episode 69
永遠の眠り
『レイノさん!団長!!』
『何、クソ部下』
『お前だよ』
『冗談冗談』
『…どうしたんですか?』
場面が変わり、何処か焦り顔を浮かべるのフェンリーの部下であるヨルがノックもなしに部屋に入って来る。そこには資料を真剣に見つめているレイノとフェンリーの姿があった。茶化し合う彼らは何時も通りで、先程のヨルの焦った表情は既に失われている。しかし、固い彼女の声色に、ヨルは目を細めて薄い唇を開いたのだ。
『首都、堕ちたらしいです』
タイムリミットまで、後もう少し。
『どう言う事でしょうね』
『真っ赤じゃん。もうここまで来てんの?』
『ええ……唐突に起こったらしいです』
『連邦軍は何してんだ』
『…退却、したんですか』
町から出てみれば、目の前に映っていたのは町の入口まで迫って来ていた火の海である。首都からグラーツまでの距離は結構ある筈なのに、これはあまりにもスピードが速すぎるのではないだろうか。まあ、こんな難癖を付けても意味ないんだけれど。レイノが怒りを抑えた声で問えば、ヨルは眉を顰めてただ、「ええ」とだけ呟いた。
『……ゲスだね』
『んな怒んなよ。分かってただろ、この国がもう腐りきってる事くらい』
『団長…』
『…サクラは城か?』
『はい。祈り場にいると』
『なら大丈夫だな。レイノ、いけるか』
『…はい。団長』
ヨルの肯定を示す言葉を聞いたレイノは顔に影を作り、ただ一言、低い声色で呟いてみせた。そんな彼女の様子にフェンリーは思わず苦笑を浮かべ、ちらり、と視界の端に映るエッゲンベルク城に視線をやった。そして、笑みを浮かべながら腰に携えていた刀に手を添えたのだ。炎の海から微かに見える蝙蝠の装飾がされた剣を薙ぐそれらは血でまみれており、敵だと言う事はすぐに分かる。それらに向かって、三人は突っ込んで行ったのである。
『町には絶対入れんなよ!』
『はい!』
おかしい。斬った感触がしない。まるでガラスを突き破っている様な感覚だ。二本の剣を受け止めるとずしん、とした重苦しい感覚が自身を纏って来る気がする。思わず歯を食い縛って刀を薙いでは考え込む。しかし、それが命取りだった。忘れていたのだ。この場がどれだけ危険な場所か、自分がどれだけ弱いか。後ろから聞こえる自身の名を呼ぶ叫び声が耳に届いた時には既に、剣が振り下ろされていた。けれど、痛みは来ない。うっすらと瞳を開ければ、そこには首筋から心臓に向かって赤い一本の線を受けながらも相手の身体を貫いているフェンリーの姿だった。
『団長!!』
『な、んで…』
『っ…死んだら、駄目だろうが…っう"、あ…』
『団長喋らないで下さい!』
『わり…っ――レイノ、サクラ、を』
『ふぇん、り』
『行け』
何時も笑っているフェンリーの姿はもう思い浮かんで来る事は無くて、どうしてか、馬鹿みたいに零れて来る涙を止める事は出来なかった。ただ、舌っ足らずな口で情けなく彼の名前を呼ぶ事しか出来なかった。血だらけで右腕も動かせないはずなのに、彼は力強く背中を押してくれて、わたしは歯を食い縛って「戻って来るから」と約束してその場を去ったのである。その後、わたしが彼を見る事は無かったのだけれど。
『…これで、満足か……ヨル』
『…何の事ですか?』
『ふ……』
レイノの姿が見えなくなった後、唐突に囁かれた言葉は側で膝を付いていた部下であるヨルに向けられたものだ。何時もの様に笑みを浮かべたまま頷いたヨルは何も変わらなくて、けれど、この状況ではそれが異常なのだ。周りは火の海で囲まれており、何時の間にか敵の姿は消え失せている。そこでやっと目的が分かったフェンリーは鼻で笑い、ヨルの心臓部分を短剣で貫いたのである。
『……いつから?』
『下っ端の、お前が…中心部の事、知ってる訳、ねーだろうが……』
『最期の最期でヘマをしてしまったようだな』
『誰だお前』
『……『蝙蝠』とでも言っておこうか』
『っ…う"、ぐ』
『最期だ。消えろ』
「ヨル」だった者の口から優しげな声色が出される事は無く、それは酷く冷たく、そして冷酷さを孕んでいた。そんな彼は血でまみれたフェンリーの心臓部分に手を翳し、僅かに眉を顰めた。その瞬間、二人を囲う様に青く輝く魔法陣が現れる。フェンリーのそれだ。そして隣に模られて行くのは同じ輝きを放つ人型のものである。それに思わず舌打ちをした「ヨル」だった者は背後に現れた狭間に身体を滑り込ませ、この場から姿を消したのだ。
