episode 21
霧の国

「どこなんだ、ここは」

 全ては黒鋼の一言から始まった。大自然に囲まれる霧の中、一面に広がるのは巨大な湖のみである。その中から生えている大木は数え切れないほど生えており、それの葉には微かながら霧が舞っていた。自身の感覚を信じれば、人の気配はあまり感じられない。この国は一体何なのだろうか。


「おっきい湖だねぇ」
「家とかまったくないですよね」
「人の気配もないみたいですね。霧も出てますし」
「レイノちゃん、モコナ、どう?サクラちゃんの羽根の気配、するー?」
「強い力は感じます」
『モコナも』

 ファイは湖を覗き込みながらレイノとモコナに問い掛けた。モコナは腕を組んで考え込み、レイノは目を瞑り、神経を集中させている。そして、結論としてサクラの羽根かは分からないが、その神経に引っ掛かる力の存在は感じ取ったのだ。しかし、かなり広範囲で、また、曖昧なのである。


「どこから感じますか?」
「『この中』」
「潜って探せってのかよ」
「待って」

 驚きを言葉にする黒鋼に、レイノとモコナはゆっくり頷いた。今のこの気温を分かって言っているのだろうか。上半身裸になれば、肌寒さは尋常ではない。そんな中、後ろからか細い、彼女らを呼び留める声が聞こえて来る。サクラだった。しかし、「行く」と言った瞬間に眠気の限界が来てしまったサクラは黒鋼の手で受け止められる事となったのだ。


『サクラ、寝てるー』
「春香ちゃんの所で頑張ってずっと起きてましたもんね」
「限界きちゃったんだねぇ」

 気絶する様に眠ってしまったサクラの表情は何ら変わらない、安らかなそれだった。その事に安心した小狼は思わず眉を下げる。彼女が居るだけで旅の雰囲気が和らぐのだ。そんな事を思い、レイノは笑みを浮かべて目に掛かっている前髪をさっと避けてやる。その後の話し合いで眠ってしまったサクラは小狼に任せ、レイノらは森の中を探索する事になったのだ。




「霧、濃くなってきたねぇ」
「うん、暗いね」
「貴方の服の方が暗いですよ」
「かなり遠くまで来たけど、誰にも会わないねぇ。民家もないし」
「こわいな、こわいな」
「貴方の顔の方が怖いです」
「大丈夫だよ。側にいるから」
「黒鋼、うれしい」

 霧が立ち込める大自然の森の中、響くのはファイの間延びした穏やかな声色と三人分の足音である。次に聞こえて来たのは黒鋼の低い声なのだが、口調が何時もと違っていた。それに対して一つずつ丁寧に突っ込みを入れて行くレイノは生真面目の性があるのではないのだろうか。


「誰が黒鋼だー!!小娘コラてめェ何冷静にツッコミ入れてんだよ!」
『黒鋼が怒ったー!』
「いやあ、ツッコんで欲しいのかなあって」
「んな訳ねーだろアホか!」

 どうやら今まで発されていた黒鋼の声はモコナが彼を真似て発していたそれだった様だ。今まで彼のマントの中に居たモコナはファイの頭上に飛び乗り、楽しそうに黒鋼の突っ込みを受け入れていた。その横にはレイノが真顔で黒鋼と話しており、その顔が余計に腹立つんだろうなあ、と思う。


「でも、モコナ声マネ上手だね」
「本当ー。黒みゅうにそっくりだったよぉ」
『モコナ108つの秘密技のひとつなの』
「後、107つは?」
『な、い、しょ』
「モコナったら焦らし上手ー」
「モコナ可愛いー!」
「一生やってろ」

 侑子に似ている裏のある笑い声をあげて、モコナはファイの手の平に乗って踊ってみせた。そして、その後に続いた彼の問い掛けに可愛らしく答えてみせたのだ。そうして出来上がった茶番に呆れた黒鋼は先に歩を進めたのである。それにふざけた様に付いて行くレイノとファイ、モコナだったが、その直後に光り輝いた場所に素早く反応したのだ。


