episode 18
好奇心

「起きたか」

 レイノは春香の家で領主に連れ去られた後、息子の手によって気絶させられ、閉じ込められていたのだ。虚ろになった意識の中、だんだんと鮮明になって来るのは暗闇の穴、叫ぶ旅の仲間達、「独りぼっち」と言う現実である。目を瞑って思い出すのは阪神共和国で独り泣いていたのを慰めてくれた人、高麗国で息子に腕を掴まれた時、守ってくれた人、その人の、ファイの笑顔だった。何時も側に居てくれたのはファイだった。本当の自分に一番最初に気付いてくれたのもファイだった。そう考えていた時、頭上から図太い男の声が静かな一室に響き渡る。大きな体付き、妖しい笑み、額には不思議な紋章が浮かんでいる。この人物こそが春香を、蓮姫の民達を苦しめている張本人なのだ。


「ここはどこ」
「城の中だ」
「なぜ、わたしを…」
「お前だろう。わしの息子を追い詰めたのは」

 警戒心を持ったまま目の前の領主を睨み付けるレイノは、ここから動けない。恐らく「牢屋」と呼ばれる場所なのだろう。格子に囲まれるここは、酷く圧迫感があった。目の前のこの男と少し言葉を交わして理解したが、彼はいよいよ性根が腐っているらしい。一応わたし、怪我してるんだけどな。そんな事、目の前の男には関係ないんだろうね。


「…なるほど。で、どうするつもり?」
「これを使って、お前を利用する」
「っ、それは…!」

 そう言って領主が取り出したのはガラスの球に保管されているサクラの羽根だった。やはり、ファイの予想は当たっていたらしい。今すぐにでも知らせれたら良いのだけれど、ここにファイらが来ている事を知らないレイノにはその選択肢は最初から存在していなかった。どんどん逃げ場がなくなって行く様な感覚に冷や汗を掻き、レイノは思わず歯を食い縛る。


「…その力は、どう?」
「何?」
「その力で人の上に立つのは、どう言った気持ち?」
「この力は素晴らしい。これを使えば蓮姫だけではない、この国でさえも…」

 領主はつらつらとサクラの羽根の魅力を話し続けるが、その話の殆どはレイノの耳を通り抜けるだけに終わっていた。そんなレイノは人間の欲の深さに呆れ返るばかりである。人を追い出して、傷付けて、殺して、そんな事に何の意味があるのだろうか。惨めで、情けなくて、汚い。そんな、顔に影を落としていた時に囁かれた言葉は、レイノを酷く陥れるものだった。


「お前も使ってみるか、この力を」
「は…」
「一人はいるだろう?会いたいと思う者が」
「っ…まさ、か」
「もう二度と会えぬ者に会いたいと、そうは思わないのか?」

 差し出されたのはサクラの羽根だった。目の前に広がる光は希望を指し示すそれで、欲に目が眩まなかった、と言えば嘘になる。けれど、手を伸ばそうとはしなかった。それは心の奥では分かっていたからだ。どれだけ強大な力を持ってしても、死者に会える事は無い、と。分かっているのに、分かっていたはずなのに、なぜわたしはあの人に付いて行くのだろうか。嗚呼、そうか。

 見たいんだ。理が、崩れる所が。


「い、らない」
「…何?」
「っ…いやだ。いらない、会いたくない」
「…ならば」
「何を…」
「少しの間、心を抜き取るだけだ」

 領主は手の平に妖しい気を漂わせる石を弾きながらレイノに近付き、彼女の目線に合わせる様にしゃがみ込む。心を抜き取られる。それは即ち操られる、洗脳と言う意味を孕んでいた。彼女の体は金縛りにあった様に動かず、言葉も発せられない為、拒む事も間々ならない。妖しい気を漂わせた石の首輪を取り付けた途端、彼女の血の中に太陽の血とは違う、邪悪なものが流れて来る。心臓の鼓動が暫く強く鳴り響き、収まった頃には彼女の周りには妖しい気が漂い、目は何時もの優しい桃色の瞳ではなく、吸血鬼の様な鋭い金色の瞳に変化していたのだ。




