episode 172
「つたわったよ」
「…あっちは任せて良いんですよね?」
「手は出さねえ」
「黒んぷ、そう言うところは潔いもんねえ」
「喧嘩売ってんのか」
そんなやり取りを続けながらも、殺気が消え去る事は無い。時折ピリ、と響く魔力はレイノのそれと直結しているし、ファイと黒鋼の視線が飛王から逸らされる事は無かった。そんな時にでもおふざけを忘れない二人に、彼女は少し微笑む。――「黒んぷ」と呼ぶ柔らかな声に安堵さえ感じた。それを言えば、黒鋼はやっぱり怒ってしまうんだろうけど。それさえ、レイノは笑みで突き放す。
「――さて、どうする?見事に囲まれちゃってるけど」
「ぶちのめすに決まってんだろ」
「黒みゅうってば短絡的ぃ」
「ああ"!?」
「でも、分かりやすくて良いですよね」
「てめえ貶してんだろクソガキ」
「まっさか」
周囲を埋め尽くすのは、随分とガラの悪い黒衣の騎士。それらを視界の端に収めつつ、レイノらは雑談にも似た会話を繰り返す。しかし、純粋な殺気は忘れない。相手がこちらから視線を逸らさぬように、こちらも視線を逸らしはしなかった。時折、弾ける様な魔力は彼女の手の平から溢れ出ており、その桃色の雷撃は確かに周囲へと向けられている。その際に浮かんだ笑みは、酷く冷たく思えた。
「――好きだって言ってるの」
それが鶴の一声となったのか、その場には各々の斬撃が広がった。レイノの魔術によって足場を崩したところをファイの伸びた爪先が薙ぎ払う。その二撃を避けたとしても、頭上から容赦なく叩き付けられる刀剣により、全てを失うのだ。――マニュアル的な行動だ。でも、そうじゃない個体も少なからずいる。味方を身代わりに、……いや、味方って概念があるのかすら分からないけど。わざと黒鋼に斬らせて、自分が不意を突く。そこまで手の内を曝け出した訳でもないのに、それは確かに黒鋼の切っ先を見切っていた。そんな黒鋼に見向きもせず、視線と殺気はレイノへと向けられている。その名を呼ぶ隙も与えず、それの剣先は彼女の目前へと迫っていた。
「ッ、避けろ!」
黒鋼のその一声と同時に、レイノは胸を反り、後方へと飛んではその個体と距離を取る。そのまま空中で体勢を立て直した彼女は背後に連なるそれらの肩を踏み場に、手の平から魔力を纏わせた鋭利を弾き出したのである。それは敵の身体に美しく穴を開け、魂を解放させた。思わず短い息を吐き出しつつ盛大に着地をした彼女は、機敏な動きで前を見据える。その瞬間に見えた金属は、確かにファイの命を刈り取らんとしていた。
「――ファイさん!うしろ!」
焦っていたものだから、伝わったのかは分からない。しかし、ふと浮かんだ柔和な笑みは確かにレイノへと向けられていた。その笑みに小さく舌打ちを響かせつつ立ち上がれば、彼女は小さな指先に力を込め、それを前方へと突き出す。その瞬間、肩口にて響いた弾ける様な音は酷く生々しいものであった。――そろり、と視線だけを動かすと、生温かな「紅」が視界の端に映る。どろり、とした液体が肌に触れてしまえば、ファイは漸く笑みを消した。崩れる様な音は、もうどうでも良かった。
「ふ、ファイ、さ…」
「……きたないね、レイノちゃん」
「……ファイさんの、せいですよ」
「そう?ぼうっとしてるからじゃない?――オレ以外の血、かぶらないでよ」
何処か威圧感の感じる表情に背が固まった。何故か、侮蔑の言葉に心臓が騒いだ。それでも、嫌な気分にはならなかった。何処か照れた様子で視線を逸らすも、ファイは甘やかしてはくれない。それどころか、無理難題を押し付けて来る。――暗がりを見せるその色がすきだ。こんな最終局面なのに。サクラちゃんが飛王の手の内にあるのに。さくらが、待ってるのに。前の方で黒鋼が溜め息を
吐いている。ファイさんもそれに気付いて、また、暗がりを含んだ笑みを浮かべた。
