episode 72
不思議な夢

(目覚めなさい、早く。お前の力が必要よ)
「あなたは、誰…」
(私は貴女、貴女は私。それと同時に他人でもある)

 心が波打つ音が聞こえる。暗い筈なのに、目の前のある部分だけ仄かに明るい。何か居る、何処かで見た事がある、けれど思い出せない、思い出そうとすると頭が痛い、左の太股が疼く。目の前の人物が口を開く度に音が大きくなっている気がする。気のせいか。それすらも、自身には良く分からない。


(早く目覚めて。目覚めて早くその力を、私に)
「わたしの、力…って…?」

 時間が経つ度に大きくなる心の音、それと比例して増して行く頭痛。わたしは何か忘れているのだろうか。思い出さなければいけない事なのだろうか。それはわたしにとって何よりも大切な事なのだろうか。分からない、分からない。あなたはわたしなのですか。わたしの力とは何なのですか。「わたし」とは何なのですか。




「レイノちゃん!」
「へ………っ近い!」
「へぶっ!!」
「レイノちゃん!?」
「どうした小娘!…って、何やってんだ?」

 頭痛と暑さで目を覚ませば、視界にはファイの整った顔が映っていた。あまりに近距離だった事に驚き、レイノは思わず彼の身体を突き飛ばしてしまっていた。その音は予想より響き渡っており、黒鋼とサクラは飛び起きて駆け付けて来てくれていた。端から見たらかなり馬鹿らしい光景だろう。


「い…ってー。もう、レイノちゃん酷いよう。うなされてたから見に来ただけなのにー」
「え、あ…ご、ごめんなさい。心配、有り難う……?」

 前を見れば、顎を押さえるファイが居た。こんな彼を見れるなんてある意味貴重かも知れない。想定外のリアクションを返された彼は頬を膨らませてレイノを見つめていた。だが、若干寝惚けている彼女がこてん、と首を傾げる姿を見れば、機嫌も直ると言うものだ。それを見ていた黒鋼は呆れ返ってサクラを連れて各々の部屋に帰ったのだった。




「あの、ファイさん、怪我無いですか?」
「え?…ああ、明け方の事ー?大丈夫だよー、びっくりしたけど。そんなに良い夢見てたのー?」
「…いえ、良く、分からなくて」
「…不思議な夢?」

 あの後無理矢理寝ようとしたけれど、あの夢の続きを見てしまうのか、と思うと眠れなくて。若干寝不足なのだが、恐らく他の旅の一行にはバレているのだろう。明け方の夢の続きを見れば、また大事なものをなくす気がする。気のせいだったら良いのだけれど。それを確かめる術を、レイノは持ち合わせてはいないのだ。


「…何か、忘れてる気がして」
「…思い詰める必要は無いと思うなあ…大丈夫、いつか思い出すよ。サクラちゃんだってそうなんだし、ね」
「…ふふ、そうですね。有り難う御座います」
「おはようございます」
『レイノ、ファイー!』

 レイノはそう呟いて悩む様な素振りを見せた。そんな彼女を慰める為に目線を合わせて笑ってみせる。そうすると、オレの大好きな笑顔が見れるのだ。頭を撫でていると小狼の声が聞こえて来る。それと同時に二人の名を呼ぶモコナの声も聞こえて来たので、思わず距離を取ったのだ。


『小狼、起こして来たよ』
「えらいね、モコナ」
「すみません、寝坊して」
「大丈夫ですよ、疲れてたんでしょう」
『いつも小狼、いっぱい頑張ってるもんね』

 モコナがそう報告すると、ファイはモコナの頬らしき所に口付けた。見ていて凄く可愛らしくて、和む光景である。レイノもモコナの頭を指先で撫でれば、お返し、と言う事で頬に口付けを送られたのだ。それが何処かくすぐったくて、思わず頬を緩める。そんな光景を目に焼き付けた小狼が周りを見ても一行であるサクラと黒鋼は居ない。まさか昼まで寝てる訳ではあるまい。


