episode 67
望まない再会
エジリンに教えられた宴会場までの道のりをただひたすらに駆け続けるレイノらは足元に転がる人だった「もの」を蹴散らして前に進んで行く。時折後ろで聞こえる短い悲鳴はサクラのもので、けど、ごめんね。今は君に構っている暇は無いみたい。どれだけ走り続けただろう。目の前にそびえ立つ大きな扉は嫌に威圧感を感じて、レイノは思わず眉を顰めた。しかし、それに気付いたファイの温かな手によりわたしはなぜか、酷く安心した気持ちになったの。
「いらっしゃい、レイノ」
「……戻って来たくは、なかったんだけどね」
レイノに声を掛けた目の前の少女はニヒルな笑みを浮かべており、それを視界に入れて感じるぞくり、とした悪寒は嫌悪感を孕んでいる様に思う。苦々しい表情を浮かべて目を伏せるレイノの心の中は逃げ出したい、と言う一心のみで、しかし、後ろに居るファイとサクラは置いて行けない。だからわたしは、目の前の子の名前を呼んだの。
「……サクラ」
サクラちゃんの前では、呼びたくはなかったんだけど。
「え…?」
「貴女が玖楼国のサクラ姫?」
「な、何で…」
「サクラちゃん、下がってて」
「レイノちゃん…」
「ファイさん、頼んで良いですか?」
「…一人で大丈夫?」
「…大丈夫です。だから、お願い」
自身と同じ名前の人間に初めて会ったらしいサクラは大きく目を見開いており、それには目を細めて笑みを深める「サクラ」が居た。どうやら「サクラ」は玖楼国の存在を知っている様で、その事を不思議に思うのは当たり前の事である。そんなサクラを前線に置ける訳がないのだ。サクラちゃんを守って、と苦笑を浮かべながら懇願の意を示した。そんな顔見せられたら断れないの、知ってるくせにね。そんな顔されたら、送り出すしかないじゃないか。
後ろはファイが居れば、多分大丈夫だ。何時もへらへらしているけれど、黒鋼の隣で戦えるのだから並以上の実力はある筈なのである。わたしは、目の前のこの女の子をどうにか、消さなければいけない。それが何かを諦める事になっても、目的がなくなったとしても、生かしてはおけないのだ。もう、気持ちは変わらない。そんなレイノは右手に魔力を纏い、「サクラ」と対峙したのである。
「…羽根はどこ」
「私が持ってるわ」
「返して」
「落としものは拾った人のものなのよ」
「…それは、サクラちゃんのもの。貴女のものじゃない」
「じゃあ、どうするの?」
レイノの問いに対して、「サクラ」が自身の胸元に手を翳すとそこは淡い光を放ったのである。桜花国での星史郎と同じだ。しかし、それは「サクラ」のものではない。後ろで心配げに前を見つめる、サクラのものだ。答えが分かっている筈の問いを投げ掛けた「サクラ」の剣へと、レイノは一言叫びながら自身の拳を向けたのである。
「奪い取る!」
その時に散った金属の破片は、ファイとサクラにひと時の夢を見せる事となった。
とある破片に映り込んでいるのはとぼとぼ、と一人揺らめきながらグラーツの城下町を歩く小さな少女の姿だった。身体の形に合わせただけの布をひらひらとはためかせて歩く姿は酷く儚くて、細い手足に乱雑に巻かれた包帯がその雰囲気を助長させていた。肩に付くか付かないかの場所でふわふわと浮かぶ茶髪は砂埃を被っていて、その幸薄げな雰囲気は留まる事を知らないのである。
町で初めて見るその顔に声を掛ける勇気ある者は居ない。磨けば輝くであろう愛らしい顔立ちでも、光の宿らぬ大きな瞳やぼろぼろの白い肌がそんな気持ちにさせる事を失わせているのだ。そんな少女の視界に映ったのは金色に輝くチョーカーだ。それをただ見つめるだけの少女の横で、ふと元気に響く声があった。
『おばさん!このチョーカーちょうだい!』
『あら、サクラちゃん!久し振りねえ、お祈りは?』
『今休憩中なの!だから遊びに来ました、えへへ』
『相変わらず元気ねえ。はい、5ユーロ』
『ありがと、おばさん!』
