巻き込まれ事故
「ねえ、先輩」
「…何」
緑の木々が生い茂り、自然の香りが鼻腔を擽る。その後に感じるのはだんだんと収まってもなお酷い、むせ返る様な暑さだ。目前に広がるのは雲一つない青空である。こんな中、大好きな茉莉とお昼を楽しむ事が出来たらどれだけ幸せだっただろうか。しかし現実は厳しく、後ろのソファで優雅にお茶を楽しんでいるのはバイオレンスな日常を送る羽目になってしまった原因、雲雀である。そんな彼に、わたしは気だるげに声を掛けた。
「群れたら駄目なんでしたっけ」
「そうだよ」
「けど…アレですよね」
「だから何」
「あなた、群れてなくてもムカついたら駄目ですよね」
淡々と進んで行くわたしと先輩の会話はいつも通りで、それに慣れてしまった先輩はもう何も言わなくなった。怒らないから別に良いかなってわたしも思ってる。けど、大体わたしの発言のせいで先輩は良くトンファーでわたしを襲う。年上の余裕とか皆無だよねこれ。こんな事言ったらまたシバかれるけどね。ちらり、と下を見れば、わたしの視界には先輩の部下によってボロボロにされ、地面に転がっている並中生が映っていた。そんな様子を見て笑みを浮かべる赤ん坊の姿は嫌に奇妙なのである。
「……ぶっ殺すよ」
「だから何で!」
「あれ?」
教室に雲雀に提出する筈だった書類達を忘れて来てしまった麗は、それらと財布を取りに教室に戻っていた。自分は時間にルーズな癖にそれが相手となるとかなりキレる彼を怒らせない為に早く、と気持ちを急かしていた時、彼女に声を掛ける人物が居た。大好きな大好きな親友、茉莉である。
「麗じゃん。応接室にいたんじゃなかったの?」
「い、いや…忘れ物しちゃって」
「あんた、あのヒバリの近くにいるのに気緩むの?」
「あの人基本ぼーっとしてお茶とかお菓子貪ってるだけだからね」
「お茶会?」
「そんな優雅なものじゃないから!」
別のクラスの子とお昼を過ごしていたらしい茉莉は麗の机にやって来た。こう言った緩やかに時間が進んで行く日は久々かも知れない。しかし、こんな時でさえも雲雀の話題は離れてくれないのだ。あの人の影響力って凄いよね。あの過激すぎる暴力さえなければ普通の人だと思うけど多分無理だね。トンファーを折った瞬間にわたし死ぬわ。
「そう言えばA組の三馬鹿、さっき見たよ」
「え?沢田君達?」
「けど、アレヤバいと思うんだよねえ」
「な、何で?」
茉莉の言葉で、やっと初めて今日は沢田君見てないなあ、とぼんやりと思う事が出来た。山本君にも最近会ってない。まあ一番会ってないのは京子ちゃんなんだけどね、今すっごい会いたい。癒しが欲しい。そんな事を悶々と考えていると、茉莉の口からとんでもない事が発されたのだ。
「応接室に向かってたと思うからさ」
茉莉の言葉を聞いて急いで応接室に来たのは良いものの、自分一人じゃどうにもならない事をすっかり忘れていた。こんな時の草壁さんじゃん。いないじゃん。どうしよう。そんな事を考えている時に微かに聞こえた物音は何時もより大きい。初めて来た時ぶりくらいにここの扉が地獄へのそれに見える。けれど、沢田らが怪我していたら元も子もない。そう決心した麗は、勇気を振り絞って目の前の重い扉に手を掛けたのだ。
「し、失礼します……」
「っ日比野さん!」
「本当に来てた……」
「へ?」
「……遅い」
「これでも急いで来たので草壁さん呼んで来ますね」
恐る恐る視線を動かすと、なかなかの惨状である。床に寝そべる獄寺や壁に凭れかかる山本の顔や服には汚れが付着しており、どうやら遅かった様だ。目覚めてしまった綱吉があまりに可哀相である。そんな麗の気持ちも知らないで、雲雀は彼女を睨み付けた。もう嫌なんだけど。草壁さんと言う名の癒しが欲しい。そんな彼女は室内から出ようと歩みを進めたが、雲雀の「何でだよ」と言う言葉と共にぶつかったトンファーによって意味をなさなくなったのである。
「何するんですか!」
「逃げようとするから」
「にっ……げてませんよ」
「何その謎の空間」