「姫と黒鋼さんは」
「お買い物です」
「パーツ、足りなくなっちゃったからね」

 「これの」と区切ってファイが指差したのは「ドラゴンフライ」と呼ばれる乗り物である。空中には逆三角形の小さなパネルが浮かんでおり、そこには近々レースがある、と言う事が示されていた。どうやら一行はそれに参加するつもりらしい。何たって優勝賞品は、サクラの羽根なのだから。




「この国のお店は分かりやすいですね」
「まぁな」
「すみません。えっと、飛翔パーツのBNQ3が欲しいんです」
「はーい。BNQ3ね」

 ピッフル国のとある中心街では、先程のパネルに描かれていたドラゴンフライが車として道を走っていた。今回の国は近代的な印象が強い、と言う様子である。黒鋼とサクラはそこのデパートの様な所に訪れていた。珍しい組み合わせだと、そう思う。隣に彼女が居る事により、彼の強面が一層際立っている気がする。店員が手渡したパーツは丸いエンジンの様な物で、その代わりとして、彼女は店員にカードを手渡した。


「お金、有り難うございます」
「あぁ?」
「レイノちゃんと黒鋼さんとファイさんが夜魔ノ国で貰った報奨金がこの国の貨幣に換金出来たから、こうやって買い物出来るんですもの」

 店員が支払いをしている内にサクラは黒鋼にお礼を言っていたが、当の本人は何の事か良く分かっていない様だ。彼女の素直な言葉達に、黒鋼は買ったパーツを眺めながら鼻を鳴らしている。それが照れ隠しと言う事は分かっているつもりだ。カードが返却された事に対して彼女が柔らかい笑みを浮かべると、店員は思わず頬を赤らめていた。この光景を小狼が見れば、どんなリアクションをするだろうか。


「BNQ3を買ったって事は『ドラゴンフライレース』に出るんですか?」
「らしいな」
「あなたも!?」
「はい」
「あのレースは危ないですよ!」

 赤面している店員の横から別の店員が現れ、黒鋼にそう問い掛けた。天井の小さなパネルを見れば、ドラゴンフライレースのCMがちょうど放映されている。店員曰く「ドラゴンフライ」はハイブリッドで、殆どは風力で動いているらしい。操作は簡単だが、天候によっては危ないらしく、カスタム次第では事故では済まない、と言う。


「なんか凄い充電電池らしいね。噂じゃ、この町全部の電力はまかなえるって話だぜ」
「やっぱり危ないです!!」
「行くぞ」
「あ、はい!」

 今回は賞品のせいで例年よりも荒っぽい事になる、と言う話題で持ち切りである。何せ、あれがあれば半永久的にマシンが動くらしいのだ。さすがサクラの羽根である。あの羽根一枚にどれ程の力が篭っているのだろうか。黒鋼に呼ばれた彼女は店員らに軽く頭を下げて店を出て行った。その時の笑顔に店員らの心が一つになった事は言うまでもないだろう。




「で、本当に出るのか、レースに」
「はい」
「危ないっつってたぞ」
「わたしに出来る事があるなら頑張りたいです」
「……言い出したら聞かねぇのは、どこの姫も一緒なのか」
「え?きゃ!」

 黒鋼は先に出て車の用意をしていたらしく、サクラが座るまで待っていた。この旅が始まってからと言うものの、随分と丸くなったものだ。小声で呟いた言葉を隠す様に、彼は何も言わずに車を発進させた。その時のスピードはかなり速かったらしく、彼女は思わず帽子を押さえる。しかしその直後、曲がり角から別の車が飛び出して来た事によりそれは唐突に中断される事となったのだ。


「申し訳ありません。急いでいて…!」

 相手はよほど急いでいたらしく、辺りには砂埃が散乱していた。向かいの車にも連れが居たらしく、どうやら先程の衝撃で倒れ込んでしまったらしい。黒鋼はその相手を見て目を見開いた。その相手は、日本国で飽きるほど見た、主である知世姫と同じ顔をしていたのだから。


「知世姫!?」

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