episode 26
守れなかった約束
「サクラ姫、レイノさん、おはようございます」
翌日も「スピリット」には白い雪が降り積もっていた。それはまるで、何もかも掻き消す様である。小狼はレイノとサクラがまだ寝ていると思っているのか、少し控えめな声で二人の名を呼び、扉を叩く。だが何時もの明るく、優しい声色が返って来る事は無く、ただただ沈黙が続くだけである。
「寝ちゃってるのかな?」
「サクラ姫、レイノさん、開けますよ」
小狼が再び声を発し、女性陣の部屋の扉をゆっくりと開ける。居ると思ったのだ。今日も健やかな寝顔を見れると、そう思ったのだ。しかしそこにはレイノとサクラの姿は無く、少量の雪と羽織が二枚、無雑作に散らばっているだけだった。それの側らには飲みきったティーセットが置かれており、袋からは残ったマシュマロが飛び出ている。
『レイノとサクラいない!!』
この言葉に目を見開かない者は、この場には居なかった様に思う。
「余所者を出せ!」
「待って下さい!」
「また子供達が消えた!七人もだ!」
その叫んだ直後、宿屋の一階から次々と近付いて来る複数の大きな足音が響き渡る。階段の下からカイルの制止の声が聞こえるが、切羽詰まった様子の自警団の耳に届く筈もない。自警団から叫ばれたのはやはり子供の事である。今一番怪しいファイらが何処かへやった、と踏んだのだろう。
「待って下さい!その方達は昨夜も外には出てらっしゃいません!」
「あと二人はどうした!?」
「部屋にいないんです」
「なんですって!?」
黒鋼は射抜く様な鋭い視線で自警団の男を睨み、小狼は何時もより数倍真剣な眼差しで同じ人物を見つめていた。ファイは男に見付からない様にモコナをコート内に隠し、何時もの微笑を浮かべている。叫ぶ様に投げ掛けられた問いに、小狼は隠す事もなくはっきりと言い放った。本当は今すぐにでも駆け出したい気持ちである筈だ。それはもちろんファイも同じである。
「いなくなったのに気付かなかったじゃないか!先生!」
「まさか…レイノさんとサクラさんまで…」
そう叫び出す自警団の男の言葉にファイと小狼の顔には微かに曇りが見える。男は痺れを切らしたのか、今まで向けなかった銃口を小狼へと向けた。だが、小狼がそれを許す筈もなく、得意の蹴り技で銃を思い切り蹴り上げたのだ。蹴り上げられた銃は一番嫌な奴である黒鋼の手に渡る。一瞬にして形勢逆転した黒鋼は銃口を男の頭にくっ付け、嫌な音を立てながら左手で男の頭を押さえたのだ。自警団も黒鋼がこんなに強いとは思わなかったのか、目を見開き、驚きを隠せないでいる。
「ひゅー♪黒さま素敵すぎー」
「放せ!くそー!!」
「おれ達は子供達が消えたことには無関係です」
「って言ってもー、信じられないかなぁ」
「当たり前だ!子供達が見付かるまで、おまえ達が一番あやしいことに変わりはない!」
「探します。子供達が何故、そして、何処へ消えたのか」
自警団の男は悔しそうに叫ぶ。しかし、黒鋼の力に敵う筈もなく男はなす術もなく床に押さえ付けられたままとなっている。そんな酷く情けない格好も言う事は至極全うな事である。それを聞いた小狼は何かを決心した様に手に力を入れて拳を作り、「それに」と続けた。その瞳に映るのは一体何なのだろうか。
「おれの大事なひとも。レイノさんも」
「この窓から出ちゃったのかなぁ。レイノちゃんとサクラちゃん」
「伝説みたいに金の髪の姫とやらにさらわれたのか……それとも、子供達をつれていった誰かを見たか」
「小狼君は本当に三百年前の伝説のお姫様が、子供をさらったと思ってるのー?」
「まだ、どちらとも言えません。けど、カイル先生に聞いたんですが、この国には『魔法』や『秘術』を使える人間は認知されていないようです」
「ここには、魔力みたいなものを使える人間は、公然とは存在していない?」
小狼は少し雪で埋もれた毛布を手に取った。それを室内に直す暇もないくらい急いでいた、とも取れるが、おそらく後者だと考えられる。サクラはともかく、この国に来てからと言うものの警戒心を解かなかったレイノがそう簡単に攫われる筈がない。それが理由だ。
「この歴史書を見ていても、三百年前のエメロード姫のこと以外、それらしい不思議な現象も記されていません。もし本当にエメロード姫が何らかの方法で蘇って起こしている事件なら、この窓から視認できるくらいの距離に金の髪の姫が来て、レイノさんとモコナが何も感じないというのは…」
『モコナ、この世界に着てから何も感じない。レイノも感じないって言ってたよ』
