episode 163
砂漠の国

 侑子の声とモコナの魔力に促され、レイノらは玖楼国へと降り立った。巨大化したモコナの羽の隙間から見える風景に奇妙な既視感を覚えつつも、レイノは柔らかな砂を踏み締める。ここに、――わたしの創造主と幼馴染たちを殺し、黒鋼の両親を殺させた――飛王が居る。そう考えただけで黒い感情が込み上げて来る気がした。それを心の奥底に押し込めながら、レイノはそっと瞳を開ける。その瞬間にモコナの羽の原型は崩れ、モコナは気を失ったかの様に空中から落ちたのだ。


「モコナ!」
「限界まで魔力を使ったんだね」
「大丈夫か」
『平気…出来る事、頑張るんだもん』

 モコナの肌の表面には僅かながらも脂汗が滲んでおり、それだけで彼女の苦しさが身に染みる。苦しげに目元に皺を寄せながら『小狼』の手に抱かれ、どうやら少し落ち着いた様だ。そんな彼女に、レイノと手の平を触れさせた。触れた箇所には淡い桃色の光が灯り、少しずつモコナに気力を与えて行く。その状況が続けば続くほど、モコナの表情筋は何時もの調子を取り戻していた。レイノの行為だと気付いた瞬間、モコナのそれはゆるりと弧を描き、それに釣られてレイノも思わず頬を緩める。


『レイノの、魔力…』
「大丈夫?気持ち悪くない?少しでもマシになれば良いんだけど…」
『すごく、あったかい。大丈夫、ありがと』
「…良かった。――玖楼国、着いたよ。モコナのおかげ、ね。『小狼』」
「ああ」

 モコナの体内に注がれる、レイノの太陽の魔力は酷く温かかった。確かにレイノの存在を感じるのに、侑子の魔力の邪魔をしない。混じり合うのではなく、ただ、包み込む。そんな感覚がして、酷く、心地が好かった。これがレイノの強さであり優しさであるのだと、モコナは微睡む様に感じ入る。そんな中で響く『小狼』の声音は緩やかなほど静かで、そんな彼は、ただ玖楼国の遺跡を見据えていた。その後ろには、城を中心とした建造物が聳え立っている。レイノらを迎え入れる様に備え付けられている門は羽根をモチーフにしている様で、こんな所でもこの国の姫君を感じた。


「この門の向こうだよね」
「居住区があって、城はその先だ」
『でも、『切り取られた時間』ってどういう意味なのかな』
「分からない。時間が止まってるという事なのか、それとも…」
「どうなっていようが、目指すものはこの向こうにある」
「――行こう」

 小さな砂嵐の音を耳にしながら、レイノらは居住区へと繋がる階段を、一段一段踏み締めた。外観には特に異常らしきものは見当たらず、ファイと黒鋼、モコナは初めて目にする玖楼国をただただ見上げるばかりである。青空が広がり太陽の光が降り注ぐ中、この世界はレイノらを迎え入れてくれている気がした。そんな根拠のない気持ちに背中を押され、『小狼』は最後の一歩を踏み出す。――そこに広がった光景は『小狼』が知る玖楼国と変わりは無く、平和な城下町そのものだったのだ。
 『小狼』がきょろきょろ、と辺りを見渡してもこの風景が変化する様子は無い。寧ろ、活気のある玖楼国を再認識する事に終わったのだ。――そんな『小狼』とぶつかる様にして、林檎の籠を持った少年が近付く。成熟しきっていない腕は短く細く、『小狼』が手を添えるだけで簡単に支える事が出来た。そして、見せた笑顔も愛くるしいそれである。


「ありがとう、お兄ちゃん!旅のひと?」
「……ああ」
「ほんとにありがと!玖楼国はいいとこだよ!」
「……特に争い事もなく、楽しそうだよね」
「……どうなってんだ」
「城下の人達は特に異変は感じてないのか」
『サクラ、どこにいるのかな』

