episode 156
力と興味

『星史郎!』

 桜の大木の下に突如として現れたのは一人の男――星史郎――レイノに僅かな恐怖を与えた人物である。生気の宿らぬ双眸に貼り付けた様な笑みは何処か寒気さえ感じた。そんな感覚がその場に居る者全員の足を動かさせたのだ。――微かに残る記憶の中に宿る星史郎と、面影は何ら変わりは無い。しかし、何処かせり上がる様な恐怖感は増している様に感じた。ただ、ひたすらに恐ろしい。そう感じるレイノの手を優しく包み込むぬくもりがある。ふと見上げれば、一瞬だけ、優しく笑むファイの姿がそこにはあった。


「久しぶり、なのかな。君たちと僕が過ごした時間の流れが同じかどうか、分からないけれど」
『封魔と同じこと言ってる。やっぱり兄弟だから?』
「うーん、ちょっと複雑だなあ。――相変わらずそうだね。星史郎兄さん」
「封魔もね。そっちは相変わらずとはいかないようですね。随分、変わったらしい。色々と」

 ちらり、と視線を向けた瞳は桜都国で出会った頃と変化なく、対価は奪われたままの様で右目は白く仄かに輝いていた。瞳は緩やかに弧を描き、しかし、その中に冷酷さが孕んでいる事は確かである。じゃり、足元の小石から軽い音が響く。それが星史郎の耳に入れば、くつりと喉を鳴らす様子が視界に入った。――何か、来る。


「魔力を失って別の力を得たようですね。――吸血鬼の血を」

 その言葉と同時に星史郎は走り出す。その足のつま先は真っ直ぐファイに向かっていた。レイノとモコナがファイの名を叫ぶも既に遅く、ファイの呼吸は星史郎の手中である。細くも白く、しかし、何処か骨ばったそれが、喉仏が、ごくり、と上下に動いた。その動きを隠す様に、星史郎の手の平が覆い尽くす。


「神威の血ですね」
「だとしたら?」
「二人は何処にいますか」

 ファイの首を掴む手に力が込められると、ギリ、と骨が軋む音が唸る。喉に何かが詰まった様に息がしづらい。そんな状況でも微かに残る酸素を吐き出して言葉を紡げば、視界の端でレイノらの身体が僅かに身じろいだ。そちらの動きに気を逸らした一瞬を突き、ファイは頭を浮かせ、腕を振り払ったのだ。袖の部分に掠り傷を負わせるのみで終わってしまった一撃だが、星史郎の虚を突く事は出来たらしい。


「お兄様ですか」
「ええ。困ったひとで」
「うちの姉も…」
「どうだというのですか」

 一先ず攻撃が止んだ事を悟り、知世姫が声を放つ。それを天照が拾ってしまえば、冷戦の様な空気の出来上がりだ。視線を合わせぬ知世姫は案外肝が据わっているらしい。しかし、あの黒鋼を従えていた人物なのだから当たり前なのかもしれない。一方で、何処か焦点が合わぬ様子のレイノは、ファイの首筋にそっと指先を添えた。微かに痕が残るその部分は、少しだが、痛々しい。その妙な感触にふと視線を下ろすと、彼の視界にはきゅ、と瞳を細めた愛しい姿が映る。思わず瞬きを繰り返すが、思わず頬を緩ませるとするり。頬をそっと撫でる。そんな中で言葉を紡ぐ者が現れる。――黒鋼だ。


「人にものを尋ねる態度か、それが」
「君がいうか?」
「一番言っちゃいけない人だと思うんですけど、そこの所はどう思ってます?」
「うるせぇ!」
『だね』
「「まったくですわ」」
「だからうるせえってんだ!!」
「失礼、では改めて。双子の吸血鬼に、会ったんですね」
「こことは別の世界――『東京』で」

 どうにもマシになったらしい黒鋼は、至極全うな言葉を口にする。しかし、レイノとファイがそれに目を付けない訳がなかったのだ。何時もは砕けた言葉遣いの彼女も、わざとらしい笑みを浮かべながら何故か敬語を口にする。そんなからかいに仄かに頬を赤らめる黒鋼には、何処か昔の面影があった。しかしそれも一瞬の事で、ファイの口から「東京」と言う都市が出た途端、彼女らの表情には暗がりが立ち込めたのである。


「ふたりはまだ『東京』に?」
「いや、移動した。彼らが旅立った後にね」
「どこへ?」
「弟の俺に教えてくれると思うかな?」

 試す様な物言いに取って付けた様な微笑は、封真と星史郎の血の繋がりを確かに証明していた。酷似したそれを向けたかと思えばうっすらと瞳を見せ、視線を再びファイに向ける。それは、ファイを通して別の誰かを見ている様に思えた。何処か慈しみさえ思い伺える瞳にはふと、侑子の魔法陣が浮かび上がる。――次元移動を行うつもりらしい。しかし、それを制止する声がこの場に響いた。


「…君も小狼だね」
「羽根はどうした」
「あるよ、ここに」

 基になった人間とも言える『小狼』を見た事は無い筈なのに、さして驚く様子もない。この男は一体どれだけの事を知り得ているのだろうか。そんな疑問さえ浮かんでも、それを解決する術は持ち合わせていないのだが。――緩やかな笑みを浮かべながら、星史郎は胸元に手を添える。すると、ポゥ、と柔らかな輝きが浮かび上がった。その様子を見ては、『小狼』は静かに歯を食い縛る。


「返せ」
「桜都国――いや、実際は桜花国だったね。そこで手に入れて、そのまま持って行ってしまったけれど、ひとつの架空世界を現実にしてしまう程の力だ。返せと言われて、どうぞ、と言えるものかな」
「……返せ」
「話し合いで解決する方法はない?」
「ずっと見て来たからな。貴方がどういうひとか」

 そう吐き捨てながら、『小狼』は手の平から炎を纏った剣を取り出した。波状に広がるそれをただ眺め、星史郎もおどろおどろしい黒い剣を取り出す。それと同時に、納得した様に紡がれた言葉は酷く興味をそそるそれだ。――ぴくり、レイノの眉が僅かに痙攣する。それを目敏く見付けてはふと笑みを溢す星史郎に、彼女はただただ恐怖を煽られるばかりであった。


『小狼と一緒に旅してたお父さんのこと?』
「…いや、藤隆さんと小狼君は血は繋がっていない筈だ」

 ぽつり、とファイが溢したその言葉に機敏に反応を示したのは隣に居た黒鋼である。そんな様子を、レイノは思わず視界に映し、何とも言えぬ哀愁を帯びた双眸をそちらに向けた。――言おうか、迷った。とても迷った。未だに黒鋼とモコナを騙している様で、とても気分が悪かった。
 けれど時間は待ってくれず、目の前で星史郎は剣の切っ先を『小狼』に向けていた。そんな光景に、黒鋼は義手に力を込める。この静かな空間にはやけに響く乾いた音に、『小狼』は鋭い眼光を向けた。それはまるで黒鋼の勢いを牽制する様で、それに大人しく従う黒鋼はこの旅を通し、「理性」を身に付けたらしい。戦闘の空気、双方の殺気、高揚した熱、それら全てが合わさった時、星史郎は「では、始めよう」と胸元から眼鏡を取り出す。――「本気」であるサインだ。


「――羽根を賭けた戦いを」

 その光景はまるで、桜都国での再戦を彷彿とさせるそれの様だったのだ。

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