その瞬間、背後では雷撃と風撃が激昂し合い、その場で突風が巻き起こった。拮抗していたかのように見えた双方の攻撃も意外と早く、決着は着く。突出した瓦礫へと吹き飛ばされた小狼は、それの破片を被りつつも苦しげに言葉を紡ぎ出した。しかし「さくら」と言うたった三文字の、意味のある名も今の『小狼』には響かない。――再び発動される魔術を後方へと避け、小狼は同様に魔術を繰り出した。だが、どう足搔いても力量不足は否めない。押し潰す様な圧も、逸らされる事のない気も全て、彼以外に向けられる事は無いのだから。耐える様に歯を食い縛り、もう一度、指先に魔力を込める。――頼むから、もう魔法は使わないでくれ。――そんな祈りを込めて『小狼』に火を纏わせるも、それは彼の指先一つで軽くいなされてしまったのである。
「…強くなってる」
「確かに写身である小狼の右目の魔力は、使えば使う程強くなっているな」
「……ファイさんの魔力って、両目で性能が違うんですか?」
「…両目の魔力の源が揃って、オレは初めて魔法を使い続けていられる。――生きれるんだ」
「だから」と言葉を続けようとしたところで、再び飛王は口を開く。――これも全て様々な次元でその力を使い、羽根を奪って来たため。既に魔力だけなら本物を凌ぐだろう。――と。その直後、炎から逃れようと後方へ退いたところを小狼は剣で空を切った。それの反撃として強く斬り込まれると、痺れに耐え兼ねた手が剣を手離す。そして、その隙を見逃す程の温情を『小狼』は持ち合わせていないのだ。胴体を踏み付けられては、先程の様に上体を起こす事も叶わない。
「小狼君!」
ファイの叫びも虚しく、それを無情にも切り捨てる様に飛王は手の平を翳した。すると先程と同様、――否、それよりも幾分か量の増えた敵がレイノらに襲い掛かって来たのである。それらを薙ぎ払う様に斬り捨て、殴り付け、身を貫く。――残酷だと、冷淡だと、消えた良心と言われても良い。お互いの意見がぶつかり合って、そこに優劣があるのならどちらかは消え失せる運命だ。それで何かを守れるなら、これから先の未来で少しでも変わる部分があるのなら、わたしはそれを選ぶと思う。そして、それを選んだ。だから、お願いだから。
もうそれを、どうかそれを奪わないでよ!
「ッ、――小狼!」
「どけぇ!!」
動かない小狼、それに対して弾け飛ぶ血液。冷たい、琥珀の瞳。その「優劣」は、誰が、何処からどう見ても明白であった。もう、敵が絶命しているかなんて見ていない。ただ、早く彼の元へと辿り着きたかった。しかし、それを咎めるのは強く、何よりも温かかった筈の琥珀の視線である。すぐさま姿を見せた蒼の瞳からは再び魔力が漏れ始め、それの矛先はレイノら以外に有り得ない。『小狼』の手の平に現れた球体は急激に巨大化して行き、それを見兼ねたレイノはファイと黒鋼を庇う様に、即座に前方へと立ちはだかったのである。
「そこにいて!」と叫んだレイノちゃんがオレの魔力と対峙する。……いや、もうオレの手には余るものだろうけど。レイノちゃんを象徴する桃色の魔力。名前に入っている宝石のように、少しだけ淡い、ももの色。それを背負う身体はやっぱり小さくて、平均身長を突き抜けたオレらを守る事を手離しに喜ぶ事は出来なかった。けれど微かに見えた、魔法陣を縁取る
金色の細い雷撃。幻覚のように靡いた金髪。その圧は、現実離れした存在感はオレだけが知っている。――すきじゃない、すきになんてなれない。レイノちゃんの存在を霞ませるそんな存在。でも、目を奪われてしまうその美しさに、オレはなぜか、嗤いたくなった。そんな歪んだ気持ちを取り払ってくれたのが、レイノちゃんが血を吐く音なんて、やっぱりオレは良い人間なんかじゃない。
「――レイノちゃん!」
「だ、だいじょうぶ…」
「馬鹿かてめーは!血吐いてんのが分からねえか!?」
「だ、…だって、アレ直撃したら、絶対死ぬ……」
「んな事を言ってるんじゃねーよ!」