店先の人に名を呼ばれた少女の名は「サクラ」と言い、現在レイノと戦っている「サクラ」の面影を微かに感じる。そんなサクラは少女がじっと見つめていたチョーカーをいとも簡単に購入してしまい、嬉しそうに頬を綻ばせていた。そんな様子をただただ視界に入れる、と言う行為を繰り返していた少女の前で、サクラは唐突にしゃがみ込んだのだ。ビク、と肩を跳ねさせる少女の様子は年相応で、少し安心した様に感じる。そんなサクラは、先ほど購入した物を少女に差し出したのだ。
『あ、の…』
『欲しかったんでしょ?プレゼント!』
『い、いの……?』
『うん!貰ってくれる?』
優しく告げる様に問い掛けたサクラに、その少女は何度も頷いては包装されたチョーカーを酷く嬉しそうに抱き締めた。赤らんだ頬を緩めて、少女は嬉しそうに目を細めたのだ。その様子がたまに見せるレイノの笑顔そっくりで、ファイに頭を撫でられた時のレイノの笑顔そっくりで、一つのもしかして、が彼とサクラの脳内に浮上して来たのだ。
「あの子って、もしかして…」
「レイノちゃん、だよねぇ」
「じゃあ、レイノちゃんにプレゼントを渡していたのは…」
「十中八九、今戦ってる子、だと思うよー?」
「そんな…!」
破片がただのそれに戻った後に人知れず呟いたサクラの言葉はしっかりとファイの耳に届いており、そんな彼の言葉は彼女の考えと同じだった。そこから導き出される答えは、かつての友人と戦わなければいけない、と言う最悪な現実である。悔しげに唇を噛み締めると同時に、レイノと「サクラ」の間では一際大きな金属音が響き渡り、二人の間には適度な距離が生まれていた。
「ねえ、レイノ、貴女は気持ちを入れ替えたわよね」
「入れ替えた風には見えない?」
「いいえ、充分見えるわ。けど、向こうの人達はどうかしら?」
「向こう、の、人達?」
「途中で閉じ込められたでしょう。確か…小狼と黒鋼、と言ったかしらね。そこにいるのよ、貴女の恩人の、フェンリーが」
「まさか…」
「まあ、あの黒鋼って人はともかく、小狼って子はどうかしらね」
剣に付着した僅かな血を拭う為にそれを一振りして、「サクラ」は蔑む様に目を細めてレイノを見下ろした。それに負けるレイノではない。けれど、そんな気持ちはその後に続いた「サクラ」の言葉でどんどん失われる事になるのだ。目を見開かせて現実を受け入れたくない、そんな表情を浮かべるレイノは見た事がなくて、それをただ見てる事しか出来ないファイは思わず背後にある扉に手を掛けるが、「魔力によって開けられない様にしてある」と言う「サクラ」の言葉に無意識に舌打ちを響かせたのである。
「あの甘ちゃんは、レイノの大切な人を殺せるのかしら」
「レイノさんの…」
「うん、そう。小狼君は出来そうにないよね、甘ちゃんっぽいし」
「日本の間」と呼ばれるらしいそこは和な雰囲気が漂っていたが、今はフェンリーの魔術によって足元が水で覆われた空間に成り果てている。少しでも身体を動かせばぱしゃ、と言った水飛沫の音が聞こえる為、彼の背後を狙う事は難しそうだ。そんな彼は水中に剣を刺して、黒鋼らを楽しげに見つめている。しかし、そんな視線はとある一閃により途切れる事となった。
「甘ちゃんはこいつだけだろーが」
「お前は例外だよ、初見から人殺しの瞳(め)をしてるって分かってるから」
「てめーも他人のこと言えねーだろ」
『黒鋼…この人、何か変だよ』
「ああ?どう言うこった」
『生きてる人の、気配がしない……』
「厄介だね、その力。そう言うのも分かっちゃうんだ?さすが次元の魔女」
『侑子のこと知ってるの!?』
「…死ぬ前に一度ね」
「ああ?」
「死ぬ前って、まさか、サクラ姫の羽根を…!」
先程の一閃は黒鋼によるものらしく、そんな彼の唇は楽しげに弧を描いている。しかし、それを簡単にいなしてみせたフェンリーの唇もまた、黒鋼と同じ様に弧を描いていた。けれど、黒鋼のその表情はモコナの一言で失われるのである。それに向けたフェンリーの言葉は現実では有り得ない事で、どうしたって信じる事が出来ないそれで、けれど、それは限りなく現実なのだ。理を崩すその瞬間は、あの優しい少女の心でなされてしまったのだ。
