episode 64
負わされる罪
「ただ今帰りました」
「あ、お帰りー」
「ファイさん達、先に帰っ…」
木製の古びた扉を開けて宿の中へ入って来たのはサクラと小狼だった。中から間延びした声が聞こえて来た事から、どうやらレイノとファイは先に帰っていた様だ。だが、そこにあったのは手足から血を流すレイノの姿である。それを見てしまったサクラは目を見開き、悲鳴に似た声を発していた。
「どうしたの、その傷…」
「ん、あー…ちょっとしくっちゃって、えへ」
「レイノさん、大丈夫なんですか?」
「ん、平気です。本当にかすり傷ですから」
『たっだいまー!ってきゃー!!レイノどうしたのー!?』
「…ファイさん、そろそろ腹立って来たんですけど」
「はいはい我慢してねー」
小狼はすぐ様しゃがみ込み、レイノの傷を見つめた。鋭利な物で切られている様だ。直撃は避けているが、僅かに毒が塗り込まれている。頬の切り傷にもそれと同じ成分がある様に見えた。モコナの悲鳴に口角を引き攣らせた彼女だが、ファイの乱暴な手当てに短い悲鳴を上げたのだった。
「戦闘中に余所見してただぁ?死にてェのかてめー」
「黒ぽん、それオレ言った」
「黒ぽん言うな、黒魔術師」
(この二人ほんっと怖い……)
ところ変わって、一行は借りた部屋に集まっていた。これから始まるのは、黒鋼の長ったらしいお説教である。その間に挟まれるファイと黒鋼の言い合いがリズミカルすぎて説教をされているとは思えないだろうが。取り敢えず今はすぐに逃げたいのが本音だ。けれど、目の前の二人の視線を受ければそれは出来ないのである。
「つーか、何で急に戦う事になったんだよ。こっちにはなかったぞ」
「こっちも何もありませんでした」
「子供が急に魔物になったんですよ。何でかは知らないんですけど」
「そーそー。びっくりしたよねー」
「倒したのか?」
「…一応、は」
本当に何もなかったのだ。平和な国そのものなこの町には差別などもなく、ちゃんと仕事も出来ている。しかし、それは清らかすぎる城や冷たすぎる人物を除いては、と言う前提である。どうやらこの国の魔物は、普通ならば特定の場所でしか生きられないらしい。それらは自警団の手によって厳重に保護されていて、迂闊に手が出せないのだ。その事を思い出して苦々しい表情を浮かべるレイノの隣では、ファイが何かを思い出した様に短く声をあげた。
「小狼君、これー」
「これは…」
そして、ファイが小狼に渡したのは僅かに光る小さな物である。それは、サクラの羽根の欠片だった。ファイ曰く、子供に化けた魔物を倒したら出て来た、のだそうだ。この町に来てすぐに見た変死体の近くに落ちていたそれと酷似している。こうも次々と簡単に出て来れば、何やら不信感を抱いてしまうのも仕方がないだろう。
「その魔物になっちゃった子、一体何者なんでしょうか」
「王族っぽい格好はしてたよねー?」
「キラキラしてましたもんね」
「この町に城はあの森の所にしかねーのか」
「はい。けど、簡単には入れませんよ」
『手続きとかがいるの?』
「そんな感じかなあ」
開いたサクラの口からは魔物についての言葉が吐き出された。それに答えを出せるのはレイノとファイだけで、しかし憶測な為、確証は持てないのである。苛立ちと罪悪感を隠す様に、レイノはモコナを手の平に乗せて頬を擦り寄せた。すべすべの肌はレイノにとっては癒しである。
「小狼君…どうしよう?」
「姫…」
「まあ、小狼君の気持ちは決まってるみたいだけどねー?」
戸惑った様な表情を向けるサクラに、小狼は思わずぱちくり、と瞬きを繰り返した。自分だけの願いの筈だったのに、何時の間にか「羽根を集める事」が旅の目的になって来ている気がした。しかし、その事に罪悪感などは何故か起きない。湖の国でレイノが言っていた言葉が蘇り、少しでも頼れているのだと、ここで初めて気付いた。そんな小狼は僅かに笑んで、力強い言葉を放ったのである。
「忍び込みます」
昼間、レイノとファイが城下町で遭遇した魔物はなかなか倒れてはくれなかった。防御力が異様に強く、巨体なのだ。出来れば関わりたくないし近寄りたくない。そんな気持ち達が渦巻いているものの、今戦える人はこの二人しか居ない為、逃げる訳にもいかないのである。
『ファイさん、怪我は?』
『無いよー。て言うか本当化け物だねぇ。刺しても裂いても戻っちゃうんだもん』
『ここまでやって倒れない魔物も気持ち悪いですけど、貴方の言ってる事も大概ですよ』
『最近のレイノちゃん口悪いー』
『他人のこと言えますか!』
噴水の縁にバランス良く着地したレイノは、隣で笑みを浮かべながら長い息を吐くファイを見ずに問いを投げ掛けた。それに返って来た言葉は、限りなく真実なのである。しかし、その後に交わされる二人の会話は戦闘中とは思えない程のそれで、けれど唐突に訪れた敵の攻撃によってそれは中断される事になったのだ。
『…っ危な』
『もうちょっとコンパクトだったら色々と殺りやすいんだけどなぁ』
『だからファイさん今の発言色々と物騒!』
『黒様がいたら一発なんだけどなぁ』
魔物の腕は小振りの鎌に変化しており、攻撃範囲に入れば即刻首を取られてしまうだろう。一秒足りとも気は抜けないこの状況で、レイノの突っ込みさえ流してファイは物騒な言葉達をつらつらと並べて行ったのだ。確かに同じ気持ちを持ってはいるが、「おっしゃる通り」と言ってしまいたいがおそらく叶う事は無いだろう。
レイノとファイが居た場所に向かって腕が突き出されれば、二人は飛躍を繰り返してそれを避けて行く。その間にアイコンタクトを交わせば、彼女は周りの障害物を利用して魔物の背後を取り、彼は魔物の前方で木棒を構えた。どうやら挟み撃ちにして同時に攻撃を繰り出すつもりらしい。彼女の右腕にはらせん状に魔力が込められ、それが魔物のうなじへと埋め込められて行く。その瞬間に囁かれた言葉を、わたしは一生忘れる事は出来ないのだろう。
『…罪を忘れるな』
その瞬間に弾け飛んだ魔物の衝撃波によって手足を血でまみれさせてしまったレイノは、宿屋でのファイによる治療が施されるまで痛みに耐える事しか出来ない。心配げに彼女の名を呼ぶ彼の声は何時もと変わらなくて、変わってしまったのは自分なのだと改めて感じた。ただ、何時もの様に間抜けな笑顔を向ける事しか出来なかったのだ。
「……サクラ」
一生守り抜くつもりだった人物の名を呟いて、わたしはまた眠れない夜を過ごすのだ。
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