じくじく、と酷くなって行く静かな痛みは麗が一番苦手としているものである。そんな彼女が雲雀に詰め寄っている姿に、綱吉は大きな瞳をぱちくり、とさせた。おそらく二人の絡みを見たのは初めての事だ。テンポ良く進んで行く二人の会話は何故か心地良くて、息が合っている様に思う。しかしそれは関わらない事、を前提にした考え方である。そっちに気が向いている間に現れたリボーンは、綱吉に銃口を向けていた。「死ね」と言う一言と共に綱吉に注がれた銃弾は綱吉の額に埋め込まれ、それは死ぬ気の炎に変わったのである。
「何それ?ギャグ?」
「沢田君!」
初めて見るパンツのみの沢田は酷く迫力があって、これが並中で有名な変態ツナ、と呼ばれるものか、と嫌に納得したのは麗のみである。彼は雲雀に拳を突き出すがそれは避けられ、代わりに鈍い音を響かせて顎を強打されたのだ。耳に悪いその音に顔を歪ませる彼女は思わず沢田の名を呼んだ。そしてその後に続いた雲雀の「グチャグチャ」と言う単語に思わず身を乗り出したのである。
「ちょっと先輩!」
「何」
「や、やりすぎですよ……!」
「…ああ、君は初めてだっけ?僕が人を殴ってる姿見るの」
「な、何笑ってるんですか……」
「人並みに怖がったりするんだ、と思って」
麗の声に不満げに眉を顰めていた雲雀だったが、その後に響いた震える彼女の声に気分を良くしたのか、彼の顔には楽しげに歪んだ笑みが浮かんでいた。図星を突かれた彼女は大きく瞳を見開かせ、無意識に肩を震わせている。別に血は出してないんだけどな。それを言うと「そう言う意味じゃない」って言われそうだから言わないけど。そんな事を考えてるとは知らずに未だに震えている彼女の頬に、彼はトンファーを沿わせた。
その間にも雲雀の背後では動く影があり、その気配に気付いた彼がふと後ろを振り向くと、そこからは思いもよらない衝撃があった。それを見ている事しか出来ない麗は生まれたての小鹿の様にぷるぷる、と震えている。その後に響いた軽快な音は彼のプライドを傷付けるには充分だったらしい。
「ねえ…殺していい?」
「そこまでだ。やっぱつえーな、おまえ」
「君が何者かは知らないけど、僕、今イラついてるんだ」
(そりゃあスリッパではたかれたらねえ……)
「横になって、まっててくれる」
「リボーン君!」
殺気を放ち出した雲雀を止める声が響き渡る。それの正体はリボーンだった。何時もと変わらぬ無表情を浮かべるリボーンは相変わらず、淡々とした高い声を響かせている。そんなリボーンに武器を向けた雲雀だったが、リボーンはそれを十手で受け止めたのだ。思わず叫んだ麗の声は無駄だったらしい。この反撃に楽しげに笑みを浮かべる雲雀だが、それはリボーンのとある一言と爆発音で唐突な終焉を迎えるのである。
「おひらきだぞ」
「あっぶな……」
「あなたのせいですからね!」
結論から言うと、麗と雲雀は無事である。リボーンが持ち出した球形爆弾を見た雲雀は彼女を蹴って廊下へ押しやったのだ。咄嗟に扉を閉めてしまってので、恐らく室内はボロボロになっているだろう。そんな前であぐらをかいて安堵の息を吐く雲雀は完全に他人事で、そんな先輩を見てしまえば彼女は溜め息を吐く事しか出来ないのである。
「無事なんだし良いでしょ」
「っ…ああもう!せっかく書類持って来たのに」
「ここで見る」
「へ?」
「ほら、早く」
真顔で急かされて雑に渡した書類には僅かながら汚れが舞っていて、それを軽く掃った雲雀は真顔でそれを見つめていた。先程の騒動が夢だったかの様に、麗と彼の二人だけの空間には不思議な静寂がある。元々人通りが少ない(と言うかもはや居ない)ここは基本的に風紀委員の人間しか存在しないのだ。身体から力を抜いて壁に凭れかかっていると、隣で何かが動く布擦れの音が響いた。まあこの場合、先輩しかいないんだけど。既に立ち上がっている雲雀を見ようと視線を上に向けようとしたが、それは雑に置かれた雲雀の手によって出来ない行為となったのだ。
「な、何なの……」
不器用なあの人の手は、とても温かかった。