episode 54
四面楚歌

 夜叉城の前では多くの兵士らが集ってこの先に待ち構えている戦を心待ちにしている。その中にはレイノらも含まれていた。戦で何時も使う棒を地面に突き刺す彼女の手には、この国に来たばかりの頃にファイに買って貰ったバチ型簪がある。それは、彼女にとっては大事なお守りだ。触れていると酷く勇気を貰えるそれは彼女の精神安定剤で、自然と心に余裕が出来る。戦に出る前の行為としては当たり前の事となったそれを行い、彼女は前を見据えた。
 そして、周りの景色が変わった途端、レイノの斜め前に居た黒鋼が敵を斬り付ける。それに続き、彼女とファイ、が動き出すのである。向こうの方では、小狼が彼女らの名を叫んでいた。


「レイノさん!!黒鋼さん!!ファイさん!!」

 味方がやられ、阿修羅族は次々と動き出している。そんな中、レイノらはそれらを全て薙ぎ倒して行くのだ。棒を突き、弓矢を放ち、刀を振るう。そんなレイノらに敵う者は居ないのである。ちらり、と小狼の姿を視界の端で捉えれば、レイノは目を細めて笑んでみせた。そんな微かな表情の変化など、この激動の戦場では分かる方が珍しい。



「レイノさん!黒鋼さん!ファイさん!」
「阿修羅族は、こんな子供まで戦に駆り出さなきゃならん程戦える奴がいねぇらしいな」
「その言葉はわたしの身にも降り掛かって来るので止めて欲しいんですけどねえ…っ」

 再び戦場で声を張り上げた小狼のそれは、少し掠れていた様に思う。そんな彼に、黒鋼は刀の切っ先を向けたのだ。少しでも動けば、頸動脈にぶすり、である。そんな黒鋼の言葉にレイノは苦笑を浮かべて小言を漏らすが、どうやらそんな暇は無いらしい。衝撃を受け止めた棒の先には毎回お馴染みの相手である倶摩羅が鋭い殺気をこちらに向けていたのだ。彼女の言葉にくすくす、と笑みを溢していたファイも突然の奇襲に、僅かに目を見開いた。


「毎度毎度お疲れ様ですねえ……」
「ふざけるな!」
(毎回結構いっぱいいっぱいなんだけどなあ……)

 ギリギリ、と均衡する力の差に、レイノは思わず歪んだ笑みを浮かべて冷や汗を掻いた。どうやら倶摩羅は彼女を殺したくて殺したくて仕方がないらしい。女だと分かっているのにも関わらず全力で向かって来る彼には「容赦」と言う言葉は存在しないのだろう。棒で彼の武器を薙ぎ払うと、彼女は馬の背を足場にして彼の脳天から棒を振り下ろした。


「っ…女の、分際で」
「貴方の主も女性でしょう」
「阿修羅王は別格だ!」
「うそ吐きだなあ……」
「誰がだ!」

 レイノの攻撃を受け止めた倶摩羅は悔しげに顔を歪め、恨みが込められた視線を彼女に向ける。その後に続いた、所謂「女性批判」とも取れる言葉に、彼女は思わず苦笑を漏らしたのだ。この半年間、幾ら怪我をしても戦場に出る事は決して止めなかった。それは目の前の彼に負けたくなかったからだ。そんな風に必死に振る舞ってるなんて、目の前の彼は知らないんだろうけどね。


 ちらり、と横に視線をやれば、黒鋼の技達によってボロボロになってしまった小狼の姿が目に映る。小狼の背後にある岩もボロボロに砕けていて、知らないフリをしろ、とは言われたもののフルボッコ状態の小狼を見れば、可哀相になって来るのである。そんな事をここで漏らしたら「甘ったれんな」とか言われそうだけど。
 まあ、わたしもこんな事考えている場合じゃない訳で。次々に響き渡る金属音はわたしの腕にどんどん負担を掛けて来る。本当倶摩羅さんって男女の力量差を考えてないと思うんだよね。まあ、考えられても屈辱的なんだけど。けれど、互角の戦いと言うのは少し楽しい、と感じるのである。そんな時に踏み出した右足が少し熱いのである。思わずそこを見れば、足首には一本の槍が刺さっていた。


