episode 82
ねつ

「ちっ!」
「黒鋼さん!」

 画面上では分からない勢いで迫り来る間欠泉に、サクラは反応出来ないでいた。それを見た黒鋼は大きく舌打ちをして、自身の機体を彼女の機体に衝突させたのだ。そう思われた。だがそこで終わりではなかったのだ。それら一連の流れを見ていたレイノが同じ様に自身の機体を彼の機体に衝突させたのだ。だがレイノのその行動には余りスピードが出なかったらしく、彼の機体をモロに喰らわない程度の場所に移動させるだけで終わった。そして間欠泉はそれぞれの機体を巻き込んで、レイノと彼を飲み込んだのだ。レイノが着ていたコスチュームの背中に付いていた一枚の羽はゆっくりと、ただゆっくりと、水面に浮かんだのである。


『もう間欠泉地帯は抜けたはずですが、いきなり噴き上げて来ました!直撃した『ダーツ号』、『黒たん号』大丈夫でしょうか!?』
「レイノちゃん!黒鋼さん!!」

 ばらばらに砕け散ったレイノと黒鋼の機体は大きな音を立てて水中に沈んで行く。恐らくその時にレイノと黒鋼の身体も水中に叩き付けられているのだろう。無惨な機体と二人を重ね合わせてしまい、震えが止まらない。一方、待機船の中でもその無惨な姿は流れていた。今までとは違う妨害の仕方にファイは眉を顰めた。隣の小狼や、別の場所に居る知世も目を見開いている。
 どれだけ時間が経過しただろうか。否、もしかしたらさほど時間は経っていないのかも知れない。するとふと、水中から勢い良く顔を出す者が居る。黒鋼である。けれど、レイノは未だに顔を出してはくれていない様だった。


『いましたー!!しかし、『ダーツ号』が未だに姿を現しません!『ウィング・エッグ号』が止まっている間に『スノーホワイト号』と『イエロータイガー号』が飛んで行きます!』
「黒鋼さん!」
「行け!」
「でも、レイノちゃんが…!」

 黒鋼は間隔を置いて視線を泳がせており、レイノの事を水中で見付けた訳ではない様だ。その事が気に掛かっているサクラは、機体を進ませようとはしない。先程の機体の壊れ様は尋常じゃなかった。一つのもしかしたら、が脳内を巡れば、色んな悪い意味の仮説が止まらないのだ。しかし、そんなサクラに、彼は声を張り上げる。


「やるって決めたんだろう!?行け!!」

 嗚呼、目的を見失わないこの人はとても強いのだと、そう思った。


「はい!!」

 先程の弱々しい表情とは打って変わり、気持ちを入れ替えたサクラの表情は酷く凛々しい。そうやって彼女とモコナを見送った黒鋼は、水面を見下ろした。そして肘置きにしている機体の一部分に力を入れ、再び水中へと戻って行ったのだ。待機船で未だにざわ付く周囲とは反対に、ファイと小狼は生きていて欲しいと願うレイノと再び上がって来るだろう黒鋼を神妙な視線で見つめていた。
 暫くして上がって来たレイノはぐったりとしていて、その時ファイは確信したのだ。嫌な予感はこれか、と。画面には、ぺちぺちと彼女の頬を叩く黒鋼の姿が映っている。ふと何かを決心したかの様な表情を浮かべたかと思えば、流れる様に互いの唇同士が合わさったのだ。人工呼吸だろう、やらしい意味合いなんて何もない。なのに、何で、どうして。どうしてこんなにも心臓が蠢くのだろうか。




「レイノちゃん!」
「あ、ファイさん」
「お連れの方でしょうか。彼女、固定したがらなくて…」
「怪我は!?」
「へ、あ…大丈夫、です……」

 待機船の中にある医務室の扉が乱暴に開けられた。そこから現れたのは、ファイであった。大きな音に振り向く事を促されれば、レイノの視界は彼の姿でいっぱいになる。側に付いている医者が何か言っているが、それに構う事なく、ファイは彼女の肩を掴み、勢い良く詰め寄った。その勢いに押されて思わずどもってしまった事は致しかねないだろう。この場所に黒鋼が居れば、また殴られていただろうに。


