episode 34
ひかり
「おはようございます!」
太陽が昇りきるお昼前、その日は騒がしい音で目が覚める。それの原因は未だに起きてこないサクラだろう。時折痛々しい音が響くのを聞けば、キッチンで作業をするレイノとファイは目を合わせ、思わず苦笑を漏らした。暫くして現れた袴姿のサクラはくるくると跳ねる髪の毛をどうにか抑えようとしていて、どうやら寝起きの状態のまま一階に降りて来たらしい。
「おはよー、サクラちゃん」
「おはよう。サクラちゃん、髪の毛すごい事になってるー」
「ごめんなさい。寝坊しちゃって!」
「いいんだよー。お店、開ける時間まだ決めてないし。それに、サクラちゃんは本調子じゃないしねー」
「明日はちゃんと起きられるように頑張ります!」
「応援してるよー」
焦るサクラを前に、ファイはコポポ、と軽快な音を響かせてお茶を淹れた。彼女はあせあせ、と手で寝癖を直すが、収まる事は無い。それを見兼ねたレイノはひょこっと未だに跳ねる柔らかい髪を優しく包み込む様に押さえ、微笑みを浮かべてブローを始めたのである。
「モコナと小狼君と黒鋼さんは?」
「市役所だよ」
「昨夜、また鬼児が出て。それやっつけたから報奨金貰いにー」
「昨夜ですか?」
「うん。サクラちゃん、良く寝てたから」
「また怪我したんでしょうか」
「ん〜。小狼君はちみっとね」
「心配?」
サクラは寝癖を直してくれているレイノに負担が掛からない程度に視線を泳がせる。くるくると巻かれているサクラの髪は寝癖だけではなく、元々の癖も付いているらしい。そんな髪質を持つ当の本人はそれに気付かず、怪我をしたと言う小狼の身を案じていた。恐らくサクラが眠った後、小狼の部屋の窓に貼り付いていたあの大量の鬼児を相手にしたのだろう。黒鋼はともかく、小狼には少し無理があると言うものだ。
そんな小狼はサクラの為に毎日頑張ってくれている。そんな行動を見て、今更「知らない人」とは思えなくて、寧ろ凄く大切な人の様に思えて来るのだ。そんな彼女の気持ちなど知らず、彼は迷惑を掛けまいと怪我などを隠してしまうのである。そんな彼が、時折凄く独りに見えるのだと言う。そう呟いた彼女に、レイノは思わず笑みを深めた。
「…さすがだなぁ」
「え?」
「何も出来ないなんてことないよ。笑ってあげてよ、サクラちゃんの笑顔が小狼君のごちそうだから」
レイノとファイは顔を見合わせて、微笑んだ。二人の意味深な笑みを見て、サクラは首を傾げる。しかし、その後に続いた彼の言葉に、サクラは思わず目を見開いたのだ。レイノらにとって、サクラの笑顔は太陽だ。皆が持っている闇を照らしてくれる小さな光の様なものである。それがあるから、わたし達は笑顔でいられるんだよ。
「まあ、オレのごちそうはレイノちゃんの笑顔なんだけどねー」
「本当口説くの上手いですよねえ」
「だーから口説いてるんじゃなくて本音だってばー」
「どうだか」
「もー……で、サクラちゃんの朝ご飯はこっちー。お腹すいたでしょー、召し上がれ」
「有り難う御座います。いただきます」
「このジャム、レイノちゃんが作ったんだよー」
何時もの間延びした声に乗せて、ファイはレイノに笑みを向けた。それを真に受けない彼女を見るのは一体何回目の事なのだろうか。そう思った彼は、首を傾げるサクラの前にコト、と小さな音を響かせてパンやジャム、お茶などが乗せてあるお盆を優しく置いた。そして、頬杖を付いてレイノが作った、と言うジャムを指差したのだ。横を見れば嬉しそうに頬を緩めるレイノの姿がある。そんなレイノに満足したサクラは差し出されたパンにジャムをたっぷりと塗り、口に頬張ったのである。
「おいしいっ!」
「よかったー」
「レイノちゃんとファイさん、すごいです!絵も上手だし、お料理も上手なんですね!」
「絵は魔方陣の要領だしー。料理は薬とか、魔術具の調合と同じだしねー」
(ちょっと違う気がするけど…ま、いっか)
「…でも、小狼君もモコナも喜んでくれたんですけど」
「『おっきいワンコ』がねぇ」
実を言うと、ファイの魔方陣は文字式だし、薬はともかく調合と料理は全く違うと思うのだ。けれど、本人が言っているのだからそれは間違いないのだろう。そう思ったレイノは、同意を求めて来る彼に向かって苦笑と呼ばれる笑みを向けたのだ。そんな二人は、朝食を食べ終えたサクラと共にパンを作る事になったのである。
「そう。そうやってこねてー。そしたら、生地をこうやってー」
「はい!」
「サクラちゃん、熱心だねえ」
「うん!」
日も傾きかけて来た夕方、ファイとサクラは何やら生地をこねており、その奥でレイノは何かを混ぜていた。カシャカシャ、と言う音が唯一の証拠である。だんだんと個体になって行くボールの中の物からは甘ったるい匂いが漂って来る。それを吸い込めば、食欲もそそられると言うものだ。そんな時、玄関の扉が開かれて呼び鈴が軽快に音を鳴らす。
『ただいまー』
「「おかえりー」」
「お帰りなさい!」
「ただいま」
