episode 57
合流
「阿修羅王…!!」
大きな月を背中に受けて互いを抱き締め合う夜叉と阿修羅の姿は酷く切なく見えた。彼女が彼の右頬に触れると、今までなかった刀傷が姿を表して行く。それを切なげに見つめる彼女は眉を顰め、酷く辛そうに見えた。それはもう逢えないと、けれど、その時間を少しでも伸ばそうと出来もしない事を願う滑稽なそれだった。
「…私が付けた傷だな」
そして、阿修羅は一言だけ呟いた。返事の代わりに夜叉は、傷に触れた彼女の左手に口付ける。そして、お返しだ、と言いたげに、彼女も彼の傷に口付けを落としたのである。すると、彼の姿は砂の様に、また、風の様に解けて行く。そこには彼の服と刀だけが残されていた。そんな彼の肉体の代わりと言う様に表れたのはサクラの羽根だったのだ。
「…わたしが感じていたのは、月のお城が持つ『願いを叶える力』だったんですかね」
「そうだろうねえ」
「半年も近くにいたのに何で分からなかったんでしょう……」
「あいつがこの世に留まる理由があの阿修羅って女だからだろ」
「……こう言う時だけ口挟む黒鋼さんめっちゃ乙女ですね」
「張り倒すぞクソアマ」
刀を地面に突き刺した阿修羅は目を細めて願う。けれど、きっとそれはどんなに努力をしても叶わない事だ。分かっていた。分かっていたのにも関わらず止められないわたしは、気持ちを変えても少しは期待してしまっているんだろう。嗚呼、何と無謀な考えだろうか。それでも、願うだけならば許されるのだろうか。
「阿修羅王!!城が崩れます!早くこちらへ!」
「いやだ」
「王!早く!!」
「いやだと言った」
「阿修羅王!!」
阿修羅を中心に亀裂が走ると、そこからは光が漏れて来ている。そこにいる彼女に倶摩羅は手を伸ばすが、彼女は頑なにそれを拒むのだ。そして、同じ様にこちらに手を伸ばす小狼の名を呼んだ。諦める事はするなと、願い続けろと、己の願いは己だけのものだ。やっと芽生えたお前だけの心は他者が何を強いてもきっと消える事は無い。それは酷く難しく、そして、酷く儚い事だ。しかし、お前が強さを求める限り、一番大切な者を見極めている限り、お前はきっと大丈夫だと、私は思うのだ。
だから小狼、自分を見失うなよ。
「聞こえるか、魔女よ」
『聞こえているわ』
「小狼とサクラ、あの二人でなければ、夜叉王の幻を消して羽根を返す決心はつかなかったかもしれんな」
月を背に、小さく細い柱に、阿修羅はそこに佇んでいた。崩れ行く城に囲まれながら彼女は何を思うのだろうか。まるで異空間の様なそこでは何故か異次元と連絡が取れるのである。そんな場所で二つの刀を抱き締める彼女の美しさは際立っていた。そんな彼女が繋げている通信先は侑子の居る「日本」である。
「…頼みがある」
『対価がいるわ、その望みに見合うだけの』
「わかっている」
『では、願いを』
「私と夜叉王を後の世の神に」
『何故?』
「神にも出来ぬ事があるという証に」
阿修羅は、月に照らされながらゆっくりと言葉を紡いだ。幾ら神でも人間を蘇生させる事は不可能だ。幾ら願っても、幾ら足掻いても、それは不可能なのである。だからこそ阿修羅はそれを証明してみせるのだ。彼女が言葉を放った途端、辺りは眩しい光に包まれた。そして、阿修羅は二度と還らぬ者となったのだ。
「変わるからこそ、戻らぬからこそ、一度しかない生を悔いなく生きろと願う神に」
これからは共に生きよう、夜叉よ。
夜空には月ばかりが光を放つ。その前で浮かんでいた筈の月の城は重力に逆らわずに落ちる瓦礫だけを残して、跡形もなく消えて行った。その中に唯一残っていたであろう阿修羅の姿もない。地面に近付いて来る瓦礫達は儚く散って行った夜叉と彼女の様で、小狼は悔しげに目を瞑ったのである。そんな時、小狼の頭上からは聞き慣れた声が降り注いだのだ。