 そんなモコナの一言を区切りとして、レイノらは居住区を軽く散策する事になった。サクラの身を案じれば、何時もの旅路の様に緩やかな足取りではいけない。しかし人が絶えぬこの場所は、『小狼』にとっては確かに懐かしさを感じる場所なのだ。――所々で視線を行き交わし、朧気になった記憶を呼び覚まして行く。それは『小狼』だけではなかった。奇妙な既視感は気のせいではなかったらしい。この国そのものではないけれど、聳え立つ二本の遺跡と、それを押さえ付ける様に広がる砂漠には見覚えがあった。

 ――きっとわたしは、それを毎日のように見ていたはずなんだ。


「――お兄ちゃん!さっきはありがとう。お店の品物、落とさずにすんだよ!」
「いや…」
「本当に有難うございます。この子、慌て者で」

 そんなレイノの思考も、空気に良く響く少年の声によって途切れる事となった。どうやらとある一角の青果店の息子であるらしい。『小狼』の事を「お兄ちゃん」と慕う少年は無害な、何処にでも居る様なそれである。しかし、油断が出来ないのが実情だ。ヘリオポリス国でも国民に扮した飛王の分身が居た、と言う経験をしているため、ファイは黒鋼以上に現状に警戒を抱いていた。そんなファイと黒鋼は流れる様な動作でレイノの横、『小狼』の背後に立ち位置を変えたのだ。


「その恰好、異国の人かい?」
「はい。今、着いたばかりで。玖楼国に」
「なんだか4人とも随分違った服だね。それぞれ別の国から来たのかい?」
「産まれた国は違うんですが、今は一緒に旅しています」
「いいねぇ」
「一人旅もいいが、やっぱり誰かと一緒はいい」
「…そうですね」

 レイノらに声を掛けた玖楼国民の言葉は、きっと何気ないものだった。長い目で見れば、長命であるファイにとっても同じ様なものだろう。しかしその言葉を聞き流すには、ファイはあまりに色々なものを知りすぎた。その言葉が示す先がどれだけ尊いものか、愛おしいものか、ファイは既に知ってしまったのだ。そんな思いが溢れ出たファイの表情は酷く柔く、レイノの視線を集めるには充分だった。――だめだめ。何をときめいてるんだわたしは。サクラちゃんを見つける。サクラちゃんを取り返す。故郷に帰る!そんな事を思いこもうとしても、どきどきは止まらなかった。ああもうほんとにばか、その後にかけられた声にびっくりしちゃって絶対笑われてる。


「――そこの小さな女の子も一緒なのかい?」
「そ、そうなんです。彼とは昔馴染みで」
「気心の知れた人との旅も楽しいだろうねえ」
「…はい。幸せです」
「ゆっくりしていくといい。祭りも近いしね」
「――祭り?」
「おう。あの遺跡でな」

 隣から、微かに堪え切れない笑みが聞こえる。――ああもう、だから言った!恐る恐ると言った様子で掛けられた声に、レイノは肯定を示す。すると微笑ましい、と言いたげに双眸を細めるものだから、その幸福感を否定する事は出来なかった。するりと彼女の指先を絡め取り、それを軽く握り締める。それと同時に話題は変わり、玖楼国民の一人は夕陽に反射する二つの遺跡を指差した。そこはかつて、さくらの魔力が暴発し、全てが始まった場所である。


「宿はもう決めたのかい?」
「いえ、まだ」
「だったらうちに来て!」
「そうですね。是非」
「いや、でも」
「そうすりゃいい。旅の途中なら金も必要だろ」
「それに、この国、夜はすっごく寒いよ。外で寝るなんて無理だよ」

 話は二転三転とし、レイノらの寝床の話となった。この世界に来ると決めたものの気持ちばかりが先走り、食事や寝床の事までは頭になかったのである。それを自ら探すまでもなく、あちら側から提案してくれるのは大変有り難かった。――そんな事を考えていると、ふとファイは『小狼』の耳元に顔を寄せていた。そんな『小狼』曰く、「眠れる場所は確保しておいたほうがいい」らしい。また、現在のレイノらには圧倒的に情報が足りない。それを補う為にも最低限の時間は必要だろう。彼女らは互いに視線を合わせ、そう結論付けた。


