episode 29
望んだ温もり

「小狼君!!レイノちゃん!」

 振り下ろされた刃物はサクラではなく、小狼の身を切る事となった。その後ろでは刀をカイルの顎に添えているレイノが居た。その視線は他の誰でもない、カイルにだけ注がれていた。サクラの叫び声にも目を向けず、レイノはカイルの瞳にただただ殺気を向けていたのだ。しかしカイルの中に焦りが生まれる事もなく、カイルの唇は弧を描いている。


「手、出さないでくれますか」
「気でも迷ったか」
「どうでしょうね」

 どうやらカイルはレイノの行動が分かっていたらしい。確かに刀は彼の顎に添えられていたが、それらの間には彼の短剣が挟まれていた。それが余裕の要因の一つである。二人の意味深な会話の意図が分かる者はこの場にはおらず、微妙な空気がここには流れている。そんな時、大きな地響きがここに居る者達の鼓膜を震わせたのだ。


「何の音かなぁ」
「地震か?」
「違う!!この音は!」

 天井から落ちて来る小さな欠片はこの城の内壁と同じ物である。その瞬間、レイノの中でもやもやとした嫌な気持ちが巡り始めた。だんだんと近付いて来るザアアアア、と言った水の流れる音がその気持ちを悪い方向へどんどん加速させて行く。その音は爆発音となり、城壁を壊して城内に侵入して来たのだ。


「うわぁっ!」
「水が!?」
「川の水を止めていた装置が壊れたんでしょう」
「あー、古かったもんねぇ。あんまり長い間、止めてられないんだー」
「危ない!!」
「サクラちゃん、小狼君、戻って!」

 小狼がサクラの足から垂れている鎖を強く踏めば、鎖はガチャン、と音を立てて壊れた。ファイに近付いて行く二人の後ろに付いて行くレイノだったが、ふと視界に入った大きな瓦礫に思わず声を張り上げた。これでは先に進む事は出来ない。そう思ったレイノは小狼と目を合わせ、向こう側に再び声を張り上げた。


「子供達を上へやって下さい!!」
「必ず城から出ます。先に行って下さい!」
「しかし!!」
「…行くぞ」
「はーい」
「えっ!?」
「さ、行きましょー」
「まだ仲間が危ないのに!?」
「「やる」って言ったらやる感じの人だからー、小狼君。もちろん、レイノちゃんもねー」

 目の前にはカイルが短剣を構えている。どっちにしろ進むしか道は無いのだ。小狼の言葉にそれを重ねるグロサムだったが、ファイは何時もの笑顔で落ちていた小狼の鞄をヒョイ、と拾い、肩に乗せた。そして、子供を肩に乗せて歩を進めたのである。きっと戻って来るって信じてるからオレも先に行けるんだよ。そうだよね、レイノちゃん。


「走って!」
「レイノちゃん!?小狼君!?」
「待て!」

 レイノはサクラに小声で囁き、小狼はサクラの手を掴み、バシャバシャ、と水音を立てながら駆け出して行った。そして目の前を壁を、小狼は肘で叩いてみせた。すると、ガコッと何かがずれる音が響き、そこには道が広がっていた。水さえなければすぐに地上に出れるのに。そんなありもしない事を願っても仕方がないのだが。


「こんな所に扉が!?」
「城の見取り図は覚えています。この隠し扉から、地上へ抜けられる筈です!」

 レイノらは水が追って来る中、ダダダダダ、と懸命に走るが、横の壁が壊れ瓦礫となり、水が吹き出して行く手を阻まれてしまったのだ。その勢いは凄まじく、これを超えて前に進む事はほぼ不可能に近いだろう。刀で瓦礫を壊す事は出来るが、その間にカイルが追い付いても意味がないし水が溢れてしまっても意味がないのだ。