「寝てただろう、おまえは!!」
『凄く強い力だったら目が覚めるもん!』
「家の鍵も壊されてない、子供達が騒いだ様子もない。それに不思議な力じゃないなら、サクラちゃんが見たっていうお姫様は?」
小狼の言葉を否定したモコナに黒鋼は怒鳴るが、モコナも飛び跳ねながら反抗する。そして、びしびしびし、と後ろでじゃれ始めた黒鋼とモコナは軽く無視し、ファイと小狼は話を再開させたのだ。そんなファイの問いに、答えは出ない。それが分かれば自ずとレイノとサクラの居場所も分かると思うのだが。
「本当にすみません。町の人達が失礼を…」
「いいえー。みんな、いなくなった子供達が心配なんでしょう」
「でも、レイノさんとサクラさんもいなくなってしまって…」
ファイらは、小狼を先頭に軽く音を立てながら階段を降りて行く。すると、一階のリビングにはカイルが居た。そしてそこのの机の上にはファイらが初めて出会った時も持っていた鞄が置かれている。それには医療に携わる物がたくさん入っているのだろう。それを視界に入れた小狼はそっと口を開いた。
「…診察ですか?」
「残った子供達の様子を見てこようと思って」
そう問い掛けた小狼に、カイルは眉を下げたまま答える。カイルのその表情は本当に子供達を心配しているそれに見えた。しかし、それはこんな状況でなければ、の話である。仲間であるレイノとサクラがこの場に居ない今、全てを疑ってしまう。それは仕方のない事だ。そんなファイらは捜索の為、宿屋を出る事になった。
「どこへ行く!」
「いなくなった子供達と使用人Bとオレの妹の手掛かりを探しにー」
「一緒に行くぞ!!おまえ達だけで行動させたら、何しでかすか分からないからな!」
叫ぶ様に声を掛けて来たのは先ほど黒鋼によって押し付けられた自警団の男だった。どうやら未だに懲りてないらしい。何時もと変わらぬ態度にファイは目を瞑り、黒鋼は耳を穿っている。その顔は「お前何言ってんだ」と言いたげである。そんな男の言葉を小狼は軽くスルーし、歩を進めて男へと近付いた。
「な…なんだよ!」
「聞きたいことがあるんです……ここ数年、凶作だと町長に伺いました」
「ああ。自分達で食うので精一杯だ」
「この町の土地って殆どグロサムさんのものなんですってー?」
「借りた土地代はどうしてんだよ」
「…待ってもらってる!」
小狼は歩を進めながら顔を自警団の男の方に向けた。その前を歩いているファイと黒鋼の顔は何時も通りである。もちろん黒鋼の服の中を徘徊するモコナも何時も通りだ。そんなファイらに質問攻めをされた男は痺れを切らしたのか、歯を食い縛り顔を歪めたのである。
「カイル先生がグロサムさんに掛け合ってくれたんだ!先生が言ってくれなかったら、今頃、俺達はこの町を出なきゃならなかったかもしれないんだ!」
「へー。ってことはグロサムさんはここ数年、あんまり収入的にイイ感じじゃないとー」
ファイの言葉は「グロサムが犯人」だと、そう思っても仕方のないニュアンスを孕んでいた。そして、結論付けたそれに何か引っ掛かるのか、小狼は俯いて何かを考え込んでいたのである。その瞳の先に何があるのか、それを知る事が出来るのは本人のみなのだが、それに気付く人間は居るのだろうか。
「おまえ達、馬を持ってただろう。何で乗らないんだ!?」
「馬からだと見逃しちゃうでしょうー」
「だめだな。夜通し降った雪で、足跡は消えてる」
「町の周辺は既に探されてますよね」
「当たり前だ!!」
「城のほうはどうですか?」
「城の手前までは探した!けど、あの川があるから向こうへは渡れない!!」
次にファイらが来たのは、北の城へと続く森の中である。雪音を静かに立てながら歩を進める中、黒鋼はしゃがみ込み、消えた足跡を見つめていた。その後に続いた小狼の言葉によって自警団の男は小狼に怒りを撒き散らすが、小狼は平然を保ち続けた。横ではファイが耳を塞ぎ、黒鋼はひくくっと頬を引き攣らせている。そして、小狼は目の前に建つ北の城を指差す。すると、男はぐっと言葉を詰まらせた。城の手前の川は昨夜流れが止まったのが嘘の様に、勢い良く流れていた。
「おまえら、なんでこんなに冷静なんだ?旅の仲間がいなくなったんだろ?」
「……少なくともあのへらいのとガキに関してそう見えるんなら」
自警団の男は黒鋼を追い掛ける様に、少し早足で歩きながら怒る様に問い掛けた。「お前の目は節穴だな」と、そう言われた男の視界にはファイと小狼が映る。平然を装ってはいるが、僅かに滲み出る焦りは隠せない様だった。そんな会話が後ろでなされているとも知らず、小狼はファイの顔を見つめ続ける。
