理不尽すぎる女の嫉妬
「茉莉、まだー?」
「もうちょっとかかりそうなんだけど」
「お腹空いたから先帰って良い?茉莉遅いねえ」
「あんた何もしてないでしょうが!」

 四限の理科の実験の授業と言うのは何時も以上にやる気が削がれる、と言うものである。大層なものではないのだが、下準備やなかなか出ない結果や独自の考察を書かなければいけない、などと面倒な過程が山積みなのである。それらを全て他のメンバーに任せた麗と全てを請け負った茉莉では苦労の差が違うのである。


「わたしと茉莉グループ違うのに良く見てるね。茉莉って本当わたしのこと大好きだね」
「何ニヤニヤしてんのよシバき倒すわよ?」

 プレパラートにゆっくりと水滴を一滴落とす茉莉の目の前の椅子に座ってみせた麗の顔は酷く楽しげで、そんな親友の顔を視界に入れてしまった茉莉のこめかみには青筋が浮かんでいた。そんな光景を見つめるクラスメイトの心は微笑ましい気持ちと焦りの感情が織り交ざった、良く分からないもので共通している。そんな1-Bの授業を受け持つ化学教師の肩は、ふるふる、と震えていた。


「…日比野、廊下に立っとれ」
「わたし実験終わったんですけど!?」




 お昼休憩が始まるチャイムを聞き届けた後、一足先に教室に戻った麗はスクールバックを持って購買へと目指していた。隣に茉莉が居ない事は違和感でしかないが、今頃実験を頑張っているのだろう。密かに応援してやるのが友達と言うやつだ。今日は雲雀からの呼び出しもなかった麗は何時もよりもご機嫌なのだ。しかし、そんな上機嫌な気分は今、この瞬間にすれ違った人物により一気に崩れ去る事となる。


「あなたが日比野麗ね」
「え?あ、はあ……」
「リボーンの最近のお気に入りね」
「え、リボーン君?」
「どうやって取り入ったの」
「取り入ったって…いや、そんな事は」
「色目?色目を使ったのね」
「いや、あの…」

 唐突に話し掛けて来たその人物は日本人では有り得ない髪色を腰まで伸ばした何処か既視感を感じる美しい女性だ。そう、獄寺を女性にしてしまえばこう言った容姿になるのではないのだろうか。そんな彼女の口から紡がれる言葉達は全てリボーンが関係するもので、麗はただただ身を引く事しか出来ない。ひとりでに進んで行く会話(と言って良いものなのかは分からないが)はどんどん麗の首を絞めて行っている様な気がした。どうやらその予感は的中していたらしく、目の前の女性は麗に向かって変な煙が出る物を突き出したのである。
 ほぼ毎日に及ぶ雲雀との攻防のお陰で第一撃を避ける程度の反射神経を身に付けてしまったが、それは物理的な攻撃の場合である。いや、物理的には変わりないんだけど完璧毒じゃん。耳元でジュワアア、って言ってるもん。尋常じゃないよ。目の前の女の人は「何避けてんのよ」って言って来るけどさ、これ避けなきゃ死ぬよね。一瞬であの世行きだよね。逃げるに決まってんじゃん!


「待ちなさい!」
「いや無理無理無理!それ駄目なやつじゃん!死ぬやつじゃん!完璧殺しに来てますよね!」
「何当然な事言ってるの」
「ほらやっぱりそうじゃん!無理だって!」

 後ろからかけられる声に思わずちらり、と目を向けたら、そこには重装備をした女の人が殺す気満々、って言う視線をわたしに向けている。これやっばい、マジで死ぬ。これ誰のせいかな、リボーン君じゃん。何で関わっちゃったんだろうもう!雲雀先輩と初めて会った時でもこんな焦らなかったよ。アレもしかしてガチなやつなんじゃないの。
 時折耳に入るヒュ、と言った風を切る音を聞く度に、麗の寿命はどんどん縮まっている気がした。ここまで避けられてるの奇跡だからね、だんだん煙掠って来てるからね。間に入ってくれる人いないかな。そんな事を考えていた時、わたしの視界には「黒」が映っていた。雲雀先輩だ。


