episode 77
交渉失敗

「整備して来る」
「行ってらっしゃーい」
「爆発させないように気を付けて下さいね?」
「しねぇよ!」

 朝食を済ませた黒鋼は形だけの「ご馳走様」を済ませ、自身が何時も使用している工具が詰め込まれているツールバックを片手に、外に繋がる扉へと歩を進めた。それらの行動の途中でもからかいの言葉を掛けられる彼は、周りにとても愛されているのだと思う。そんな事を本人に言えば、怒られるのだろうが。


「レイノちゃんは本当に黒様弄るの好きだねぇ」
「あんなに反応してくれる人なかなかいませんからねえ」
「…そう言えばレイノちゃんさ、昨日の宴会で言ってた事…覚えてる?」
「……昨日、ですか?」

 何時も通り賑やかな雰囲気で黒鋼を送り出した後、ファイは食器を片付け始めたレイノに声を掛けた。ファイのその質問に彼女は目を丸くし、こてん、と首を傾げてみせたのだ。結論だけ言うと覚えていないらしい。酔っていたのでその言葉は当たり前の様に聞こえるが、こちらに顔を向けてくれない事が気になって仕方ない。今、どんな顔してるのかな。


「わたし、何か変なこと言ってましたか?」
「…んーん、すぐ寝ちゃったんだよねぇ。頭痛とか平気ー?」
「大丈夫です、何か変にすっきりしてるんですよね」
(…本当、なのかな)

 先程まで望んでいたレイノの笑顔がファイの視界に入る。しかし、何処かぎこちない。そう言えばミッドガルド国を過ぎてから彼女は良い意味で幼くなり、嘘が下手になった気がする。それは喜ぶ事なのだろうが、何故今になってまた嘘を吐き出したのだろうか。聞きたい気持ちも山々だが、外には黒鋼が居る。もう少ししたら買い物に出掛けているサクラと小狼、モコナも帰って来るだろう。何よりレイノが嫌がる筈だ。今聞くのは得策ではない、と判断したファイは何時もの笑みを浮かべたのだ。




「…黒ろんどうしたのー?」
「…外装ぶっ壊れて中の機械出て来た。休む、水くれ」

 先程の奇妙な雰囲気とは打って変わって和やかな空気の中、レイノとファイが談笑していると、黒鋼が大きな音を立てて椅子に座ったのだ。僅かに驚くが、それでもファイは様々な渾名に思考を巡らす事を止めない。それに関してはもう諦めた様だ。溜め息を吐きながらつらつらと言葉を並べる黒鋼を前に、彼女は口元を押さえて笑いを堪えていた。それに気付いた黒鋼はひくり、と口角を引き攣らせている。


「小娘てめー何笑ってんだコラ」
「何か壊すと思ってたんですよねえ。黒鋼さんグッジョブ」
「ぶち殺されてえのかてめェ」
「二人ともどーどー。もう少ししたら小狼君達帰って来るだろうし、外出てようよー」
「…お前覚えとけよ」
「覚えとけよって言われて覚えてる人っていないと思いますけど」
「お前いつか殺してやるからな……!」

 笑いを堪えるレイノの姿が余計に黒鋼の苛立ちを煽り、彼女のグッドサインが極め付けとなったのだ。そんな二人を見てはファイが笑みを浮かべていた。こいつら馬鹿だなあ、と言いたそうな顔である。収拾が付かなくなるだろうと察したファイは彼女と黒鋼の間に入り、ヒートアップしてしまった二人の会話を静めた。だが再び彼女が黒鋼に突っ掛って行ったので、無駄になってしまった様だ。そんな会話をしていると、向こうから軽快なエンジン音が聞こえて来る。


「何かあったー?」

 どうやらそのエンジン音はサクラらによるものらしい。しかし、小狼の顔付きがただたんに買い物をして来たものではない、と気付いたファイはそれを指摘した。マーケットでの出来事を話し始める姿から、間違いではなかった事が分かる。そんな小狼の横ではモコナが目を見開き、額らしき所の石を輝かせた。その光の中から現れたのは、次元の魔女と呼ばれる女性、侑子だった。


