episode 73
機械の国
いきなり走り出した黒鋼をサクラは止めようとするが、その前にぶつかった車の運転席に座っていた女性の目の色が変わった。その女性が合図をすると共に何処からか、同じ様なサングラスに同じ様な服装をした女性らが次々と現れたのだ。そんな女性らに殺気を飛ばす彼だったが、それを弾く様な透き通った、凛とした声が響き渡ったのである。しかし、その様子とは一変して笑顔で駆けて行くその声の主は彼を通り過ぎ、サクラの手をぎゅっと握ったのだ。
「見つけましたわ!!」
「え?」
「ヒロインはあなたですわ!」
「え!?」
そして、意味の分からない一言を言い放ったのだ。困り果てているスーツの女性らはもはや視界に入っていない様である。それは黒鋼にも当てはまる事だった。けれど、この事で一番被害をこうむっているのはサクラである。放心状態の彼を除いてはこの場をやり過ごしてくれる人物は居ない。と言うか、「ヒロイン」って何だろう。
今回、旅の一行が滞在しているのはピッフル国と呼ばれている世界で、車が空を飛んでいたり地面を走っていたりと技術が発達している場所らしい。気候も暖かで表立った争いもなく、比較的過ごしやすいのが特徴だ。この国での服装も今までの様な民族衣装らしき物とは違い、個々の好みが出る物となっている。そんな場所に似合わない小狼の表情に気付いたモコナは、彼の眉間の皺を擦ってみた。
「…何か飲み物作って来ますね。モコナ、手伝ってくれる?」
『はーい!』
「アイスティで良いですか?」
「あ、オレレモン付けてー」
「はいはい」
深刻そうに顔を顰める小狼にレイノとファイも顔を見合わせ、レイノはモコナを連れてその場を後にしたのだ。その後に続く彼女とファイの会話はわざとらしく聞こえ、しかし、自然なものにも聞こえる不思議なものだった。ミッドガルド国の一件で一皮剥けたらしい彼女は酷く清々しかった。
『…ねぇ、レイノ。小狼、また何かあったの?』
「何か悩んでるみたいだね」
『小狼、きゅーってなってた』
「…思い詰めてるのかな。小狼君、優しいから」
レイノとモコナはアイスティを作る為にトレーラー内のキッチンで物音を立てていた。モコナも小狼の暗い所に気付いているらしく、何時もの可愛らしい笑顔はナリを潜めている。彼女は彼が暗い理由を理解してるが、だからこそ何も言えないのだ。こんなにも早く「言えない辛さ」を実感するとは思わなかった。
『…小狼、辛いの?』
「んーん、大丈夫だよ。ファイさんがいるからね」
『そっか……そうだね!』
旅が始まったばかりの頃の小狼はサクラの事ばかりだった様に思う。またその頃の彼に戻ってしまうのか、とモコナは案じているのだ。けれど、ファイが居るから大丈夫だとも思っている。理由は分からないが、レイノにとってファイの言葉は不思議と元気が出るものなのだ。本人は気付いていないだろうけれど、貴方は凄く優しいんですよ。
ファイと小狼の話が終わった頃を見計らってアイスティを運んだレイノとモコナだったが、予想外にも多数の客人が来たものだから急いでキッチンに戻ったのだった。その証拠として、トレーラーの前には大量の車と多数の客人らが並んでいる。その場所に運ばれて来る何十杯もの飲み物は三つのトレーに分けられていた。
「お待たせー」
『アイスティなの。モコナも手伝ったの』
「まぁ、それは素晴らしいですわ。それにしても、これ程精巧なロボットが作られるなんて。あなた方の国は、とても科学水準が高いんですね」
「えへへー」
「…ファイさん分かってないですよね?」
「…えへへー」
「うちの会社でも是非、作ってみたいですわ」
「会社?」
「改めてご挨拶を。わたくし『ピッフル・プリンセス社』の社長、知世=ダイドウジと申します」
『社長さんだー。一番、偉い人なんだー。すごいねー』
「ひょっとして『ピッフル・プリンセス社』って、あのレースの」
レイノの言葉にファイは分かっているのか分かっていないのか曖昧な返事をした。笑っておけば何とかなるだろう、と言う意味が分からない精神でも持っているのだろうか。その時の笑顔だけは妙にイラッとする事は記憶に新しい、と彼女は言う。黒髪の少女である知世はモコナの性能に興味を持ったらしく、握手を交わしていた。そして後ろに居る、黒鋼を牽制した女性らは自分のボディーガードだと説明してくれた。
知世こそが今回のレースの主催者であり、サクラの羽根を賞品にした張本人である。知世はレースの最初から最後までを記録に収めたいらしく、その為のヒロインとしてサクラが選ばれたのだ。
見事、知世が選ぶ「ヒロイン」となったサクラは自身の「ドラゴンフライ」の運転席に腰を下ろした。そしてエンジンを掛ければ、バルン、と言った元気な音が響き渡る。その後、バックエンジンからは軽快な音が鳴り、エアー感のある火が噴かれる。少しでも空気抵抗を軽くする為のサングラスを掛けてアクセルを踏めば、レイノらが見守る中、サクラは大空へと飛び立つのである。
しかし、それは一瞬の事だった。機体が傾いたかと思えばそこからはぷすん、と言った気の抜ける様な音が漏れ、それが増えるごとに落ちて行く機体は見る見るうちに地面に近付いて行くのである。そんなサクラに焦るのは小狼のみで、レイノとファイ、黒鋼はただ無言で見守る事しか出来ない。
「サクラちゃん、大丈夫かなぁー」
「コケっぷりもかわいいですわ」
「当日、何かすごい事やらかしそうな気しかしないんだけど」
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