episode 164
リピート・スイートタイム
「…なんだ、今のは」
聞き間違える筈もなかった、昨日聞いたばかりの言葉に黒鋼は眉を顰める。そんな彼と同じ様な不信感を抱いているのはレイノらだけらしく、それを紡いだ当人は何食わぬ顔で店先へと駆けて行った。問い詰めたい気持ちを押し殺して昨日と同じ様に城下町を探索するが、彼女らの頭から先刻の情景が消える事は無い。寧ろ、時間が経てば経つほど脳内に刻み付けられている様な気がした。そんな時に『小狼』へと声を掛けるのは、やはり昨日と同様、青果店の息子である少年だ。
「さっきはありがとう。お店の品物、落とさずにすんだよ!」
「本当に有難うございます。この子、慌て者で」
声色や声音、身振り手振りや表情まで一寸違わず生身の筈だ。しかし、それら全てが昨日の記憶と一切違いがない、と言うのはどんな絡繰りだと言うのだろう。たった一つ異なるのは『小狼』が言葉を発するか発さないか、ただそれだけである。むくむく、と湧き上がる不信感を抱いたまま玖楼国民を見つめるが、どれだけ神経を研ぎ澄ませても殺気は感じられなかった。そんな『小狼』と隣に立つレイノを守る様に、ファイは身を乗り出す。その背後を守る黒鋼は昨日と違い、明確に銀竜に指を添えた。
「その恰好、異国の人かい?」
「なんだか4人とも随分違った服だね。それぞれ別の国から来たのかい?」
「いいねぇ」
『――あの子だけじゃない。みんな昨日と同じ事ずっと話してる』
「そこの小さな女の子も一緒なのかい?」
「あ、あの…」
「気心の知れた人との旅も楽しいだろうねえ」
「ゆっくりしていくといい。祭りも近いしね」
「祭りは遺跡で…?」
「おう。あの遺跡でな」
――おかしい、おかしいよ。モコナの言った通りだ。昨日も同じ事を聞かれたし、わたし達はその質問にちゃんと答えた。でも、今日は答えてない。なのに、ピッフル国で見たドラマみたいに、まるで台本が決まっているかのように会話が進んで行く。今日、わたしは『小狼』と昔馴染みだと話していない。なのに、どうして「気心の知れた人」なんて言葉が出て来るんだろう。前から話し掛けて来る男性もまた、寸分違わず昨日と同じ言葉だった。その男性が指差す遺跡の背後には、真っ赤な夕陽が顔を覗かせている。タイムスリップをしたかの様に、レイノらは再び青果店へと足を踏み入れる事になったのだ。
昨日とは打って変わり、ファイはレイノの手を離しはしなかった。それどころか、周りのもの全てを警戒する様に双眸を
金色に輝かせている。力強く握り締めて、離しはしない意志が読み取れた。そして陽は暮れ、辺りは再び闇に包まれる。妙に早い夜だった。
『……ごちそう…さま』
「母さんのパーユもね、美味しいんだよ」
『パーユって…』
「中にね、市場で売ってるうちのリンゴが入ってるの」
『だよね……あのね、それ昨日も』
振る舞われた料理も昨日と全く同じ物だった。残り物と言った様子でもなく、出来上がったばかりなのか湯気が立っている物ばかりだ。旅路の中で、何時の間にか料理担当になっていたファイが言うのだから間違いは無いのだろう。食後に見せられた林檎のパーユも作り置きなどではなく、出来上がったばかりの物を籠に詰めている様子が見て取れる。それを言及しようとモコナは口を開くが、聞こえていないのか聞く気がないのか、聞いたら何かが崩れそうなのか、少年は『小狼』に笑みを浮かべながら林檎を差し出した。――昨日みたいに「楽しみにしてる」だなんて言えなかった。
その後に案内された部屋で、レイノらは漸く「時間が繰り返されている」と結論を出した。しかしそれは一日すべてではなく、夕方から夜までの数時間だ、と『小狼』は言う。そして、これが飛王の策である可能性は非常に高い。そんなファイの一言に瞼を震わせたレイノらは、もう警戒心を緩める事はしないのだろう。しかし、今できる事は何もない。そのため、今日は大人しく眠り、明日も同じ時間を繰り返すのか確認する事になったのだ。
「……昨日と違って、小僧と部屋を分けた理由はなんだ」
その問いに対する答えを求めるのは、己に対して背を向ける、随分と雰囲気を変えたファイである。ファイは二の腕まである手袋を外しながらこちらを振り返り、ゆるりと笑みを浮かべた。全てを見透かした様なそれが嫌いだった筈なのに、今はただ居心地が悪いだけだ。そんな黒鋼に謙虚になる事は無く、無造作にマントを捲り上げる。露わになった身体と義手の結合部分からは、だらだらと止め処なく血が流れ出ていた。
