episode 157
受け継がれた太陽
『小狼』と星史郎、双方から溢れ出る殺気と魔力が混じり合い、それらがぶつかり合う。それらに巻き込まれる形で、御神木である桜の花びらが酷く乱れていた。そのさまはまるで自身の強大な力に飲み込まれる、とある少女の姿の様にも見えた。――そんな空間に、凛とした声音が響き渡る。止めざるを得ないその声色はレイノらの視線を集めた。天照の「結界の中で」と言う言葉に知世は頷けば、柔らかな動きで手を翳す。
すると、『小狼』と星史郎の足元には巨大な三日月が現れ、それは宙を突き抜け、とある空間を作った。「異空間」とも言えるこの場で、本気であろう星史郎と戦え、と言う事なのである。どれほど壊しても現実空間に影響は無いが、この場で負った傷は現実世界にそのまま受け継がれる。――そんな認識を共有したその瞬間、激しく擦れ合う金属音が結界内に響き渡ったのだ。
「お二人の戦いは、黒鋼とお姉様に見届けてもらいましょう。――あなた達は私にお話がおありでしょうから」
「――貴方は夢見だと伺いました、夢で未来を視る事が出来ると。けれど、日本国に来て、貴方に会って、――オレは貴方から夢見の力は、感じられなかった」
「あなた達と同じですわ。あの方にお渡ししました、対価として」
「…それはオレ達を…」
最初、レイノは結界内に残ろうとしていた。しかし、後ろに引っ張られる力に止められてしまったのである。――知世だった。レイノの自分勝手な一連の行動を、前もって知っていたのは知世しか居ない。何時も後手に回ってしまう中で、唯一道を指し示してくれたのは知世だった。
話と言うと、それくらいしかない筈だ。しかし、知世はそんな考えを全て知り尽くした上でレイノを諭す様に笑みを向けた。――神や、それに近しい力を持つ者は皆、こう言った表情(かお)をするのだろうか。どうにも既視感を覚えて、抗えなかった。だからこそ今、ファイの隣に居るのだろう。――そんなファイの脳内にはインフィニティを発つ前、自身しか知り得ない記憶が呼び起こされていた。
久し振りに自身の手に戻って来た故郷の衣服に身を包みながらも、オレはまた隠し事を増やす事にした。肌全てを覆う黒い手袋で文字を描き、それは日本で暮らす侑子へと繋がった。何時も変わらぬ淡々とした表情、それが変わる時は来ないのだろう、と思う。陰の隙間から見えるレイノちゃんの後ろ姿を横目に、オレは一度呼吸を落ち着かせた。
『自らの魔法を使ってまであたしと話したい事は何?』
『魔法はもうたくさん使いましたから。――セレスへ行って何事もなく国を出られるとは思えません。その次の国は、彼らにとって安全な国にして欲しいんです』
『…セレスの次の国、ね。安全といっても、色々な意味があるけれど』
『せめて怪我をしたら治療が出来て、休める世界へ』
貼り付ける様な笑顔はそのままに、オレは侑子さんと向き合った。この人と向き合うのが一番怖かった。――いや、今でも怖いけれど。それでももう、あの人達を不安にさせるにはいかなかった。強大な力を持つ弱いあの子を、泣かせる訳にはいかなかった。そんなオレの気持ちを分かっているからこそ、全てを聞こうとはしないのだろう。
陰の隙間からレイノちゃんの後ろ姿を、今度はちゃんと視界に収めた。細くて小さなあの身体を、感情に任せて嬲った事はまだ、記憶に新しい。――嫌われたかった。でも、嫌ってはくれない事も分かってた。ひどく泣かせて、抵抗なんて出来ないように。それでも優しく包み込んでくれる彼女を、そんなオレの思いを何も聞かずにいてくれたあの子も利用した。――それでもオレは、彼女の、レイノちゃんの隣が欲しかったんだろう。
『対価は…』
『5人の行く末を決めるもの。5人から貰うわ』
『でも、これはオレの願いで…』
『だからこそ、貴方にはチェスの優勝賞品ともうひとつ、対価が必要よ。セレスに行く時、移動魔法を使いなさい』
『……はい』
朝に目が覚めて、隣で心底安心しきった顔で眠るレイノちゃんを見て、泣きそうになった。軽く口付けをして、抱き締めてしまった事はきっとバレていないはずだ。――もう二度と悲しませない、この子を裏切るような事はしない、そう心に決めた。それ故の決断だ。しかしその思考回路は、ぼそりと続いた「足りない分は既に貰ってある」と言う侑子さんの言葉で途切れる事となったのである。
『――え?』
「あの時、あの人が言っていたのは貴方の事だったんですね。――知世姫」
「私達未来を視る者は、先を読む事しか出来ません。だからこそ、少しでも愛する者が幸せな道を歩めるように願う。――出来る事は、とても少ないのですけれど」
「貴方の王のように」――その言葉に、魔力がなくなったファイの金色(こんじき)の片目は大きく見開かれる事となった。――嗚呼、この人はこの事を話したかったのか。だから、飛王の顔、もくろみを知っているわたしとファイさんを呼んだのだ。実際に知っていたのは「ソールの生みの親」なのだけれど。
「…アシュラ王をご存知なんですね」
「夢は繋がっています。その夢で先を視られる夢見もまた、その夢の中でお互いの存在を知る事が出来る」
「王は夢で未来を知っていたんですか」
「王は先を視、少しでも貴方に救いの道はないか、探し続けていました。壊れていく中で」