「…どうしたのー?」
「あ、いえ、あの…」
「んー?」
「…やっぱり心配、ですか。レイノさんのこと」
あからさまな視線に気付かない様では今まで生きてはいない。あまりに突き刺さる視線に冷や汗を掻いたファイは、苦笑を浮かべながら首を傾げた。言いにくそうにどもる小狼に瞬きを繰り返すが、ゆっくりと紡がれたその言葉にファイは思わず目を見開いた。すぐに答える事は出来なかった。自分でも良く分からないのだ。
「んんー……どうなんだろ、何て言えば良いのかなあ」
「…心配じゃないんですか?」
「いや、心配する気持ちはあるんだよー?」
これ程までに自分の気持ちを言葉にするのが難しいとは思わなかった。いつもみたいに飄々としていれば良かったのかな。ああでも、レイノちゃんの事で適当にしたくなかった、って言う気持ちもあるんだよね。ほら、小狼君も困ってる。どうしよう。あの事、言うしかないかなあ。
「…湖がある国、あったでしょ?霧がいっぱいの国」
「え…は、はい」
「そこでね、約束したんだよねぇ。守る、って」
「まも、る……」
「けど守れなかったからさー……悔しいなあ、って」
「……じゃあ、探しましょう」
ああ、そうか。そう言う気持ちか。悔しいんだ、オレは。レイノちゃんが隣に居ない事が。彼女を守れなかった事が。この手から、離してしまった事が。それらの事が悔しくて堪らないんだと、小狼君と話してやっと分かった。この気持ちに名前を付ける事はまだ出来ない、と思う。けど、もう一度元気な君の姿を見る事が出来るなら探してみようかなあ。
「…うん。そうだね」
頑張ってみようかなあって、そう思うんだ。
「…ったい……」
激しい痛みを身体が感じ、身を一瞬震わせて桃色の瞳を静かにゆっくりと開ける。レイノは薄暗く閉め切った狭い部屋で殴られた所を擦ろうとしたが、ガチャン、と言う金属音が聞こえ、思わず頭上を見上げると、両手が手錠で防がれていた。その事に気付いた彼女は呆れた様に深い溜め息を吐いて力を抜いたのだ。
(どうしよ……)
途方に暮れるレイノだったが痛みを堪えて壊すしかない、と考え、ガチャガチャ、と金属音を鳴らす。金属音がうるさくく響く度に、白く細い手首からは血が飛び散り流れ出た。ああもう無理。痛い。泣きそう。けどこの体勢も腕疲れちゃうんだよね。何とか別の事に頭を巡らせて痛みを直視せずに居た彼女は腕を何分動かしただろうか。ドレスの袖先は真っ赤に染められていて、見ていて酷く痛々しい。そして、やっとの事で両手を防いでいた手錠は鎖ごと引き抜かれ、自由を取り戻す事が出来たのである。
「ここ、どこだろう……?」
その疑問を解くべく、レイノは外に出ようと扉を押すが、開かない。小窓から見るとそれはどうやら木で塞がれていたらしい。彼女は少し顔を歪めて扉に体当たりを始めると、金属で切られて滲み出た傷口がズキズキ、と痛い。体当たりでは無理だと思った彼女は手の平から刀を取り出し、それで扉を斬ってみせたのだ。
「ん…んんー……すう」
少女はまだ寝惚けているのか、上に重ねてある布を中へと入れ込む。その後、彼女の白い手は見えなくなり、再び夢へと堕ちてしまった事が分かる。しかし、何時もと違う布団の感触にサクラは目を見開いた。薄汚れた布では暖を取る事が出来ず、手は冷え切っている。
「子供達が!!」
子供達の事を思い出したサクラは布を退かせて扉の方へ向かおうとするが、何かに躓いた様にべしゃっとコケてしまう。立ち直す時間もない、と察したのか、床に這い蹲って移動するが、後ろからジャラッと金属音が響いた。周りにはボロボロになったベッド達が等間隔で並べられている。そんな部屋にぞくり、と背筋を震わせたサクラの背後には、淡く白い光が姿を現す。それに気付いたサクラは「誰!?」と叫びながら素早く振り向いたのだ。
「お姫様!?」
サクラの視界に入ったのは美しい花に包まれた金髪の美しい女性である金の髪の姫君だった。しかしそれが絵画だったらしい事に気付いたサクラは、外から聞こえる生々しい足音に耳を傾ける。不思議に思ったサクラは鎖で繋がれた足で歩み、扉の窓から覗いた。目に入ったのは、信じられない光景だった。生々しい足音は一人のものではなく、何十人と数えられない程のそれである。虚ろな瞳、ぼろぼろな衣服、汚れた手足が酷く痛々しい。その集団の中には一行がスピリットに入ってすぐに出会った少女も居たのだ。
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