『どうしたの、侑子!』
「お久し振りですねえ、魔女さん」
『ええ、ちょっと用があるのだけれど』
「用ですか?」
『服は?』
「あぁ!?」
『元いた国での服はどうしたの?』
「紗羅ノ国に置いて来てしまったんです」
「白まんじゅうが無理矢理別の国に連れて来やがって」
「戻ってもそのまま、すぐレイノちゃんの母国のミッドガルド国に移動しちゃったからねぇ」

 久々に見た侑子の姿にモコナは酷く喜んでおり、モコナは思わずレイノの頬に飛び付いた。光に映された侑子を見て、黒鋼はあからさまに警戒している。隣からファイの冷やかしが飛んで来るが、この際無視だ。ピッフル国に来る前は戦いばかりでなかなかゆっくり出来なかったからか、凄く久し振りの様に思える。特に夜魔ノ国では半年近くも居たのだから当たり前だろうが。
 侑子は含み笑いを浮かべながら問いを投げ掛けるが、それは嫌に肯定力のあるものだった。元々彼女の話し方がそれらしいものだと言う事もあるが、黒鋼はそれが余計に勘に障ったらしい。――ファイの遠回しな回答に満足気に笑んだ侑子は僅かに身を引いて、その後ろの光景を一行に見せた。そこには一行が元々着ていた服が綺麗にハンガーに掛けられていた。後処理をきっちりやってくれている辺り、大人だと言う事が伺える。おそらく洗濯などもしてくれたのだろう。至れり尽くせりだ。


『紗羅ノ国から回収しておいたわ』
『侑子、すごいー!!』
「有り難うございます」
「さっさと寄越せ」
『だめよ』
「何?」
『これは一度あなた達の手を離れて、今はあたしの元にある。返して欲しいならば対価がいるわ』
「なんだと!?屁理屈こねやがってー!」

 さすが、と賞賛を送るレイノに対して、黒鋼は服の返却を要求した。しかし、それは即座に否定されたのである。侑子が語る理屈に、黒鋼はいよいよ青筋を浮かばせている。それを宥めたレイノとファイだったが、どう考えてもおちょくっている様にしか聞こえない。その証拠に黒鋼は握った拳を震わせている。二人はこの「お父さんネタ」を大層気に入ってる様だが、この一連の流れは何時まで続くのだろうか。


「拾いものは拾った人のもの、って事ですねー」
「何をお渡しすればいいですか」
『この服に見合うものを』
「「見合うもの…」」

 ファイの言葉は侑子の理屈に一番近い様に思えた。彼女のその考えは昔から変わらないのだ。何でも屋、の様な事を職業としている事から、見返りを求める事が多いのだと言う。それを伝えると、サクラと小狼の二人だけは真剣に考えている様だった。根が真面目なこの二人が考える事は似ている。


『考えついたらモコナにいってあたしを呼び出しなさい。それまで預かっておくわ』
「「はい!」」
『ああ、でも、あんまり長く待たせると流しちゃうかもね、質流れみたいに』

 侑子の脅しにも聞こえる発言の意味を理解したレイノと黒鋼、小狼はショックを受けるが、光の向こうで無言で一行の服を片付ける少女らを見れば虚しくなると言うものだ。そんな三人の横ではサクラが侑子に頭を下げている。意識がはっきりしている時に侑子を見るのは初めてらしく、緊張している様だ。しかし、皆が居るから辛くないと、周りを見ながら伝えて行く。嗚呼、やはり変わらない。その笑顔が見れたらそれで良い、なんて思ったりして。そんな時にモニター越しに伝わって来るのはバタバタ、と言った足音である。


『そうそう。『ホワイトデー』、あんまり待たせ続けると銀竜とイレズミも質流れさせるわよ』
「ふざけんなこの強欲女ー!!」
「質流れ!?本気で言ってるんですか馬鹿ですか!」

 通信を切ろうとする侑子だが、ホワイトデーのお返しについて捨て台詞を吐いたのだ。モコナ曰く、桜都国でのフォンダンショコラはモコナが居た国で「バレンタインデー」と呼ばれる時の贈り物らしい。それを貰った人はお返しをしなければいけないが、それがないから侑子はお怒りの様だ。そんな理不尽な怒りに黒鋼が突っ掛からない訳がない。しかし、そんな反応もサクラの笑顔で全て吹き飛ばされる事となる。