「やっぱまだまだだ。鍛練のやり直しだな」
「え!?」
「黒ぽっぽ、きびしー」
「貴方、本気で楽しんでたくせに良く言いますよね」
「鍛錬だ」
掛けられた声達は今まで敵として対峙していたもので、黒い布で身を包んでいるレイノらだ。しかし、何度声を掛けても反応がなかった事から「異世界の同一人物」だと思っていた者達である。どうやらそれは小狼による思い込みだったらしい。目の前で会話を進める彼女らは今まで見て来たものと何ら変わりは無くて、小狼は僅かな期待を込めて恐る恐る彼女らの名を口にしたのだ。
「レイノさん!?」
「そうですよー?」
「黒鋼さん!!?ファイさん!?」
「はーい」
「え!?え!?でも目!赤と蒼と桃色!」
「夜叉族の国にいると自然に黒くなっちゃうみたいー。小狼君も、あっちに落ちたら黒い目だったんだよー」
何時もの軽い調子で返事をしたレイノとファイは紛れもない正真正銘本人らで、小狼の脳内は混乱状態である。しかも、戦場では黒だった筈の彼女らの黒い瞳が元の色に戻っていたのだ。それは彼女らが修羅ノ国に来たからだろうが、そんな事が混乱状態の小狼に分かる筈もないのである。
「ごめんねぇ。でも、オレ達先に落ちちゃって、半年近くも早くこの次元に着いちゃったんだよー」
「そんなにズレて!?」
「モコナもいないからオレと黒るんも言葉が通じないしぃ。でも黒ぴーが何とか夜叉族の言葉が分かったから、しゃべるのは黒ぴーに任せて、オレとレイノちゃんは口が利けないってことにしてたんだよー」
「だったら、あの月の城で会った時に教えてもらえれば…!!」
「あー。あれは黒ぷいがー、オレ達だって分かってると小狼君、本気出さないからってー」
「こんな怖い顔して性根優しいから困りますよねえ」
「本当ー」
「何でだよ」
「そ…そうだったんですか」
全ては黒鋼が考えた事らしい。レイノとファイは面白そうだから、と言う理由で同意したのだろう。黒鋼は小狼の弱点を良く分かっているからこそ、今回の様な事をやってみせたのだ。そんな黒鋼を彼女とファイは茶化すが、黒鋼はこめかみに青筋を浮かべ、冷静に突っ込んだのである。そんな黒鋼に、小狼は「有り難うございます」と声を掛けて頭を下げたのである。
「なんだ?」
「おれの剣技の上達を考えて下さったんですよね。有り難うございます」
「…ふん」
「わーい、黒様照れてるー」
「可愛い人ですねえ」
「誰が照れてる!!可愛いとか言ってんじゃねェ殺すぞ!」
小狼は当たり前の事をしたと思っているが、黒鋼はまさかお礼を言われるとは思っていなかったらしく、僅かに目を見開かせていた。その後ろではレイノとファイがにやにやと笑みを浮かべて微笑ましげに黒鋼を見つめている。そんな視線達がくすぐったくなった黒鋼は二人に向かって刀を振り回すが、二人はそれを簡単に避けてしまったのだ。それらの対応が、余計に黒鋼を苛立たせるのである。そんな所に響く声は半年振りに聞いたそれで、彼女は思わず目を輝かせる。
「レイノちゃん!ファイさん!黒鋼さん!!」
「サクラちゃん!」
「サクラちゃん、ひさしぶりー」
向こうから走って来るのは、モコナを抱えたサクラである。久し振りに見たその愛らしい顔に、レイノは酷く嬉しそうである。しかし、言葉を交わす前にサクラの羽根が体内に取り込まれてしまった為、それは叶わない事となったのだ。そんなサクラを、小狼は優しく抱き締める。それと同時に、モコナは羽と魔法陣を展開させたのである。
「やっと移動かよ」
「長かったですねえ」
サクラと小狼、モコナとは違い、半年近くも同じ次元に居たレイノらはここでやっと安心する事が出来たのである。レイノが苦笑を浮かべた瞬間、レイノは黒鋼と共にファイによって身体を引っ張られたのだ。それを連れて、ファイは小狼に抱き付いた。その為、おしくらまんじゅうの様な形に収まっている。
