episode 33
強さの意味

「にゃ〜ん。にゃーん、にゃにゃーん」
「てっめー!!」
「おかえりー」
「お帰りなさい」
「よくも…妙な名前つけてくれやがったな!」

 喫茶店ではサクラはナプキン折りをしており、ファイは何か変な歌を歌ってぺったぺったっと何かを描いている。そんな彼の横にレイノは居た。そんな場所に帰って来た黒鋼はどうやら怒っている様である。しかし、今更になってそんな黒鋼を気遣う程二人は優しくない。向こうではサクラと小狼が冷や汗を掻いていたが、気付く者は居ないだろう。


「…ああ、その事ですか」
「市役所の子が偽名でもいいって言うからさー。でも、この国の字分かんなくてー」

 そう言ったファイは「これ描いて」と付け加えて効果音が付く程の勢いで絵を描いた紙を黒鋼に見せた。そこに描かれていたのは、黒鋼の髪の様なツンツンの黒い大きい犬と柴犬の様な小さく、可愛らしい犬だった。ファイはそれらの名前を「おっきいワンコ」と「ちっこいわんこ」で登録してしまったらしい。
 そして、再び見せられた違う紙には三匹の猫が描かれている。左には黒く大きな猫、真ん中には白く小さな猫で頭には可愛らしいリボンがあり、右にはリボンがない猫である。それらの名前を「おっきいニャンコ」と「リボンにゃんこ」、「ちっこいにゃんこ」で登録したのである。そんなファイは笑いながらサクラと小狼に看板を見せるが、黒鋼が刀を抜いているとは知っていない様だ。


「…そのワケ分かんねぇ事しか考えねぇ頭ん中カチ割って綺麗に洗ってやる!」
『きゃー』
「きゃー。おっきいワンコが怒ったー」
「ファイさんあれ絶対わざとですもんねえ……」
「最近黒鋼さんを弄る事に生きがい感じてそうですもんね」
「すっごい分かります」
「わー。可愛いお店ー。ここがお家なんて素敵ですね!『ちっこいわんこ』さん」
「え。いや、あの…」

 黒鋼は抜いた刀を振り回し、ファイを追い掛け始めた。ファイは看板を持ち、からかいながらも黒鋼から逃げ回っている。そんな光景を見て、ふと思った事をそのまま口に出すが、どうやら小狼も同じ気持ちだった様だ。レイノらの後ろの扉では譲刃と草薙が顔を覗かせており、先ほど教えて貰った渾名を呼ぶ。んん、しばらく慣れそうにないなあ。


「お!うまそうな匂いだな」
「チョコケーキの試作なんですー。開店は明日からなんですけど、良かったら食べてみてもらえませんかー」
「「よろこんで!!」」
「悪いな『おっきいワンコ』」
「ワンコじゃねぇ!!」

 草薙がクン、と鼻を動かせば、甘い香りが鼻腔を擽る。そんな彼の言葉に気付いたファイは、黒鋼の刀をヒョイ、と避けながら笑顔で答えた。その後に続いた草薙の言葉と共に投げ掛けられたその笑顔が頭に来たのか、黒鋼は刀を光らせて怒鳴り散らしたのである。ああでも、案外この国は楽しい所かも知れないなあ。




 カウンターテーブルの上には一行が食べたフォンダンショコラ、その横には生クリームが添えられている。ほくほくと湯気の立つそれは焼きたてである事を表しており、その熱さで横にある生クリームが溶け始めている。その様子は、酷く食欲をそそられるものだった。


「おいしー!」
「よかったー♪モコナのアドバイスで生クリーム添えてみたんだー」
「こりゃ、他の鬼児狩りやってる奴等にも教えないとな。うまい喫茶店ができたって」

 よほど美味しかったのか、譲刃はじたじた、と手足をバタつかせている。モコナ曰く「クリームが付いてると、なお美味しい」らしい。サクラはお盆にお茶の入ったカップを乗せ、カチャカチャ、と震えさせながらゆっくりと譲刃の元へ運んで行く。草薙の分はレイノが用意したらしい。


「ありがとう!桜都国には、来たばかりなんですね」
「はい。昨日」
「貴女も?」
「そうだよ」
「お名前は?」
「え、えと……『リボンにゃんこ』」
「可愛いお名前!」
(これ可愛いの)
「着いた夜、いきなり鬼児とかいうのに家宅侵入されて、大変だったよー」
「そういえば、市役所の女の子が鬼児の事、説明してくれた時に言ってたんですけど『段階』ってなんですか?」

 サクラはやっとの事で譲刃にお茶を渡すと、そこは柔らかな雰囲気に包まれる。そんな和やかな様子を、レイノは微笑ましそうに見つめていた。そんな譲刃の説明によると、鬼児の強さは七段階あって、イが一番上、それから順に下がっていて、それをさらに五段階に分けているらしい。例えばホの一段階だとホのランクで強い鬼児、五段階だとホのランクで弱い鬼児と言う具合である。


