episode 32
始まる新生活
「わー。お家を借りたらいきなりお客さんだー」
「招いてないんですけどねえ」
突然の襲撃に、ファイは何時もの様に笑いながらのんびりと言葉を放つ。その横に居るレイノは苦笑を浮かべ、黒鋼は眠ってしまったサクラを抱えてそれから遠ざかった。それは完全に家内に入り込み、地響きを鳴らしながら窓ガラスの破片を飛び散らせた。それは手の一部である鎌を一行に向かって振り回すが、一行はそれを難なく避け切ったのである。しかし、避けた場所が悪かったレイノは相手の二つの鎌に挟まれてしまったのだ。大怪我を覚悟で動こうとした。しかしそれはファイがレイノを抱えた事によって無駄な考えとなったのだ。
「あっぶなー……」
「す、すいません……」
「てめェは周りを見ろ!」
「だからごめんって言ってるじゃないですか!」
「この状況で何で逆ギレ出来んの?」
どうでも良い言い合いを続けている間に相手は標的を小狼に定めたらしく、彼を中心に攻撃を続けて行く。それまでは無傷で避けていた彼だったが、右側の反応が遅れたらしく、右腕からは血が吹き出していた。これ以上長く続けると貧血になりかねない、と悟ったのか、彼は壁を土台とし、足を大きく振り上げる。その蹴りはちょうどそれの脳天に行ったらしく、大きな音を響かせた。それはシュウウウ、と煙を口から吐き出しながら倒れる様に落ちて行ったのだ。それを見計らった小狼は、軽快に地に足を着かせる。
「お疲れさまー」
『おつかれさまー』
「レイノちゃん、怪我無かったー?」
「だ、大丈夫です。すみません」
「良いよ良いよー。可愛い女の子が出迎えてくれたり、綺麗な家紹介してくれたり、親切な国だと思ってたけど、結構、アブナイ系なのかなー」
ファイは笑顔でひょっこりと現れ、レイノに声を掛けた。そして、彼女の答えに安心した彼は再び話題を戻したのである。黒鋼はそんなファイの様子を黙って見つめていた。そんな一行の前にある物体は突然崩れ去り、彼女らの前から跡形もなく消えたのだ。そこには散乱した窓ガラスだけが残っていた。
「消えた!」
不思議な現象に、小狼は思わず声を張り上げた。そんな彼の隣では、ファイとモコナは目線を落とし、レイノは何かを感じ取る様に目を瞑り、黒鋼はただただそこを睨んでいる。こんな状態でも眠れるサクラはよほど疲れが溜まっていたのだろうか。唐突に静寂に包まれたそこは、疑惑で溢れていた。
「やっぱり、危なそうな国ですよね」
そんな場所では、レイノの高い声がやけに低く、虚しく響いたのである。
「こんにちはー」
「こんにちは。昨晩はご活躍でしたね、報奨金が出ていますよ」
「え?」
「鬼児を倒されたでしょう?」
「なんで知ってるのかなー。消えちゃったんだけど、あのお客さん」
「鬼児の動向を市役所が把握しているのは当然ですが」
翌日、再び市役所を訪れたレイノらは笑顔で告げられた言葉に疑惑と警戒心を抱いた。何故知っているのか、そんな疑問を言葉にしてくれたファイの顔には笑みが浮かんでおり、しかし、逃がさない、と言った威圧感が存在している様に見えた。そんな彼の前で微笑む少女には、戸惑いや動揺などは見受けられない。
「鬼児っていうのは、この国ではどういう存在なんですか?」
「鬼児はこの桜都国に現れる敵、倒すべきものです。主に、夜現れますが、稀に日が高い内にも出現します。強さは月の満ち欠けの影響を受けます。月が満ちるほど強く、新月に近いほど弱まります」
「でも、あんなモノがうろうろしてる世界というか、国の割には、あんまり緊迫感がない感じですよね」
「よほどのことがない限り、鬼児は一般市民を襲いません。専門家がいますから。彼らは『鬼児狩り』と呼ばれる狩人です。鬼児を倒して収入を得ています。強い鬼児を倒せば倒すほど、得られるお金は高額になります。貴方達が倒した鬼児は、ハの五段階。鬼児狩りとしてやっていけると思いますが、職業としてお選びになってみますか?」
「それって、他の仕事よりやっぱりー」
「手っ取り早く儲かります」
「小狼君、どうしますか?」
