episode 31
桜の国
「嵐…か」
巨大な砂漠が広がる中央には二つにそびえる大きな遺跡が大きな存在感を表している。現在のそこは、それを守る様に音を立てて嵐が巻き起こっていた。そんな現状を、低く男らしい声色で一人言の様に呟く者が一人居た。その声が聞こえた雪兎はそちらに素早く駆け寄るのである。そんなここは「玖楼国」と呼ばれる国だ。
「起きてはいけません、王!」
「これ以上寝たら、目が開かなくなる」
「けれど!」
「敬語。あと、桃矢」
桃矢にそんな冗談染みた事が言える気力などない筈なのに、彼はにっと力なく笑い、つらつらと単語を並べた。そんな彼を見て雪兎も安心したのか、安堵の息を吐いたのである。するとふと、桃矢は下を向いていた顔を上げ、窓から見える砂嵐を視界に映した。前の砂嵐からどれくらい経ったのだろうか。
「時期が決まっているわけでもない。原因もわからない。けれど、ああやってあの遺跡のまわりには時折砂嵐が起こる」
「まるで、あの中にある何かを守るように」
「その何かが目的で、来たんだろうな。あいつらは」
桃矢と雪兎は深刻な事を考えるかの様な難しい表情を浮かべて、眉を顰めた。サクラと小狼が「日本」に送られて来る前、何者かの襲撃を受けたのだ。それらによる攻撃のせいで桃矢は今、ベッドの上から動けないでいる。先程「寝てはいられない」と言ったが、とても動ける身体ではないのだ。
「あの装束や武器は、近隣国のものじゃない。調べようとしたら全員消えたから、詳しいことは分からんが……」
「僕達とは次元の違う、どこか別の世界…異世界から来たんだと思う」
「桜とあの小僧も、今頃、その異世界のどこかにいるんだな」
「ごめん。桃矢が気を失ってる間に…」
「分かっていたことだ。あの小僧が桜の運命の相手だということは」
桃矢と雪兎の脳裏には突然現れ、そして、突然人々を襲った謎の者達が浮かんでいた。殆ど一人でそれらの相手をした桃矢は倒れる様に気を失ってしまったらしい。桃矢は何処に居るか分からないサクラと小狼を思い出す様に天井を見上げる。すると雪兎は申し訳なさそうに眉を顰めて俯いたのだ。桃矢はその事に怒っている訳ではなかった。こうなる事は必然だと、心の何処かで思っていた。だからこそ不安要素が一つあるのだ。
「…あの小僧と初めて会った時のことを覚えているか」
「桜姫が草冠の編み方、教えてあげてたね。桃矢、桜姫があまりに嬉しそうだったから、機嫌悪かったんだよね」
「それだけじゃない。あの小僧を見て、違和感があったんだ」
桃矢にも、おそらく小狼本人にも分からないその違和感は時が過ぎるにつれ、無くなって行った。だから誰にも言わなかったのだ。雪兎は強大な魔力を持っており、その力で人々を癒す者である。そして、桃矢は鍛えられた力で人々を守り、悪しき者を倒す正義の者だ。この違いがどの様な事を表すのか、それはまだ分からない。
「前王にはそのことは…」
「言った。あの小僧に会ってすぐ後にな」
思えば、あの時の父の顔は全てを悟っていた様に思う。何もかも分かっていたのかも知れない。もしくはただ、良い方に進む様にと、そう願っていただけなのかも知れない。見守る側の人間らには何も分からせてはくれないのだ。ただ、願うだけ。それだけしか、出来る事は無いのかも知れない。
『信じましょう、未来を』
嵐は未だ、止まない。
ここはまだ名の知らぬ異世界である。一番最初に出て来たのはモコナはぽんっと可愛らしい音を立てながら魔法陣の上に浮かんでいる。そして、モコナの大きな口から五人の人間らが飛び出して来たのだ。小狼はサクラの手を持ち、黒鋼は未だに慣れないのか、モコナを見つめ、レイノはファイに手を取られながら地に降り立つ。降り立った一行の表情は明るいものではなかった。異世界と言うものはやはり、不安が付きものなのだろうか。
『ようこそ!桜都国へー!』
そんな一行が辿り着いたのは、桃色の花びらが散る暖かな国である。
「わー。可愛い女の子いっぱいだー」
「まとわりつくな!」
「すっごい良い匂いしますね」
「あらあら、みなさん。変わった御衣装ですね、異世界からいらしたんですか?」
「異世界から人が来ることがあるんですか?この国では」
「もちろん。この国を楽しむために皆様、色んな国からいらっしゃいますわ」
「楽しむんですか?暮らすんじゃなくて?」
「はい。楽しむんです」
先程出て来た女性らは声をあげながら、一行に抱き付いた。何処か着眼点がおかしいレイノを突っ込む黒鋼も、今回ばかりは聞き逃してしまった様である。モコナに頬ずりをする女性が何気なく言った一言に、一行は驚いた。何故彼女らが異世界の存在を知っているのか。それが分かるのはもう少し先のお話である。
