episode 168
呪われた世界で生きよう

『レイノ!』

 さくらと友人になってから、三年が経った。それは、小狼と手を組んでからも三年が経っている事を意味する。そんな彼は桃矢、雪兎と共に城下町の巡回に行っているため、不在である。そのため、彼女を警護する人間は、城に常駐する警備兵とレイノに限られるのだ。――そのレイノは現在、城に備え付けられている書斎にて魔術の勉強中なのである。しかし、さくらが来たのでは別問題だ。真っ白なローブをはためかせて、さくらはやって来た。


『どうしたの、さくら』
『今日はね、お勉強が午前中だけだったからレイノと遊ぼうと思って来たんだ、けど…』
『そうなの?ありがとう』
『……でも、忙しそうだよね。ごめんね?』
『…良いんだよ、さくら。遊ぼ』
『……良いの?』
『もちろん』

 朗らかな笑顔を浮かべていたかと思えば、レイノの手元にある魔導書を目にした途端、しゅん、と効果音が響いているのか、と思う程に表情を萎ませた。――相変わらずコロコロと変わる表情だな――心の内でそう呟きながら、レイノはさくらの茶髪を柔く掻き乱した。一度は躊躇いがちに首を傾げるがレイノが再び肯定すれば、飛び跳ねて喜びを表現したのである。そんな様子のさくらを視界に収め、レイノはもう一度笑った。


『レイノ!中庭に行こう!』

 ――ただこの温もりを信じられる世界だったら良かったのに。




『ここのシロツメクサはすごいね。お花畑だ』
『でしょ?小狼とレイノと知り合う前は、休憩時間はいつもここにいたの』
『…そうなの』
『みんな忙しそうだから。草むらさんとかお花さんがいるんだけどね!』

 砂漠に囲まれている国だと言うのに、この国は木々や花々が豊富である。そして、それらが初めて出来た、さくらの友人だった。――本当に不思議な子だ。自然の声が聞ける事は前々から話には聞いていたけれど、魔術を使っている訳ではないらしい。自然を含んだ魂を創り出す、神さながらの所業だ。まるで神に愛された少女、そんな存在。だからこそ呪われてしまったのではないか、とわたしは思う。小狼にはまだ言ってないけど。


『レイノはずっとこの国にいるの?』
『しばらくはそのつもりだけど…どうして?』
『レイノにしか言えないこと、あって』
『わたしだけ?』
『えっとね、その、わたし、小狼のこと…』
『――すきなんだよね?』

 さくらの言葉を待たずに紡がれたそれに、彼女は茹で上がった様に顔を赤く熟れさせた。「えっ、えっ」と何度も言葉をどもらせる姿から、気付かれているとは思ってもいなかったらしい。――分かるに決まってる。――その姿に思わず笑みを零してしまえば、羞恥心に負けてしまったさくらは真っ赤な顔のまま、萎んでしまった。この光景を小狼にでも見られては、耳が痛くなる様なお小言を頂くに違いない。この事は、一生隠しておかなければ。


『な、何で分かったの……?』
『寧ろみんな知ってると思うよ』
『ほ、ほえ…』
『でも、小狼はびっくりするほど気づいてないから安心して良いんじゃない?』
『ほんと!?良かった……』

 さくらの気持ちに、一番最初に尚且つ的確に気付いたのは桃矢だった。彼は自身の妹に関しては、感情の起伏が酷く激しくなるのである。そんな一面に気付いているレイノと雪兎が次に気付き「内緒にしておこう」と共通の認識を持つ事になったのだ。――そんな背景があるとは露知らず、さくらは心底安心した様子で胸を撫で下ろした。鈍く純粋、しかし苛立つ事がまるでないこの少女は、やはり様々なものに愛されている。それは、天性のものと言うに相応しいであろう。


『――そう言えばレイノはそう言う話、全然聞かないね?』
『うーん…勉強で手いっぱいだからなあ……』
『…もし、レイノがすきになるならどんな人?』
『もし?』
『もし』
『……そうだなあ』

 レイノの言った事は嘘ではなかった。魔力はあっても撫子の様に強大な力がある訳でも、さくらの様に神さながらのそれがある訳でもない。平凡な、魔術の才能を見出されただけの、ただの人間だ。そんな存在は、努力をしなければ足手纏いにしかならない。――けれど、仮定の話が許されるなら、何かを愛して、誰かにあいされる未来があるなら、それも一つのしあわせなのかもしれない、と思えた。他人事のようにそんな事を思うわたしは、そんな未来が来る事を知らない。


