episode 5
誤解

 一行が今居る国は阪神共和国と言い、周りが海で囲まれている。ホワイトボードには春夏秋冬と全て食事絡みの事が書かれていて、それだけ食事には自信があると言う事なのだろうか。主食や名産物、政治的な事をまとめて説明してくれる空汰は嵐に近付いて行くが、嵐は何時もと変わらず完全無視である。空汰は子供が欲しいと見える。


「島の形はこんな感じ。形が虎っぽいんで、通称「虎の国」とも呼ばれとるんや。そやから阪神共和国には、虎にちなんだモンが多い。通貨もココやしな。一虎とか十万虎とかや。ちなみに国旗も虎マーク野球チームのマークも虎や!この野球チームがまたええ味出しとってなあ!むちゃくちゃ勇敢なんやで!ま、強いかっちゅうと微妙なんやけど」
「はーい。質問いいですかー?」

 話の主軸がずれて来て空汰の趣味の話になって来ているが、嵐は話を止めず無表情でそれを聞いていた。一通り阪神共和国についての説明が終わったところで、ファイが手を挙げて空汰に声を掛けた。どうやら一連の会話はこのまま講義形式で進んで行くらしい。かなり雑な様に感じるが、ファイはこう言うものに楽しみを感じているのだろう。


「はい。ファイ君」
「この国の人たちはみんな、空汰さんみたいなしゃべり方なんですかー?」
「んな、水くさい。空ちゃんでええで。――わいのしゃべり方は特別。これは古語やからな」
「この国で過去、使われていた言葉なんですか」
「そうや。もう殆ど使われてへん言葉なんやけどな。わい、歴史の教師やから、古いもんがこのままなくなってしまうんもなんや忍びないなぁと」
「歴史の先生なんですか」

 喋り方について問い掛けた筈が何故か呼び方の話になっていた事には苦笑を浮かべる他、術は無いだろう。脱線してしまった話に、小狼は頷きながら連呼し、ファイとモコナは元気良く返事をしていた。そんな三人をレイノは、微笑ましそうに見つめていたのだ。小狼と空汰がやり取りをしている中、モコナはファイの頭から小狼の頭へ、小狼の頭からレイノの頭へと飛び交っている。


「おう!なんや。小狼は歴史、興味あるんか」
「はい。前にいた国で発掘作業に携わっていたんで」
「そりゃ、話が合うかもしれんなー」
「もうひとつ、質問でーす。で、ここはどこですかー?誰かの部屋ですかー?」
「ここはわいとハニーがやってる下宿屋の空き部屋や」

 歴史が好き、と言うよりかは新しいものを見付ける事が好きなのだ。好奇心旺盛な子供と言うべきか。何処か楽しげな小狼をよそに、レイノは玖楼国の遺跡の存在を思案していた。何処か懐かしげに見つめるその瞳の先にあるものは何か、それは本人しか分からない。次々と質問して行くファイにぐっとサインを出して、空汰は嬉しそうに笑いながら無言で無表情の嵐を己の胸へと寄せ付けた。そして空汰はうっとりとした表情を浮かべ、また自分の世界へと浸ってしまった。


「そこ、寝るなー!」

 先程のほんわかとした雰囲気は何処へやら、厳しい顔つきになった空汰は寝ている黒鋼を指差すと、黒鋼の後頭部に鋭い衝撃が走らせたのだ。黒鋼は衝撃が走った後頭部に手を当て背後の壁に振り返り、小狼は布団の中で眠っているサクラを庇う様に覆い被さり、ファイは何時でも応戦出来る様に手を構えた。その横に居たレイノはぱちくり、と瞬きを繰り返したのだ。――何とまあ緊張感のない少女である。


「なんの気配もなかったぞ!てめぇ、なんか投げやがったのか!?」
「投げたのならば、あの角度からは当たらないでしょう」
「そうだねえ。真上から衝撃があったみたいだし?」
「何って。くだん、使たに決まってるやろ」

 唐突な攻撃に黒鋼が落ち着いていられる訳がなく、素早く立ち上がり周りを見渡した。また、珍しくファイの顔からは笑顔が消え、真剣に、冷静に今の状況を分析し始めている。この状況に、今までは心ここにあらずだったレイノも僅かに眉を顰め、不信感を募らせた。しかし、その後に告げられた言葉に再びきょとん、と目を丸くするのだ。


「「「「クダン?」」」」
「知らんのか!?そっかー。おまえさんら、異世界から来たから分からんねんなー」

 空汰の言葉にレイノらは声を揃えてきょとんとした表情を浮かべていた。しかし、目の前で立つ空汰もパペットを持ったまま同じ様な表情を浮かべているのだ。――それを空汰がやる意味は無いだろう。しかしそんな事を言える度胸も器量もない彼女は、ただただ空汰を見つめるだけだ。

