episode 85
呪われた運命

 急に訪れた襲撃に会場は一気に混乱の渦に巻き込まれた。煙幕と窓ガラスの欠片が人々を包み込み、視界の悪化が余計にその場の混乱を推進させていた。窓枠に留まっていた窓ガラスは軽い衝撃でも床に落ちて行き、人々はそれを避けるだけで精一杯である。この会場内での大きな変化はそれだけでは終わらなかった。サクラが抱えていたトロフィーにヒビが入ったのだ。


「社長!!」

 ヒビが入ったトロフィーを見兼ねた知世は衝撃銃を持って前線に立ち、それをしっかりと構えた。その間にもトロフィーに入るヒビは増え続けている。その瞳は酷く真っ直ぐで、ただただ前を見据えていた。それを見つめるレイノはやはり、と言った気持ちを持つ事になったのだ。


「知世ちゃん!?」
「羽根をサクラちゃんの中に!」
「「え!?」」

 衝撃銃を構えたまま叫ばれた知世の言葉は不可解なそれだった。それを聞いた一行は、驚く者と納得する者に分かれる。そんな中、レイノは後者の方に位置付けられていた。予選も含めた今回の「ドラゴンフライレース」の全貌が明らかになって来た気がするからだ。
 そんな時、トロフィーが砕け散り、サクラの手から羽根が滑り落ちる。それに反応したレイノとファイ、黒鋼は走り出したが、頭上から落下して来た瓦礫によって行く手を阻まれてしまう。しかし、レイノは違った。それを本能的に感じ取り、片腕がない状態で避け切ったのだ。心の中で訓練を受けていて良かった、とほっとするレイノだが、もちろん持ち前の運動神経のお陰である。しかし羽根には一歩届かず、それはカイルの手に渡ってしまったのだ。一番避けたかった事態である。羽根を取り戻そうと走り出した小狼だが、実際に功績を上げたのはモコナだった。


「早く!」
『うん!』
「待って……!」

 サクラの羽根を口内に含みきったモコナは、手(と言って良いのか分からないが)に力を込めてしっかりと決めてみせた。こう言う所のノリはさすが侑子が作ったもの、と言うべきか。知世が急かす間にも装飾物は崩れて行き、会場内はもはや原形を留めていない状態になっている。サクラの羽根は本人に取り込まれて行き、何時もと同様激しい眠気に襲われた。駄目、まだ眠っちゃ駄目、そう思うがサクラにそれに逆らう術は無いのである。


「…まったく。ジェイド国と言い、また妙な邪魔をしてくれたな、その生き物は」
「ジェイド国!?じゃあ、あなたはカイル先生!?」
「おまえ達だけが次元を渡れる訳じゃない。異なる世界には同じ顔をした別の人間がいる。けれど、本当に別人かは分からない」

 カイルは割れた窓の縁に体重を掛け、未だに見慣れないニヒルな笑みを浮かべた。彼の隙を逃がさない様に目を細めて睨んでいると、ふと互いの視線が絡み合う。しかし、互いにすぐには口を開かなかった。警戒心が前面に出て、言葉が出て来ないのである。けれど、そんなピリピリとした空間を破ったのは目の前の彼だった。


「…レイノ・アン・クォーツ、やはりお前は『そちら側』に付くか」
「…目が覚めたの、馬鹿みたいな夢からね。いけない?」
「お前がいてもいなくてもあのお方の考えは変わらない」
「わたしがいなくなる事で変わるならとっくの昔に脅迫でも恫喝でもやってるんだけど」
「だが忘れるな。お前は『呪われた運命』だ。幸せなど、誰が譲るか」
「っ…それ以上喋るならその口…」

 その瞬間、内側から込み上げるかの様に沸き起こった嫌悪感を抑え込み、レイノは鼻で笑ってみせたのだ。その時、僅かに歪んだファイの目元には気付いていない様である。絡み合う視線はどんどん熱を帯びて行き、鋭いものとなっている。こう言う話は一行の、特に黒鋼の前ではしたくなかったが、後の祭りであろう。余裕を持てていたのは、それまでだった。「呪われた運命」、久し振りに耳にしたそのフレーズは昔から見る後味の悪い夢を思い出させた。しかし、その理性は知世の掛け声によって留まる事となる。一斉に放たれる銃弾はカイルには一発も当たらず、カイルは次元の狭間に消えて行ったのだ。


「社長!!」
「私は大丈夫です。皆さんにお怪我がないか、確認を。気球を安全な所におろして、『ピッフル・プリンセス社』が責任をもってお送りして下さい」
「は!!」
「レースは終わったしー、もう事情を教えてもらってもいいかな?知世ちゃん」

 何とか落ち着いた会場には煙が立ち込めており、周りの人々が助け合いながらも立ち上がる姿を見る事が出来る。迅速に部下に命を下した知世はしっかりとサクラを支えており、よほど大事にしてるのだとすぐに理解出来た。そんな知世に優しく、しかし、断る事は許さないと言わんばかりの表情を浮かべたファイは、問い掛けた。
 トレーラーに戻って来た一行はレイノとファイが用意してくれた紅茶を一口飲み、喉を潤した。皆、知世が口を開くのを待っているのだ。そして放たれた知世の言葉は、自分が犯人だと自白しているものであったのだ。

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