「この水、やっぱ痛いねぇ」
「当たったら服も体も溶けちまうみてぇだからな」
『先程の童と同じ方法では逃げだせんぞ』

 領主の城に乗り込んでいたファイと黒鋼は小狼を秘術の外に送り出した後、酸性雨によって身体を焦がされ続けていた。秘妖は妖しく微笑みながら爪を鳴らすと、ファイの正面に酸性の珠を向かわせた。向かって来たそれを壊そうとファイは木棒を振り下ろすが、木棒がそれに触れる事は無く、それは変形しては割れ、液状になった酸性の水がファイに振り注いだのである。このままではファイが酸によって溶かされてしまう、と思った黒鋼は木棒でファイの腹を殴り、酸性の水から逃れさせた。先程までファイが居た所はジュウウウウウ、と音を立てながら溶けており、あのままあそこに居れば、ファイは間違いなく溶けていただろう。


「黒むーひどいー」
「ああしなきゃおまえ、今頃溶けてるぞ」
「そうなんだけどー、もっと優しく移動させて欲しかったよぅー」
『なかなかやる童共だ。これは、久しぶりに、退屈せずに済みそうだ』

 ファイは片足で別の柱に着地し、ケホケホ、と本当に苦しそうに咽ながらも黒鋼を渾名で呼ぶ。余裕はある様だ。秘妖は口角を上げて妖しく微笑み、シャラ、と鈴の音を響かせてやると、酸性の水から珠がどんどん浮かび上がって来る。ファイと黒鋼の周りには今までにはない程の巨大な酸性の珠が浮遊していたのだ。


「あー。あんなに速く動く上に、変形されたんじゃたまんないなぁ」
「ぷよぷよ膨らんだり縮んだりしやがって」
『ここまで耐えた人間は童共と過去戦ったことのあるこの蓮姫の女秘術師だけだ』
「それって、春香ちゃんのお母さんかな?」
『そういう名前の娘がおると言っていたな』

 ファイと黒鋼を囲んでいた巨大な酸性の珠は渦を巻く様に素早く、彼らを逃れられない様に動いていた。黒鋼は木棒を肩に担ぎ、鼻を鳴らすと、ファイは声を挙げて苦笑する。その後に続いた秘妖の言葉は、彼らに疑問を抱かせるには充分だったらしい。現在の領主の存在意義の否定を聞くと、この女性は領主に操られているのではないか。そう思ってしまうのだ。そんな思いも束の間、目の前には酸性の水が津波の様にせり上がって来ていた。


「わー。これ、最大のピンチとか言うやつかなぁ」
「まあ、このままあれ食らったら死ぬだろうな」
「えーっと、それは困るかもー。オレとりあえず、死ねないもん」
「…死にたくねぇのにこの事態になっても魔法とやらは使わねぇか」
「うん。ごめんねぇ」
「…俺にゃあ関係ねぇがな」

 絶体絶命の状況だと言うのにファイは笑いながら他人事だと言う様に波を覗き込む。そして続いた「死ねない」と言う発言に、何かを隠し、二重に嘘を重ね合わせる彼の笑みに嫌気が刺したのか、黒鋼は口を開いた。その言葉にさえも反応を示さず、質問を返す度胸だけは褒めてやるがな。


「黒みーは?」
「俺も、こんな所では死なねぇ。帰らなきゃならねぇからな、日本国に。白まんじゅうはあの姫の羽根が見つかるまでは移動しねぇだろ。だったらさっさと済ませて次の世界へ行く」
「オレも、あんまり一箇所にはいたくないからねぇ」
「なんでだ?」
「…元いた国の水底で眠っている人が、もし目覚めたら、追いつかれるかもしれないから。オレは逃げなきゃならないんだよ、色んな世界を」

 煙が立ち込める木棒を握り締め、黒鋼は前を見やった。彼のその瞳にはファイとは違う、凛とした決意が目に見えた。そんな黒鋼とは正反対に、ファイは自身が旅立つ前にセレス国の水底に沈めた黒髪の美しい王を思い出しているのか、寂しそうな、けれど、懐かしむ様な複雑な笑みを浮かべていた。しかしそれを問い詰める程、黒鋼はファイの全てを知らないのである。


『最後の話は終わったか?』
「さーて、どうしようかー」
「……おい」

 何かを隠す様に笑みを貼り付けるファイとそれを睨む様に見つめる黒鋼に割り込み、秘妖が声を掛ける。いよいよファイ達も溶かされるのだろう。そう思った時、ファイは黒鋼に声を掛けられる。その時の黒鋼は何かを考え付いた様な、これから先もあまり見ないのであろう顔をしていたと思う。


