episode 50
ふとした瞬間
「なんか、飲み続けてたら朝になっちゃったねぇ。この国のお酒っておいしーね。幾らでも飲めちゃうなぁ」
陣社では、飛び立つ鳥達の声が朝を知らせてくれる。そんな境内のとある一室で、ファイと黒鋼は朝までお酒を飲み続けていたらしい。その証拠に室内には大量の酒瓶が床に転がっている。どうやらファイは酒豪だったらしいのだ。そんなファイを見て、黒鋼は苦々しく口を開いた。
「桜都国でのありゃ、演技か」
「んん?」
「酔っぱらってただろ。にゃーにゃーと」
「あれは本当〜、っていうかあれ、実際にお酒飲んでたワケじゃないでしょー。遊戯内での出来事だし。魔術の呪文を無理矢理体ん中にいれられたのと同じ感じになっちゃったんだよー」
黒鋼が言うのは桜都国で酒を呑んだとある一夜の事である。あの時は本当に凄かった。サクラとモコナ、小狼は逃げ回り、ファイには良く分からない悪戯をされたのだ。主な被害者はレイノと黒鋼の二人なのだが。その後に続いた言い訳じみたファイの言葉に、黒鋼は思わずこめかみに青筋を浮かべた。そして、怪訝そうな表情に変えたのである。
「あー、納得してない顔だー。胡散臭い奴だなぁって思ってるでしょー」
「ああ」
「やっぱりー」
「だとしても、問題ねぇだろ。お前も腹割るつもりはねぇみてぇだからな」
「…そうでもないかもしれないよ?」
「…蒼石とやらがあの夜叉像の謂れを話していて、『阿修羅』の名が出た。その時、顔色を変えたのは何でだ?」
へらり、と何時もの様な崩れた笑みを浮かべるファイを、黒鋼は瓶に入った酒を呑み、一喝した。そんな黒鋼の視線に対して、ファイは完璧な笑みを貼り付けてそれから逃げる様に口角を上げたのだ。そんな時に脳裏に浮かぶのは水底で眠っている筈の大切な人である。
「それと、小娘」
「え…」
「お前、どう言うつもりだ?」
「……たまにね、思い出すんだよねぇ。あの子の笑顔」
「好きなのか」
「んん…ううん……好き、なのかなぁ……好き、かもしれないけどー…」
「くねくねすんな!」
静寂に包まれたこの空間に、再び黒鋼の低い声が響き渡る。予想もしていなかった話題に、ファイは柄にもなく目を見開いたのだ。まさかここでレイノちゃんの話題を出されるとは思わないじゃん。自身の中で気持ちは決まっているのだが、それを第三者に話す、となると微かな羞恥心に苛まれるのだ。そんな、埒が明かないこの現状を打破したのは黒鋼の突っ込みと襖を開ける音だった。
「失礼します。昨日は随分揺れましたが、大丈夫でしたか?」
「はいー。頂いたお酒も美味しかったですしー」
「よろしかったら、朝餉をご一緒にいかがですか?」
「是非ー。ね、黒様ー」
襖の音の正体は蒼石だったらしく、早朝にも関わらず、彼は何時もの笑顔を浮かべていた。しかし、ファイにとっては良いタイミングだった様で、ファイはそこに逃げ込んだのである。そんなファイを黒鋼は何も言わずに見つめていたが、諦めた様に立ち上がったのだ。
「しかし、お酒お強いんですねぇ」
「…まいったなぁ」
ファイは蒼石の話に相槌を打つ黒鋼を見つめ、そっと唇を開く。その呟きが聞こえる事は無いのだろうが、僅かに焦る気持ちを内に秘めた。そんなファイが思い出すのは、今も故郷、セレス国の水底で眠り続けるアシュラ、そして、何時も笑みを浮かべるハンターであるレイノだった。
「見てないようで、見てるんだから」
どうしてか君に、会いたくなった。
「これ、やっぱり難しい〜」
「お箸は苦手ですか?」
「すみませんー」
「いいえ。お気になさらず」
とある和室に案内されたファイと黒鋼は、用意された朝ご飯を次々に口に含んで行く。セレス国が西洋の国と言う事もあってか、どうやらファイは箸が使えないらしい。それに気付いた蒼石は箸を掴み、突き刺す動作を始めたのだ。作法などは二の次である。そんなところに響き渡るのはとある氏子の叫び声だった。
「お客様が御食事中ですよ」
