episode 46
神の国
薄暗い灰色の空が、視界を独占する。地面には、眩しすぎる白い雪が沢山積もっていた。そこに跡を付ける、一人の少女が居た。寒い空気の中、彼女は薄手のワンピースを着用していて、それには赤暗い血液が付着している。周りを埋め尽くすのは血だらけの死体達である。その手に刀がある事から、全て彼女がやった事が分かるだろう。生きている者は誰も居ない。笑ってくれる人も居ない。するとふと、雪を踏み締める音が響き渡る。厚いコートにふわふわの金髪に白い肌を持った少年の顔は見えないけれど、とても愛らしい顔立ちだろう事はすぐに分かった。彼女は、ふと顔を上げる。すると、彼との視線が絡み合ったのだ。
「…―――…?」
小さな唇が、震えながら何かを呟く。けれど、それは何かに遮られた様に耳に通る事は無かった。その呟きに、少年は酷く驚いた様に息を飲んでしゃがみ込む。戸惑う様なその視線は見慣れた光景である。少女が自嘲じみた笑みを浮かべれば、カシャン、と何かが雪の上に落ちる微かな音が響いた。キラキラと輝くその魔術具は少年の物である。その音に気付いた彼女がそれの宝石にそっと口付ければ、彼女は消えたのである。
その時に伸ばした筈の小さな手は、未だ届く事は無い。
「レイノちゃん…」
「大丈夫ですか?」
「わたし…」
「うなされてたんです」
「…すみません。もう大丈夫です」
「本当に?」
「本当に」
そこで、ふと目が覚める。サクラと小狼、モコナの不安げな瞳に、レイノは思わず自身の顔に触れた。何時もはふわふわと空気に遊ばれている茶髪もしっとりと水分を含んでいる。相当魘されていたのだろう。けれど、何故か先ほどまで見ていた筈の夢の記憶がない。悶々とした変な気持ちに苛まれながらも、心配をかけまいとレイノは何時もの笑みを浮かべたのだ。その時、視界には襖や灯篭などが映った。どうやら次元移動の後らしい。
「新しい国に来たんですね」
「はい。そう言えば、黒鋼さんとファイさんは…」
冷静に考えを流そうとしていたが、何処かおかしい。新しい国に来て早々屋内に居る事に気付いたレイノは思わず眉を顰めた。居る筈の存在の人らの姿が見えないのである。驚いて外を見ると、そこにはたくさんの店達が並んでいる。そんなそこは夜の筈なのに賑やかで、人々が行き交う明かりが絶えない国だった。そんな時、戸惑った場所の襖が勢い良く開かれたのである。
「「気がついたのね!」」
「ずっと動かないから心配してたのよ!」
「こんな子供が遊花区へ来るなんてどうしたの!?」
「それよりこの子可愛いー!」
「あら。このお嬢さんだって可愛いー!」
「この子だってすごい可愛いー!」
『モコナもー!』
「きゃー!本当に可愛いー!」
「黒鋼さんとファイさんは!?」
「いないんです!!」
『同じ場所に落ちなかったみたいー』
「「え!?」」
『でも、同じ世界にはいるよ。そんなに離れてないはず』
「それじゃ、探しに…」
そこには多くの女性達がおり、小狼はサクラを庇う様に前へ出た。レイノは今の状況が良く分かっていない様である。そんな間にレイノらは女性達に絡まれていて、モコナもとある女性に口付けを浴びせられていた。流されそうになる雰囲気の中、ファイと黒鋼の不在に気付いた小狼は賑やかなこの場で声を張り上げた。モコナの次元移動は凄く好い加減であるから何時かこうなるかも、とは思っていたが、かなり不便である。思わず溜め息を吐くと、再び襖の方から活きの良い声が響き渡ったのだ。
「仕事中だってのにこんな所で、何油売ってんだい姐さん達!子供とはいえここは男子禁制だよ!」
「「鈴蘭ちゃん!」」
「主人だっつの!!」
「大目に見ておやりなさいな、主人」
現れたのは、腰に刀を刺した元気な女性で、とても男らしい印象である。彼女はここの主人らしく、同僚らに酷く好かれているらしい。しかし、いきなり沸いたこの場の雰囲気にレイノらは圧倒されるしかないのである。そんな場所に現れたのは、艶がかった声を発する女性である。
「火煉太夫」
「その子達いつ現れたのか、ちょっと前からそこの格子前で寝ころんでてね。先に髪の短いお嬢さんが起きたんだけど、髪の長いお嬢さんと男の子はちっとも目を覚まさないし、髪の短いお嬢さんは泣きそうだしで、みんな、ずっと心配してたのよ」
「怪我でもしてるのかい?」
「いや。そういうわけじゃ」
「じゃあ、何でこんな所で行き倒れになってたんだい?」
「旅をしてるんです。それで…」
「お腹が空いてたのね!」
「かわいそうに、こんな所で!」
「まだ小さいのに三人旅なんて!」
『主人!!』
現れた女性は「火煉太夫」と言うらしく、彼女の顔には慈愛の微笑みが浮かばれていた。どうやらレイノらは、相当長い時間寝ていたらしい。「空腹」のせいではなく変な所に落ちて気を失っていただけなのだが、その事を言える雰囲気でもない。レイノらが口を挟めないこの現状で、ぽんぽんと進んで行く会話を止める事は出来ないのである。
「たとえ行き倒れでも捨て置いたとあっちゃ、この遊花区の名折れだ。この遊花区の主人、鈴蘭が預かった!さあ、上がってお行き!旅の人!!」
「…い、良いのかな」
「まあ、寝床が決まったし良いんじゃないかなあ」
「流れる様に決まったんですけど」