「大丈夫じゃないですよ、完璧に折れてるんですから。固定はしましょうって」
「…固定してないの?」
「だ、だって…」
「だって?」
「…サクラちゃんが、悲しい顔する、から」

 どもりながらも絞り出したレイノの言葉を、医者は即答で切り捨てた。先程からの二人の会話はずっと固定するかしないか、であり、全く前に進んでいないのだ。無事なだけで良いのだと思った。けれど、骨折しているのなら話は別だ。そんな思いを瞳に込めて、ファイは彼女を見つめた。その視線に気付いた彼女はしどろもどろと視線を泳がせる。そしてようやく紡がれた言葉は、彼女らしいと言えばらしいそれだった。それは、リタイアしてしまった自分らの思いを託されて、今も必死に前に進んでいるであろう少女を気遣った、優しい言葉だった。


「…それでもね、レイノちゃんが痛みを我慢してるんだって気付いたら、サクラちゃんはもっと悲しむよ」
「けど…」
「サクラちゃんだけじゃない。小狼君やモコナ、黒様だってそうだよ。もちろん、オレも」
「……固定だけ、なら」
「ん、良い子」

 ファイは流れる様な仕草でしゃがみ込み、折れているであろうレイノの手首をなるべく痛まない様に優しく掴んだ。慈しむ様に、愛おしむ様に触れている彼はとても美しくて、変な気持ちになる。持ち上げられた小さな顔に浮かぶ表情が酷く優しくて、固まったわたしの心を溶かして行く。やっぱり、弱いなあ。わたしはこの人のあの顔に弱いんだ。悲しそうに眉を下げて、優しそうに微笑む、その顔が。折れたわたしの頭を、ファイさんが優しく撫でてくれる。優しい手付きに頬を緩めれば、わたしの長い髪の毛をするりと梳かして行く。ふふ、と笑みが溢れそうだ。治療の準備をしに医者が医務室を退出した後、彼女はふとファイに抱き締められたのである。


「っ…び、びったあ……」
「あ、ああああの!ファイさん…!?」

 細身な体付きからは分からないが、骨折した手首に触れない様に、これ以上傷付けない様にしている事だけは良く分かった。けれど、急に密着した互いの距離に驚いている彼女には、ファイの意図が分からないでいた。赤くなっているだろう顔に気付かれませんように、と祈るばかりである。


「いなくなるかと、思った」
「…勝手に殺さないで下さいってば」
「…怪我は、平気?」
「大丈夫ですよ、大丈夫です」

 ファイはレイノの肩に顔を埋めて、ぽそり、と呟いた。わたしが怪我をした時は何時も彼は悲しそうな顔をするのだ。それを見る度、心臓がきゅうっとなって苦しいのである。そんな気持ちを誤魔化す様に彼の頭をぽんぽん、と優しく触れた。馬鹿だなあ、気づいていないとでも思ってるのかな。知ってるよ、君がオレのこの顔に弱い事も本当は痛くて痛くて堪らない事も。けど、分かっててこの状況に甘んじてるオレは卑怯で最低なんだろうね。


「…なら、もう、無茶、しないでよ」
「…うん。ごめんなさい」

 レイノとファイは互いの額を軽く擦り合わせた。たったこれだけで気持ちが共有出来た気がして、多分気のせいなんだろうけど。けれど、少しでもこの甘い雰囲気に酔っていたくて、彼女は珍しく謝罪の言葉を口にした。しばらく時間が空いた様に思う。厳密なそれは良く分かっていないのだけれど。そんな空間に、弱々しく彼女の名を呼ぶ彼の声が響いたのだ。


「レイノ、ちゃん」
「うん?」
「…オレ、ね」

 嗚呼、どうして、止まらないんだ。ムードもへったくれもない。けど、好きと言う気持ちは止まらなくて。興奮している訳じゃないけど、身体の内側から熱を発している様だ。ただ純粋な気持ちでオレを見つめて来る君に少しだけ罪悪感が募る。けれど唐突に、本気で、君を守りたくなったんだ。


「君の事…」

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