episode 165
溶け出す慈悲
『この人達の時間はずっと進まないって事…だよね。――いつまで経っても明日が来ないなんて、それって、なんだか…凄く悲しいよ』
「――お兄ちゃん!さっきはありがとう。お店の品物落とさずにすんだよ!」
「――本当に有難うございます。この子、慌て者で」
代わり映えのしない日常と言うのは、平穏を求める立場からすれば喉から手が出るほど羨ましいものなのだと思う。しかし真新しいものは何もなく、飽きさえも感じる事は無い。そこには確かに永久的な平穏があるのかもしれないが、それは酷く残酷なものなのではないだろうか。それに気付かぬ人々も、永遠と繰り返される会話も、留まり続ける時間も、レイノにとっては泣きたくなるほど悲しいものだった。――わたし達が口を挟まなくても続く会話を聞いて、何か、嫌な気配がした。
「でもひょっとしたら、時間が進むほうが悲しい事もあるのかもしれない」
「どういう事だ」
「たとえば…進んだ先に…何か起こったのかも」
ファイのその言葉に、『小狼』とモコナは視線をそちらに向けた。――まるで、何度も繰り返し観る映画を垂れ流している様だ。スクリーンを視界に収めたまま、気を逸らす様に言葉を交わす。そう考えてしまえば、この世界に降り立ってから時たま感じる疎外感の理由を説明できる気がした。確かに視界には数多の人間の顔が映り込んで行く筈なのに、通り過ぎた瞬間に記憶からすっぽりと抜け落ちて行く。その感覚は、酷く恐ろしい。自覚して、改めて感じるそれにレイノは眉を顰めた。
「――その格好、異国の人かい?」
「…会話は同じだが、変わってるところがある」
『なぁに?』
「人が減ってる」
『――ほんとだ。最初の時はもうちょっとたくさんいたような気がする』
「…そうだね。人同士の隙間が目立ってる気がする」
偶然にも空いた間を埋める様に、この世界に降り立ってから幾度となく耳にした問いを投げ掛けられる。それに答えず、黒鋼は共通点ではなく、相違点に視点を変えた。注視してみると、まるでそこに人が居る様に、しかし一人で話している人も居る。その表情には笑みが浮かんでおり、違和感を覚えている訳ではなさそうだ。しかし、生憎とレイノらは違和しか感じないのである。
「なんだか4人とも随分違った服だね。それぞれ別の国から来たのかい?――いいねぇ」
「確かに。…この会話の後に「一人旅もいいけど、やっぱり誰かと一緒はいい」と、言ったひとがいない」
「わたしに言って来た言葉もまるっきりなくなってます」
――いま、明確に感じた疎外感に身体が震える。暗に、存在を認めない、と言われているようで。ただ、決められた道筋を示されているようで。ただ、ここにいないはずの男の面影がちらついてひどく気味が悪かった。きっとこの世界の人たちにとって、わたし達の答えだとか意思は必要ないのだと思う。決められた言葉、答え、質問があるからそれを声にするだけなのだと思う。かなしく、とても悲しく思った。けれど、小さなヒントをちらつかせてくれる事も事実だった。
「ゆっくりしていくといい。祭りも近いしね」
「……何の祭りですか」
「――玖楼国のお姫様、桜姫のお誕生日を祝うお祭りだよ!」
国民が告げたその一言で、レイノらは目が醒めた様に大きく
瞳を見開かせた。他人から聞かされる「桜」と言う響きに、改めてさくらはこの世界に生きているのだと悟る。それがどの様な状態でも、生きている。その事実は、レイノらに僅かな希望を抱かせた。きっと、今しかないタイミングである。これを逃してしまえば、一生さくらには近付けないのだろう。
『サクラ姫ってサクラの事!?』
「姫は姫だよ!すっごく可愛いの!」
「本当に愛らしい姫様なんですよ」
「……これは、いつの時代の玖楼国なんだ」
「さくら…姫は、今度の誕生日で何歳になるんですか」
「えっとね!もうすぐの誕生日で、――7歳だよ!」
――「今しかない」、そんな気持ちを持ったのはわたしだけじゃなかった。それを示すように、モコナは声を張り上げる。曖昧な答えしかもらえなかったけれども。その後で教えられたさくらの年齢に、わたしと『小狼』はとある事実に気づいた。きっとそれは同じ事だと思う。ファイさんと黒鋼、モコナは絶対に知る事が出来ない。神の娘であるからこそ知る事が出来た事実。それはきっと、『小狼』を苦しませてしまうものなんだろうけど。
「だったら、この玖楼国は過去なのか」
「確かめるにしてもここじゃ分からないね」
『サクラに会うならお城かな』
「桜姫はお城にいないよ。お誕生日前の、――なんだっけ」
「潔斎よ」
「そう。それで遺跡にいるの」
「…さくら、あの時に…やっぱり…」
行くべき場所は決まった。やるべき事も分かっている。レイノだけが『小狼』の思いを図り知る事が出来る。苦しげに歪む表情も、モコナの問いにも答えられぬ程の焦燥も、予想できた話だ。――あの場にいた、何の力も持たないわたしだからこそ何も言えなかった。けど、さくらがいつも言っていた「絶対大丈夫」を伝えなければいけないと思った。『小狼』のローブを軽く掴み、少し見上げる。緩く笑ってみせると、彼も少しだけ笑った、気がした。
「宿はもう決めたのかい?」
「――だったらうちに来て!」
「そうですね…」
青果店の少年が全く同じ言葉を吐き、それに同調する様に彼の母親が頷く。――と、思われた。少年の母は造形をみるみるうちに崩して行き、僅かにぬめりを孕んだ、小さな水溜まりになる。そしてそれは、乾燥したこの国らしく蒸発し、消えて行ったのだ。それを皮切りに、人間を象っていたものは次々に液体となり、蒸発し、恐らく死んで
行く。そんな恐ろしい現象に見向きもしない少年は、酷く気味が悪かった。
『何!?何なの!?な…なんで急に!?モコナ達、何もしてないよう!!』
「いや、変わったんだ。同じ時間を繰り返していたこの人達の中におれ達が現れて、流れが変わった」
「…モコナ、言ってたでしょ。『小狼』がいなきゃあの子は転んでたかも、って」
『――あ!で、でも、熔けちゃうなんて!!』
「…それで人が減ってたのか」
恐らく、レイノらが知りたいと望み、未来へ進めば進む程この世界の人々は犠牲になっていた筈だ。そう言う意味では、好奇心と言うものは残酷なものなのかもしれない。しかし、この世界の人々を救おうとすればきっと、さくらには一生会えない。その天秤を壊せと、願いの為に残酷であれ、と飛王は『小狼』に言うのだろう。――ギリ、と歯が軋む音がした。ファイさんと黒鋼が言うように、まだ生きてる人も消えてしまった人も幻なんかじゃない、ちゃんと生きている。そうしたのはきっと飛王だ。
『――って事は、モコナ達がここにいて何かする度に、この人達はこうなっちゃうって事!?』
それはまるで「お前も私と一緒だ」と、呪いをかけられている様な気配さえ起こしたのである。
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