episode 97
ずるい人

 瓦礫達が埋もれる砂上に降り注ぐ雨は止む事を知らず、サアア、と言った細やかな音が鼓膜を震わせた。時折、それは頬や手の甲に触れ、肌を伝って砂上に滴り落ちて行く。その動きを見ていると、小狼はとある事に気付いた。先程雨水に触れた自身の手の甲が赤く爛れて行くのだ。ヒリヒリ、と炎症している様に痛みを感じるそれは限りなく現実である。


「焼けた!?」
『これ、お水じゃないよう』
「このまま雨に当たってるとちょっとまずいねぇ」
「あの建物はまだ倒壊してないみたいです!」
「黒たん急いでー」
「サクラちゃん溶かさないでねー」
「トロくねえよ!」

 小狼の短い上着の中で隠れながら言うモコナは、先程の痛みに随分と怯えているらしい。今もなお降り注ぐ雨は酸性の性質を持っているらしく、このままそれを浴びていれば、周りの瓦礫らの様に溶けて行ってしまうだろう。少しの焦りを見せた一行は霧の中に僅かに見える建物に向かって走り出したのだ。その途中で、ファイはトレンチコートをレイノに被せ、なるべく雨に当たらない様にしてくれている。


『雨、いっぱい降って来たよー』
「良かったー。あの建物、雨宿り出来そうだよー」

 時間が進むにつれて激しくなる雨足は、一行により焦りを負わせていた。そんな時に姿を現したのが、二棟の高層ビルを連ねている大きな建物だった。この近くだとここくらいしか雨宿りする所は無いのだろう。彼女らがそこに入った途端、雨は唐突に激しくなり、今ではもう近くの物しか目視する事が出来ない。


「瓦礫のからくり、分かりましたね」
「もうちょっと遅れてたら穴だらけになってたねぇ」
『セーフだー』
「いや、そうでもねぇな」

 酸性雨によってボロボロと崩れて行く瓦礫は何処か儚いものを感じさせる。あの雨に当たっていたら自身らもああなっていたかと思うと、少し寒気を感じるのは仕方のない事だろう。焦りが消えた雰囲気に包まれたかと思われたが、黒鋼の言葉と視線に誘導されて見たものは四肢が千切られて無惨に殺された人々の姿だった。それも数人どころではない。何十人、と言うレベルである。視界が埋まる程の残酷さと鼻腔を擽る血の臭いに、レイノは思わず口を押さえた。


「ホンモノ…だね」
「ああ……殺されてる」
「躊躇なく、ですね」
「サクラちゃん、眠っててくれて良かったよ」
「モコナ、中に入っていいから」
『サクラの羽根の気配、探さなきゃ』
「…ありがとう。羽根の気配、感じるか?」
『分からない。でも、すごく大きな力を感じる』

 ある者は瓦礫の上に積まれる様に、ある者はそれに突き刺さる様に、どの人間も碌な殺され方をしていない事は一目瞭然である。身体に何本も突き刺さっている矢のおかげで出血は少ないが、これを抜いてしまえば再び血祭が開催される事だろう。こんな光景を純粋な姫君に見せる事は出来ない。しかしどうやら、この国には得体の知れない強大な力が眠っている様だ。それはレイノとモコナの勘がそう物語っていた。小狼の問い掛けに互いの目線を合わせて頷いては、レイノは一言だけ呟いた。


「…地下です」




「小狼君、怪我大丈夫かなー」
「かなり血出してますもんね。やっぱりわたしが行けば良かったんじゃ…」
「それは駄目ー」
「止めとけ」
「何でですか!」

 モコナと小狼が地下の探索を進めている間、それ以外のメンバーは未だに眠り続けるサクラを見守る他、する事がないのが現状だ。大量の死体らが転がる中、落ち着いて談笑する事もままならないこの状況では至極当然の事の様に思えるが。レイノの叫ぶ様な突っ込みで僅かだが、空気が和らいだと感じた。しかし、建物の中から響いたモコナの叫び声により、その変化は無意味なものとなったのだ。


「…あの人って本当、こう言う展開好きですよねえ」
「戦闘狂だからねー」

 瓦礫付近から拾った小さめの石で遊びながら建物の中へ姿を消した黒鋼を見て、レイノは思わず苦笑を浮かべた。彼のあの無類の戦い好きの性分は、もう一生直らないのだろう。もうしばらくは続くのであろうこの先の旅を考えれば、気苦労が絶えないと考えられる。ファイとの一往復のみの会話が終わり、周りは静寂で包まれた。サクラは眠っている。今しか聞く機会は無い、のだろうか。そう思ったレイノが気付いた時には既に言葉を紡いでいた。


「…『魔力を使わせたくない』って、どう言う意味、ですか」
「え…」
「言ってたでしょう?図書館から脱出する時」
「…やっぱり、気になっちゃう?」
「貴方の顔を見る度に気になってましたよ」

 レイノが言葉を紡いだ瞬間、ファイの肩がびくり、と僅かに跳ねた気がした。けれど表情は何時もと変わらぬ貼り付けた様な笑顔で、しかし、僅かな違和感を孕んでいた。嗚呼、苦笑いと言う奴だろうか。余り見ないそれは酷く彼に似合っている気がした。足元に転がる小石を外に軽く蹴る。すると、それは酸性雨によって一瞬にして崩れ散った。嗚呼、呆気ない。そんな間にも言葉を選んでいる彼は凄く頭を悩ませている様で、しかし、やはり放たれる言葉は何時もと変わらなかった。


「…やっぱりね、守りたいんだよね」
「…それ、何回目ですか?」
「ごめんね」
「そんなに守りたいですか?わたしのこと」
「…出来れば、こんな傷も作って欲しくないし、こんな光景も見せたくないって、思ってるよ」

 今までで何度聞いたかも分からないその言葉はファイの言う、愛情の全てなのだ。どちらかが歩み寄ればはっきりとするこの関係は、しばらくはこのままなのだろう。その事実に思わず苛立つが、そう感じる権利は、レイノにはない。呆れた様な笑みを浮かべる彼女の頬に触れる。大事に触れるそれは先程、酸性雨によって焼けた箇所だ。チリ、と言ったそこの痛みは何処か複雑な自身の心の内を表している様である。


「…わたし、そんなに弱くないですよ」
「知ってるよ」
「貴方は、自分ばっかりですね」
「…うん」
「わたしの気持ちは、無視ですか」
「…ごめんね」
「貴方はわたしを守りたいって言うくせに、わたしには貴方を守らせてはくれないんですね」
「ごめん」

 淡々としたこのやり取りには、相手を思いやる気持ちが見え隠れしていた。こんな事しか言えないんですよ。貴方を責める様なそんな言葉しか、わたしは口にする事しか出来ない。こんな事を言いたい訳じゃなかった。守らせて、と言いたかっただけだった。ただひたすら、自分を犠牲にする事でしかわたしを守る事が出来ない貴方が嫌いだった。なのに、何で。何で涙は出てくれないのだろう。嗚呼、もう、意味が分からない。


「本当、ずるい人」

 それでもわたしには、貴方を見捨てるなんて出来ないんですよ。

prev next