「この世界のもんにはな、必ず巧断が憑くんや。漢字はこう書く」
「あー、なるほど」
「あはははは。全然わからないー」
「わたしも読めます」
『モコナ、読めるー!』
「すごいねぇ、モコナとレイノちゃんは」
(す、すごい……)
『小狼は?』
「うん。なんとか」
「レイノと黒鋼と小狼の世界は漢字圏やったんかな。んで、ファイは違うと。けど聞いたり、しゃべったり言葉は通じるから不思議やな」

 空汰は簡単に説明すると、パペットに黒のマーカーを咥えさせて、「巧断」と書いて見せた。それを読む事が出来たレイノだったが、そんな彼女は密かに首を傾げている。――わたしはあの国が居場所になってから、外に出た事は無いはずだ。なのに、どうして、普通に読めているんだろう。


「で、巧断ってのは、どういう代物なんだ?「憑く」っつったよな、さっき」
「例え異世界の者だとしてもこの世界に来たのならば、必ず巧断は憑きます。サクラさんとお呼びしてもよろしいですか?」
「…はい」

 黒鋼は顔を歪めて、聞こえやすい様にマントの淵を広げて問い掛けた。今まで黙り込んでいた嵐が真剣な眼差しをこちらに見やり、四人は少なからず驚きの表情を浮かべている。そして嵐は眠っているサクラの側に跪き、しばらくサクラの顔を見つめた。僅かに歪んだ嵐の表情の変化は、おそらく空汰にしか分からないのだろう。


「サクラさんの記憶のカケラが何処にあるのか分かりませんが、もし、誰かの手に渡っているとしたら…争いになるかもしれません。今、貴方たちは戦う力を失っていますね」
「どうしてそうだと?」
「うちのハニーは元、巫女さんやからな。霊力っつうんが備わってる」

 嵐が言った「争い」とは即ち、サクラの羽根が原因で世界が滅ぶ事もあり得ると言う事である。その後に続いた嵐の問い掛けに、ファイは貼り付けた笑みを浮かべ、何時もよりトーンの低い声で疑う様に問い掛けを返した。黒鋼は立ち上がり、座り込んだ嵐を見下ろす様に睨み、そんな様子にレイノは呆れる様に目を瞑り、静かに溜め息を吐いた。しかし、小狼はやっぱり、と言う気持ちがあったらしく、サクラを見つめている嵐に目線を向ける。良く見ると、嵐の周りには神々しい何かがある様な、そんな気がしてならない。


「ま。今は、わいと結婚したから、引退したけどな。巫女さん姿はそりゃ、神々しかったでー」
「実はー、次元の魔女さんに魔力の元を渡しちゃいましてー」
「俺の刀をあのアマー」
「まあ、力を使わないようにはなりましたね」

 さっきまでのピリピリとした雰囲気は何処へやら、空汰はまた自分の世界に入って行く。そんな彼に嵐はやはり完全無視を貫き通していた。そんな夫婦にレイノが苦笑を浮かべるのはもう慣れた事である。そうして嵐の問い掛けに答えながら、レイノは今は無い封印具をなぞる様に首筋に指先を這わせた。


「おれがあの人に渡したものは力じゃありません。魔力や武器は最初からおれにはないから」
「やっぱり貴方は幸運なのかもしれませんね」
「え?」
「この世界には巧断がいる。もし争いになっても、巧断がその手立てになる」
「巧断って、戦うためのものなんですか」

 それぞれが対価について話した後(のち)、嵐は言葉は発さずに隣の小狼に視線を向けた。そんな彼の答えに意味深な発言をする嵐は何かを知っている様である。そんな彼女の話に聞き入る一行は少しずつサクラの周りに群がり、ゆっくりと腰を下ろして行く。そんな一行に対して言葉を放った空汰の笑みは見守る様な、そんな意味が孕んでいる様な気がした。


「さて、この国のだいたいの説明は終わったな」
「あれでかよ」
「で、どうや。この世界にサクラの羽根はありそうか」
『……ある』
「まだ、遠いですけど。この国にあると思います」

 そんな話の展開になっていたとは露知らず、モコナは目を瞑り、サクラの羽根の波動を感じ取ろうと魔力を集中させる。それに合わせる様にレイノも神経を集中させると、何処かでぼんやりと力の波動を感じる事が出来た。朧気で儚く、すぐに消えてしまいそうだけれど、その力は何処か温かかった。


「探すか、羽根を」
「はい!」
「兄ちゃんらも同じ意見か?」
「とりあえずー」
「約束は守りますよ」
「移動したいって言や、するのかよ。その白いのは」
『しない。モコナ、羽根が見つかるまでここにいる』

 小狼は手にモコナを乗せて、空汰に向けて真っ直ぐな瞳を向けた。それは、強い決意を表していた。空汰からの問い掛けに、ファイは薄っぺらい、レイノが苦手としている笑みを貼り付けて、レイノも仕方ない、と言った笑みを浮かべていた。その後に続いたモコナの否定の言葉によって黒鋼もこの国に留まる事となったのだ。