少女は何処からかある書物を取り出し、それのページを一枚一枚捲って行く。それは鬼児と言うものの資料らしきそれだと考えられる。自身が説明してくれた職業を、彼女に紹介された小狼の脳裏にはサクラが映っていた。何処の世界に渡ってもサクラの羽根を追い求める彼の覚悟は素晴らしい。何としても取り戻したい、そんな気持ちを理解したレイノは問いを投げ掛けた。
「その仕事は、情報を得るのに有利ですか?探しているものがあるんです。だから出来るだけ、この国の色んな情報を知ることが出来る仕事がいいんです」
「でしたら、鬼児狩りはぴったりだと思いますよ。同業者から裏の事情も色々聞けますし。鬼児狩りをしているものしか立ち入ることが出来ない場所もあります」
少女は微笑んだかと思えば急に表情を変え、「非常に危険」だと、暗く、重い雰囲気を漂わせて告げた。だが、そんな表情で揺らぐほど小狼の決意は脆くないのである。その事を分かっているレイノの顔には笑みが浮かんでいた。その後に続いた彼の一言は何処か重みを感じたと、そう思う。
「…やります」
やっぱり小狼君はこうでなくっちゃね。
「尚、鬼児狩りは必ず二人組で、となっています。ちなみに、ひとつの一行に鬼児狩りは一組だけ、という決まりです。一緒に旅して来られた方の、どなたと組まれますか?」
「そりゃ、黒様でしょー」
「でも…黒鋼さんに聞いてないのに……」
小狼の言葉を受けた少女は先程の真顔とは打って変わって、にっこり、と満面な笑顔を浮かべ、それをレイノらへと向けた。そして告げられた事実に、ファイは迷う暇もなく黒鋼を主張した。ちなみに当の本人は今お留守番中である。この結論は大体予想してた事だけどね。
「サクラちゃんは無理。モコナは…」
『モコナ、応援してる!』
「レイノちゃんは…」
「痛いの嫌なんで」
「ってなるとー、黒わんを外したら怒っちゃうでしょ」
ファイに視線を向けられたモコナはやけにキラキラとした笑顔を浮かべ、小狼の人差し指をにぎにぎ、と握る行為を繰り返した。そして、次に視線を向けられたレイノの脳裏には昨夜の戦闘が巡っている様で、全力な笑顔を浮かべてはそれを小狼に向けている。どれだけ嫌なんだ。
「貴方達はどうなさいますか?」
「なんかのーんびりしててー、楽しくてー、情報も聞けるような御仕事ってないー?」
「ありますよ」
「じゃ、それー」
「ま、まだ何の仕事か聞いてないのに」
ファイは「すぐやる課」の机に気だるげに全体重を預け、適当な職業に身を置いた。どうやらレイノも同じ職に就くらしい。そんな状況に冷や汗を掻く小狼だが、ファイは笑って誤魔化していた。何時もと同じ態度である。そんな小狼をまあまあ、と宥める彼女の姿が、そこにはあったと言う。
「「ただいまー」」
「ただいま帰りました」
「黒わんた、いい子で待ってたー?」
「だから犬みてぇに呼ぶな!」
「あのねぇ、仕事決めてきたよー」
「あぁ?」
「小狼君と黒わんは、鬼児を倒して、んで、お金持って来てー」
「ガキ、説明しろ」
「はい」
ファイと小狼は何かが入った袋を手に持ち、昨晩壊された家へと戻った。家の中では眠っているサクラ、座っている黒鋼とモコナが居る。ファイは持っていた袋を床に置き、「おみやげ買ってきたよー」と付け足して黒鋼の頭を撫でた。まるで漫才をしてるかの様な二人に、レイノは思わず笑みを溢したのである。その後、ファイは身振り素振りで黒鋼に「鬼児狩り」についての説明を始めるが、どうやら黒鋼には一文字も伝わらなかった様である。
「えーん。黒わんころがほったらかしにしたー」
「お母さん泣かせたら駄目でしょう?」
「嘘泣きはやめろ!誰が息子だ小娘てめェ!」
ファイは自身を置いて説明を聞いている黒鋼を見て、しくしくしく、とわざとらしく泣いてみせた。そんなファイを軽く抱き締めたレイノは悪乗りを始めてしまった様である。そんな二人に怒鳴り散らす黒鋼は、息子と言うよりも父親の様に見えてしまう。そんな黒鋼は小狼から説明を聞き終わったかと思えばニヤ、と口角を歪めてみせたのだ。
「鬼児狩りか。退屈しのぎにはなりそうだな」
『黒鋼ノリノリー』
「ほらねー」
「はい」
「人殺しに行く人の顔ですよね」