(やっば……)

 これ、移動する時に黒鋼さんに怒られるやつだ。「もっと周り見ろ!」ってまた怒鳴られちゃう。あの人の拳骨痛いんだよねえ。それに、そろそろファイさんもブチ切れそうな気がする。この半年間、あの人が小言言いたげにしてるところ見てないもん。それに、目の前からは突進して来る倶摩羅さんが武器を振り上げていて、横では弓を構えている阿修羅族の皆さんも居る。視界の端には驚いた顔のファイさんが居た。ここで大怪我して帰るのもアリかなって思ってたんだけどなあ。

 そんな顔されたら、意地でもこの場を切り抜けたくなっちゃうんだよね。


 レイノが持っていた棒に魔力を込めると、それにはまるで生きているかの様な水流が絡まり付いた。そして、目の前に迫る倶摩羅の武器を避けると、横で構えている阿修羅族に近付いて阿修羅族の腹に魔力が込められている棒を突き刺したのである。少し回転を加えると、阿修羅族の口からは血が溢れて来る。しかし、無意識に魔力を放出していた彼女は、阿修羅族の体内に取り入れてしまっていたのだ。それに気付いたファイが彼女の肩を引っ張るが、その時の彼女の瞳は月と同じ、金色に輝いていたのである。その事実に思わず眉を顰めるが、ファイは口の形で「やりすぎ」と、そう伝えたのだ。


「ご、めんなさい」

 ファイの言いたい事を理解して我に返ったレイノは武器を手放し、地面に座り込んだのである。そんな彼女の様子に、ファイは周りを威嚇する様に数本の弓矢を放ち、慰める様に彼女の頭を優しく撫でた。その様子を一瞬視界に入れた黒鋼は思わず溜め息を吐いていたらしいが、そんな事は知る由もない。そんな黒鋼が小狼に振り下ろした一撃は、横から襲い掛かった炎により中断せざるを得なくなったのだ。


「配下を助けるなんざらしくねぇな、阿修羅王」

 先ほどの炎を放った正体である阿修羅は、挑発する様な言葉を放った黒鋼に向かって微笑み、刀の切っ先を向ける。そこからは炎で象られた巨大な鳥が現れて彼を覆い尽くす。しかし、彼はそれさえも刀で切り裂いて彼女の元へと踏み出したのだ。それに気付いてもなお馬から降りる気はない彼女はかなり肝が据わっている人物である。


「見事だな」

 黒鋼の刀は阿修羅の喉にあり、何時でもそれを掻っ切れる状態だ。しかし、それを許さない者が一人居る。それは倶摩羅である。ギュルル、と言った勢いのある音を響かせて、黒鋼には武器が近付いて行くが、黒鋼はそれを刀で弾いて阿修羅との距離を取った。そんな黒鋼に武器を振り下ろす倶摩羅だったが、ファイによる攻撃で中断する事となったのである。


「俺の相手だ。手出しすんな」

 先程の攻撃がお気に召さなかったのか、黒鋼は不服そうにファイを睨んだ。しかし、そこから返って来るのはレイノのくすくす、と言った笑い声とファイの無言の笑みだけだったのである。けれど全方位を阿修羅族で囲まれている、今のこの状況は大変よろしくない。そんな時に響いた「夜魔・天狼剣」と言う夜叉の声は、仄かな光と共に彼女らの周りに居た阿修羅族を全て薙ぎ倒したのである。


「おのれ!夜叉王!」
「だから俺の相手だっつってるだろうが、夜叉王」
「黒鋼さん、一回この技受けましたよね」

 小言の様に加えられたレイノの言葉にファイは笑顔で「しー」と黙っている様に伝えるが、黒鋼の鋭い睨みは止められなかった様だ。これ帰ったら思いっきり扱かれるやつだ。今日は帰ったら大変そうだ、なんて事を思いながら彼女は月を見上げる。それの光が照らす夜叉と阿修羅の双方の視線は真っ直ぐ絡み合っており、そんな二人の高低差がこの先の未来を暗示していた様に思うのはわたしの気のせいなのだろうか。

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