『――わたしを守ってくれて、わたしに守らせてくれる人、かな』

 「レイノちゃん」とわたしの名前を慈しんでくれる存在がいるなんて、この時のわたしは夢にも思っていないのだから。




『――え?帰る?』
 今日も今日とて快晴、開放的な城の窓からは清々しい程の青空が広がっている。そこに響く小狼の声に、桃矢は渦中の人物を思い出しては呆れた様に目を瞑った。――小狼が再び玖楼国を訪れて三年と半年が経った。それだけの年月を過ごしていれば、レイノとの関係も自然と長くなる。また、彼女の突拍子のなさにも慣れた。その人物が、今回の渦中のそれなのである。しかしそれも彼女個人の都合ではないので、どうにもならない。


『三日間だけな。今は玖楼国に派遣って形で来てくれてるが、随時報告って事で定期的に帰国しなきゃならねえんだけど…』
『……忘れてたと?』

 小狼の核心を突く問い掛けに、桃矢は何を言うでもなく、ただただ頷いた。桃矢が言うには、レイノは一時帰国の必要性を玖楼国側に伝える事を忘れてしまっていたらしい。――あの馬鹿!――そう心の中で叫んだのは、きっと小狼だけではない筈だ。無論、目の前で呆れる桃矢にも当て嵌まる。しかし、外野の人間が何を言ってもレイノは笑って、何だかんだと全てを丸め込んでしまうのだ。


『それをどこからか聞きつけたさくらがあいつの国に行きたい、って聞かなくてな。父上も母上も折れちまって。でも、一人で行かせる訳にはいかねえだろ?』
『それは、そうだろう』
『そこで、ものは相談だ。――お前、さくらの護衛係になるつもりはねえか?』

 桃矢と雪兎も公務に追われ、さくら一人の為に城の警備を薄くする訳にもいかない。その気持ちも理解できるため、小狼は戸惑いつつも桃矢の言葉に同調した。しかし、その後に提案された事柄に、小狼はぱちくり、と何度も瞬きを繰り返す。――レイノの母国。会話の一つとしては聞いていたが、気にならない、と言えばうそになる。いつか行ってみたい、そんな夢を抱いていた事だってあるのだから。


『…………はい?』

 けど、これはあまりにも唐突過ぎやしないだろうか。




 ――来てしまった……。――そう心の中で呟いた小狼は、中つ国なかつのくにの門前に立ち竦んでいた。玖楼国とは異なり、周囲を山で囲まれたこの国は透明感で覆われている。白を基調とした住居が多く、一軒家と数階建てのマンションが半数ずつ聳え立っている様に見えた。衣服はレース調の物が多いらしい。彼と共にやって来たさくらは、初めて見る光景にキラキラ、と瞳を瞬かせている。


『すごーい!真っ白!綺麗だね、小狼!』
『そうだな。隣国なのに、玖楼国とは全然ちがう』
『全然ちがう世界に来ちゃったみたい……』

 さくらのその言葉は、現状を最も的確に表していた。穢れのない、まるで神々が住む神域に足を踏み入れてしまった、そんな現実離れした感覚に襲われる。――そんな中を歩いて行き、小狼とさくらは遥か上空にある城へと近付く事とした。桃矢曰く、そこにレイノが居るらしい。小狼は、周囲を茶化し、天真爛漫な姿を崩さないレイノしか知らない。だから、この場に来れば何時もと異なるレイノが見れるのではないか、と思ったのである。

 あまりに思慮深い相棒であり幼馴染が、どれだけおれ達を思ってくれているのか、その事に大いに泣きたくなった。




 さくらの外見は、隣国の間でも有名らしい。彼女の花の様な笑顔を見た二人の門番兵は、はっとした顔付きも束の間、城内へ通してくれた。――やはり城内も玖楼国のそれとは違うらしい。人の手で作り上げたとは感じさせぬ程の白大理石は、太陽光と反射してキラキラ、と煌めいている。眩しささえ感じ、小狼が思わず瞳を細めては、その足は、ひと際大きな空間へと踏み入れていた。高く、広々とした天井の割には照明の数は少ない。そのお陰か、その空間には落ち着いた雰囲気が広がっている。
 その中にレイノは居た。見た目は何ら変わらない。しかし、見た事のない表情は幾分か温もりが冷えている様に感じた。――だが、一度視界に小狼とさくらの姿を収めてしまえば、見慣れた賑やかな笑顔が姿を現すのである。