「うるせェ小娘(馬鹿)」
「それ何て書きました?」
まるで悪人の様な表情を浮かべる黒鋼を見て、ファイは小狼に小声で囁き、それに対して小狼は真顔で頷いていた。その後に続いたレイノの言葉に、黒鋼は自身なりの暴言として「馬鹿」と告げたのだ。それに気付かないほど彼女は鈍くない。相変わらずバチバチ、と火花を散らす二人である。
「けど、おまえはいいのか」
「え?」
「鬼児ってのがどれくらい強いのか分からねぇが、それを倒す仕事があって、金が支払われてるってことは、素人じゃ手が出せねぇってことだろう」
小狼は黒鋼の言いたい事が未だに分からないらしく、間抜けな声を発していた。しかし、その時の黒鋼の言葉はらしくない、何時もよりも遠回しな言い方をしていた様に思う。それまでじっと小狼の顔を見つめていた黒鋼だが、痺れを切らしたのか、グイ、と小狼の右側の前髪を力づくで掻き上げたのだ。
「右目が見えてねぇな」
その時の小狼は、酷く驚いていた様に見えた。
巧断と出会ったのは一番最初の国の阪神共和国での事である。そこでパートナーとなった巧断は精神力で操るものの為、目が見えていようがいまいが関係は無かった。その後の高麗国に着いた途端、レイノとサクラの腕が引っ張られた時、小狼はそれを全く見ずに反応したのである。領主の息子は二人を本気で傷付けようとしており、小狼が手を出さなければ持っていた鞭で傷を付けるつもりだったのだろう。その時に反応して魔術具で息子を突いたファイでさえ、息子の顔は見ていた様に思う。そして、昨日の鬼児の襲撃の一件だ。右からの攻撃への反応が、僅かながら遅かったのである。様々な不安要素がある中、それでもなお小狼は「お願いします」と黒鋼に頭を下げたのだ。
「おっけーだよね。黒様ー」
「…ふん」
「ありがとうございます」
「不器用ですねえ」
「誰がだ」
話に区切りが付いたのを感じ取ったのか、ファイとモコナはひょこ、と黒鋼の背後から現れる。鼻を鳴らした黒鋼に肯定の意を見出した小狼は酷く嬉しそうに笑顔を浮かべ、未だに眠るサクラを、愛おしそうに微笑みながら見つめたのだ。黒鋼に近付くレイノは楽しげに笑みを浮かべている。こいつに隠し事は出来ねーのか、と、黒鋼はこの時やっと悟ったのである。
暖かい。天国の様なそこは真っ暗で、けれど幾らでもいたいと、そう思える様な場所だった。しかし、それの外から微かに香るお茶の香りにも興味をそそられる。そんなサクラはうっすらと翡翠の瞳を開けた。そして、横を見ると何やら作業をしているレイノらの姿が見えたのである。
「あ、小狼君。サクラちゃん起きましたよ」
「目が覚めましたか?」
「はい。あの、これ…」
「昨日、鬼児を倒して市役所で貰ったお金で用意したんだよー。割れた窓も直してもらったし、色々買ったの運んでもらったしー。服も、この国のに着がえたんだ。でも、黒るんのそれ。どう着るのか、さっぱり分かんなかったよー。黒たん、さっさと着ちゃってすごいー」
「こりゃ袴だろう」
「黒鋼さんの国はそういった服装なんですか?」
「まあ、近い感じではあるな。で、お前の、そりゃなんだ」
「オレの仕事、言ったら、こういう服がいいって教えてくれたんだよー。服屋さんが」
ファイはバーテンダーの様な服装で、黒のベスト、黒いズボンに靴、白いカッターシャツをネクタイで締めていた。小狼は学ランを真面目に着こなしていて、モコナも珍しく可愛らしいエプロンを巻いている。黒鋼は動きやすそうな袴を着こなしていて、元々そう言う環境だったのか、違和感は無い。レイノはロングスカートのメイド服を着用している。スカート部分は下に行けば行くほどシースルーの素材になっており、足元は黒の厚底ブーツで飾られていた。
「あのね。オレ、ここで喫茶店やろうと思ってー」
「お客様から色々情報聞けるって、市役所側も言ってたからね」
『モコナもそれするのー!』
「わたしも!」
「ってことで、サクラちゃんも一緒にカフェやろうよー」
「はい、頑張ります!」
「じゃ、さっそく着替えよっかー」
「え?え?」
