め息を吐き出した。それを聞いて誤解される事は既に想定済みだが、言葉にせずにはいられなかったのだ。彼はただ一言、簡素な言葉を告げてレイノに手を伸ばす。思ってもみなかった彼の行動に思わず目を瞑り、次に目を開けた時には視界いっぱいに彼の髪色である金が広がっていた。――どうやらわたしは、この魔術師さんにキスをされているらしかった。


「っ…ちょ、まっ…」
「――すきだよ、レイノちゃん」
「へ…」
「本当はさ、オレから言おうと思ってたんだよ?けどレイノちゃん、先に言うからびっくりしちゃった」
「だ、だって!」
「ん?」
「っ…もう、言えないと、おも、って。もうこんな風に、話せないんだろうな、って、おもってて。もう、むりだって…っ」

 段々と嗚咽混じりになって行くレイノの言葉を制止させる為に、ファイは押し倒した彼女の身体を半ば無理矢理引き寄せた。彼女の顔は見えないけれど、きっと桃色の瞳を大きく見開かせているのだろう。そしてきっと、潤んだ瞳は乾いていない。少しずつ湿る肩口は彼女のせいだ。けれど、それさえ嬉しくなるのは罰当たりだろうか。


「うん、ごめんね」
「全然、め、合わせてくれなかった」
「気まずくて」
「話しても、くれなかった」
「こうやって、泣かせちゃうかもって思って」
「ふれて、くれなかった」
「――壊しちゃいそうで」

 途切れ途切れに投げ掛けられる問いは、きっとレイノが今までずっと溜め込んで来たものなのだろう。それらの一つ一つに、ファイは優しく答えて行く。その声が酷く優しくて、彼女の涙腺はどんどん緩んで行くのだ。ふと身体を離せば、彼女がボロボロと涙を零している姿がそこにはあった。その涙を指先で掬うと、目の前の彼女は僅かに腫れた瞳をこちらに向ける。痛々しい筈のそれがどうにも愛おしくて、彼は思わず目の前の頬を優しく撫でて包み込んだ。そして再び、何度も口付けを送ってやる。


「っ…ふぁい、さ…」
「うん、なあに」
「そ、ばに…」

 軽い口付けを繰り返していると気を許したのか、レイノは着流しを掴む力を段々と弱めて行った。そして、ファイの名を弱々しく呟く。その声色に思わず目を細めて応えれば、彼女は再び目の前の着流しをきゅ、と握り締める。それは彼がずっと欲していたもので、そして愛しくて愛しくてやまないものだった。そんなそれを、彼はやっと手にしたのだ。


「――そばに、いてください」

 その言葉を、オレはずっとずっと待ってたんだよ。


「うん、傍にいるよ」
「……戻りたい。皆に会いたい」
「黙って来ちゃったもんねえ。怒られそー……」
「殴られ…」

 もう終わった。――二人でさえそう思った。しかし、あの男はそう易々と見逃してはくれないのである。最後まで言わず仕舞いとなった言葉を放置し、レイノは桃色の瞳を大きく見開かせた。彼女の視界に移り込んだ男らには蝙蝠の紋様が刻み込まれており、それは飛王の手下である事の証である。そしてその男らは、二人に会話をさせる暇さえ与えないのだ。
 地面に突き立てられた剣には勢いがあり、それによって舞い起こった風がフレイの贈り物を吹き飛ばして行く。その様子に思わず眉を顰め、レイノは自身の魔力で生成した刀を構えた。チャキ、と音が鳴れば、自身の中で血が昂るのを感じる。それに逆らわずに刀を振るうが、斬った部分から血が流れる事は無かった。


「やっぱり…」
「…こいつらも創られたもの、って事か」
「十中八九わたしを始末する為なんだろうけど…これで事足りるって思われたのかな」
「随分とナメられてると言うか…どうする?」
「倒すに決まってます」
「あとは?」
「――守って下さい」

 どうやら二人の予想は当たっていたらしく、目の前で斬られた男らは液状の何かになって地面に吸い込まれた。その様子をじっと見下ろしながら交わされる会話は酷く淡々としており、しかし、決して気持ちが篭っていない訳ではなかった。最後に放たれたレイノの言葉に思わず口角を緩めると、ファイはそっと唇を開く。


「――了解」

 そう呟いたと共にファイの瞳孔は開かれ、蒼い瞳は金色(こんじき)のそれに変化した。指先からしなる様に伸びた爪は真っ直ぐと、蝙蝠の紋様に向かっている。それを振り被れば、そこには一閃の斬撃と風が生まれ、気付いた時にはもう既に人影は無い、と言う状態となった。今までの旅では比較的支援型に徹していたから分からなかったが、この男が前線に出る、と言うのはなかなかに恐ろしいものがある。思わず苦笑を漏らせば、微かに視線が合った気がした。
 まるで何かの合図があったかの様に、二人は同じタイミングで駆け出して行く。そして、次々と薙ぎ倒して行くものの何かを斬った感触はそこにはない。――ああ、弱く見られたものだ。ギリ、と歯を食い縛り、桃色の瞳を鋭く細める。その双眸に多くの恨み、そして、僅かな悲哀が帯びていたのは確かだった。


 はあ、はあ、と荒い息遣いが繰り返す中、その空中にはルドベキアの花びらがひらひら、と儚く舞っている。先程までは色鮮やかな顔を覗かせていたのに、今はもう喧騒によって殺されてしまったらしい。ふわふわと風に靡く筈の白いワンピースは既に薄汚れており、神々しさは何もない。けれどそれがどうにもレイノらしく、ファイは思わず笑ってしまったのだ。その直後に感じたのは限りなく殺気に近いもので、振り返った時にはもう遅い。――そう、思われた。


「……守ってくれるんじゃなかったんですか?」
「君だって、オレの事を守りたいって言ってたでしょ?」
「――良く回る口ですね」

 ドス、と何かを打ち付ける鈍い音が響き渡り、ファイは思わず安堵した。それと同時に、解放感さえ感じたのだ。そして薄い笑みを携えて、彼は自惚れに近い言葉を口にした。けれどそれは自惚れでも何でもなくて、レイノにとっての単なる事実でしかないのだ。そんな彼女は負け惜しみと呼ばれる言葉を紡ぎ、傀儡の身体から勢い良く刀を抜いた。
 その時の反動で崩れ落ちる身体に逆らいもせず、レイノは両手で顔を覆い隠し、その中で静かに笑った。――初めてだった。初めて、好きで好きで堪らないこの人を守る事が出来た。それがとても嬉しくて、あまりにも幸せで、この小さい手の中で目を潤ませてるなんて知らないんだろうなあ。感極まって「好きです」と言ってしまったわたしの声は、聞こえてるのかな。そんなレイノの気持ちは、目の前で瞳を瞬かせているファイには一生理解はされないんだろう。そんな彼は呆れた様に笑い、こちらに手を差し出した。


「帰ろう、レイノちゃん」
「――うん」

 この愛しい温もりを、もう二度と手放さないと誓おう。

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