「と言う事は、一番強いのは『イの一』」
「そう!鬼児狩りはみんな、そのイの一段階の鬼児を倒す為、日々頑張ってるんです!」
「ってことはー、昨日、うちに来たハの五段階ってのは、中間よりちょい上くらいー?」
「そりゃ妙だな。家に侵入できる鬼児はロの段階以上だぜ」

 確かに市役所の少女が言った通りだとファイの意見が正しいが、草薙の言葉がどうも引っ掛かる。不信感を抱いたレイノと黒鋼は目を合わせ、頷いた。それと同時に床に寝そべっている犬がピク、と鼻を利かせる。護羽曰く「鬼児の匂いを感知出来る」犬らしい。


「鬼児が近くに出たみたい!」
「ごちそうさん」
「すっごくおいしかったです!」
「幾らだ?」
「今日はサービスでー。また来て、色々教えて欲しいなー」
「おう。是非、寄らせてもらうよ」
「二人とも、またね」
「また」
「また来てね」
「もう常連さん候補出来ちゃったねぇ。『おっきいワンコ』」

 譲刃と草薙と犬が立ち上がり、目を変えた事にサクラは驚く。その事を察してか、譲刃は犬を撫でて、優しく微笑んだのだ。彼が扉を開けている後ろでは、譲刃がレイノとサクラに声を掛け、笑顔で手を振っている。ファイは自身が付けた渾名が気に入ってるのか、笑いながら呼ぶと黒鋼は無言で鞘から刀を抜いていた。そんな二人を無視した小狼は、レイノとモコナにサクラの羽根の行方を問い掛ける。それを見ていたサクラの瞳は苦しげなそれだった。




「あの、レイノちゃん、ファイさん」
「んー?」
「どうかした?」
「体が温まる飲み物って、ないですか?」
「飲み物?どうして…」

 小狼とモコナは羽根について自室で調べている。そんな彼に、サクラはどうしても僅かなことでも何か力になれたら、と思ったらしい。そんな考えはレイノとファイにまで影響していた。幾ら昼は暖かいからと言っても、夜は結構冷え込むのである。だから体が冷えない様に何か作ろうと、サクラは考えたのだ。そんなサクラの考えに気付いた二人は顔を見合わせ、笑みを深めた。


「なるほどー。夜は冷えるからねぇ」
「…ホットチョコレートなんてどう?」
「あー。チョコレートあっためるだけだもんねー」
「…作ってみる?」
「うん!」

 頭を働かせるには甘い物は必要だし、夜は冷えるからと言う事で暖かい物が断然良いだろう。そう考え、笑みを浮かべながら問い掛けたレイノにサクラはとても嬉しそうな笑みを浮かべたのだ。けれど、あんな事になるなんて思わなかった。知っていたら、止めたのにね。




「サクラちゃん、嬉しそうだったねー」
「良かったです。サクラちゃんの中での小狼君、変わって来てますから」
「けど、良いのか。姫、追い詰めてたぞ」
「やっぱり鬼児の事についてでしょうか。小狼君、すぐ無茶しちゃいますし……」
「お前他人のこと言えねーだろうが」
「それは同感だなぁ」
「そっ……れは不可抗力じゃあないですか」

 黒鋼はお風呂に入っていたらしく、髪が少し濡れそぼっている。そんな彼とレイノ、そして、ファイは小狼の部屋の前に立っていた。未だ不安定なサクラを案じて、の行動である。そんなレイノらの会話は、レイノの無茶振りについてとなっていた。ジェイド国での一件で、レイノはかなり無茶をする人物だと認定されてしまっている。そんな会話の中、サクラは唐突に小狼の膝の上に崩れ落ちたのだ。


「何だ今のは」

 今の状況は侑子に差し出した対価はそんなに甘くないと言う事を表している。小狼が彼女に渡した対価はサクラとの関係性だ。即ちそれは、サクラの中に彼に対しての特別な感情が失くなると言う事である。それはサクラ自身とて同じ事なのだ。小狼は分かっていたのかも知れない、こうなる事を。だが、差し出した対価はどれだけ待っても、どれだけ時間が過ぎようとも、この手に戻ることは無いのだ。


「だから、ガキは姫に言わなかったのか。以前、自分と姫がどういう関係だったのか」
「それでも「やる」って決めたことは「やる」んでしょう。彼は」
「小狼君は、そう言う子ですからね」

 自分が幾ら辛くても、辛くて心が潰れそうになっても大切な人の為なら、愛する人の為なら決して諦めない。小狼はそう言う子なのだ。自分の事など省みず、大切な人を守る強さが本当のそれなのだろうと、レイノは思ったのである。けれど、傷付きに傷付いた彼を本当の意味で癒す者は居るのだろうかと、柄にもなく思ったのだ。

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