episode 19
強さの源

「レイノちゃん!」

 ファイと黒鋼はレイノを探す為に領主の城の長い階段を上り詰めていた。痛む体など気にせずに心の衝動に身を任せてただただ走り続けている。階段の頂点に辿り着いた後、歩を止めて辺りを見渡す。すると、巨大な柱に寄り掛かり眠っている彼女が視界に入った。ファイはすぐさま彼女に駆け寄り、彼女の顔色を覗き見る。それは、何処か青白い様に見えた。

「…寝てんのか?」
「顔色悪いし、気を失ってるのかもー。黒様、おぶって」
「ああ!?…ったく」

 眠っているレイノの前髪を、黒鋼は雑に上げてみせる。確かにその顔色は悪かった。それを確認した後に続いたファイの言葉に黒鋼は溜め息を吐くが、何だかんだで彼女に背中を見せる黒鋼は優しいのである。その時、彼女は意識を取り戻したのか、ゆっくりと瞼を開けた。しかし、その瞳に何時もの温かさは無く、代わりに見えたのは吸血鬼の様な鋭い金色の瞳だった。そして、その事に一番最初に気付いたのはファイだったのである。


「っ黒んぷ危ない!」

 それに気付いたファイはボロボロになった黒鋼の服を掴み、後ろへとやる。そして二人はレイノと距離を取ったのだ。魔力の持たない者でもすぐに分かる程、彼女の体内は邪悪な何かに侵されていた。魔力を持つ者なら尚更、である。しかし、彼女の右手には僅かに彼女自身の魔力が纏われていて、今目の前に居るのは確かに「レイノ」自身なのだと理解した。


「こいつ…」
「妖刀『梅桜』」

 黒鋼は警戒心を露わにしてレイノを睨み付けるが、双方の視線同士が絡み合う事は無かった。そして、何時もとは正反対の冷たい声色が廊下中に響き渡る。その直後、彼女は突然ファイに向かって刀を突き立てたのだ。その動きを見切った二人は左右に分かれて避けたが、刀が突き刺さったのはファイの顔のすぐ横なのである。
 レイノの狙いは完全にファイに定められ、素早い動きで彼を確実に追い詰めていた。ボロボロになった木棒は捨てて来てしまった為、今の彼は丸腰なのである。それは黒鋼にも言える事だった。避ける事しか出来ないファイは何時の間にか壁まで追い詰められていたらしい。そんなファイを前に、彼女は刀を壁に突き刺して身体を支える様に立つと、ファイの頬に冷たい何かを落としたのである。


「っ…え」

 それは紛れもない、涙だった。


「に、げてよ……」
「…嫌だ」
「な、んで…」
「泣いてる女の子置いて、逃げれる訳ないでしょ」

 途切れ途切れに言葉を紡ぎながら涙を流すレイノの両目からはボロボロと涙が溢れ出ている。そんな彼女の懇願を、ファイは一言で斬ってみせたのだ。何で、なんて。分かってるくせに聞くなんて案外君は意地が悪いんだね。そんな心を持って苦笑を浮かべた彼は人間臭くて、何も出来ない黒鋼は思わず目を見開いたのだ。しかしその後、黒鋼はもっと目を見開く事となる。


「っ止めろ!」

 響いたのは黒鋼の叫び声だった。それは、何処からか取り出した短剣をレイノが首に構えたからである。それを視界に映したファイも目を見開いている。しかしその直後、廊下にはパリン、と言った聞き覚えのある音が響き渡った。良く見ると彼女の首には見覚えのない首輪が付けられている。その後、急に崩れ落ちた彼女の身体は二人の手によって支えられる事となったのだ。


「レイノちゃん!」
「っ…ご、ごめんなさ…」
「大丈夫?」
「っ…は、はい……?」

 身体に力が入らない状態のレイノを見ると、先程の動きはかなり身体を酷使していたものらしい。謝罪の言葉を放つ彼女の声色は何時ものソプラノで、戻ったのだと、身が沁みる様にそこで理解した。その後に投げ掛けられたファイの問いと共に降りかかって来たのは紛れもない、彼の温もりだったのだ。