「じゃ、何をお返しするか相談しようか。小狼君がここんとこきゅーってなってた理由も聞きたいしー」
「はい」
「おやつ食べながらにしようよー。手伝ってー、お父さーん」
『お父さーん』
「しっかり働いて下さいね、パパ」

 ファイは眉間を指差してみせ、彼の頭に乗ったモコナは彼とレイノと一緒にピッフル国でお馴染みの「お父さんネタ」で黒鋼をからかい始めたのだ。それに怒らない訳がない黒鋼はレイノの頭とモコナを掴んでみせた。それに怒らない辺り、完璧に黒鋼を弄んでいる。


「楽しそうですわね」

 今ではすっかり聞き慣れてしまったその声は、空から響いていた。




 知世らが乗っていた飛行船はトレーラーの前に置かれている一行のドラゴンフライの近くに置かれ、知世らは一行に招かれてトレーラー内でお茶を楽しんでいた。机の上には人数分のティーセットとファイとサクラで作ったと思われるケーキが置かれている。もちろん知世のボディーガードらへ配るのも忘れない。添えられたふわふわの生クリームがアクセントとなっている。


「美味しいですわ」
『それはサクラも一緒に作ったんだよ』
「素晴らしいですわ」
「サクラちゃん、最近料理の腕前急上昇中なんだよねー」
「ファイさんが分かりやすく教えてくれるから」
「私もサクラちゃんとお呼びしてもよろしいですか?」
「もちろん」
「わたしも知世ちゃんって呼んでもいいですか?」
「はい、もちろんですわ。レイノちゃんも!」
「え…あ、ありが、とう」

 サクラを褒める言葉を笑顔で告げたファイに対して、彼女は頬を赤らめて何処か焦っている様だった。しかし、知世の提案に何時もの可愛らしい笑顔を浮かべたのだ。それを見たレイノは可愛いなあ、と思う反面、羨ましくもあった。ミッドガルド国では捨てられた身であり、フェンリーが居なければ今、ここには居ないのだ。だからこそフェンリーやそれの大事なサクラを守る為に必死で友達を作る暇などなかった。そう考えると何処か虚しさが募って来る。それに気付いたのかは定かではないが、頭に微かな温もりを感じた。ファイの手である。それだけで、嗚呼、幸せだなあ、と感じるのであった。
 呼び方が変われば仲良くなった気がするのは気のせいだろうか。まさか知世が話し掛けてくれるとは思わなくて思わず吃ってしまったが、凄く嬉しい。どう反応したら良いか分からなくて俯いてしまったが、僅かに頬が赤らんでいる。


「いいねー、可愛い女の子が笑顔全開でー」

 そんな何処か柔らかな雰囲気に包まれたこの光景を、ファイは「お花畑」と称した。周りにきらきらが見える気がする事から、あながち間違っていないのかも知れない。しかし、何よりもレイノが女子の輪の中に入ってくれた事が嬉しいのだ。けれど、ふと口にした小狼の問い掛けにより、知世の笑顔は消え失せた。仕事の顔に戻ったのだ。


「何故、そうと?」
「今日、会った人がそう言っていました」

 そして、小狼は笙悟と残の名を口にしたのだ。恐らくこれが小狼の難しい顔の原因だろう。それと同時にレイノがふと後ろを向くが、何もない。思わず眉を顰めるが、眼前に広がる景色が変わる事は無かった。確かに何かの気配と変な機械音を受けた気がするのだが、気のせいだったのだろうか。そんな彼女の様子に気付いたファイは、思わず口を開く。


「レイノちゃん?どうかしたー?」
「…いえ。気のせいだったみたいです」

 脳内に巡る疑問を隠す様に、レイノは何時もの笑みを作ってそれをファイに向けた。それでも身体の中に染み渡った違和感は消えてはくれなくて、わたしは思わずぎゅ、と水色のロングワンピースに力を入れて皺を作ったのだ。気のせいだと、自分に言い聞かせた。けれど、この時何かを言っていれば結末は変わったのかな、と思うのだ。

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