片膝を着き、その周囲に血を撒き散らすレイノは、何処からどう見ても重傷だ。先程の魔術をその一身に受けたのだろう。その小柄な身体の何倍にも及ぶそれを受けるなんて、人間の力では到底出来っこないのに。そのせいで溢れ出す神々しい力の源に気付いているのかいないのか、彼女は僅かに青ざめた顔で再び『小狼』を見上げた。その右目は蒼く光を宿し、感情を読み取る事は難しい。
守れるとは思っていない。現に黒鋼の腕の継ぎ接ぎ部分からはたくさんの血が溢れているし、ファイの真っ白な服は土埃と瓦礫ですっかり汚れちゃってる。その後ろにいた敵たちは既に絶命して、天へと召されていた。そんな凄惨な環境に囲まれながらも、わたしの頭の中はさっきの小狼君の
表情でいっぱいになっている。――あの時、あの一瞬。少し緩んだ琥珀と蒼を、わたしは一生忘れない。あの一瞬だけ、わたしは「東京」以前にまで時間を巻き戻してしまっていたと思う。
「しかし、あの魔術師の目は思いの外、役に立ったな。――いや、もう魔術師ではないか」
何処か嘲笑う様な飛王の口振りを耳にすれば、レイノは思わずそちらを睨み付けた。しかし、それさえ嘲笑う彼はまるで己が神にでもなったつもりなのであろうか。そんな「主」を余所に『小狼』は目の前に横たわる、片割れにも似た存在の胸倉を掴み、こちらへと引き寄せる。そしてその耳元に寄せられた唇は良く見れば、僅かに動きを見せていたのである。しかし、その静けさとは裏腹に『小狼』は小狼の身体を酷く雑に扱う。その様子と飛王の言葉に顔を歪ませるファイと黒鋼とは裏腹に、彼女は先程よりも落ち着いた様子でその光景を見つめていた。
レイノの予想通り『小狼』の自我は、決して失われてはいなかった。何事にも「絶対」は無い。その象徴だ。飛王の腹部へと突き刺さった剣先は『小狼』ではない、未だ闘志を燻らせる小狼へと繋がっていた。そこで初めてファイと黒鋼は、瞞着の一部始終を見せられていた事に気付いたのである。
「これは…」
「…小狼君の目的は羽根を取り戻すこと。そして、サクラちゃんを守ること。でも今、サクラちゃんは飛王の手にある。その状況で飛王を全面的に肯定する事は、――絶対にないよ」
「でも、あの距離は、――」
「――傀儡の分際で!」
それは、酷く分かりやすい激昂であった。手の平に魔力を集めた飛王はそこから剣を顕現させ、その切っ先を小狼へと向けては次元の狭間から身を乗り出す。その圧力と怒りに支配された表情に気を取られるも、それよりも先に行動へと移した者が居た。――『小狼』だ。容赦のない剣先はそのまま彼の躯を貫き、そこからは紅い生命の源が大いに溢れ出る。しかし痛みを感じない躯はそれでも彼を突き動かし、切り取られた時間と飛王の次元を繋げるに至ったのだ。その魔術の文字列は留まる事を知らず、飛王の心を表す小さな次元の狭間の形は既にない。
「お…おのれ…っ!!」
激情に身を任せた飛王の剣先は『小狼』の生命の源を垂れ流す。弾け飛ぶそれは明らかに『小狼』の生命線を奪っており、酷く乱雑な扱いはレイノの瞳を見開かせた。飛王は自身の言う「傀儡」がまさか己に牙を向けるとは露程も思っていなかったのか、飛王の額には大粒の冷や汗が浮かんでいる。血に
塗れた剣を右手に、もう片方の手では雷撃を生み出し、それを『小狼』の傷口へと塗りたくろう、と飛王はそれを振り翳した。その行動を見兼ねた小狼は無意識に、しかし明確な目的を以て風を生み出したのである。
「何故…おれを…」
「……続きが、知りたかったからだ」
ぼたり、ぼたり、と。まるで『小狼』の命を、じっくりと刈り取る様に血が垂れ落ちる。少しずつ、少しずつ。水を吐く様に血液を手離す彼は、今や小狼の腕がなければ立つ事もままならない。それでも、生きてると思いたかった。出会って、一緒に居て、そしてどうするか、それを決めるのは己であると信じてみたかった。誰かの為に創られた命だとしても、その生を造るのは自分であると、そして運命の相手であると願いたかった。――だからこそ、その口から聞いてみたかった。あの言葉の続きを。泣かせる事しか出来なかった、だいすきな、おんなのこから。