魔力の代用品として吸血鬼の血で生かされているファイは、鉄臭い血の匂いに聡い身体となっていた。それに加え、幾ら夜は寒いと言っても砂漠の国だ。纏わり付く様な暑さに変わりは無い。それにも関わらず暑苦しいマントも防具も外さないのは、あまりに矛盾していた。どうやら「表情を隠す為」と言うファイの言葉は図星であったらしい。微かに揺れる深紅の瞳は、明確にそれを表していた。しかし、頑なに痛みは認めず、それに苛立つファイの語尾は乱暴になって行く。だがそれも全ては『小狼』の願いのため、と宣えば、黒鋼は舌打ちを響かせながら漸く肯定を示したのである。その瞬間に鈍く響いた音は、恐らく家中に響いた事だろう。
「痛いなら最初からそう言え、馬鹿」
「ってっめ!」
「一緒にいたら隠しきれない事のほうが多い。後で知ったら、小狼君もモコナももっと辛い」
「……おまえが言うか」
「オレだから言うんだよ」
あの細身な身体の何処からこれ程の力が湧いて来るのだろうか。そんな純粋な疑問を抱きつつも、この痛みに耐えるには声を荒げるしかなかった。思わず浮かんだ涙は生理的なものであると信じたい。――秘密主義を、まさかこいつに諭される日が来るとは思いもしていなかった。なにがこいつを変えたのか、それに気づかねえほど鈍くは無い。きっと、この場にはいないあのちっせえ女だろ。急に柔らかくなった声に目を向けると、これはまたふわふわした笑顔を浮かべる男がいた。こんな顔をされちゃ苛立ちも湧かねえし、毒気も抜かれるっつうもんだ。思わず溜め息を吐き出した時、リビングと部屋を仕切るカーテンが揺れる。
「…お話、終わった?」
「終わったよ。ありがと、レイノちゃん」
「すごい音聞こえたんだけど…」
「この魔術師が凶暴化しただけだ」
「だって黒んぷがー、オレの真似して秘密主義なんかになるからー」
「気色わりい喋り方止めろ」
カーテンを揺らした正体はレイノだった。そしてファイはその正体を知っていた様で、驚く事もせずににこり、と笑みを浮かべる。何処か取り繕う様なそれに、彼の中にも「見栄」と言うものが存在している事を初めて知った。そんな彼は、再び誤魔化す様に間延びした、懐かしい口調で言葉を紡ぐ。――「東京」以前は当たり前だった光景がここにある。笑いながらも、わたしは泣きそうだった。ここにあの子が、サクラちゃんがいてくれたら良かったのに。少し寒さを感じて、レザー素材のジャケットを擦り付けた。それに気づいたファイさんと黒鋼は二人同時に息を吐き出す。やっぱりこの二人は似ているのかもしれない。
「――夜も遅いしそろそろ寝よっか」
「そうだな。お前は身体ちっせえし、すぐ風邪引きそうだからな」
「小ささは関係ないでしょ!」
「黒ぷーは安静にするように!」
「……黒鋼、ほんと、無理しちゃだめだからね」
「分かったからさっさと行け」
この家の人から事前に貰っていた薄手のローブをレイノの肩に掛け、ファイはその小さな身体を押した。それに便乗する様にからかえば怒る事は、何年も続く旅路で理解した事だ。そして、どうしたって本音が隠せないのも彼女の特徴だった。短くなった茶髪をふわふわと靡かせて、大きな桃色の瞳で覗き見る。あまりに幼い筈なのに、その姿に庇護欲を煽られる様になったのは何時からだったか。それでも、彼女は黒鋼のものではない。気が遠くなる程の時間を恋慕に費やし、漸く手に入れたファイのものだ。苛立ちなんて湧く筈もない、入る隙間なんてないのだから。しかし、微かな喪失感があるのもうそじゃない。
「…………あー、くそ」
――それでもあの時、無理矢理お前を奪わなくて本当に良かった。
レイノを部屋へと送り届けたファイは、何故か今、ベッドの上で彼女の身体を強く抱き締めている。細身な上に長い四肢は彼女の全身を絡め取り、自由を与えてはくれない。最初は疑問しか浮かばなかったが、この状態が数分も続けば諦めもつく、と言うものである。そっと背中に腕を回すと、気を良くした彼はちゅ、ちゅ、と首筋に何度も口付けを落とした。――擽ったい感覚が、むずむずする。――そんな感覚を誤魔化す様に、レイノはファイの頬に唇を触れさせる。その直後に間違えた、と思うも時間は待ってはくれなかった。
