episode 59
魔の国
「ここは…」
紗羅ノ国から移動して来た一行はとある路地裏に身を投げ出された。相変わらずモコナの次元移動は好い加減である。そんな移動に慣れて来たと言っても、それは土台があって、の話なのだ。そして、それは今回も例外とはならない。僅かに震える土台はとある人物の怒りを表していた。
「…おい、白まんじゅう。何でいっつも俺が下敷きなんだ、何で俺がいっつも土台なんだ」
「バランスが良い」
「安定感がある」
「てめーらブチかますぞ」
最後にふわり、と降りて来たモコナを頭に乗せて、黒鋼はぴくぴく、と口角を震えさせて言葉を紡いで行く。しかし、レイノとファイと言う思いもよらない所から降り掛かった言葉達に、黒鋼は何時ものごとく暴言を吐いてみせたのだ。そんな光景を見て冷や汗を流すサクラと小狼、と言うのももう慣れてしまった事なのである。そんな時にサクラが指差した先にあるのは「Midgard」と書かれた看板だった。
「レイノちゃん、あれって何て読むの?」
「あれは…」
それを問い掛けるサクラの声にレイノも視線をそちらに向けると、理解出来てしまった言語に思わず目を見開いた。その下に小さく書いてある「Bezirk Gmünd」と言う言葉に少しほっとしたのも事実だが、ピリピリ、とした感覚にこの国をすぐに出る事は叶わない事を悟る。
「何かありました?」
「いや…」
「…レイノちゃん?」
「あの、すぐにここをで…っ」
顔色を暗くしたレイノに気付いたファイと小狼は彼女に声を掛けるが、どうやらそれを気に掛けている時間は無い様だ。眉を顰めて言葉を紡ぐ彼女だが、それが最後まで紡がれる事は無かった。それは、目の前に唐突に現れた人間とは言い難いものが関係している。
『きゃー!』
(遅かった……!)
「おっきいねぇ」
「何寝ぼけてんだど阿呆が!」
モコナの悲鳴と同時に心の中で舌打ちを響かせたレイノは手の平から刀を出す。それは一番前に居た黒鋼も同じく、手に刀を持っていた。後ろではサクラの視界を遮る様に小狼が前に立っている。そんな緊迫したこの場には似合わない声が響き渡れば、黒鋼は青筋を浮かべて声を張り上げた。相変わらず緩い雰囲気を纏うファイに苦笑を浮かべながらも、レイノは再び刀を構えたのである。
久し振りの感覚に思わず身震いする。そんなレイノは黒鋼に「額を狙え」と口早に伝えた後、目の前のものの腹部に向かって刀を投げ、その柄に足の力を加えたのである。ぐりぐり、と力を入れる度に大きな口からはグロテスクな色合いをした血液が吐かれ、それに痺れを切らした彼は、目の前のものの額に刀を突き刺したのだ。
「レイノちゃん!」
『黒鋼ー!大丈夫!?』
「おう」
「すっごい返り血ー。大丈夫ー?」
「臭い……」
「あの、大丈夫ですか?」
黒鋼が刀を抜いた瞬間に弾け飛んだものは周辺をグロテスクな色合いに染めて行き、それはレイノと彼の身体を染めて行ったのである。ファイとサクラはレイノに、モコナと小狼は黒鋼に、とそれぞれ駆け寄るが、酷い異臭に思わず眉を顰める。そんな中でもレイノの顔に付着した返り血を、ファイは指の腹で拭っていた。そんな時に一行に声を掛けて来たのは、とある女性である。
先ほどの女性に案内された一行は、開放感のある飲食店に腰を下ろした。装飾は至ってシンプルで、とても居心地はよい。カウンター席には両端だけを埋めている重々しい雰囲気の叔父らがおり、19世紀のヨーロッパにでも居る様だ。そこの大きなテーブルを陣取っている一行は空腹を満たす為に食事を次々に注文する。それをしているのは主に黒鋼なのだが。そんな中、聞こえて来たのは南の町のとある噂だった。
「あの、さっきの南の町の話って…」
「ああ、あんたら旅行者かい?」
「まあそんな感じですねー」
『南の町に何があるの?』
「おや、使い魔かい?まんじゅうみたいだねえ」
「まんじゅうだってよ」
『モコナだもん!』
最初に声をあげたのは小狼だった。それに気付いた気前の良さそうな叔母は、一行が頼んだ料理をテーブルに置いて笑みを浮かべる。そして、モコナの存在が当たり前かの様につやつやな肌を撫でたのだ。その事に驚いたサクラと小狼は思わず顔を見合わせる。表情筋を動かさないレイノは、どうやら知っていた様だ。そんなレイノに気付いたのか、叔母はきょとん、と瞳を丸くさせて小さく声をあげた。
「…おや?あんた、ハンターの…」
「…お久し振りです」
「戻って来たのかい」
「不本意ですけど」
「南の町には?」
「……これから行きます」
レイノは苦々しく顔を上にやり、歪んだ笑みを浮かべてみせた。そして、何かを決した様に重苦しい色合いのワンピースをぎゅっと握り締めたのだ。それに気付いたのは両隣に居たファイと黒鋼のみで、そんな行為に思わず目を細める。そんな彼女の言葉に小狼は目を見開き、続ける様に言葉を紡いだのだ。
「南の町の事を、教えて下さい」
「壊れた町、ねぇ」
しばらくの間滞在した飲食店で一行が聞いた話は「数ヶ月前、『グラーツ』と言う南の町で大きな火災と爆発事故が起こった。それらにより町は全焼、生きていた人々も今はもういないらしい。それらがあってからと言うものの、その町は『壊れた町』と呼ばれている」のだそう。叔母に紹介された宿屋の二部屋を借りた一行は、その町に行く事になったのだ。
「その事故の原因は分かってねーんだろ?」
「そうみたいですね。その事故の前後に魔物が急激に増えた、とも言っていましたし」
「大きな力、が関係してるのかなぁ」
「レイノちゃん、モコちゃん、羽根の気配はする?」
ファイらが「壊れた町」について話し込んでいる間、レイノは口元に手を当てて、神経を尖らせている様であった。もちろん彼らの話はきちんと頭に入っている。けれど、レイノには不安要素があるのである。それは彼らに言っても解決はしない事だった。サクラの声により我に返ったレイノだが、定まらない力の源に苛立つだけに終わったのだ。
『…するんだけど、何だろう……バラバラなの』
「どう言う事だ?」
「色んな所で気配がするってこと?」
『レイノも?』
「…多分それは、この国が魔力でいっぱいだからでしょう」
「何で分かる」
新たな気配の感じ取り方に、ファイらの頭上には複数の疑問符が浮かび上がっていた。しかし、それから逃れる人物が一人居る。それがレイノだった。スラスラ、と出て来る言葉達は、やはりどれだけ離れていても分かるこの国の基本知識だ。その事に苦々しい思いを抱きながらも、レイノはベッドに腰掛けた。そして、黒鋼の一方的な問い掛けに「ここは」と続けたのだ。
「……わたしが育った国だから」
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