ふと感じる背中の温もり
「聞いたか?あのヒバリに女が出来たって話」

 そんな噂が蔓延るのは並盛中学校内に限った話ではなかった。しかし、それが一番根強く蔓延っているのもその中なのである。その噂を麗が聞けば恐らく卒倒するだろうが、運が良いのか悪いのか、未だに彼女の耳には入っていない。そして、それは雲雀にも言える事だ。何処から発生したのかは分からないが、恐らくほぼ毎日にも及ぶ二人の鬼ごっこのせいなのだろう。


「え、マジで?」
「どんな女?」
「同じ委員会のやつって聞いた」
「マジかよ。自分の側で管理しときてーって感じ?」

 並盛町の中でもガラの悪い場所にたむろっているガラの悪い男らの口元には厭らしい笑みが浮かんでいる。そんな彼らの脳裏には、それぞれの「ヒバリの女像」が映っているのだろう。単なるイメージでしかない雲雀の恋愛観を言葉にしては下品な笑い声を響かせていた。本人を目の前にしては言えないが、こうやって陰で言うだけはただなのだ。


「その女ってどうなの?」
「何が」
「大事にされてるのか、とか、重宝されてんの?」
「そうだったらどうすんだよ」
「やっと見つけたヒバリの弱点じゃん」

 男らの想像によってどんどんと飛躍して行くその話を止める者はこの場にはおらず、それはただただ馬鹿げた作戦を作り上げる要因となって行くのだ。この時点で雲雀に見付かっていれば良かったのだが、そう簡単に物事が進む訳でもない。下世話な笑みを浮かべたとある男は「あのヒバリを打ちのめせる」と言う現実を夢見て、舌なめずりをしたのである。


「使えるもんは使ってやるぜ」




「お疲れ様、沢田君」
「あ、ありがと……ってアレ、日比野さんってBチームだよね?」
「次の種目に茉莉が出るんだけどここ通るらしいんだよねえ。だから、場所取り」
「日比野さんこそお疲れ様だね」

 夏の暑さも僅かながらに和らいで来た頃、並中では熱烈した体育祭が行われていた。先程ちょうど終わった競技に出ていたのであろう沢田は、何処か落ち込んだ顔付きでAチームの陣地に戻って来ている。そこに居たのは違うチームの麗で、どうやら親友である茉莉の活躍を見る為にわざわざこちらまで足を運んだらしい。並中に来て初めて知り合ったと言っていたけど、本当に仲良いよなあ。


「沢田君」
「ん?」
「…今日ってさ、三浦さん来てる?」
「え?あ、うん…ハルのやつ、まだ日比野さんの事敵視してんのかよ……」
「ビアンキさんとタッグ組んでわたしのこと嫌ってるみたいなんだよねえ」
「オレからも言ってるんだけどさ、大体説教されて終わるんだよなあ……」
「仲良く、なりたいんだけどね。今は無理かなあ」
「日比野さん…」

 麗が沢田の名を口にしたと同時に、グラウンドでは耳を劈くピストルの音が響き渡っていた。今行われているのは今のご時世では珍しい、パン喰い競争である。茉莉の順番まではまだ時間がある為、麗は彼に小声で問いを投げ掛けた。それは、彼に数日前の麗に対するハルの一方的な敵意を思い出させた。そんなハルに苛立ちもせずに「友達になりたい」と言う麗は酷く心が大らかだ。ハルのやつ、こんな良い人を何で嫌うんだろう。二人の不仲の原因がまさか自分だとは思っていないセリフである。


「…ふふ、そんな顔しないでよ」
「けど、オレ、何も出来なくて…」
「良いの、大丈夫。何とかなるかなあ、って思ってるし」
「んな適当な」
「こっちに来てからほとんど一人だったからね、少しでも関係築けるなら踏み出してみようかなあって。駄目かな?」
「…日比野さんってさ、揉め事で絶対巻き込まれるタイプでしょ」
「沢田君も他人のこと言えなくないー?」

 何時も見る笑顔ではない、困った様な、「自分のせい」だと言いたげなその困り顔に思わず苦笑した麗は沢田のその顔を覗き込んだ。自分の知り合いと言う事もあり、思ったよりも責任を感じている様だ。そんな彼に対して横に居る彼女は笑顔で、何処か達観している様子が伺えた。そんな彼女は馬鹿みたいに優しくて、何時かきっと、何処かで必ず損をするのだろう、と感じたのである。ふと顔を上げれば彼女は茉莉に和やかに手を振っており、やはり仲が良い二人だと感じた。そして、そんな人だからこそ、この人の優しさに触れる人が増えれば良いと、彼女の笑顔を見て思ったのだ。