「ファイさん!?」
「てめ!何しやがる」
「また離れて落っこちないようにー」
ぎゅうぎゅう、と隙間を埋められているせいで自身の髪の毛はぐちゃぐちゃに衣服に絡まっている。それを直す暇もない程、一行の距離は物理的にかなり近付いていた。移動の準備が出来た一行はモコナの口に吸い込まれる。しかしその途中で挟まれた倶摩羅の叫びに、小狼は真っ直ぐな瞳を向けた。そして、少しでも二人が報われる様にと、願いを託したのである。
次元の狭間の動きは速い。あっと言う間に次元を渡る能力を持つモコナはやはり素晴らしいのである。だんだんと出口に近付いて行く中、小さな穴から見えたのは懐かしい、と感じるほど時間が過ぎてしまった遊花区である。そう認識したと同時に一行は花吹雪のクッションの上に落ちたのだ。
「ここは…」
「紗羅ノ国ー?陣社だー」
「戻って来たの?」
花にまみれながらも顔を上げて確認したその場所は陣社だった。ファイと黒鋼が滞在していた場所である。しかし二人が居た頃とは違い、色とりどりに飾り付けられているそこは酷く華やかだ。花吹雪が舞い、たくさんの人で溢れ返る姿は注連縄で閉め切っていた頃とは大違いである。やっとの事で魔法陣を閉じたモコナは、黒鋼の頭に綺麗に着地した。
「あら。お客さんね」
「どこから来たの?」
「え?あの…」
「あの、陣社の人達と遊花区の人達って仲悪くないんですか?」
「仲が悪いなんてとんでもねぇ!見ての通りだ」
「あたし達、すぐ近くの遊花区って所を根城にあちこち興行して回ってるんだけどね」
「困った事があったら、いつも陣社の男衆に助けてもらってるの」
「おう!俺達で出来る事があったらいつでも呼びな!」
「いよ!色男!!」
『仲良しだー』
「ここは、前にいた紗羅ノ国とは違うんでしょうか」
「同じだけどまた別の次元ってことー?」
良く分からない現状の中、一行は遊花区の人々に話し掛けられた。遊花区の人々は、レイノとサクラと小狼、モコナの事を知らないらしい。そして、見たところ二つの勢力は凄く仲が良さそうなのだ。一行にとっては仲が悪い事が当たり前になっており、酷く違和感を感じる。一行が居ない間に一体何があったのだろうか。そんな疑問が脳内を巡る中、境内で一際大きい歓声が生まれたのである。
「なんだ?」
「旅の人達、運がいいわ!」
「今日は結婚式だからな!」
一行と初めて出会った時、侑子はそんな事を言っていただろうか。答えは否、である。通信も来ない事から違うのだろう。現れたのは、鈴蘭と蒼石だった。この場に居る人々に祝福されている二人には緩んだ笑顔が浮かんでいて、酷く幸せそうな雰囲気に包まれている。
「ちょうどいい!今日はめでたい日だからうちの神様も御開帳だ!」
「見てってよ!うちの守り神だ!」
視界に入った事実に一行は目を丸くし、その中でも黒鋼とサクラはそれを口にした。その後に遊花区の女性と氏子に守り神だ、と称されて見せられたのは、阿修羅像と夜叉像だったのである。一行が夜魔ノ国と修羅ノ国に移動する前とは違い、その二つの像は一緒に祀られていた。
「出来た時からずっと一緒なんだよ!」
「おう。離しちゃいけないって言われてるからな!」
「紗羅ノ国が安泰なのも、この神様お二人のおかげさね!」
小狼の願いは聞き入れられたのだ。そのお陰で国は平和で皆、幸せで居られるのだ。何処か優しい気持ちになれたところで、何か疑問に思ったモコナは黒鋼の肩から降り、レイノらに声を掛けた。そこにあったのは、レイノとサクラの桜の髪飾りと小狼の付け毛だったのである。
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