「この様子だと退屈しなさそうですし、何とかなると信じたい」
「それ願望でしかないですよね」
同僚らに責められた鈴蘭は片膝を床に付け、レイノらを向かい入れてくれたのだ。そんな鈴蘭に、レイノらは再び圧倒されたのである。仲間が増える、と喜ぶモコナと同僚らをよそに、レイノらは寝床が決まった事に安堵したのだ。だんだん冷たくなる小狼の反応に嬉しくなりながらもファイと黒鋼が居ない今、サクラと小狼を守らなければ、と一人意気込むレイノがそこには居たのである。
「はぐれちゃったねぇ。レイノちゃんと小狼君とサクラちゃんとモコナ、大丈夫かなぁ」
一方、ファイと黒鋼は神社らしき所に落ちてしまった様だ。綺麗に着飾られている境内からは何処か、神聖な雰囲気を感じる。そんな中をふらふらと歩いているファイは何時も通りの笑みを浮かべているが、黒鋼は何処か拗ねている様子である。前の国の魔物が竜巻だった為、戦えなかったからと思われる。
「っていうかさあ、あの国、変じゃなかった?」
「何がだ」
「あの国、暑い所に生える木がいっぱいあったよね。背がたかーい、葉っぱがいっぱいの。それに、結構暑かったよねぇ」
「それがどうした」
「でもさ、あの国に住んでた子達は、ふわふわもこもこだったんだよねぇ。あんなに暑い国の住人でふわもこって妙じゃない?」
しかし、ファイが唐突に話題にあげた会話に、黒鋼はようやく興味を示した。どうやらファイは考えなしに「残る」と言った訳ではない様だ。実はレイノもそうなのだが、黒鋼が知る由は無い。ファイが矛盾点を一つ一つ挙げて行く度に、黒鋼の顔はどんどん厳しいものになって行った。
「だから、レイノちゃんとオレで残った時、聞いてみたんだー。小狼君はあの子達と魔物の話して、すぐ出かけちゃったからね。そしたら、ずっとこの国にいるっていうのに竜巻にやられたとはいえ、建物が殆どなかった。それにね、あんなに側に羽根があったのにレイノちゃんとモコナが全然、気付かないってのも、変だよねぇ。落ちてたーって持って来てくれたんだけど、ただ持ってただけならレイノちゃんは気付いてただろうしモコナはもっと早くめきょってなってたでしょう。微かにしか感じなかったってことはー」
「仕組まれたってことか?」
「…かもね。竜巻はサクラちゃんがちゃんと声を聞いたんだから本当だとしても、後は、あの子達の可愛いしぐさで色々、変な所をうまーく誤魔化されたって感じかなぁ。羽根が見つかった後、モコナ移動しちゃったしねぇ」
ちなみにレイノが羽根に気付いたのは、生物らが羽根を持って現れる直前である。どれだけ遠くにあっても「不思議な感じがする」と曖昧に言ってみせる彼女が全く分からない、となるのはあり得ないのだ。その事に黒鋼が問いを投げ掛けると、ファイは顔に陰を作り、笑みを深めたのである。
「驚かないんだねぇ」
「…誰かの視線を感じる時がある。異世界を渡る旅を始めてから、ずっと。何ともなかったのは、あの次元の魔女の所くらいだな」
「あの次元の魔女の居場所は凄い所だったからねぇ。何で言わなかったの?小狼君に」
「言ってもしょうがねぇだろ。相手が誰かも分からねぇのに」
「無駄に不安にさせることもないって?黒様やっさしー」
「勝手に決めるな」
視線を感じるところはさすが忍、と言うところだろう。そんな黒鋼は侑子が居た場所を、ふと思い出した。どう言う絡繰りなのかは不明だが、透き通る様な、何かで遮断された様なそんな雰囲気を感じていた。そんな話題から逸れる様にファイはふざけた様に笑い、黒鋼を茶化した。そんな何時もの雰囲気が流れる中、目の前には数名の人らが現れたのだ。
「なんだてめぇら」
「遊花区の手のモンか!?」
「ここは陣社だぞ!!」
「遊花区のモンが来ていい所じゃねぇ!!」
「ゆうかくー?じんじゃー?」
突然現れた男らを、黒鋼は殺気を込めて睨んだ。恐らく今の状況は喧嘩を売られている、と言う解釈で正解なのだろう。あからさまな敵意を持って対峙されるのはジェイド国以来である。ファイは階段から軽快に飛び降りて、目の前の敵意に向かって笑みを浮かべた。そして、馬鹿馬鹿しくとぼけてみせたのだ。
「とぼけてんじゃねぇ!!」
「…そっちが先に抜いたんだ。どんな目に遭わされても文句言うんじゃねぇぞ」
人を小馬鹿にする様なファイの態度に痺れを切らした男らは一斉に刃物を取り出した。その光景を目にした途端、黒鋼はにやり、と口角を上げたのだ。そして、何時の間にか刀を抜いていた黒鋼は、男らの身体に浅い傷を付けたのである。素早い攻撃にファイは軽快に手を叩くが、どうやらそれも癇に障ったらしい。
「てめぇ、何、ぼけっと見てやがる」
「やー。黒たんの大活躍を邪魔しちゃいけないかなーって」
「く…っ、くっそー!」
「やっちまえ!」
全く手を出さないファイに苛立ったのか、黒鋼はファイに対して刃先を向けた。しかし、ファイはそれを手の平でそっと受け止めたのである。さも当然、と言いたげに行っているその行為は、やはり素人には出来ない動きである。その余裕の態度が気に障ったらしい男らは、再び二人に刃物を向けたのだ。しかし、それを止める声がこの場には響き渡る。
「おやめなさい」
その凛とした佇まいは、全てを包み込む匂いを曝け出していた。
prev next