レイノとファイはまるで打ち合わせでもしたかの様に口を揃えてサクラに仕事についての説明を話す。そして、一緒にやろう、と誘ったのだ。そんな二人の誘いに、サクラは掛けていた毛布を手に取り、ぺこり、とお辞儀をしてみせたのである。そして、流される様に別の部屋に移されたサクラは、まだ状況を掴めていないらしい。
「サクラちゃん」
ファイに渡された服を前に、サクラは頭を悩ませていた。初めて見る「和服」と言われるそれの着方が分からないのである。そんな中現れたのは、既に桜都国の服装に着替えたレイノだった。腰まであるふわふわとした茶髪を上でまとめているレイノはお姉さんみたいで、少し憧れる。そんな事を思われてるとも知らずに、レイノは口を開いたのだ。
「着方、分からないかなあって思って」
「…ふふ」
「え、何?」
「レイノちゃんには、何でも分かっちゃうんだなあ、って」
「何かね、妹みたいだなあ、って思っちゃうんだよね」
「…わたしもね、レイノちゃんの事、お姉さんみたいだなあ、って思ってたの」
笑みを浮かべたレイノはサクラの服に手を伸ばし、それを広げた。下着を這わせ、左を上にして紐を一周回し、胸元で結ぶ。その上に着物を重ねて同じ方を上にして、皺にならない様にしっかり伸ばした。その上から固定する様に帯を固定し、その上から袴の紐をぐるぐると回し、動きやすい様に軽く崩す。そうすれば立派なウエイトレスの出来上がりだ。そんな中進められた会話は酷く和やかで、自然と頬が緩んで行くのが分かる。
「似てるね、わたし達」
そう言って笑ったレイノちゃんを見て、思わず抱き締めたくなったのは秘密。
「あ、出来たー?」
「やっぱり着方分かってなかったみたいですよ」
「やっぱりかー。レイノちゃんがいてくれて良かったー」
「可愛かったですよ」
「えへへー。やっぱりカフェには、女給さんだもんねー」
『ねー』
「これでいいんでしょうか」
戸惑いがちに出て来たのは着替えたサクラの姿である。ふんわりとしたエプロンに長めの袴を合わせ、見事に着こなしていた。そんな彼女の姿を見た小狼は「変じゃない」と無言で彼女に伝えている。そんな甘ったるい空気が漂う間、黒鋼は一人でカーテンを取り付けていた。「めんどくせー」とぼやきながらも丁寧にやってるくれる黒鋼は、やはり優しいのだろう。
モコナは羽根に反応したのか、それともまた別の事に反応したのかめきょっと目を見開かせた。しかし、レイノの反応がない為、サクラの羽根は関係ないと考えられる。それは、その直後に出て来た人数分のある小さなケーキによって証明される事となる。ゴトン、と大きな音を立てて机に置かれたそれからは甘い匂いが漂って来る。
「なに、なにー?」
『侑子から』
「ひょっとして、差し入れー?」
「あの魔女がただで差し入れなんかするか」
「黒鋼さんって『次元の魔女』さんの事すっごい疑いますよね。トラウマでもあるんです?」
「胡散臭ェだろ」
「でも、おいしそー」
『これ、フォンダンショコラだ!中にチョコが入っててね、あっためて食べるの!』
「へー。ちょうどいいから、みんなで食べようよー。お茶も入ったしー」
「俺ぁいらねぇぞ」
一行は机の周りに集まり、届けられた食べ物に目を丸くしている。まさか皿ごと寄越されるとは思っていなかったが、綺麗な容姿をしているのにこう言う所はがさつらしい。そんなレイノと同じ気持ちを持っている黒鋼が食べる事を断固拒否する隣で、ファイはそんな黒鋼の口にフォンダンショコラを突っ込んだのだ。
「何しやがる!!」
『黒鋼食べちゃったー。侑子に言おうーっと!』
「これ食べちゃったらお返し強要されそうな見た目してますよね、あの魔女さん」
その後、ファイは無邪気な声色で笑い出したのだ。そんな光景を見ていたレイノは思わず笑みを吹き出した。それに続く様に言葉を紡いだモコナは酷く楽しげである。そんなモコナを追い掛け回す黒鋼を放置して、彼女らはお茶の時間を楽しむ事になったのだ。そして、黒鋼と小狼が出掛けている間、彼女とファイ、サクラは喫茶店の看板を作る事になったのである。
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