episode 56
疼く足

「あれは此度の計画の為に生み出しもの。あの遺跡に埋まるものを手に入れる為、働いて貰わねばな」
「けれど、あの魔女は黙ってないでしょう。勝てますか?あの次元の魔女に」
「勝つ為に打てる手は全て打ってある。それでも、あの魔女相手には完全ではない。我が血筋であるクロウ・リードが唯一認めた魔力を持った女。次元を超え、他人を異世界に運ぶ術を知る女」

 次々と紡がれる意味深な言葉達は一行の旅路の裏側を覗かせる様な、そんな要素を孕んでいる様だった。しかし、飛王の最大の敵は一行ではなく、侑子なのだ。彼女のその強大な力は脅威である。だからこそ欲しいと、消すべきものだと、そう思うのだ。そして、椅子から腰を上げた飛王は「しかし」と言葉を繋げる。


「あの力はこの手に掴む」

 やっと晴れた鏡には、玖楼国の二つの遺跡がそびえ立っていた。




 怪我による体温の上昇も収まり、無理矢理寝床に収められたレイノは息を吐いて近くに居てくれているファイと黒鋼を視界に映した。そう、ほっと息を吐いた時だったと思う。何かの鼓動に合わせて彼女の左の太股が唐突に疼き出したのだ。内側から沸き上がって来る様に熱いそれは立っていられない程である。強く歯を食い縛っても止まらないその疼きは身体全体にまで及び、その異変に二人は気付く事になった。ビクビク、と痙攣する様に布団の上で跳ねる彼女の身体は明らかに異常を来たしていて、ファイはそんな彼女の肩を揺する事しか出来ない。


「Что мне делать...!」
「っ…氷!直×●〇!」
「う"…っん、んん"…っ」

 身体が焼ける様に熱く、痛い。思わず身体を起き上がらせるも、痛みに我慢出来なくてファイの腕を掴む手に力が込められるだけだった。痛みに堪える声が止まる事は無く、焦りを露わにする彼をよそに襖を開けた黒鋼は、偶然廊下を歩いていた誰かに「氷」を要求している様だ。
 バタバタ、と騒がしくなった廊下の様子を耳にしながらも、レイノは太股に感じる痛みと熱さに夢中だった。痛い、痛い。言葉も喋れないくらいに熱い。初めての感覚にどうすれば良いか分からなくて、彼女の瞳からは生理的な涙がボロボロ、と零れ落ちていた。そして思わず唇を噛み締めていれば、ファイは痛々しい声が漏れる彼女の口元を自身の肩で押さえ付けたのだ。そこを思わず噛んでしまえば彼の肩からは血が流れ、それは着物に滲んで行く。くぐもり始めた彼女の声に気付いた黒鋼は、その様子を見て目を見開いたのだ。


 ファイの肩を噛む力を緩めては込めて、を繰り返すレイノの顔色は熱さからか、酷く火照っている。そして、噛む力が込められる度に彼も顔を歪めるのだ。その様子を見る事しか出来ない黒鋼の表情は酷く固い。彼女はファイの背中に腕を回すと、着物の衿を思いきり掴んだ。その拍子に掠った爪に、ファイは思わず声を漏らした。しかしそれは一度だけで、痛みに耐え切れなくなった彼女はファイの腕で気を失ったのである。

 その時の歪んだ表情のファイさんを、わたしは知らない。




 翌朝、目が覚めて一番最初に視界に入ったのは穏やかなファイの寝顔だった。いつもの様に一人で寝ていたと思っていたわたしは気持ち良さそうに寝ているファイさんを思いきり突き飛ばしてしまいました。笑顔が怖かったです。ちょっとだけ怒ってましたね、ごめんなさい。
 夜になって月の城に行くとなった時、久し振りに夜叉の顔をちゃんと見た気がする。何時もと変わらず、真っ直ぐ前を見つめている。けれど、何かを切望している様な、そんな感じがした。その時、額には骨ばった黒鋼の手が当てられていた。あまりの驚きで瞬きを何回も繰り返していれば、次には黒鋼に雑に頭を撫でられたのである。え、怖い怖い怖い。何この人、何企んでるの。そんな考えが漏れたのか、最終的にはいつもと同じく殴られてしまったけれど。


 黒鋼の一連の行動にたくさんの疑問符が浮かんだレイノはファイの顔を見上げたが、ファイは苦笑を浮かべるだけだった。そして手を包み込まれた彼女は、再びぱちくり、と言った様に瞬きを繰り返したのである。そんな良く分からない二人に悩まされながらも、周りの景色はゆっくりと変化して行ったのだ。半年の間で随分と慣れてしまった殺気が肌に当たる。そんな所に、倶摩羅が攻撃を仕掛けて来たのだ。


「今日こそ決着を付けてやる!」
「わたし一応怪我人なんですけど…」
「関係ない!」

 倶摩羅の武器と自身の棒が接触し合い、その場には金属音が響き渡った。相変わらずこちらに殺気を全力で向ける彼に苦笑を浮かべながらも、レイノは彼からの攻撃を避けるだけだ。今夜は戦うつもりではないのである。ちらり、と横を見れば阿修羅が近付いて来ていた。しかし、何時もと様子が違う。阿修羅のその瞳には狂気じみた、けれど、何かを決めた様な、そんな思いがある様に思う。


 馬から降りた阿修羅は炎を纏った刀を持って、敵陣のど真ん中に立ち竦んでいた。背中に掛かる倶摩羅の言葉を無視して、自身の身に降りかかる攻撃達を全て薙ぎ払って行く。その様子を、レイノらはただ見つめるだけだった。それらを全て倒し切った阿修羅は、夜叉が立つ崖へと降り立った。そして、夜叉の身体を貫いたのだ。血は流れない。痛がる様子もない。それが、全てを物語っていた。仄かに光を放つ夜叉の手は、そっと阿修羅の背に回される。そして、一言だけ呟いたのだ。


「…阿修羅」

 その声色は、酷く慈愛に満ちていた。

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