「……もー、こんな所で腰振らさないでくれる?」
「さ、誘ってないじゃん!」
「ほんとそう言うところだからね。だから、黒さまも…」
「――ちがうよ」
「ちがう、って、何が…」
「わたしがすきなのはファイ、だもん」
あまりにあけすけなファイの言葉に顔を赤くするも、離れる事はしないのだからタチが悪い。きっとこの場で始めてしまっても、何だかんだで受け入れるのだろう。あまりに従順で、快楽に弱いのも考えものである。そんな彼だから、考えなくても良い事を考え込み、それをレイノに押し付けてしまうのだ。それを全て受け入れ、顔を真っ赤にしながらも彼女は頬を擦り寄せる。――ああ、跡を残すくらいなら許されるかな。こう言う時のファイの行動力はめざましい。
「……ン、オレの事すきなんだもんね」
「う、ん、ッぁ…」
ジャケットのファスナーを下げ、そこに舌を這わせる。口付けては時折吸い付くと、レイノの身体はひくりと震えた。かぷ、とその箇所を甘く噛み、ちらりと彼女の様子を窺う。とろりと蕩けた桃色の双眸は、何時見ても色っぽい。それとは正反対のたどたどしい声色は、ファイの色欲を煽った。しかし、我慢しなければ。ここを何処だと思っている。なんの為にここに来たと思っている。この二つが、彼の理性を必死に保っていた。彼女の身体から力が抜けたところでふと、胸の上辺りを強く吸い付く。ぴくん、と跳ねた腰を確認して唇を離せば、そこには赤い所有印が刻まれていた。
「な、なに、もう…」
「ふふ、えっちな気分になっちゃったんでしょ。かあわいいなあ」
「な、何も言ってないでしょ!」
「――ほら、明日も早いよ。寝ようね」
「…うん」
漸く吐き出した吐息は仄かに熱く、僅かに色欲が孕んでいる気がした。しかし、それを深めてしまえばファイの理性はぽっきりと折れてしまう筈である。だからからかう様に声音を甘く変え、頬への口付けだけに留めた。照れたレイノを見れただけで、それだけで満たされた気がするのだからもう良いのだ。ベッドの下部に押しやられた毛布を手に取り、それを彼女の身体に掛けてやる。ひんやりとした布が、寧ろ心地好かった。――部屋を出ようとするオレに対して、レイノちゃんはふと声をかける。
「――また明日、ね」
そう言って浮かべた笑顔を守る為なら、きっとオレは、傷だらけにもなるんだろうな。
翌日、レイノは酷くすっきりした気持ちで起きる事が出来た。凝り固まった身体を思い切り伸ばし、背丈の高いテーブルに置かれたジャケットを羽織る。その時、ふと視界に入った太陽の位置はやはり高かった。爽やかな声を上げる鳥たちも、きっと起きたばかりではない筈だ。何処かぞくりとした感覚を覚えながら、彼女はこの部屋とリビングを仕切るカーテンを揺らがせる。そこには既にファイらが集まっていた。
『おはよ、レイノ!ねえ、昨日、急に眠くならなかった?』
「モコナも?」
『うん。全然記憶がなくて…』
ファイや黒鋼、『小狼』の反応を見る限り、彼らも同じ様な状況に陥っていたらしい。もちろん、魔力生命体であるモコナも「人間」と言う枠の外に居るレイノも例外ではない。昨夜に確認する、とは言ったが、正直「やっぱり」と言う気持ちがある事は否めない。寧ろ、昨日の違和感からこうなる事は薄々分かっていた様に思う。――『小狼』が何気なく住居の扉を開けた。そこにはありふれた日常が流れ、確かに平和な玖楼国が存在している。しかし、何処か物足りなさを感じるのは気のせいだろうか。
『小狼』の予想通り、この世界の玖楼国では夕方から夜までの、ある一定の時間だけが繰り返されている。そのため、太陽の位置が高かったのだ。そして、その間の行動、交わされる会話までもが事前に定められている。切り取られたこの空間で生き抜く為に、この世界の人々は無意識にそれを行っていた。――それを証明するかの様に、林檎の籠を持った少年が『小狼』に近付く。それを支え浮かべられる笑顔、紡がれる言葉、その間に行われる仕草まで、既視感のあるものばかりだった。その一連の出来事を眺めた『小狼』が口を開く。
「飛王の策だとして、この人達にずっと同じ事をさせているのだとしたら…」
それはとても、とても空しい事の様に思えた。
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