「雲雀先輩!」
「ちょっと、廊下は走るなって…」
「ごめんなさい!今無理です!」
「え…」

 助かった、そう言いたげに瞳(め)を輝かせた麗は雲雀の腕を掴んで思わずしゃがみ込んだ。その瞬間に頭上から聞こえた風を切る音はそのまま通り過ぎ、背後の壁でべしゃり、と言った音を響かせたのである。時間が止まった気がしたが、二人は恐る恐る首を動かした。そしてそこに映った光景に一人は青ざめ、一人は笑みを溢したのである。


「…へえ」
「何感心してるんですか!これ当たったら多分死にますよ!」
「いよいよ日比野も命を狙われる立場になったんだね。だんだんこちら側に染まって行ってる、良いと思うよ」
「頭大丈夫ですかバトルマニアめ」
「だから何で避けるのよ……」
「避けなきゃ死ぬでしょうが!」
「万々歳よ」
「やっぱり命狙われてるんじゃん、一丁前に」
「だから違うんですって!」

 一つ言っておくが、正常な反応は麗の方である。この時、なかなか見ない雲雀の笑みから、彼女はやはりこの人は異常だ、と再確認したと言う。震えながら言う目の前の女の人の言葉に感心した様にこちらを見る彼は何処か楽しそうだ。そんな所に割って入って来た「そこまでだぞ」と言う声は酷く幼かった様に思う。


「リボーン君!」
「リボーン!」
「やあ、赤ん坊。この前は派手にやってくれたね、応接室」
「直っただろ?」
「直させたんだよ」
「あ、あの、リボーン君」
「何だ」
「この人、何?」

 先程の声はリボーンのもので、それを耳に入れた目の前の女性は頬を赤らめ、酷く嬉しそうだ。そんな彼女の視界を独占している彼を見た雲雀は、うっすらと青筋を浮かべている様に見える。リボーンの事はお気に入りの存在だと思っていたが、気のせいだったのだろうか。そう疑問符を浮かべた麗だったが、麗はずっと抱いていた疑問をリボーンに問い掛けたのである。


「愛人だ」
「そう来たか」
「君、精通もクソもないよね」

 リボーンの言葉に思わず女性の方に視線を向けると、そこにはぽっと頬を赤らめる彼女が居た。マジかと、そう思ってしまうのは仕方のない事だろう。けれど、彼女の反応を見てしまうと納得せざるを得ないのだ。隣に居る雲雀の口から「精通」と言う言葉は聞きたくなかったが。
 その後(ご)、ビアンキと言うらしい女性を何とか宥めてくれたリボーンによって今回の騒ぎは落ち着いた様である。彼女も麗を殺す事は諦めたらしく、悔しそうにしながらもリボーンを連れて学校から出て行った。せっかく購買に行こうと思ったのに、こんな事になるなら茉莉のこと待ってれば良かったかなあ。




「巻き込んでしまってすみませんでした……」
「いや、楽しかったけど」
「すっごい笑顔でしたもんね、あなた」
「…あ」
「何…」

 昼食を用意してくれているらしい草壁の元に行く事になった麗は、廊下を歩きながら申し訳なさそうに眉を下げた。あまり見ないしおらしい態度に、思わず笑いそうになる。それを堪えた雲雀は言葉を紡ぐつもりは無かったらしい。けれど、視界に映った僅かばかりの「赤」に、雲雀は思わずそれに手を伸ばしたのだ。


「怪我、してる」
「え、あ…ありがとう、ございます」

 麗の頬に生まれている一本の赤い線は彼女の白い肌の上では良く映えており、目敏くない人間でもおそらく気付くのだろう。それを強めに拭えば、目の前の彼女は痛覚に僅かに顔を歪めた。嗚呼、また力加減を間違えてしまったのだろうか。そう思ってしまう程に、この彼女は柔く弱く、そして、酷く壊れやすいのだ。
 何も出来ないこんな女を、草食動物を側に置くのはおかしいと、噂で聞いた事はある。僕も別にこいつに固執してる訳ではない。けれど、何て言えば良いのだろうか。ころころと変わる表情に、不思議と飽きは来ないと感じているのだと、そう思う。そんな気持ちを抱いた雲雀は、無意識に、ふ、と笑みを浮かべていた。


「…ノロマ」

 僅かに和らいだ雰囲気の原因に、僕はまだ気付かない。


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