「午前終わったねー……」
「お昼ご飯だね!一番楽しみにしてたの!」
「ゴリラかよ」
「そのツッコミおかしい」

 パン喰い競争が終了して暫くした後、間もなくして午前の部は終了した。その事に沢田は思わずほっと息を吐いたが、あれからずっと隣に居た麗はキラキラとした瞳を瞬かせたのだ。そんな彼女の様子に言葉を放つのは獄寺である。この二人は顔を合わせれば喧嘩喧嘩喧嘩なのだ(ただし、日比野さんが獄寺君をいなしてる感じなので圧倒的に日比野さんが優勢)。何時も冷や冷やして仕方がないが、何だかんだで自分も楽しんでるのも事実だ。そんな気持ちで笑みを浮かべると、グラウンドのスピーカーから彼女に対する応接室への呼び出しが響いたのである。その瞬間、思いきり顔が歪んだ彼女の様子に沢田と獄寺は同情するかの様に目を細めたのだ。


「朝お弁当渡したはずなんだけど…」
「えっ、お昼ご飯作ってるの!?」
「いや、わたしの母さん。何か変に気に入ってるんだよねえ、雲雀先輩のこと。外堀から埋めて行くとかほんっとずるい……」

 好奇心と畏怖が含まれた視線を全方位から感じると、麗は呆れ返った様に額を抑えた。わたしが作る訳がない。寧ろお昼ご飯食べないでちょっとだけ力なくして一回だけボロボロになって帰って来たら良いと思う。嘘だけど、こんな事言ったらわたしがボロボロになるけど。そんな事を心の中に留めて気が乗らないままに、彼女は応接室へと歩を進めたのだ。


「あいつ、結構大変なんスかね……」
「ほぼ各日で鬼ごっこと言う名の『デスゲーム』してるらしいから…」
「…そう言えば、今朝、嫌な噂聞いたんスけど…」
「噂?」
「ヒバリに女が出来たやら、その女を使って何かやらかす、やら…」
「…ヒバリさん、彼女いたの?」

 思ったよりも苦労している麗の話から流れる様に始まった話題は中学生が話すにしては下世話なそれで、そう言ったものに耐性がない沢田は思わず眉を顰めている。そして、日常でたまに見かける雲雀を思い浮かべた。側に居るのが「女性」と限定されている中で思い浮かぶのは先程までこの場に居たBチームの少女である。並盛町は雲雀が統制を取る事により安全な町となったが、黒曜町よりは幾分かマシなもののガラが悪い場所は確かにあるのだ。その事を思い出した沢田は麗が歩いて行った道を心配そうに見つめたのである。


「嫌な予感が、当たらなければ良いんですけど」




「はいどうぞ!」
「…何怒ってんの」

 ドン、と大きな音を立てて置かれたのは二段に重ねられた大きめのお弁当箱である。それをやってみせた麗の眉間には皺が寄っており、そんな彼女を不思議そうに見つめるのは雲雀である。悔しいけど整った顔をしてるからそんなきょとん、とした顔をされるときゅんって来ちゃうんだよチクショウ。少し落ち着いた苛立ちを頭の隅に追いやってソファに腰を下ろした。弁当箱を開ければおにぎりや唐揚げと言ったメジャーな食べ物、そして、彼の好物であるハンバーグまで詰められている。あの人どんだけ雲雀先輩に媚び売るつもりなの。母親キラーかよ。そんな事を思っているうちに、目の前の彼は次々におかずを口内に放り込んで行く。


「…美味しいですか?」
「ん、うん。美味しいよ」

 夢中なその姿に思わず問いを投げ掛ければ、雲雀はさも当然かの様に肯定の意を示した。そして、箸でウインナーを掴んで麗の口先に突き出した。思わず身を引いたが空腹に勝つ事は出来ず、ウインナーを口に含んだのだ。その瞬間、大きな音を立てて応接室の扉が開かれた。そこに居たのは草壁で、言うなれば身内みたいなもので、僅かな羞恥心を感じたのは秘密である。


「…どうしたの、草壁」
「例の件で…」
(例の件?)
「…ああ、どうだったの」
「えっと、あの…」

 草壁の姿を視界に入れた雲雀は持っていた箸を静かに机の上に置き、静かな、けれど芯の通った声色で言葉を投げ掛けた。何時もは用件を簡潔に告げるにも関わらず言葉を詰まらせている草壁を見て、もしかしたらわたしがいるせいで話せないのではないだろうか、と勘繰ったのだ。その考えが浮かんでしまえば、ここに居るのは些か辛いものがあるのである。


「日比野?」
「わたし、いない方が良いみたいなので」
「お、おい……!」
「…日比野」
「何ですか?」
「体育祭終わったら速攻帰るかここに来て」
「え…」
「良いから」

 唐突に立ち上がった麗に気付いた雲雀と草壁は僅かに眉を上げてみせた。しかし、彼女の意図に気付いた雲雀は淡々と言葉を並べたのである。その意図に気付かなくても良い。この子が気付けば、「自分のせい」とか言いそうだからね。まあ、僕のせいなんだけど。そんな僕の気持ちも知らず、日比野は「お弁当箱、ちゃんと洗って返して下さいね」なんてボケた様な言葉を僕に送ったのだ。本当馬鹿なんじゃないの。