『主、様…』
『こんな時に、ごめんな……えじり、ん』
『…いいえ』
『っ…あ"、う』
『主様!』
『…死なせないで、くれ……レイノを、次元の、魔女、に』
『次元の、魔女…?』
『来る時、に、みちび、て、やって…』
エジリンと呼ばれたそれは、現代でレイノらを導いてくれた少女だ。こんな時に、出すはずじゃなかったんだけどな。ごめんな。どうしたら良いか分からないだろう。けれど、お前は俺の希望だから。俺の残った最後の魔力だから。さっきの行為で、俺の身体は既にあいつに囚われている。きっと、死ぬ事は無い。だから、頼む。あの子に、レイノに伝えてやってくれ。
「独りじゃない」と、教えてやってくれ。
『これ、レイノは…』
「知らない。言う必要もないからな」
「あの、『蝙蝠』って…」
「俺を、俺らを生き返らせたやつだ」
「…お前、俺らを殺すつもりはねェんだろ」
「え…」
「…はは、ご名答。この過去を見せたかっただけだからな。あとは、好きにすれば良い」
『好きに、って…』
「俺とサクラで羽根は二等分されている。取るなら取れ」
「けど、そうしたら、貴方は!」
「良いんだよ、一度は消えた身だ。それに、お前達を待ってたから」
沸き上がって来た笑いを、フェンリーは我慢する事なく吐き出してみせた。そして胸元に手を翳せば、そこはポウ、と淡い光を放つ。元々幕を閉じていた命だ。今更捨てても変わりは無い。そんな事、レイノとかエジリンに言ったら思いっきり泣かれると思うけどな。けれど、未練は無い。あいつはきっと「仲間」を知る事が出来たから。悟る程の優しい気持ちに理解を示した黒鋼は、再び刀を構えた。
「最後まで、支えてやってくれ」
最期に見せた笑顔は、ただただあいつを想っていた。
『サクラ!』
エッゲンベルク城の祈り場は巨大な扉で外界から隔たれている。しかし、それは見た目ほど重くはなく、両手で軽く押せば勢い良く開く仕様なのだ。それを思いきり押せば、そこには何時もの服ではない、国で定められた衣装に身を包んだサクラの姿が見えた。大きな噴水の上に浮かぶ巨大な鏡はこの国の惨状を表していて、それは酷く現実を突き付けるものになっている。そんな所に現れたレイノに、サクラは酷く驚いている様だった。
『っ来ちゃ駄目!』
サクラがそう叫んでも既に遅く、彼女の身体は蝙蝠の紋章を背負った剣によって貫かれていた。真っ白の衣装はどんどん赤に支配されて行き、それの進行が止まる事は無い。ゆっくりと視線を下ろしては視界に入る剣を睨み付けては、彼女は目を見開かせた。すると、彼女の足元には紫に輝く魔法陣が現れ、貫いていた剣はボロボロと跡形もなく崩れて行ったのだ。背後で響く舌打ちを聞きながら、彼女は思わず崩れ落ちたのだ。
『っ…おそ、かった』
『サクラ!生き、てる……?』
『…私の夢に乱入して来たのは、貴方、ね……『蝙蝠』さん』
『やはり夢見か』
『そうでなけりゃ、この国の神官なんて…っ勤まんないわよ』
途切れ途切れに呟かれたサクラの言葉はレイノの耳に入る事は無く、レイノは血だらけのサクラの身体を支え、唇を震わせながら呆然と言葉を紡ぐ。そんな幼馴染みの姿に一瞬苦笑を浮かべるも、サクラは好戦的な瞳を背後の鏡に映る男に向けた。時折血を吐きながらもそれを止めないサクラは、未だに生きる事を諦めてはいない。
『…レイノとやら、共に来ぬか』
『わ、たし?』
『この女に、死なせてしまった恩人にもう一度、と思わぬか』
『…助け、られる?』
『ああ、約束しよう』
『っ馬鹿!止めなさい!』
『っけど…!』
『そんな事してみなさい!私は一生、貴女をうら…っ』
サクラの血をどんどん吸い込んで行くレイノのワンピースはどんどん黒くなって行き、しかし、それに気付くほど今のレイノは余裕を持ち合わせてはいなかった。そんなレイノの身に降り掛かるのは甘い、欲望の言葉だ。それによって初めて出来た友達を失いたくない、そんな気持ちがレイノの心を支配して行く。それに異議を唱えるサクラは鏡に映る男による攻撃で、一瞬にしてその命に終わりを告げたのだ。
『う、そ……』
『分かるか?これがお前の弱さだ』
『よわ、さ…』
『守れない弱さ、力がない弱さ、物事を決められない弱さ。お前はあの二人がいなければ何も出来ないだろう』
『力がない、から…わたしのせ、で…?』