「まだ住民登録されてないんですか?」
「はい」
「それはいけないわ!早速、市役所へお連れしなければ!!」
「ささ、参りましょ!」
「参りましょ!」
「「『はーい』」」
疑問が晴れない内に投げ掛けられた問いに、小狼はきょとん、と瞬きを繰り返した。そんな彼の答えに女性らは大変だ、と言わんばかりに、ある者は頬に手を添え、ある者達は手を上へと向けた。流れる様に進んで行く展開に冷や汗を掻くのはサクラと小狼のみで、何処か楽観的な空気に焦るしかないのである。
一行は女性らに連れられて「桜都国中央市役所」と言う場所に向かわされた。そこの「すぐやる課」に居る、にっこり、と口角を上げて微笑む少女は何処か機械染みた声色を持っている。そんな少女が出したのは個人情報などを書き込む紙だ。レイノと小狼はじぃっと「すぐやる課」と言う文字を見つめ、ファイは少女に「どうもー」と挨拶を交わしている。そんなレイノらは、すぐさま名前を書く事になったのだ。
「今まで使われていたのと違っても、大丈夫ですよ」
「偽名でいいってことかなー?」
「はい」
「んじゃ、オレがみんなの分もかいとくねー。こんなんでもいいのかなー♪」
「ファイさん…それは…」
「最上級の嫌がらせですね」
少女に渡された紙にさらさらと何かを書いていくファイを見て、小狼はまだ焦る事しか出来ない。この人絶対頭良い筈なのに、何でこう言う事にしか思考回路が働かないんだろう。そう言った疑問がぐるぐると巡るが、それをもし本人に問うても正解に辿り着く事は無い、としっかり理解している。
「はい、承りました。では職業はどうなさいますか?」
「この国は旅人も働かなくちゃだめなのー?」
「構いませんが、働かないとお金がなくて何も出来ませんよ?」
「そりゃそうだねー」
「とりあえず、住む場所をお決めになりますか?良い物件をご紹介しますよ」
「あの、この国の通貨は?」
「園です」
「持ってませんよね」
「はい」
「何かお持ちの物があったら、換金できますよ」
無意識に自己完結と言う結果に落ち着いたレイノは、ファイと言う男を反省と言うものを知らない人間、と位置付けた。次に決めるのは職業である。今までの国とは少し違うシステムに、レイノは思わず眉を顰めた。少女は、背が高いファイを上目線で見つめ、ファイもにこにこと笑いながら少女に近付いて行く。少女と話しているレイノらの後ろのソファでは、サクラがうとうと、と眠そうに目を擦り、それをモコナが支えようとしている姿があった。
「黒わんわーん!袋、持って来てー!」
「人を犬みてぇに呼ぶなー!!」
ああ、先が思いやられる。
「ジェイド国と高麗国の服、買ってくれて良かったねー。小狼君の言う通り、とっといて良かったよ」
「他国の衣装が貴重な国もあるので」
「それもお父さんと旅をしていた時の知恵ですか?」
「はい」
一行は少女から紹介された大きな家に拠点を移していた。そこはレンガ造りの洋風な家らしく、レトロな感じが良い味を出している。一行が話をしている家の中のソファでは、限界が近付いて来ているのか、サクラがゆらゆらと風の様に揺れていた。どうやらそろそろ限界が来てしまったらしい。
「くつろいでていいのかよ。見張られてるかもしれねぇんだろ、誰かに」
「んー。でも、ずーっと緊張してるのは無理だしねぇ。リラックス出来る時にしとかないとー。ねー、レイノちゃーん」
「これすっごいふわっふわですね!」
「おまえはだらけっぱなしじゃねぇか!その横でてめーは何に感動してんだ!」
新しく話題を出した黒鋼の眉間には皺が寄っていて、警戒心を緩める事はしていない様だ。そんな彼をやんわりと流して、ファイは自分のコートの海に飛び込み、隣に居たレイノを適当に抱き込んで寝転んだのである。抱き込まれた彼女はファイよりもファイの上着の感触に夢中である。そんな二人に思わず突っ込んだ黒鋼はこの国でも苦労人の役割を担わなければならないらしい。
「さて。寝る所も確保したし、後は……レイノちゃん、モコナ」
『本当に少しだけど、サクラの羽根の力、感じる』
「この国にありますよ」
サクラはもう限界を超してしまったのか、力がなくなった様にソファの海に倒れ込んだ。それを見計らったファイは起き上がり、レイノとモコナに声を掛ける。その後に続いたレイノの言葉と共に、小狼の琥珀の瞳が大きく見開かれたのだ。また、それと同時に窓ガラスが割れる音が家内に響き渡る。窓ガラスを割ってまでも入ってきたものはレイノの身体よりも数倍大きい、蜘蛛の様なそれを持った、奇妙なものだったのである。
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