episode 70
夢と現
「ここは…」
目を瞑っても闇の中、目を開けても闇の中、ここはそんな場所である。そんな世界にレイノは居た。すると、目の前が仄かな明るさに包まれたかと思えば、それは再び闇へと変化したのだ。いや、違う。光が闇に包まれたのだ。それをしたのは飛王だった。幼い彼女を甘やかし、心に甘い言葉を囁いた張本人だったのだ。
「レイノ」
「っ…飛、王」
「裏切ったな」
「…裏切り?馬鹿言わないで下さいよ。わたしが貴方のやる事を肯定的に見た事、ありました?」
「助けてやった恩を忘れたか」
「忘れたつもりは無いです。けどわたしは、もう…」
レイノは先ほど目を覚ましたばかりで、そのせいで自然と上から見下ろされる形になってしまう。すると、飛王からは僅かながらも威圧感を感じてしまうのだ。彼女はそれを感じない様にわざと挑発的な言い方を選ぶ。それに触発されたのか、彼は殺気と呼ばれるものを彼女に向けて飛ばしたのだ。それに気付いた彼女が飛び退けば、彼女が先程まで居た場所からは刀が突き出していた。しかしどうやらそれは幻覚として存在しているらしい。
「…今の状況を甘んじている訳ではないようだな」
「当たり前でしょう。気なんか抜いたら一発でやられます」
「戻るつもりは」
「ない」
金属同士が擦れ合う音が闇の中、響き渡る。ふざけている様なレイノの口調だが殺気が溢れ出ており、戦闘態勢は万全と言う事だ。飛王が再び彼女に問う。答えはもちろんノー、だ。今戻っても何も変わらない。自分を裏切りたくないのだ。そして、もうそろそろ侑子を待たせる訳にもいかない。レイノの意志に気付いたのか、彼はレイノの額に手をやり、小さな魔法陣を浮かばせた。それが消えたと同時に再び眠気が襲って来る。
「もがけ、苦しめ」
そんな心を抉る様な言葉は、頭にこびりついて離れる事は無かった。
『ファイ、寝ないの?』
「んー…もう少しだけ起きてるよー」
「お前好い加減にしねーとぶっ倒れんぞ」
「大丈夫だってばー。黒ぽんぽんは心配症だなあ」
「黒ぽんぽんって何だ」
北に位置する「グミュント」と言う町に戻って来たファイらは意識を失っているレイノが目覚める時を心待ちにしている。これを言うと黒鋼は全力で否定すると思うが、ちらちら、とレイノに視線を向けているのだから言い逃れは出来ないだろう。そんな日々が三日ほど続いただろうか。ピクリ、と僅かに跳ねたレイノの手に気付いたのは黒鋼だった。
「…おい、こいつ…汗の量、尋常じゃねーぞ」
「傷が、増えてる……?」
「っ…う"、ぐ…は…っ」
「レイノちゃん!!」
「黒様、これ…」
ギシギシ、と室内に響き渡るベッドのスプリング音はレイノの激しい動きを体現していた。シーツを掴む力が強くなればなるほど皺は刻まれて行き、彼女は痛みに耐える様に唇を噛み締めた。泣きそうになっているサクラとモコナを小狼に任せ、ファイは今までの記憶を掘り起こしていた。このレイノちゃんはつい最近見た事があった。夜魔ノ国でも起こった現象は、まだ記憶に新しい。
「起こせるか」
「…レイノちゃん、レイノちゃん、起きて」
「っ…は、あ"…っ」
「大丈夫だから。噛んで良いから、ね」
「う、ぐ…っんん"」
ベッドに手を付いた黒様の言葉に答えずにレイノちゃんに声を掛ければ、レイノちゃんは苦しそうに呻き声をあげた。瞳に浮かぶ涙は生理的なものかな。顔はいつもよりも赤くなっていて、よほど熱いのか苦しいのかは分からないけれどすごく苦しそうだ。そんな状態のレイノちゃんを放っては置けなくて、オレはレイノちゃんの後頭部を優しく支えて、あの時の様に肩にレイノちゃんの口元を押さえ付けた。がぶり、と喰われる様な痛みを感じれば、後ろでは息を呑む声が聞こえる。外、出した方が良かったかも。
何度も噛んではその力を緩める、と言う行為を続けるレイノちゃんの頭を、オレは「大丈夫、大丈夫」と何度も優しく撫でてやった。それを何度か続けた結果、レイノちゃんは力を抜いて少しだけ、オレに身体を預けてくれた様に感じる。
「――ファイ、さん」
「大丈夫?すっごいうなされてたみたいだけどー」
「は、はい……あの、ごめんなさい、あの」
「レイノちゃん!」
「はっ、はい!」
「無事で良かった……!」
溜まった涙を力任せに拭うと、レイノは申し訳なさそうに焦りながらも謝罪の言葉を口にした。そんな彼女に苦笑を浮かべると同時にサクラはレイノに思いきり抱き付いたのだ。思ったよりも体重が預けられていたらしく、レイノの身体は再びベッドに倒れて行く事になってしまう。けれど、これだけ泣きながら自身の無事を祝ってくれるのだ。何も言わず、ただ抱き締めてくれるのだ。
今はそれで、良いじゃないか。
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