 秘妖の「さらばだ」と言う言葉と共に酸性の波の間から飛び出て来たのはファイである。だが、波の速さもファイの進む速度に劣らず、波に飲まれるか飲まれないかの瀬戸際保っている状態だったのだ。ファイは笑みを浮かべ、秘妖もまた笑みを浮かべている。しかし、それはすぐに崩れる事となるのだ。


『何!?』

 それは、彼の背後からもう一つの人影が現れ、彼女に迫ったからである。ファイの存在はフェイク、即ち黒鋼の存在を惑わせる存在だったのだ。しかし、黒鋼が木棒を振り下ろす事は無く、秘妖の爪が黒鋼の心臓辺りを突き刺していたのだ。辺りに響き渡る貫く様な音は、嫌に耳に残った気がする。

 それは、気のせいなのだろうか。


『…なかなかの、策士だな』

 秘妖の爪に貫かれたのは身体でも心臓でもなく、阪神共和国で購入した「マガニャン」だった。それの表紙には彼女の爪が思いきりめり込んでおり、これがなければ黒鋼は無事では済まなかっただろう。おそらくそれも彼の作戦のうちに入っていたのだと思うが。雨が嫌いだと言うそんな彼は、ニイ、と口角を上げた。


「さっさと、とめろ」

 黒鋼は勝ち誇った笑みを浮かべ、木棒を素早く秘妖の額に向かって振り下ろす。すると、彼女の額にある黒い石は音を立てて割れ、それを同時に今まで酸性の水で埋め尽くされていた空間は、最初の殺風景に変わったのだ。どうやらオレ達は、ずっと幻覚に惑わされてたみたいだね。




「くっ!!」

 ガラスが割れる音が響き渡る。それは、サクラの羽根を保管しているガラスの球だった。それが響き渡ったのは、おそらく黒鋼が秘妖の額の石を割ったのと同じタイミングだろう。それは領主の言葉と床に設置された大きな液晶がしっかりと証明してくれている。そこには秘妖に木棒を翳す、黒鋼の姿があった。


「息子は!あちらはもう片づけただろうな!」

 焦りに身を任せてしまっている領主は、パチン、と指を鳴らしてみせた。すると、床の画面が別の場所に移り変わる。そこには驚く程に大きな身体をした自身の息子が、その何倍も小さな小狼に蹴りを入れられている姿が映っていた。息子が背中から着地した瞬間、再びパキ、と言ったガラスが割れる音が響き渡る。


「おのれー!生きては帰さんぞー!」

 その瞬間、レイノが目を覚ました事を、領主は知らないのである。




「また妙なことしやがったら…」

 秘妖の額の石を割った黒鋼は木棒をそのままに、警戒心を解く事は決してしなかった。今までやられた記憶達がそうさせているのだろう。しかし、彼の疑惑とも程遠く、彼女は再び攻撃を仕掛ける事はせず、黒鋼の頬に口付けを落としたのである。ここにレイノが居ればファイと組んで茶化していたのだろうが。


「てめっ!次は何の術かけやがった!」
『今のは礼だ。私はあの石に込められていた秘術で領主に囚われていたのだ』
「あー、なるほど。それを黒ぽんが壊したんですねぇ」
『これで私は自由だ。あの馬鹿な領主親子より余程、気骨がある童達の行く道を塞ぐ気もない。知りたいのは領主と攫われた童の居場所だったな』

 その邪悪な気が漂う石を黒鋼が木棒で壊したから、彼女には自我が戻った、と言う事なのである。それを聞いたファイは、片手で木棒を肩に担ぐと納得した様に笑った。そして、知りたかった情報をやっと手に入れる事が出来るのだ。後に続くだろう言葉を聞く為にこんなにボロボロになるとは思ってもみなかったが。


『領主はこの城の最上階だ。攫われた童はその途中で眠らされているだろう。一番小さな童は先に辿り着いたようだな……また卑怯な手を使おうとしているな。あの領主は』
「じゃあ黒様、行こっか」
「おう」
『金髪の童よ』
「何ですか?」

 領主の事を「ゲス」と、確かにそう呼んだ秘妖は黒鋼とファイにも向けなかった怪訝な表情を浮かべていた。そんな彼女は、上に進もうとするファイを呼び留めた。振り向いたファイは何時もの笑みを浮かべている。そう思った。しかし、どうやら僅かな焦りも孕んでいた様だ。


『……気を付けろ』

 その言葉が身に染みて理解するのは、すぐ後の事である。

prev next