サクラが懸命に生地を丸めたりする後ろでは、レイノは個体となった生地を適当に小分けにし、窪みを作る。それをとろとろにとろけたチョコレートで蓋をしたのだ。そんな中、帰って来た黒鋼だけが不機嫌な顔を浮かべている。どかどか、と響く足音はその怒りを何処かにぶつけている様にも聞こえた。
「黒ワンコ、まだ怒ってるのー?朝ごはんのことぉ?」
「そのワンコっての、ヤメろ!」
「何か困ったことあった?」
「黒鋼さん、すっごい怒ってるんですけど」
「あ…あの、帰る前にもう一回、市役所に行ったんです。情報屋に行った後に。黒鋼さんが『すぐやる課』で、登録名を変更しようとしたんですけど…無理だって、きっぱり言われてしまって……」
「あははははは」
ファイはカウンターテーブルに頬杖を付いて、わざとらしく問い掛けた。レイノも怒る黒鋼を見て、苦笑を浮かべている。背後からのし掛かる威圧感に圧迫されながらも、小狼は冷や汗を掻きながらあそこまで怒っている黒鋼の経緯を話し出した。どうやら名前を変更するには、再度入国しなければならないらしい。その上、現在持っているお金は無効となると言う事だ。おそらくファイはこの事を知っていた様に思う。
「…レイノちゃん。これ、どうしよう」
「放置放置。ほら、お茶にしよう」
自室でゆっくりと時間を過ごしていたレイノは、下から響いて来た鈴の音に反応して階段を降りて行く。そこでは既に二人の客が席に付いており、そんな二人にサクラは震えながら水を出していた。んん、まだ危なっかしいなあ。そう思いながらもそれを手伝おうとはしないレイノは酷く矛盾している。
「お客さん来てたんだね」
「うん。さっき」
「貴女もここの方ですか?」
「はい。注文がお決まりになりましたら…」
「いえ、今日は…」
「え?」
トレーを胸に抱えてカウンターの方に戻って来たサクラは、レイノの姿を見て安心した様でほっと安堵の息を吐いている。そんな中、レイノに声を掛けるのは先ほど来た、と言う客の内の一人だ。営業スマイルと呼ばれる笑みを浮かべて決まり文句を口にするが、どうやら食事目的ではない様だ。なら何故、こんな所に訪れたのだろうか。それはどうやら小狼をずっと見つめている方に理由がある様だ。
「おまえが『ちっこいわんこ』か?」
「は…はい」
「俺は龍王」
「蘇摩と申します」
「おまえ、強いんだってな」
龍王と言う少年に渾名で呼ばれた小狼は思わず手に力が入り、言葉に詰まっている。やはり「ちっこいわんこ」はまだ慣れないらしい。そんな小狼の様子に気付かない龍王は口角を上げて、大剣を包んでいた布を小狼に向かって振り払ったのだ。突然の攻撃に驚く小狼だったが、持ち前の反射神経と小柄な体格を生かしてきちんと避けている。
「小狼君!!」
「聞いた通りじゃねぇか」
サクラは不安そうな声で小狼の名を叫ぶが、レイノの手によって制されてしまう。そして、レイノもまた、桃色の瞳を細めて龍王を警戒する様に見つめたのだ。彼は妙な気を纏った剣先を小狼に向け、嬉しそうな笑顔を浮かべたのだ。それによって輝くのは、小狼の見えない筈の右目である。
「久しぶりに、本気出せそうだぜ」
「お店、お客さん来てるかなー。黒様ー、まだ怒ってるー?」
「に、決まってっだろ!」
「あっ」
「なん……」
楽しげな様子のファイとは違い、黒鋼は未だに名前が変更出来ない事について怒ってるらしい。そんな中、短く発されたファイの声に黒鋼は思わず振り向くと、頬にほんの僅かな衝撃が与えられた。しばらく時間が止まった気がするのは傍観者だけである。青筋を浮かばせた黒鋼は、腰に携えていた刀を両手で掴み、それを掲げた。
「わーい。振り返ってくれたー」
「…そのままじっとしてろ。今、あの世へ送ってやる」
「あ」
「二度も同じ手に引っ掛かるか!」
嬉しそうに手を上げて無邪気に笑っているファイの後ろでは、厳しい表情で殺気を送る黒鋼が鞘から刀を抜いていた。再び声を上げたファイに黒鋼は怒鳴るが、その直後、黒鋼の真横を何かが通り過ぎたのだ。すると、肉が張り裂ける音が響き渡り、思わず黒鋼が振り返れば、ファイが持っていたダーツの矢に刺さった鬼児達の姿がそこにはあった。
「んー?ここは鬼児の出現地点じゃなかったはずだけどねぇ、って、小狼君が印つけといてくれてるけど」
「情報屋が言ってた通りってワケか」
ファイが口元だけの笑みを浮かべてダーツの矢を構えると同時に、鬼児達は吸い込まれる様に消えて行く。それを見届けた彼はは何処かに隠していた桜都国の地図を取り出し、地面に広げた。どうやらこの国は最近おかしくなっているらしい。それが羽根と関係しているのかは不明だが、その可能性もある、と考えている。ダーツの矢だけでは倒せないらしい鬼児達は再生を始めて行き、そんな状況を見て楽しげに口角を上げた黒鋼は再び鞘に入った刀を構え、ファイも残ったダーツの矢を構えたのである。
「鬼児共。めんどくせーから、まとめてかかって来い」
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