目前を通って行く赤い飛沫はサクラの血以外有り得なくて、数瞬、現実を受け止めきれなかった。震える手で彼女の身体に触れれば、ぬるり、とした感覚を感じ取る事が出来る。嘘だと、夢だと、誰か言って欲しかった。どうして、大切な二人の笑顔を失わなければいけないのだろうか。わたしの弱さのせいなのだろうか。優しい事は、そんなに悪い事なのだろうか。
嗚呼、分からない。
『か、たな…?』
『力が欲しければ、私の手を取れ』
『け、ど…』
『強くなりたいのだろう。もう一度会いたいのだろう。ならば、迷う必要などないはずだ』
カシャン、と足元に何かが落とされる。黒の鞘で覆われたそれはこの数年間で見慣れた物となってしまった刀だ。鞘の下部には桜がらせん状に描かれている。それは、つい先ほど死んでしまったサクラと言う存在を思い出させるには充分だった。それに加えて鏡に映る男の脅しに近い言葉が降り掛かれば、レイノはもう、断る事が出来なかった。ごめんね、サクラ。それでもわたしは、もう一度貴女に会いたい。
刀に触れた瞬間、世界が終わる、音がした。
周りを見渡してみれば、そこら中にごろごろ、とした瓦礫が転がっている。生きている者は誰も居ない様だ。手元を見れば、鏡に映っていた男から貰った刀があり、それを持つ手は酷く薄汚れていた。ちらり、と自身の服に視線を向ければ、やはりそれも埃や血を被っていて、とてもじゃないが人前に出せる物ではない。桃色の瞳に光は宿らず、道と言える物がないここから何処へ進めば良いのか分からなかった。そんな所に、生きている者など居ない筈なのに、ジャリ、と地面を擦る音が響き渡ったのである。
『…レイノ様』
『だ、れ?』
『エジリンと言います。フェンリー様、の最期の化身、です』
『フェンリー、の』
呼ばれた事のない呼び方はレイノに違和感を感じさせた。しかし、何かをする気力も起きない彼女はエジリンと言う少女に不信感を抱いても退く、と言う事はしないのである。そんな気持ちは「フェンリー」と言う単語を聞いた途端、消え失せてしまったのだけれど。寧ろ、それを聞いた途端涙が出て来るのだ。どうやら、まだ感情は消え失せていないらしい。そんなレイノを見たエジリンは思わず目を見開くが、ぐっと唇を食い縛り、レイノの両腕を力強く掴んだ。
『急いで下さい』
『な、にを…』
『お願いします。次元の魔女の元へ、早く』
『…貴女は、何を知ってるの……?』
『何も知りません。ただ…っあの人の力を、無駄にしないで……!』
力強く言い放たれたエジリンの言葉は、僅かだがレイノの思いに波を立てた。けれど、今はただ怖い。フェンリーの使い魔だと言う、目の前のこの少女が怖い。でも、抱き締められた身体はとても温かかった。「あの人」が誰かは分からない。けれど、これを無視してしまえば、わたしはきっと一生後悔するんだろう。
『…その『次元の魔女』の元に行けば、良いの』
『はい』
『…エジリン、だっけ』
『はい』
『……あ、りが、とう』
サクラに貰ったチョーカーで首元を飾り付け、レイノは刀を腰に差した。そして、よろめきながらも立ち上がったレイノは下に座ったままのエジリンに視線を向けたのである。その後に続けた途切れ途切れの感謝の言葉は確かにレイノの本心だったのだろう。レイノの足元に魔法陣が現れれば、それを囲う様に風が巻き起こる。ゆっくりと解けて行く身体を受け入れながら、レイノは悲しげに笑い、目を細めたのだ。
『ごめんなさい』
その言葉が聞こえてたかなんて、もうわたしには分からなかった。
「レイノちゃんが前に進みたいって言ってたのって…」
「そんなのうそよ。あんたに願いなんてないでしょう。私が、私達がいなきゃ何も出来ない。だから私達を生き返らせようとしたんでしょう」
「レイノちゃんが、そんな事を…?」
「欲に目が眩んだんでしょう。馬鹿げた事を思ったんでしょう。そうでしょう、レイノ!」
先程の過去の映像を見たファイらは心底驚いた様に目を見開いた。嘘だと思った。けれど、何も言い返さないレイノと顔を歪めて声を張り上げる「サクラ」を見ればこれが限りない現実なんだと思わざるを得なくなったのだ。レイノと「サクラ」の身体はボロボロで、どれだけの力を酷使したのか分からない。それだけ二人の思いが矛盾している、そう思ったのだ。
けれど、どうやらそれは少し違うらしい。
「…サクラは、何か勘違いしてるみたいだね」
