episode 96
全てが壊れた国

 レコルト国から流れる様に移動した一行は、瓦礫が集っている場所に降り立った。周りには凸凹とした岩がところどころから頭を突き出しており、それらは彼女らの良い足場となっている。しかし、それ以外には何も無かった。店も人の気配も感じる事も出来ないそこは、少し不気味である。そこで彼女らは、取り敢えず眠っているサクラを安定した場所に寝かせる事を最優先としたのだ。


「姫は…」
「寝ているだけだ」

 大きめの平坦な岩に寝かせられたサクラは何時もと変わらぬ寝顔を晒しており、旅を始めた頃の意識がない状態ではなさそうだ。その事が、小狼に多大な安堵感を教えていた。レイノが軽くサクラの髪を整えてやると、サクラは僅かに眉を動かした。嗚呼、大丈夫。生きてる。


「何とか逃げられたねー」
『でもファイ、魔法は使わないんじゃなかったの?』

 穢れなど何も知らない様な初心な瞳で、モコナはそう問い掛けた。そんなそれの言葉により、レイノと黒鋼、そして、小狼ははっとした様に顔をファイの方に向けた。その時にふと思い出したのは、レコルト国で追い詰められた時に囁かれたファイの言葉である。確かに言われた「魔法を使わせたくない」と言う言葉には一体どんな意図が隠されているのだろうか。それを知るのは、ファイのみなのだろうが。


「んー。一応、今まで使ってた魔法とはちょっと違ったんだけどねぇ。音を使った魔法で、オレが習ったのとは別系統の魔法なんだけど」
「魔力は魔力だろ」
「かなぁ」
「…黒鋼、顔怖いよ」
「うっせ」
「すみません。おれが図書館からの脱出方法をもっと考えてれば…」
「小狼君は精一杯やったでしょー。ちゃんと記憶の羽根取って来たし」

 特に後悔などはしていない表情で軽やかに口笛を吹くファイは驚く程に何時も通りで、あれだけ魔力を使う事を渋っていた以前の彼の姿は見られない。そんな彼をバッサリと斬った黒鋼は、ファイの様子に疑心暗鬼になっている様で、レイノが言った言葉はあながち間違っていないのである。一方ではすっかり落ち込んでしまっている小狼の脳裏には、一つの悩みがあった。しかし、それを黒鋼と彼女に言う事はきっと無いのだろう。


『どうしたの?小狼、ケガ痛い?』
「大丈夫だよ」
「…どいつもこいつも」
「さてー、今度はどんなとこかなぁ」

 モコナの声によって思考を途切れさせられた小狼は一瞬にして作り上げた笑顔を浮かべた。それを見た黒鋼は言葉を吐き捨て、それらの一部始終を眺めていたレイノは苦笑を溢す他、術は無いのである。話がひと段落付いたところで、ファイが瓦礫と瓦礫の間から漏れる光の柱に気付く。それを目指して瓦礫を登って行くと、壊れて崩れきった建物達が積まれている光景が一面に広がっていたのだ。




 鼓動が聞こえる。心臓が高鳴る様な、一定のリズムを繰り返すそれが聞こえる。壁一面に文字が書かれた黒い部屋には、蝙蝠の紋様で顔を隠された男性が、水槽に閉じ込められていた。そして、鼓動が何回か繰り返された頃、彼の腕が僅かに動いた。次は全身と、段階を踏んで覚醒して行くのが分かる。彼の瞳が開いて行く。それは小狼と同じ、琥珀色に染まっていた。だんだんと大きくなるそれは彼を完全に覚醒させたのだ。


「…目覚めた……」
「さあ、この一手はどちらにとって有利となるかな」

 目覚めた眼帯の少年の顔は小狼と瓜二つだった。そして、浮かべる少年の表情のないそれは不気味さを漂わせており、何処か近寄りがたい。そんな少年の覚醒を、侑子と飛王はきちんと感じ取っていた。泡にまみれる少年のゆく末は、きっと誰にも分からない。そんな中、飛王の目の前にある鏡には砂漠の中をゆっくりと進んで行く一行の姿が映り込んでいた。




『お姫様だっこだー』
「あぁ?」
「ずっと担いでるとサクラちゃん、頭に血が上がっちゃうよー」
「黒鋼、乱暴だからたまに頭から落としちゃってるもんね」
「ふざけんな。した事ねえわ」

 風によって巻き起こる砂ぼこりは髪に絡まり、だんだん束を太くさせている。不安定な足場によりゆっくりになる一行の一歩一歩は酷く弱々しく見えた。衝動のままに出て来たレコルト国での疲れが未だに燻っているのだろう。どれだけ先へ進んでも変わる事のない風景だが、そんな中でもレイノと黒鋼の軽快な会話にも変化は無かった。少し軽くなった気持ちを持ちながら、黒鋼は周りを見て一言呟いた。


『壊れた建物ばっかり』
「壊されたって言うか…溶かされた、ような」
「んー?」
「あ、いや、熱で溶かされたような感じがするなあって思って…気のせい、ですかね」
「確かにー。この鉄筋とか、ね?」

 吊られる様な形で一行の頭上に存在する鉄筋は腐敗だけでなく、何かによって溶けた様な壊れ方をしていた。それは、他の瓦礫や廃墟にも言える事である。取り敢えず小狼の治療が出来る場所があれば良いのだが、この調子では見つける事は難しいだろう。そんな考えが充満する中、小狼はとある瓦礫の形に疑問を持ち、そして、それに触れた。


「どしたのー?」
「この廃墟、瓦礫の角が丸いんです」
「それがどうした」
「風化、ですかね」
「けど、風化したにしても、風だけでこうなるものなのか」

 ファイが小狼に対して首を傾げると同時に、黒鋼の肩から降りたモコナは小狼へと近付いた。それに対して興味も示さず、黒鋼はちらり、と視界の端に瓦礫を映す。こう言う論理的な会話は、黒鋼には向かない様だ。先の見えない結果に首を傾げていると、レイノの「痛い」と言った小さな悲鳴がやけに響いた。ヒリヒリ、と続く痛みに思わず顔を歪めると、彼女の反応と似た様なそれがモコナからも発された。思わず空を見上げると、そこからは痛々しい雨が降り注いでいた。

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