『小狼!さくら!』
『レイノ!来ちゃった』
『いらっしゃい。小狼も来てくれてありがとう』
『さくら一人はさすがに危ないからな。……だが、どうしておれを?』

 そう聞いても、レイノは曖昧に笑うだけで何も答えてはくれなかった。――何処か厳かな雰囲気が抜けないその空間から脱出した小狼とさくらは、レイノに連れられて、最上階までやって来た。この城の最上階には、このフロア一帯を贅沢に占拠した、巨大な書斎のみが広がっている。六割は魔導書や歴史書で埋め尽くされているが、残りの四割にはさくらでも楽しめそうな物語集やらで占められていた。


『すっごい広いね!』
『この国の重要書物は全部ここに保管されてるの。……まあ、わたしが買った物の置き場にもなってるんだけど』
『……大丈夫なのか?それ』
『バレたら多分しこたま怒られる』

 オレンジ色の照明が使用された書斎は、先程の冷たい色合いではなく、何処か暖かく感じる。その中でくるくる、と踊る様に舞うさくらは、その身体に呪いを孕んでいるとはとても思えない。これから先の将来、穏やかに歳を重ねて行く事が必然だと、そう思えてやまないのである。――そんなさくらに、控えめながらも手を振り返す。そしてレイノは小狼に対し、淡々と言葉を返した。はあ、と額を押さえる彼の姿はこの際無視である。


『――ここにも『死の刻印』について書かれた書物は無いのか』
『……うん、ごめんね』
『レイノは何も悪くない。寧ろ協力してくれてるだろ、感謝してる』
『でも…』

 レイノの自室ではなく、わざわざ書斎に訪れたのは「死の刻印」が大きな理由だ。――玖楼国にない事は既に分かっている。隣国と言う事から望み薄ではあったが、微かな希望を持ってこの空間に足を踏み入れた。しかし、この国でさえもその手掛かりは無いらしい。そんな脱力感にも気付かず、さくらは書物に目を通している。呪いなんて忘れて、このまま穏やかに生きていて欲しいのに。この時間が有限だと己に言い聞かせる事しか出来なかった。


『……どうしてさくらの力なんだろうね』
『え…?』
『だって、誰も邪魔できない潔斎場を狙ったんでしょ?そんなタイミングを狙ってまで奪いたいさくらの力で何がしたいのかな、って』

 ふと、レイノが口を開く。その問い掛けに、小狼は何も言えなかった。――レイノの瞳は黒く澱んで、その視界にさくらが映る。実際には、その先の「死の刻印」を見ているのだろうが。少しだけ大きく成長してしまったそれは、じわじわとさくらの命を蝕んでいた。思わず桃色の双眸を細めれば、さくらの短い茶髪がふわり、と靡く。優しい温もりを感じる事の出来るこの距離が酷く愛おしかった。しかし、ただ眺めるだけの己が疎ましくて仕方がなかったのである。


『――まあ、地道に調査するしかないよね』
『…そうだな』

 そう言って、レイノは長い茶髪をひと束、耳に掛ける。「調査」と言っても、するべき事が浮かび上がっているかと言うと、それは否である。しかし、その言葉しか小狼を宥めるそれは浮かんで来なかった。ただ、微笑む事しか出来ない己に、律儀にも応えた彼は、酷く苦しげな笑みを浮かべたのだ。――きっと、そんな事は分かってると思うんだよ。でも言葉にしないと、きっと小狼は崩れてしまう。だから、わたしの役目はそれだと思う。小狼が泣かないように、さくらが泣き崩れてしまわないように、わたしはただ笑顔を浮かべた。


『そう言えば、街の人にもらった焼き菓子があるの!食べよ!』
『お前は急に話題を変えるな』
『さくらも食べよ!クッキー!』
『クッキー食べる!』
『話を聞け!』

 失われる命であろうと、精一杯守ろうと心に決めたんだ。


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