「は…?」
「確かに最初はそう思ってたけど、今はもう、違うんだよ」
「っ…いつも笑って、ヘラヘラして、あんたはいつだって本音で話さなかったでしょう」
「会いたかったのは本当。けど、こんな事してまで会いたくなかった。こんな『サクラ』、見たくなかった。友達の…サクラちゃんの大切なものを使ってまで、会いたくなかったよ」
「レイノちゃん…」
何を言ってるんだこいつ、とか思ってそうだね。自分でも思ってる。自分が言っている事が支離滅裂でただの我が儘だと言う事も充分分かってる。子供が駄々を捏ねてるみたいだよね。分かってるの。馬鹿みたいにヘラヘラ笑って大事な事を何も話して来なかったのも分かってる。聞かれなかったから、なんてただの言い訳に過ぎない。けど、言葉にしてみて分かったの。今のわたしにとって大事な事は「幼馴染み達ともう一度会う」事でも、「サクラを守る『同行者』として側にいる」事でもない。ただ、「仲間」との時間を大切にする事だった。その為ならわたしは、何だってするつもりでいるんだよ。
「…わたしは、前に進む」
「私を殺してでも?」
「っ…殺して、でも。だから、お願い……返して」
眉を顰めながら、レイノは体内に入れていた刀を出し、それを地面に投げ捨てた。もう、頼らない。大きな力は、いらない。自分だけの力で戦う。前を見据える、そう決めたの。その瞬間、「サクラ」の魔法で開かない筈の扉が大きな音を立てて破壊されたのだ。そこから現れたのは黒鋼と小狼、モコナである。
「…フェンリーを消したのね」
「あいつがそう望んだからだ」
「自己犠牲も甚だしいわね。だから嫌いなのよ、あいつは」
「同感だ」
「黒ぷーってば潔すぎていっそ清々しいよぉ」
小狼の手には二等分されたサクラの羽根が握られており、その事からフェンリーは本当にいないのだと、そう確信した。死ぬ瞬間も死んだ後も、あいつなら笑ってそうだけどね。そう言う所が本当嫌いなのよ。こう言う立場じゃなきゃ、黒鋼とやらとは仲良くなれそうだったけれど。そんな中何かを決めたレイノの瞳は嫌に真っ直ぐで、あの時、それを見たかったな、とふわふわとした思いを抱く。向かって来るレイノの手にはしっかりと威力が込められていて、それを一突きされれば「サクラ」の身体は消えてしまうだろう。それが良い。それで良かった。その決心を、数ヶ月前に見たかったよ、レイノ。
死ぬ前の私は、やはり笑っていたんだと、そう思うのよ。
「サクラ」の身体を貫いていた手を抜けば、そこから血が出る事は無く、現れたのは二等分されたサクラの羽根と「サクラ」が来ていた衣服達だけだった。それらを押し倒す様に両手を床に付けば、自然と零れて来た涙はそれらに吸い込まれて行った。本当ならこの手が血でまみれていたはずなのに。何も変わらない手の色が、「サクラ」は確かに死んだはずの人間だと教えてくれていて、悔しい。選択を間違えなければこんな思いをせずには済んだのかな、なんてもう遅いけれど。
「レイノさ…」
「どうぞ、小狼君」
「けど、それを貰ったら本当に…」
「良いんです」
『…本当に良いの?』
「うん、良いの。だから…ね、貰って下さい」
小狼は心配げにレイノに近寄るが、そんな彼女は何時もの笑みを浮かべて二等分されたサクラの羽根を彼に差し出した。モコナと彼がどれだけ言ってもきっと彼女は気持ちを変えないのだろう。それはファイが相手でも同じ事だ。小狼は一瞬だけ目を細め、一つになったサクラの羽根をサクラに吸い込ませたのだ。
「…レイノちゃん?」
「…駄目ですね。一度死んでるはずなのに、やっぱり悲しい、みたいです」
羽根を取り込んで眠る様に崩れ落ちてしまったサクラが居る一方で、床に乱雑に置かれた「サクラ」の衣服を抱き締めるレイノがそこには居た。それに気付いたファイは思わずレイノの名を呼び、顔を覗き込んだ。そこで目を見開いたのだ。なぜなら、過去の映像でしか見た事がなかったレイノの泣き顔がそこにはあったからだ。優しく頭を撫でてそれを引き寄せると、レイノは静かに目を瞑り、涙を流した。
ずっとずっと終わらせてあげられなくてごめんね。馬鹿な事を願ってしまってごめんね。もう大丈夫だから、もう泣かないから、前を向くから。
安らかに、眠れ。
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