episode 94
焦る気持ち

「真っ暗だねぇ」

 そう呟いたのは、ファイだった。石の欠片を舞い散らせながら開けて行く床の紋様に、黒鋼と小狼はそれぞれレイノとサクラを背中にやった。モコナはファイの肩に縋り付いている。それは良いのだが、行き場をなくしたこの左手は一体何処にやれば良いのだろうか。床がなくなって巨大な空洞となったそこは何も見えず、ただただ闇の空間が続いているだけだった。サクラもこの下に何があるかは覚えていないらしい。けれど、レイノとモコナはこの下から確かにサクラの羽根の波動を感じているのだ。その言葉らを聞き届けた小狼は空洞の縁に立ってみせた。


「小狼君!」
「行きます」
「何があるか分からないのに!わたしが行く!」
「姫は待っていて下さい」
「でも!」

 それに一番最初に気付いたのはやはりサクラで、彼女は引き止める様に小狼の腕を強く掴んだ。けれど、そんな事で制止してくれる彼ではないのだ。良くも悪くも純粋で、彼女だけしか見えてなくて、彼女でさえも入る隙間は無くて。彼女の「羽根」しか見えていないのだ。それは旅が始まった、侑子のミセから分かっている事である。崩れるか崩れないかの瀬戸際に、彼は立っているのだ。


「おれが行きます」
「…どうして?どうしてそんなにまでして、わたしの羽根を探してくれるの?」

 小狼の返事は何となく予想はしていた。あのサクラがどれだけ懇願しても彼の決意が変わる事は無いのだと、何となく皆分かっている筈だった。湖の国で言った、ファイの言葉を覚えているだろうか。「力を抜いて、ゆっくり進む」と言う、その言葉。小狼はそれを理解して実行しているのだろうが、レイノは何故か複雑な気持ちでしか見る事が出来ない。気付けば小狼は、自分の腕を強く掴むサクラの手を優しく包んでいた。


「姫をお願いします」
「小狼君、気を付けて下さいね」
「はい」
「レイノ」

 エスコートする様に、小狼はファイにサクラを差し出した。その様子を見たレイノは思わず笑みを溢し、当たり障りのない言葉を小狼に送る。こんな事しか言えないけれど、今のわたしには貴方に踏み込む勇気は無いの。ごめんね。そんな気持ちを知る事が出来るのは、おそらくファイだけなのだろう。その事に少し寂しさを感じたレイノは急に呼ばれた自分の名に肩を跳ねさせた。


「いろよ」

 どうしてその言葉を、君が言うの。


「小狼君!黒鋼さん!」
「ったく、困ったお父さん達だねぇ」
「わたし…わたし、何も出来ない……」
『出来るよ。小狼と黒鋼が帰ってくるのを、待ってあげられるよ』
「…うん」
「大丈夫。何があっても、何が起こっても、小狼君は必ずサクラちゃんの元に帰るから」
「レイノ、ちゃん…?」

 闇の中へ飛び込んで行った黒鋼と小狼に思わず飛び付こうとしたサクラだったが、そんな彼女の行動はファイの意外に強い力によって止められる事となる。泣きそうな彼女を止めたもの。それは、仲間であるレイノとモコナの言葉だった。しかし、レイノの言葉は意味深な意味を孕んでいるそれで、それにも関わらずそれに気付いたのはファイだけだった。その意味が確信じみたものになるのは、もう少し後の事である。




 他愛ない話で、サクラの気を紛らわす。そう言った行為を何度か繰り返した頃だろうか。唐突に鳴り響いた痛々しい警報はレイノらの鼓膜を酷く震わせた。その瞬間、周りの風景は幻影だったかの様に見る見る内に綻んで行ったのだ。一行はずっとあの洞窟の中で幻覚を見せらせていたに過ぎないのだ。この国の魔術と言うものは高度なそれである。


「小狼君!!」
「っ黒鋼!」
「…サクラ姫!」

 視界に広がったずっと待ち望んでいた者の顔にサクラは思わず飛び付いた。今回は止める手もない。なぜなら、隣にレイノが居ないから。医務室にて、レイノと黒鋼が何か話していたのだろう事には気付いていた。しかしそれが何なのかは分からなくて、知りたいけれど知ったらもう知らなかった自分へは戻れない様で、怖かった。怖いだなんて、あの子が消える以外に思った事なんてなかったのに。そう思っている内に、サクラの羽根はサクラの体内に取り込まれていた。


『小狼、手当しなきゃ!』
「その前に早く次の世界へ移動を!」
「黒様…?」
「何かあったの」
「…後で話す」
「図書館の人達が来る!早く!」
『うん!』

 記憶を体内に取り込んでしまった為に眠りに付いたサクラを抱き留め、その抱き留めた方の手に、小狼はモコナを乗せた。未だに鳴り響く警報は、この空間をより緊迫した空気で包み込んでいた。そんな緊迫した空間で、黒鋼はらしくもなく何かを考え込んでいる様だった。ファイのお得意の渾名にも無反応、レイノの問いでさえも一言のみで会話を終わらせている。目の前で魔法陣を出そうとするモコナだったが、その魔法陣が出ない、と言う緊急事態に追い込まれてしまった。図書館から本を盗んで逃げたり出来ないように、移動魔法に対する防除魔術が働いている、とファイは言う。
 この現状に痺れを切らした黒鋼は小狼に抱き留められていたサクラを俵抱えにし、まずはここから出る事を推奨したのだ。消えかけていた魔法壁を何とか潜り抜け、図書館へと戻って来た一行の前に現れたのは、この中央図書館の正門で見かけた、獣型の守衛機能であった。

prev next