「すみません!けど遊花区の奴らが!いきなり蹴り飛ばして来やがったんだ!子供のくせにすげぇ蹴りだったんですよ!」
ファイと黒鋼は氏子らの登場にさほど驚いた様子ではなかった。しかし、ファイは突き刺した芋を食器の中に落としてしまったのである。それを再び箸で刺し、口に運んで行く。しかし、その途中で加えられた「小さい女がほうきを突き立てて来た」と言うとある氏子の言葉に動きを止めたのだ。そして、その後に続いた「女」と言う情報にファイはレイノを思い出したのである。
「…ね、黒様」
「……何だ」
「棒術と剣術って、イコールになるかなあ?」
「知るか」
「だってあの子すぐ喧嘩買うからぁー」
「それは言えてる」
所変わって遊花区の稽古場では、鈴蘭のリズムを取る手拍子の音が響き渡っている。そして、彼女の声と同時に少量の桜の花弁と共に小狼が空中を舞った。そして、次の合図と共にレイノが片方の籠を、もう片方の籠は彼が持ち、綺麗に着地を繰り広げたのである。
「うまいじゃないか!レイノ、小狼!!これなら今日の夜の興行に出せそうだね」
「で、でも!お客さんの前でこういうの、やったことないですし!」
「わたしのは小狼君がいたから出来たんですから、出るなら小狼君ですねえ」
「レイノさんまで!」
「けど、サクラはやる気満々だよ」
レイノと小狼が着地したと同時に稽古場では歓声が湧き上がった。こう言う見せ物の経験がない彼女にとっては、少し恥ずかしい気もする。けれど、心が楽しい、と言う気持ちでいっぱいになっている感覚もある。そんな横で指差す先には、傘を持ちながら綱渡りに挑戦するサクラの姿があった。
「姫!!」
最近のサクラちゃんって結構大胆だよね。
興行の時間が迫り、夜空には何時ものごとく煙が音をあげて夜を盛り上げていた。大きなテントの脇では身だしなみを整えられている小狼の姿がある。鈴蘭の同僚らに揉まれる彼の焦っている姿はなかなか見れるものではなく、レイノとサクラは思わずくす、と笑みを溢したのだ。
「お疲れさま」
「有り難うございます」
「モコちゃん、ずっと寝てたわよ」
興行に出る、と言う恥ずかしさ極まりない事から逃げる事が出来たレイノはサクラと共に、向こうに座っている火煉の元へと駆けて行く。火煉にモコナを預けている間、モコナはずっと夢の世界を彷徨っていたらしい。どれだけ寝るんだ。昨日は呑ませすぎたかなあ。もう夜なんだけど。一日経つんだけど。
「今朝は大変だったわね。陣社の氏子達が来たんでしょう?怪我は?」
「怪我は大丈夫です。でも…もう少しで鈴蘭さんが…」
「強いのよ。主人、鈴蘭ちゃんは。けれど、素直じゃないの。欲しいものがあるなら手を伸ばさなきゃ。永遠になくしてしまう前に」
「時間って、すぐに過ぎちゃいますもんね」
「火煉太夫…」
火煉の問い掛けにレイノが控えめに答えた。けれど、心の中ではもう少しで鈴蘭が怪我をするかも、と言う恐れもあった。咄嗟だったが動いて良かったと、そう思う。それに続ける様に紡がれた火煉の言葉は、失くしたものがなければ出て来ないそれだ。悔しくて、悲しくて。けれど、それ以上に大切なのだ。だからこそ、他の人にそんな思いはして欲しくない。そんな時に聞こえたのは昨夜の様な地響きだ。それに気付いたのはモコナのみである。
「また地震!?」
この国に来てから何度かあった地震だが、今回のそれは今までのそれとは少し違うみたいだ。スゥ、と目を開けたモコナの目は何処かおかしい。まるで次元移動する時の様である。怪異現象と言う枠組みには収まりきっていないと言う事は空が裂けている光景を見ればすぐに分かるだろう。その瞬間、ピリ、と肌に感じるものがあった。それは紛れもない、殺気である。何が起こっているか分からない今、レイノは隣に居るサクラと火煉を守る事しか出来ないのだった。
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