「ご名答」
その一言と共に与えられた攻撃による水飛沫に映ったのは、懐かしい記憶達だった。
『お前、独りなの?』
そう投げ掛けられた言葉は、自然と少女の耳に吸い込まれる。数瞬遅れて上げられた顔は僅かに汚れが残っていて、けれど、やはり磨いたら綺麗なのだろうと、人知れず少年は思った。絡まりきったその茶髪もしっかりと洗って梳いてやれば艶が出る。しっかりと汚れを落としてやれば紫外線を吸収していない白い肌がきっと見える筈だ。
『…誰?』
『フェンリーって言うんだ。俺と同じくらいじゃねーの?』
『…何が?』
『年齢。同じくらいだろう?』
『んー……多分、一緒』
『…お前、ちょっとは笑えねーの?』
『わら、う?』
『ほら、こう…にーって』
問いを投げ掛けたにも関わらず同じ様に問い掛けた少女はきっと会話が出来ない人間なのだ。しかしそれにめげないフェンリーは彼女と目線を合わせる為に腰を下ろし、こてん、とわざとらしく首を傾げた。そんな動作を「あざとい」と進言するうるさい少女は居ない。その事に僅かに安心した彼は真顔を貫き通す目の前の少女に、思わず眉を顰めた。どうやらこの少女は「笑う」と言う行為を知らない様だ。すると彼は、両端の口角を指先で上げてみせたのである。
『……ぶさいく』
『初対面のやつに失礼だなてめー』
『…ごめんなさい』
『…お前、名前は?』
『ふぇん、りー』
『それは俺の名前。名前、あるだろう?』
フェンリーが浮かべたそれはわざとらしい笑顔は、少女によって一蹴されてしまったのだ。そんな彼女の一言に思わず乱雑に髪を撫で回すが、どうやら彼女はこう言うスキンシップに慣れていない様だ。あまりに世間知らずな彼女の様子に思わず苦笑を浮かべた彼は、なるべくゆっくりと言葉を紡いで問いを投げ掛けた。しばらく時間が経ったと思う。唐突に、乾ききった小さな唇がゆっくりと開かれた。
『……レイノ』
その時、「レイノ」と言う存在が初めて生まれたのだ。
『レイノ、お前武器持ってねーだろ?』
『武器…?いらない』
『この国で武器ねーと大変じゃん?』
『…刀?』
『あんた、取り敢えず刀仲間欲しいだけでしょ』
再び水飛沫が上がった瞬間、場面が変化した。そこに映されたのは、先程の小汚い少女ではなく、汚れの取れた可愛気のある少女になったレイノだった。そんな彼女にフェンリーは刀を手渡している。ヨル曰く、「仲間がいなくて寂しい」のだそうだ。そんな三人が居る空間は綺麗に整理された、黒鋼らが閉じ込められている「日本の間」だと考えられる。
『まあまあ、良いから構えてみ』
『…こう?』
『レイノちゃん、刀振ってみてよ』
ヨルの言い分にフェンリーはどうどうと宥めるが、どうも図星らしい事はすぐに分かる。手渡された刀は重くて重くて堪らなくて、レイノはやっとの事で刀を一振りする事が出来たのだ。その後の彼女の腕はじんじんと痺れており、とてもじゃないが正常な動きが出来るとは思えない。そんな彼女の様子に、フェンリーは思わず吹き出したのだ。
『何笑ってるの!』
『いやあ、昔のヨルみたいだなあって』
『僕ここまで酷くないですよ』
『何でそんな遠回しに貶して来るの』
『まあ、俺で良いなら手取り足取り教えてやるけど?』
『団長、言い方が卑猥なんで止めて下さい。上司がロリコンとか嫌ですよ、僕』
『違うけど!?』
『あの、フェン、リー』
『ん?』
『頼んでも、良い?』
何時まで待っても止まる事のないフェンリーの笑い声に痺れを切らしたのか、持っていた刀から手を離し、レイノは声を荒げた。そして、ヨルの遠回しの暴言に無表情で言及したのである。こう言った様子は今も受け継がれている。そんな彼女のいじらしい我が儘を断る者などここには居ないと、この時の彼女は思いもしていなかったのだ。
『おう!』
今はそんな笑顔の面影すら、見当たらないのだけれど。prev next