「何だ!?」
「あそこ、小狼君達がいる湖じゃないですか?」
『何かあったのかな?』
「戻った方が良いかもー」

 目を凝らして良く見ると、大木が生い茂っているそこは次元移動して来た一行が落とされた場所だった。小狼が居ると言えど、もし小狼が湖の中へ行っていたら意味がない。そんな事を考えてしまっては自身の中に不安が燻る事になる。そして、視線を鋭くした黒鋼を先頭に急きょ湖の方へ戻る事になったのだ。




「眠ってるだけみたいですね」

 結論を言うと、体力の限界だった様である。高麗国からこの国に掛けて活発的な事ばかりしているレイノらの体力に付いて行くには、少し大変だったらしい。俯きで寝てしまっていたサクラを木に寄り掛からせて、その身体にファイの上着を掛けてやる。これだけでもかなり暖が取れる筈だ。ほっと息を吐いたレイノは決心した様に眉を顰めて、木陰にファイを呼び付けた。


「どうしたのー?」
「…一応、謝っとこうと思って」
「え?」
「高麗国で結構無茶したなあって、後で思ったんで。ごめんなさい、心配かけて」

 高麗国のレイノと言うと、傷だらけで帰宅して、敵に攫われて、操られて、一件落着したかと思えば急に気絶して、と言う風に無茶しかしていない気がするのだ。また、今思い返せば、かなり心配されていた気がする。あまりに申し訳なくなった為、謝罪の言葉を送ったのだが、どうやらそれがファイの笑いのツボに嵌ってしまったらしい。


「な、何笑ってるんですか!」
「ふふ、いやね?素直だなあ、って思ってー」
「…駄目ですか」
「んーん?そっちの方が嬉しいかなあ」
「…あと」
「ん?」
「置いて行かないでくれて、ありがとう、ございます」

 その言葉は、不意打ちだった。操られていた事もあって、覚えていないと思い込んでいたのだ。しかしどうして、存外目の前の少女の心は強いらしい。ちらちら、とこちらを見て来る彼女はオレの反応が気になる様だ。ああ、どうしよう。可愛い、なんて思っちゃう。そんな気持ちを押し込む様に、オレは彼女の手をそっと握った。ぴくり、と反応する肩とか本当止めて欲しいんだけど。手を握った意味がなくなるじゃん。


「…逃げるの嫌、って、言ったでしょ?」
「は、はい……」
「あれ、意味分かってる?」
「え、そのままじゃ…」

 少し縮まった物理的な距離は、レイノの緊張した態度をより鮮明に表している様である。そんな彼女は予想通り鈍い感性を持っていて、思わず溜め息を吐きたくなる。そのままの意味な訳ないじゃん。鬼ごっこしてるんじゃないんだから。そんなツッコミを心の内に、オレは握った彼女の手を自身の鼻先に押し当て、目を伏せた。


「守るって意味、なんだけど」

 何処か甘酸っぱい響きを持ったその言葉は言った本人でさえも照れを感じる程で、どうやらオレはとんでもない事を言ってしまったらしい。目の前の少女の顔も、なかなか見ない程に火照っている。森の中で何してるんだろ、オレら。思わず唇を噛めば、同じタイミングで彼女は口を開いた。


「っ…わ、わたし、戦えますよ……?」
「知ってるよー?」
「だから、守ってもらわなくても…」
「良いの」
「へ…」
「オレが守りたいから、それで良いの」

 良く分からない、と言いたげな不思議な表情を浮かべたレイノが、目の前に居る。うん、分かるよその気持ち。オレも自分で何言ってるか良く分かってないもん。けど、その顔はちょっと自惚れても良いのかな。そして多分、今のオレの顔もすごい嬉しそうだと思う。感覚だけで口角が緩みきっているだろうって分かる。そんな甘い雰囲気に包まれた二人は、湖でモコナのちょっとしたいたずらが行われている事など知る由もないのだ。


「貴方本当、狡い人ですね」

 今はこの、優しい雰囲気に酔っていたいんだ。

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