けれど、先を変えるのはとても難しい事だ、と知世は言う。まるで水面(みなも)に描かれる波紋(あや)のように、未来はほんの少しの言葉や動き、心で道筋を変えて行くのだ。そして、きっとそれはフレイも同じだった。さまざまなものから楽しさや幸せを感じる事が出来るよう、たくさんのものに触れさせてくれた。一人でも生きて行けるように料理や人との関わり方は全て教えてくれていた。それら一連の行動の善し悪しは分からない。それでも、それらの積み重ねがあって今のレイノがある事は明白だ。
「サクラ姫も、それを知っていたからこそ、貴方達に何も告げられなかったのでしょう」
「…王の行動や色々な事は、理に適っているとは思いがたい事が幾つもあります。それはやはり…」
「その理が崩れてきているのです。――飛王・リードの、夢の為に」
知世のその言葉に、レイノとファイはきゅ、と目元に力を込めた。それは近くて遠い、限りない真実なのである。しかし、飛王が望むのはその理を壊す事こそが望みなのだろう。――飛王の望みは誰しもが願うこと、けれどそれは、誰にも覆せない理でもあるのだ。そして、その望みはレイノとファイの望みだったものと同じだった。
――死んだ者を生き返らせる――この望みを持つ事は禁忌だ。持ってはいけない、望んではいけないものだ。けれど、リスクを負っても会いたい人が居る。そんな強い思いが理を崩しているのは事実だった。そんな事実に直面した三人の間に流れる空気は、少し冷たい。この場を冷たくしたのが知世の言葉ならば、その空気を再び動かすのもまた、彼女のそれだった。
「――その事に一番最初に気付いたのはレイノさん…いえ、ソールさんの生みの親、フレイでした。そして、自身の強大な魔力が利用される事にも、きっと」
「…だから、ソールに次元を渡らせたんですね」
「……知っていたんですか?」
「『わたし』じゃなかったら、気付かなかったと思います。あの人の力がないわたしだから、知れた」
皮肉ですよね、そう付け足してレイノは痛々しくも笑みを浮かべた。――悲しい、のだろうか。一番近くに居た時には気付けなくて、離れていても守られていた事さえ気付く事は叶わず。何が起こったのかも分からないまま記憶を消されたソールは、もう一人の「わたし」であるはずなのにひどく哀れに思えた。けれど、風の様に過ぎ去った記憶だとしても、それがソールの全てだった。わたしがファイさんを大切に想うのと同じように、フレイさんへの思いがソールを作っていたんだろう。――そして、その思いはわたしの中にある。そんな事実に気付いたと同時に、知世はレイノの手を両手で包み込んだ。
「…レイノさんの中にも、きっと彼はいます」
「え…?」
「貴女の中にも彼の魔力、夢見の力がある。貴女の中にソールさんの心が宿っている事がその証拠です。ソールさんだけじゃない、レイノさんも、フレイを象る全てなんです。――だから、大丈夫」
ちがうよ、殺そうとしたんだよ。わたしを、わたしを創り上げたあの人が、殺そうとしたの。でも、最期のあの笑顔が脳裏に張り付いて離れない。それはきっと、ファイさんも分かってる。だから今、こうやって、ひどく優しい顔で、優しい手付きで、わたしの髪を撫でてるんだろう。――知世姫の笑顔を見ていると、ソールの思いを考えると、心が温かくなる。いつもと変わらないファイさんの優しさにふれると、どうしても、視界が潤んで、どうしても、信じたくなってしまう。――最期のルドベキアの雨は、きっとわたしに手向けられた激励だった。
その事実に辿り着いた時、レイノらの視界は光に包まれたのである。何か大きな力、それが知世の目の前に現れた。その光に視線を奪われながらも知世を庇う様に前へ出ると、サクラの羽根が結界内の空間を捻じ曲げている事が分かる。星史郎の手中にあるそれはひと際大きく光を放ち、その手から離れた。――そして、その瞬間を逃す『小狼』ではない。使い古した剣を片手に、傷だらけになりながらもそれに手を伸ばす。その瞬間、サクラの羽根からは黒い幕が現れ、それは『小狼』の身体を雁字搦めにした。
「小狼君!」
「――戻って来る、サクラ姫と一緒に!」
その黒い幕が御神木である桜に触れた瞬間、それの枝はみるみるうちに伸び、それさえも『小狼』の身体に巻き付いたのである。――この中へ誘(いざな)う様に、彼の動きを抑える枝の成長は止まる事を知らない。そんな彼の名をファイは叫ぶが、『小狼』は何時もと変わらぬ強い瞳を携えて、御神木の中に吸い込まれて行ったのである。
「サクラちゃんと…?」
「…この樹、御神木ですよね」
「…そうか。あの羽根は、仮想空間である桜都国を現実化させたもの」
「そして、この神木が夢の入り口となったのでしょう」
「夢の中にいる姫の魂を連れ戻すつもりか」
サクラの羽根と共に『小狼』が居なくなってしまえば、その場はまるで何もなかったかの様に静まり返った。地面に落ち行く桜だけが、先程の喧騒を表している。余りに早い物事の移り変わりに眉を顰めた黒鋼は、知世に声を荒げた。そんな黒鋼とは打って変わって、冷静な知世が紡いだ「夢の中」と言う言葉は、きっと『小狼』の最後の言葉を信じた故のそれである。そして、それはレイノも同じ事だった。――その言葉を信じ、今はただ待つ事しか出来ないのだ。
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