「顔色、戻ってるな」
「へ、変でした……?」
「お前も操られてたのか」
「領主に変な物着けられちゃって…」
「多分秘妖さんと同じ仕組みかなあ」
「秘妖さん?」
「その人がレイノちゃんの居場所を教えてくれたんだよー」

 戸惑うレイノをよそに、しゃがみ込んだ黒鋼は彼女の顔を覗き込んだ。何時もの健康的な、少し白い肌である。しかし、当の本人はどうやらその変化に気付いていない様だ。そんな彼女を安心させる様に先程の真顔は何処へ行ってしまったのか、ファイは優しげな笑みを浮かべたのである。


「そろそろ行くか」
「レイノちゃん、本当に大丈夫ー?」
「…小狼君はもう、領主の元に着いてるんですよね」
「ん?うん」
「じゃあ、わたしも休んでる暇無いですもん。行きますよ」

 抱えた問題の一つを解決したファイと黒鋼は最上階へ急ぐ事になった。しかし、今の段階で一番心配なのはレイノの身体の状態なのである。その事を案じたファイだったが、それに対して返って来たのは小狼の居場所だったのだ。どうやら彼女は小狼の事を酷く気に掛けている節がある。その事を言っている時の彼女の顔は何時も何かを決意した様なそんな表情を浮かべていて、小狼が居る限り彼女の心が折れる事は無いのだろうと、そう確信したのだ。




「あれー?なんだか人いっぱい?」
『二人とも遅いー!!』
「こっちも色々あったんだよー。ごめんねぇ」
『レイノ!無事だったんだね!』
「えへへ、何とか。心配かけてごめんね」

 痛む身体に鞭打って、レイノらはやっとの事で最上階に辿り着いた。そこには人だかりが出来ていて、この城に来ていたのはどうやら一行だけではなかった様だ。そんな中レイノらを見付けたモコナは黒鋼の額に向かって頭突きを喰らわしている。それを咎める黒鋼は傷だらけだが、やはり何時も通りだった。その後に飛び付いて来たモコナを、レイノは優しく撫でたのである。一方で領主が居る空間では、トーンを落とした小狼の声が響いていた。


「それはサクラ姫の記憶だ……返せ」
「小狼君…」
「ま…待て!」

 冷たい視線で領主を見やる小狼は、手を差し伸べて歩き出した。しかし、領主は青ざめた顔をしながら小狼の歩みを止めようと足掻いていたのである。その時に口から滑らせた言葉は春香の地雷だったらしい。お前が殺したくせに。お前に言われなくても、母さんに言われなくても、失った命が戻らない事くらい知っている。なのに、なのに、どうしてお前がそれを言うんだ。


「どんなに私が会いたくてももう母さんとは会えないんだ!!」

 それを私がどれだけ望んでいるか、知りもしないくせに。


「それなのに、そんなたわごと!」
「…春香、仇を討ちたいか」

 涙を流して激昂する春香は母親に会う事を何度も何度も願ったのだろうと思う。けれど、分かるのだ。もう会えないと、ただ願って幸せを祈る事しか出来ないのだと。この場に居る全員、それはきちんと理解している。そんな中、小狼は静かに、言い放つ様に問い掛けた。その瞬間、春香は目を見開く。


「それで、気が済むならいい。けれど、春香が手をかける価値のある男か?」
「こんな奴…殴る手が勿体ない!」

 春香は悔しい想いを抑える様に目を瞑り、ボロボロと涙を零れさせた。殴りたい。感情に身を任せて殴りたい。けれどこんな事をしたら、絶対後悔する。一生後悔する。ごめんね、母さん。私まだ、そっちには逝けないみたいだ。そう心の中で呟くと、母さんが「良いのよ」って、いつもの優しい笑顔で赦してくれた気がする。
 コツコツ、と靴音を鳴らしながら距離を縮めて行く小狼に、領主は慌てふためいた。そんな領主は、皆の目には酷く滑稽に映っただろう。そんな中で領主の顔を受け止めた長い爪は、領主の息の根を止める様なものだった。


『そこまでだ』

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