「…もう、陽が暮れる」




 陽も暮れて夜も深まった頃、確かに玖楼国の気温はぐん、と下がった。常に何処かで小さな砂嵐が起こっているため、その風が居住区を通り、城まで届くのだ。きちんと防寒をしていないと、一気に身体中に冷えが回ってしまいそうな程である。そのため、玖楼国の住居は通路一つでも剥き出しにはなっておらず、外からの砂嵐を逃す様にドーム状になっている。そんな家に備え付けられた円形の窓からは、温かな光が漏れていた。


『ごちそうさま。おいしかったよ』
「お母さん、お料理上手なんだね」
「うん!母さんのパーユもね、美味しいんだよ」
『パーユってなぁに?』
「中にね、市場で売ってるうちのリンゴが入ってるの」
「美味しそうだね。楽しみにしてる!」
「いっぱい食べてね!」

 食後のコーヒーを頂いている瞬間も、黒鋼は一つ一つの言動を見逃さないが特に異常は見られない。彼に監視されているとは知らず、食事と寝床を用意してくれた少年はレイノらとの雑談を楽しんでいた。そんな少年が差し出した「パーユ」と言う食べ物に、彼女はそっと手を伸ばす。具材を挟み込んだパイやサンドイッチの様な物だろうか。角切りにされた林檎は、しゃりしゃりとした食感を思い浮かばせる。その横で林檎を手渡された『小狼』の双眸は緩く見開かれており、少しだけ、緊張感が解れた気がした。――懐かしい、さくらの記憶が蘇った、気がした。


「さ、お疲れでしょう。ゆっくりお休みになって下さい」
「有難う」
「――食事時に聞いてみたけど、特に変わった事は最近なかったみたいだね」
「野郎は気付かれねぇように動いてるって事か」
「…『小狼』、明日の予定は?」
「…明日は遺跡に行こうと思う。すべての始まりだから」

 カーテンの向こうから現れた少年の母に促され、レイノらはその場から立ち上がる。レイノは肩に掛けていたローブを脱ぎ去り、ファイの隣へと駆け寄った。流れる様な動作でレイノのローブを抱えたファイの紳士的な行動はさすがだと思う。気取らないそれに僅かながら口角を緩ませつつも、レイノは『小狼』の様子を覗き込む。――林檎を掴む手の力を強めた『小狼』の脳裏には、無垢な笑みを向けるサクラが浮かんでいた。




 陽が昇った事を知らせてくれる鳥の鳴き声は酷く爽やかだ。太陽の光と反射して、居住区全体が眩く輝いている。そんな光が円形の窓から降り注げば、レイノはその眩しさにのそりと身体を起こした。僅かな違和感を抱きつつも、彼女は短くなった髪を軽く梳かし、与えられた部屋を退出する。丁度その場で鉢合わせたファイと挨拶を交わし、リビングへと歩を進める。――しかし、そこには人の気配が一つもなかった。それに加えて昨日あれだけ言っていたパーユでさえ用意されていなかったのである。


「――太陽」
「…レイノちゃん?」
「もしかして…」
「ちょ、レイノちゃん?」

 起床時、窓から差し込む太陽の光を見た時に感じた違和感を、レイノは何故か今思い出した。鎖骨の下辺りが悶々と暴れ出し、それから逃げる様にふと、隣に備え付けられた窓に視線を移動させる。――太陽、が、高い。わたしの魔力は太陽の属性を持っているから、同じものに対して、妙な勘が働くらしい。どうして気づかなかったんだろう。どうして一度も寒さで目が覚めなかったんだろう。どうして死んだように眠っていたんだろう。

 どうして、こんなにも太陽が高い?


「――ありがとう、お兄ちゃん!旅のひと?」
「……ああ」
「ほんとにありがと!玖楼国はいいとこだよ!」
「――え!?」

 ファイの戸惑う声も聞かず、レイノは『小狼』に倣って家を飛び出した。視界に襲い掛かる太陽の光は、朝のものにしてはあまりに刺々しい。――あの黒鋼が、動き始めた人の気配に気付かない訳がない――そんな考えが、レイノの中では決定打だった。そんな時に響いた、あまりに既視感を覚える言葉に彼女は思わず振り返ると、そこには林檎の籠を抱えた少年が笑みを浮かべている。昨日と寸分違わず、彼から紡がれる言葉に『小狼』は琥珀の瞳を大きく見開かせた。そしてその反応を見せたのは、決して『小狼』だけではないのである。

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