episode 66
開かずの扉
「なるほどねぇ……」
早朝、借りていた宿屋から出た一行は黒鋼が違和感を感じたと言うエッゲンベルク城へと訪れていた。そこまでの道中は酷いもので、瓦礫だらけのそれは道と言えるものではなくて、所々に残っている小さな炎が状況の悪化をより助長させていた。森とは言えないそこを抜けた先にある城だけは何故か綺麗な状態で残っていて、その状況が黒鋼の言っていた違和感なのだろう事はすぐに分かる。ぼうっと仄かな光を纏う城は何処か神聖で、ファイは笑みを浮かべてふと、一言呟いたのだ。
「何がなるほど、だよ」
「黒ちゅうの言ってた『違和感』ってのがようやく分かったよーって意味ー」
「こんな状況でもその変な渾名は止めねーか」
「こう言う時こそ楽しく行かなきゃー」
「「『ねー』」」
「……うっぜェ」
ファイの一言が聞こえていたらしい黒鋼の顔は苦々しく歪んでおり、それはファイに対しての不信感を表している様だった。しかもそれは、何時も通りにふざけるレイノとモコナが加わる事によって先程よりも増える事となるのである。恐らくわざとなのだろう。そんな光景を見て冷や汗を掻くサクラと小狼はどうすれば良いのか分からなくて、けれど、こう言う時でもこの人達は変わらないのだなと、ふと思ったのだ。
「……汚い、ですね」
「変な臭い……」
「姫、大丈夫ですか?」
「うん、平気。頑張って付いてくね」
「ねー、レイノちゃん」
「何ですか」
「やっぱりこれってー…」
エッゲンベルク城内は外装の美しさからは想像出来ないほど汚れていて、そして暗かった。等間隔で設置されている小さな照明でしか足元を確認出来ないのが現状である。そんな状況に慣れていないだろう異国の姫君に小狼は声を掛けるが、それに返って来たのは驚く程に健気な笑顔だった。早くも先へと進んでしまっているファイはしゃがみ込んではレイノに声を掛けた。そして、壁に寄り掛かっている物体を引き寄せたのだ。その一連の動作を見ていたのか、その物体が光で露わになった途端、その場にはモコナの悲鳴が響き渡ったのである。
「どうしたんだモコナ!」
『こ、これ…』
「……あ、ごめんねぇモコナ」
「てめー何やらかしてんだ、いっぺん死ぬか?」
「それは勘弁ー。で、レイノちゃん、やっぱりこれって死んでるー?」
「…死体ですね、それも結構な時間が経ってる」
モコナの悲鳴がしっかりと耳に届いてしまっていた小狼がサクラを連れて急いで駆け付けると、そこには震えたモコナと嫌に軽い謝罪の言葉を口にするファイが居た。そんなファイの長めの前髪を鷲掴みにする黒鋼はやはり頼もしいらしく、モコナは黒鋼の二の腕に密着している。そんな黒鋼の行動に対してもぺちぺち、と腕を叩くだけに終わらせたファイは、レイノに元は人であった「もの」を見せた。内側から破裂した様なそれは見るに堪えなくて、小狼は思わずサクラの目元を塞いだのである。
「…ひでぇな」
「これ、この先も続いてる感じかなぁ」
「…レイノさん、モコナ、羽根の気配はどうですか?」
『……この先』
「多分、この城の一番上だと思います」
「小狼君…」
ファイに乱暴を加えた黒鋼だったが、現状に嫌気を刺していない訳ではないのだ。久し振りに嗅ぐ血の臭いは何時かの馬鹿な自分を思い出させ、つい顔が歪んでしまう。しかも、強い力の気配はこの先だと言うのだから堪ったもんじゃない。けれど、後ろにいる小僧の顔は決心が篭っていて、こいつの気持ちを変える事は姫にだって無理なんだろうなと、そう思った。
「進みましょう」
嗚呼、ほら、思った通り。
「あの、レイノちゃん」
「なあに?」
「この、死んでしまった人達って…」
「…この城で働いていた人達だろうね。多分、自警団の人らも混じってる」
「自警団って、幼馴染みの…」
「……あったら、どれだけ良いだろうね」
「え?」
らせん状になっている階段に足を進める度に視界に入る凄惨な死体達は見るに堪えない状態のものばかりである。そんな中を震えながらも必死に通り抜けようとしているサクラとモコナを見れば罪悪感は募るばかりで、留守番をさせておけば良かったと、そう思ったのはこの時で何回目だろうか。そんな彼女はレイノの言葉で昼間偶然出会ったフェンリーとヨルの事を思い出したのである。しかし、それを言葉にした途端、レイノの顔は酷く曇ったのだ。
『ねぇ、レイノ』
「はあい?」
『この部屋ってなあに?』
「開けりゃあ分かるだろうが」