「い、委員長…」
「ほんと、日比野の観察眼って気持ち悪いよね」




 突然ですが皆さん、ピンチです。午後の白熱した棒倒しが終了した後、茉莉に誘われて後片付けをして応接室に向かっていたんです。なぜか棒倒しに出ていた雲雀先輩には思わず笑っちゃったけど多分もう応接室に着いているだろうから、行かなきゃ多分また鬼ごっこが始まるしね。体育祭で疲れてるのにその上で鬼ごっこと言う名のデスゲームとか本当地獄だから。その途中、数人の男の人達が校舎裏でたむろってたんです。その人達の制服が黒曜中の物で、少し気になったものだから近付いたんです。そうしたら相手に気付かれちゃって、今こうして壁に追いやられて挙げ句の果てには「ヒバリの女」呼ばわりですよ。虫唾じゃない、鳥肌が立ちますってば。で、これってどうやったら逃げられますかね。


「あんたがヒバリの女?」
「だから違うんですってば!」
「じゃあヒバリの弱点?」
「じゃ、弱…?」
「まあ何でも良いけど、風紀委員は確かだろ?」
「ま、まあ…」
「じゃあちょうど良いや。利用させてくれる?」
「は…」

 にやにや、とした下品な笑みを浮かべて問いを投げ掛けて来る目の前の男らはどうやら関わった事のない人種の様で、思わず腰が引けてしまう。それに気付いた彼らのうちの一人は強引に麗の腰を引き寄せたのだ。え、何、やだむり。複数対一人だからか、抜け道の様な場所も見当たらず、それどころか目の前の男の顔はどんどんと距離を縮めて来るのだ。う、煙草の臭い、だ。雲雀先輩や草壁さんみたいな自然な匂いじゃない、いや、だ。気持ち悪い。そんな時に響いた鈍い金属音は、彼女の瞳を丸くさせるのには充分だった。


「だからさっさと来いって言ったのに」
「っヒバリ!?」
「わざわざ隣町までご苦労だね。君達の行動は筒抜けだから、残念だったね」
「てめェ!」

 目の前に広がるのは呆れた様に眉を顰めてトンファーを構える雲雀の姿だった。その彼の姿に驚いたのは麗だけではないらしく、目の前の男らも焦った様に声を荒げている。応接室で草壁さんが言いにくそうにしてたのはこの事だったのだろうか。人を嘲笑う様に鼻を鳴らした雲雀に逆上した男らは拳を雲雀に向けるが雲雀はそれを簡単にいなし、トンファーで男の頬を思いきり殴ったのだ。そんな打撃音は普通に暮らしていてはなかなか聞くものではなくて、彼女は思わず耳を塞ぐ。そんな様子の彼女に気付いた雲雀は軽く溜め息を吐いて、彼女に迫っていた男を足蹴にし、視線を残りの男らに向けたのである。


「次、僕の並中にちょっかいかけたら咬み殺す、じゃ済まないからね」
「っ…調子乗ってろ!」

 やっぱり草食動物だ。一人で僕に立ち向かう事も出来ない。この様子だと、ここで寝そべってるこの男も同じレベルなんだろうね。日比野の方が幾分かマシだ。僕をビンタする人とかなかなかいないしね、馬鹿だけど。少しだけ視線に殺気を込めれば、男らは集るハエの様にこの場を後にした。思わずほっと息を吐けば、僕は未だに身体を震わす日比野と目線を合わせたのである。


「ひば、り、先ぱ…」
「余計な世話掛けさせないで。行くよ」

 どうやら身体だけではなく声も震えている様で、麗は一向に雲雀と視線を合わせようとはしなかった。こう言った姿を見ると、限りなく一般人なんだろうと思う。雲雀の一撃目を避けれるのだから常識からは少し脱しているのだろうが。震えも収まって来た麗を連れて行こうと、それを言葉で促した。しかし、麗が立ち上がる様子は無い。


「……ちょっと」
「ふ、震えて、立てな…」
「っ…ああもう!」
「わ…っ」

 収まったと思われた震えはまだまだ継続中だったらしく、麗の顔には強がる様な笑みが浮かんでいた。それをじっと見つめていた雲雀だったが痺れを切らしたのか、僅かに声を荒げて彼女を背中におぶったのだ。急に高くなった目線に思わず声を荒げれば、彼の首に腕を巻き付かせたのである。


「ちょ、ちょっと雲雀先輩!?」
「こうなるだろうから言ったのに、何道草食ってんの?馬鹿なの?」
「だ、だって黒曜中の人がいたから…!」
「放って置いて良いんだよ、どうせ君戦えないでしょ」
「そ、そうですけど…」
「だから、応接室で事務仕事して、たまにお茶淹れてくれれば良いんだよ」

 少し暴れても雲雀は手を離してはくれなくて、それを何度か繰り返した後、観念した麗は僅かに頬を赤らめて彼の肩に額を押し付けた。そして、その後に続いた彼の言葉にふと目を見開かせては、嬉しそうに笑みを溢したのである。その時の目を細めた表情は酷く優しげで、これを彼が見ていたらどうなるのだろうか、と少し興味が湧いた。


「…何笑ってんの」
「案外優しいんだなあ、って」
「ぶっ殺すよ?」
「咬み殺すじゃないんですか」


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