「道が、瓦礫で…!」
「羽根を寄こせ!」
「先生はおれが止めます。その間に通路を戻って左に行けば、外に出られます」

 レイノらが考え込んでいる内にも、カイルはナイフを片手にバシャバシャ、と水音を立てながら駆け寄って来る。そんな中、自身を犠牲にする様な小狼の言葉に、サクラは衝撃を受け、目を見開いた。それはレイノも同じである。こんな所で小狼君を死なせる訳にはいかない。


「だめ!置いて行くなんて出来ない!」
「見捨てるなんてする訳ないでしょう」
「…姫…けれど、天井が崩れてこの先へは行けません。このままでは水が満ちて…」

 サクラはカイルの短剣で切られてしまった小狼の腕を掴み、今にも泣き崩れそうな顔で必死に叫ぶ。目の前には悲痛な表情を浮かべるレイノも居て、どうやら悲しませてしまった様である事はすぐに分かった。魔力を使えば目の前の瓦礫を退かせる事が出来るかも知れないが、生憎疲労と出血多量で呪文を唱える気力もないのである。そんな所に淡い光で身を包んだエメロードが現れたのだ。


「エメロード姫!」
『ここに書物には載っていない隠し扉があります。さあ、急いで』
「有り難う!ここに扉があるの!」
「え?」
「エメロード姫が…教えてくれたの!」

 後ろを見れば、カイルがバシャバシャ、と水音を立てて迫って来ていた。サクラは一見普通に見える壁をダンダン、と思い切り叩いている。その様子を見つめていたレイノは思わず目を見開いた。力強く壁を叩くサクラを見て信じてくれたのか、小狼も大きく目を見開いたのだ。そして、小狼は思い切り足を上へとやり、壁を蹴り上げる。すると、壁はガコン、と音を響かせて道を作ってくれたのだ。


「姫!!レイノさん!!」

 開いた扉から流れ込んだ水はレイノらを巻き込んで行き、呼吸が出来ない程の威力となっている。この勢いでも、サクラは自身の羽根を腕から離さなかった。そんな中、レイノとサクラに手を伸ばす小狼に、レイノは力強く視線を向けた。その視線には圧が存在していて、彼はそれから目を離せない。


「小狼君はサクラちゃんを!」
「…はい!」

 小狼は心優しき少年だから、レイノも助けようとしたんだろう。だが、彼女の表情を見たら身動きが取れなくなってしまったのだ。けれど、彼女が強い事は知っている。必ず来る。そう信じて、彼はサクラの手を取ったのだ。欲に塗れたカイルは水の中の瓦礫の事など頭になかった様で、足の裏には瓦礫の角が刺さっており、そこから血が滲み出ていた。その事に気付いたカイルは足を退かせるが、周りの壁はミシミシ、と音を立てている。そして、壁は巨大な瓦礫と化し、吹き出した水と共にカイルを襲ったのである。




「おい!来ないぞ!!川の流れが速くなった!」
「これ以上流れが速まると渡れなくなるぞ!本当にあの三人、来るのか!?」

 城の中の地響きは外にまで響き渡っていた。その音が大きくなる程、男の不安は高まって行く。男やグロサムに何を問われてもファイと黒鋼は目を瞑り、沈黙を守っていた。待つしか選択は無かったから。ふと黒鋼が紅く鋭い瞳を開き、河の方に目線をやり、一人言の様に「来た」と呟く。すると、水面には水飛沫が起き、黒鋼がガッと力強くその手を掴んだ。水面から出て来たのは気絶しても尚、羽根を離さないサクラと彼女を大事そうに抱えている小狼だけで、ファイが想っている彼女は何処にも居なかったのだ。


「レイノちゃんは?」
「っ…い、ないんですか……?」

 小狼は小刻みに震えながら、ハアハア、と苦しそうに息を吐く。それだけ水温が低かったのだろう。そんな彼に問いを投げ掛けたファイの声は何時もより低くて、この場にいる者達は思わず反応してしまう。小狼の言葉はレイノはまだ川の中に居る事を暗に表していて、ファイは思わず深く溜め息を吐いた。それに思わず肩を揺らした小狼は何も悪くない。ファイが無言で黒鋼に帽子とコートを渡すと、黒鋼は思わず顔を歪める。