「残念でしたね」
「うっせェ」
「ありがとう、モコナ。レイノさんも」
「よっしゃ。んじゃ、この世界におるうちはわいが面倒みたる!侑子さんには借りがあるさかいな。ここは下宿や、部屋はある。次の世界へ行くまでここに住んだらええ」
「ありがとうございます」

 小狼は凄く嬉しそうな笑顔を浮かべて手の平にモコナを乗せる。そんな二人をレイノは自分の事の様に嬉しそうに見つめ、微笑んでいた。空汰が曇りのない笑顔を嵐に向けて彼女の手を優しく握ると、嵐は顔を微かに紅く染めて、目線を逸らす。何だかんだと言って、上手くやっている様だ。


「もう夜の十二時過ぎとる。そろそろ寝んとな。部屋、案内するで。おっと、ファイと黒鋼は同室な。悪いんやけど、レイノも同じ部屋でええか?」
「大丈夫ですよ」
「はーい」
「なんだとー!?」

 空汰がホワイトボードを別室に持って行く中、付け足す様に伝えた事は部屋割りについてだった。彼の言葉にレイノとファイは快く了承したが、黒鋼だけは不満らしく、怒鳴り散らしている。その後も言い合いを続けているファイと黒鋼に思わず笑みを溢し、彼女は空汰にシャワーを借りる事を伝えたのだ。




「…血だらけ、か」

 大きな月が綺麗になったレイノの身体を輝かせる。今、彼女は下宿屋の屋根に寝転がっていた。月に手の平を翳すと、爪の間に僅かに残った血垢が目立つ。それを見たくなくて、彼女はぎゅっと目を瞑った。けれど思い出すのはボロボロに町として機能しなくなった自身の居場所と自身のせいでなくしてしまった大切な人達の最期の顔だ。そんな現実から逃げたくて、レイノは再び目を開ける。すると桃色の瞳からはぽた、と涙が零れ落ちた。一粒零れ落ちた涙からどんどんと溢れ出て来る悲しみ、虚しさ、儚さ――それらは止めどなく流れ出てくる負の感情だった。涙は出ている筈なのに嗚咽は出ないレイノの横から屋根が軋む音が、静かな夜に響き渡る。


「…ファイさん」
「…なーにしてるの」
「綺麗、だなあ……って」
「月?」
「そう。こんな大きな月なかなか見れないでしょう?」
「……泣いてたの?」
「…そうみたい、ですね」

 屋根が軋んだ原因はファイだった。ふわふわとした金髪が濡れている。シャワーを浴びて来たのだろうか。そんな彼はレイノの隣に腰を下ろし、彼女と同じ様に月を見上げた。ちらり、と横を見れば真っ白に輝いている男が、そこには居た。嗚呼、綺麗だ。初対面に近い人物にそんな思いを抱いてしまう程には、脳内はぼうっと、靄が掛かった様になっていた。


「…似てるんですよね」
「え?」
「貴方の顔が、わたしの大切な人に」
「……そうなの?」
「そりゃもう激似ですよ、激似。一瞬本人かと思いましたもん」
「あはは。そんなにー?」

 ふと話し出したレイノの目は既に乾いており、何時の間にか涙を拭い取っていたらしい。先程の表情は何だったのだろうか。そう思ってしまう程にはこの変わり身に驚いており、ファイは今日何度目か分からない数多い瞬きを繰り返した。ただの世間話だと思ったのだ。だから笑った。なのに、こんな所で嫌な初体験をするとは思わなかったのだ。


「まあ、もう死んでるんですけどね」

 時が止まった様だ、なんて。


「…すみません。不謹慎でしたね」
「そんな事無いよー。まあ、訳アリかなーとは思ってたしねー」
「ナリが普通じゃないですもんね」
「……だから、泣いてたの?」
「え…」
「あの部屋じゃ泣けないからここに来たんじゃないの?」
「そう言う意味じゃ…っ」
「変に慰めたりしないから、泣いたら良いよ。聞いててあげる」
「……悪趣味ですね」
「良く言われる」

 ファイの表情に苦笑を浮かべたレイノは寂しそうに、やっと乾いて来た髪の一束を摘み、それを見つめた。しばらくその状態が続くと思われた。しかし、それは唐突に核心を突く彼の言葉で中断される事となったのだ。勢いのままに上体を起こすと、背中を丸めた彼が意地悪く口角を上げている姿が視界に入る。目を瞑ると再び零れた涙はぽたぽた、と音を立てて屋根に落ちて行く。良く分からない子だと思った。大人びてるのか年相応なのか分からないと、そう思っていた。嗚呼、それは今も思っているかも知れないが。

 この子に弱いと思われたくなかったのは、確かだった。


「貴方、優しいのか弱いのか、分からないですね」

 そう言ったレイノはその夜、奇妙な夢を視る事になる。

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