ぐらり、と揺れた身体はもはや一人で生きられる状況ではなく、小狼に支えられながらゆっくりと倒れ込んだ。すると、淡く輝く右目が小さな蛍石を作り出す。そこからはファイの魔力を感じ取る事が出来た。それに
誘われる様に瓦礫に足を掛けると、レイノは『小狼』の傍らに膝を立てる。その瞳は僅かに潤んでいた。
「小狼君…!」
「レイノ、さ…」
「喋らないでください!傷口が…!」
「また、――」
「え…?」
久し振りに口にした名称に、また泣きたくなった。それでも目の前の少年はレイノの手首を軽く掴み、ぽつり、とその名を呼ぶ。時折声にならないそれに思わず瞳を細めるも、自分の事の様に双眸を潤ませる彼女に、思わず
微笑った。血が付着する事は申し訳ないと思うけれど、どうしても触れたくて。『小狼』は小さく、そして白い手をそっと握った。「また触れる事が出来て、うれしい」と呟いた彼は、別れる前と比べても酷く幼く見えたのである。
「しゃおら、ん、くん」
「ずっと、…ずっと、謝りたかった。たくさん、傷つけてしまって、――ごめんなさい、って」
「傷つくなんて、そんなこと…」
「……ずっと、守ろうとしてくれていた、こと。おれが、ほんものじゃない、から、ですか……?」
「ッ、――ちがう!わたしはそんなこと!絶対…!」
あまりに自己犠牲に溢れた問いを投げ掛けると、レイノは息を詰まらせ、酷く吼えた。あまりに悲しいそれに瞳を潤ませる彼女の一方で、酷く感情を露わにする姿に、小狼は心臓を握り潰された気にさえなったのだ。しかし、その激昂を受けた当の本人はうすらと笑みを浮かべ、彼女から視線を逸らさない。まるで「知ってます」と言わんばかりの笑みに、彼女は桃色の瞳を大きく見開かせた。
「おれも、サクラ、も、貴女のこと、ほんとうの姉、のように、思ってました。……強くて、優しくて、すこし、よわい貴女が、大好き、だった」
「そんな、こと、一度も…!」
「だから、ファイさんと一緒にいて、くれて、…うれしかったんです。ほんとう、に」
「東京」でのおれの豹変とサクラの決意に一番戸惑っていたのは、きっと、貴女だったでしょう。「ほんもの」を知っているから余計に、きっと、すごく悲しんだでしょう。ファイさんの事を諦めようとしていたのも、黒鋼さんの優しさに縋ろうとしていた事も知ってます。サクラの名前を呼べなくなった時、泣きそうな顔だったんだろうな、って。きっと。とても、――とても優しい人だから。誰よりも
人間らしい人だから。誰よりも最初に、おれの弱さに気付いてくれた女の子。ずっと、ずっとありがとうって、言いたかった。でも、おれが
微笑うと貴女は必ず泣く。涙を拭えない事がとても悔しかった。
「サクラに会った、ら、呼んであげて、ください。――サクラちゃん、って」
「しゃおらん、くん」
「……やくそく、です」
そう言うと、レイノさんは項垂れてしまった。大きな涙が落ちて、瓦礫の色が変わる。――もう、何も言ってはくれなかった。でもいつか、レイノさんはうっすらと頷いてくれたと思う。優しい人だ。おれとサクラの事を、とても、とても大事に思ってくれているから。血だらけなおれの手を、力強く握ってくれる。もう、おれも、難しい言葉を言えそうにはなかった。その代わり、掠れて行く意識の中で、皆の、旅の仲間の名前を呼んでみる。きっと近くにいるでしょう。ぐちゃぐちゃにしてしまってごめんなさい。笑顔の絶えないあなた達を泣かせてしまってごめんなさい。もう一度、笑い合えなくてごめんなさい。楽しかった、たのしかった。しあわせだった。
「……ありがと…」
――この気持ち、つたわりましたか?
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