しかし、暗いレイノの顔はその後のモコナの声によって一瞬にして消え失せたのである。そこでサクラは、初めてレイノが何かを我慢して笑顔を浮かべている事に気付いたのだ。けれど、その「何か」が分からない限り、私が何かをしてやる事は出来なくて。いつも笑顔で励ましてくれる貴女に返したいのに、どうしてこんなにも無力なのだろう。そんなマイナス思考は唐突に響いたレイノちゃんの叫び声で途切れちゃった。
「小狼君!?」
「黒みゅう!モコナ!」
『お前はこんな時でもその呼び方かてめェ!』
『そんなこと言ってる場合じゃないってばー!』
『姫!大丈夫ですか!?』
「小狼君は!?怪我は無い!?」
『大丈夫です!でも…』
唐突に閉じられた大きな扉の向こうには黒鋼とモコナ、小狼が居て、どれだけ力を加えても扉はびくともしなかった。向こう側からガンガン、と言った激しい音が聞こえてもそれを発してる者達の顔を見る事は叶わないのだ。サクラは必死に声を荒げるが、小狼の温もりを感じる事は、どうやら出来ないらしい。しかも、そんな時に限って背後からは違う気配が感じられるのだ。
「…誰かなぁ?」
『……レイノ様』
「エジリン…」
「お、友達…?」
「生きてたの……」
『私は使い魔ですよ。生きるとか死ぬとか、そう言う次元じゃないんです』
「…そうだったね。あの子はどこに?」
何時の間にか前に来ていたファイは口元だけを緩めた笑みを浮かべて、仄かな光に覆われた「エジリン」と呼ばれた少女にそれを向けた。言葉にはしたものの、サクラもエジリンがただの「お友達」ではない事くらい承知の上である。そんなエジリンは柔らかな声色に言葉を乗せて、それをレイノに放つ。それを受けたレイノは思わず笑みを溢し、はっきりとした声を発したのだ。それに答える様に、エジリンは上を指差す。
『最上階の宴会場に、彼女はいます』
「…通してくれるの?」
『戦うつもりはありませんから』
「じゃあ、どうして…」
『…解き放って欲しいんです、馬鹿みたいな夢から』
そっと囁いたエジリンの瞳はラリマーの様に、水面(みなも)の様に揺らいでおり、泣いてしまうんじゃないかと錯覚してしまうほど儚く、そして、美しかった。そんな彼女に問いを投げ掛けたサクラは、エジリンの言葉の意味が分からない。けれど、唇を食い縛るレイノを見れば、きっと大事な事なんだろうと、そう思う。
『そして早く、目を覚まして下さい。レイノ様』
けれどやっぱり、私にはレイノちゃんが分からなかった。
「その扉、俺の魔力が掛かってるから開かないよ」
自身達だけしか居ない筈の広間に響いたその声は、酷く優しげだった様に思う。黒鋼らが恐る恐るその声の方に顔を向けると、そこには昼間見た、自警団の長が居た。名は確か、フェンリーだったか。フェンリーが持っている剣には僅かだが変な気を感じ、それが強まった瞬間、モコナの目は大きく見開かれたのである。
「…ああ、そう言えばそのぬいぐるみ、分かるんだっけか」
『モコナだもん!』
「可愛いねえ。マスコットみたいな感じ?」
「…羽根はどこですか」
「俺が持ってる」
「返して下さい」
「嫌だと言ったら?」
初見だと驚く筈のモコナのその大きな瞳に、フェンリーは今思い出した、と言いたげにひとり言の様に呟いた。そのまま世間話をしそうな彼の言葉を遮ってそれを放った小狼は相変わらずで、フェンリーの唇からは思わず笑みが零れる。淡々と繰り返される敵意しかない会話は恐ろしい筈なのに、隣に居る黒鋼は既に刀に手を掛けている。それを見兼ねた小狼は「力ずくで、頂きます」と、そう言って構えたのだ。
「…ああ、でも、まだ心は在るんだっけか」
『ここ…?』
「何言ってやがんだてめー」
「小狼、と言ったよね」
「はい」
「君は、仲間が傷付くのは嫌かな」
「…はい」
「じゃあ…そうだな、これにしよう」
戦闘態勢に入った黒鋼と小狼に目もくれず、フェンリーは顎に指を当てて考え込み、ぶつぶつ、と何かを呟いている様だった。それらは黒鋼らには良く聞こえなかったらしく、黒鋼とモコナの顔には不信感が露わになっている。しかし、小狼の表情だけは変わらず、ただただ前を見据えている様だった。けれどその瞳はだんだんと見開かれて行く事になるのである。そうではあるな、と何回も心の中で叫んだ。けれど、そう願えば願うほど現実は残酷で、まるで天秤の中心に居るかの様に比べようのない二つを、目の前の人はいとも簡単に天秤に乗せてみせたのだ。
「俺がレイノの恩人で、大切な人だと知っても、君は俺を殺せるのかな」
どうしたっておれは、貴女を笑顔にさせる事は出来ないんです。
prev next