「お前マジか」
「えへへ。待っててくれるー?」
「あいつのこと連れて来るならな」
「大丈夫。次は上手くやるから」

 黒鋼はあり得ない、と言いたそうにちらり、と目の前の川に視線を向けた。そんな彼に、ファイは何時もの笑みを浮かべてみせる。しかしそれは一瞬の事で、ファイは雪で乾ききった唇を一度だけ舐めたのだ。そうして呟いた言葉にはファイなりの決意が含まれていた様に思う。そんな考えが浮かぶ俺は、どうやらこいつらの事を見くびっていたらしい。


「…そうかよ」




 ここは流れの激しい、あの川の中である。あの後ファイはすぐ様その中に飛び込み、レイノを助け出そうとしていた。その中の水の流れは歪みきっており、力を入れていないと吹き飛ばされそうである。ところどころに浮かんでいる瓦礫達は、おそらく北の城の物だろう。そんな中、彼はそれらに当たらない様に彼女を探していた。すると、それらの一つに引っ掛かったドレスの裾を取ろうともがいている彼女の姿を見付けたのだ。


(レイノちゃん!)

 思わず小さな身体を抱き締めると、レイノちゃんは驚いた様にオレの腕を掴んで来る。けど、それも数秒の事で、オレの腕の中には眠っているレイノちゃんがいた。気力が切れてしまったのだろうか。そんな事はどうでも良くて、オレはレイノちゃんのドレスの裾を乱雑に破り、レイノの顔を包み込んだ。額同士を擦り付け、オレは一瞬、目を瞑る。早く温もりが欲しい、と考えたところでオレはやっと理解した。ああ、そうか。

 オレは、この子が好きなんだ、と。




「先生は!?」
「っ…さっむ……!」
「…追って来ねぇってことは…」
「城と運命を共にした…ですかね」

 ファイはレイノを包み込む様に抱き締めて、水音を立てて水温の低い川から飛び出した。切羽詰った様子の自警団の男の問い掛けにファイは苦笑だけを返し、あまりの寒さに思わず身体を震わせる。その後に呟かれた黒鋼の言葉と共に、北の城は崩れ落ち、跡形もなくなってしまったのだ。


「っ…ファイ、さ…?」
「レイノちゃん?大丈夫?」
「…さ、むい……」
「黒ぴょん、上着貸してー」
「ぴょんって何だ!」

 膝の上から聞こえて来るのは、弱々しい聞き慣れたソプラノだった。うっすらと瞳を開けているレイノはしっかりと生きていて、思わず安堵の息を漏らす。そして、その後に囁かれた彼女の言葉に、ファイは黒鋼に声を掛けたのだ。こんな時でさえも突っ込みを絶やさない黒鋼はやはり優しいのである。黒鋼の上着を掛けてやれば、彼女はゆっくりと身を起こした。


「ファイ、さん…助けて、くれましたか」
「…うん」
「じゃあ、夢じゃ、なかったんです、ね」
「え?」
「貴方の温もりが、あったから」
「レイノちゃん?」
「……眠い、です」
「え、ちょ、聞いてる?」

 途切れ途切れにオレに気持ちを伝えてくれるレイノちゃんは何だかとてもいじらしくて、無意識に距離を縮めて行くのが分かった。けれど、オレの言葉を聞いてくれないレイノちゃんはやっぱり最後までそれに返事をしてくれる事は無くて、力をなくした様にオレの膝に倒れ込んだ。急にそんな風になるもんだからびっくりしたけど、口元に耳を寄せれば規則正しい寝息が聞こえて来る。そんなレイノちゃんの様子に思わず笑みを溢したオレは、温もりが戻って来たこの子の小さな身体をぎゅう、と抱き締めたのだ。


「お疲れ様」

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